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5-3②

「おおっと」


 余裕の表情でそれを避ける男に、エリシュカは唇を噛み締めた。何度かナイフを突き出すが、それも軽く避けられる。カーヤが気付いてエリシュカを呼ぶが、他の三人も今すぐ駆けつける余裕はない。背中を伝う汗にぶるりと身体を震わせて、嫌な笑みを浮かべる男と対峙した。


「どうした、もうおしまいか? 威勢だけはいいが、そんなちゃちな獲物と腕で俺を仕留めることなんざできないぜ」


 エリシュカは男をじっと睨みつけ、ナイフを構えて腰を落とした。


「なんだ、まだやるのか?」


 男はニヤニヤと嫌な笑みを浮かべ、ジャリッと靴を鳴らして唾を吐く。次の瞬間、獲物をいたぶるような目をして地面を強く蹴った。エリシュカは、素早く顔に向かってナイフを下から斜め上に振り上げる。男は仰け反ってそれを避け、すぐに身体を起こそうと足を踏みしめた。その刹那、既に腰を落としていたエリシュカが、思い切りブーツの踵を男に向かって蹴り出した。


「ぐっ……ああっ」


 この世の終わりといった風なうめき声を上げた男が、その場にどさりと蹲る。エリシュカは飛び退くように一歩下がり、丸くなった男を見下ろした。


「リシュカっ!」

「な、なんてことをっ!」

「ぶっ」


 焦ったようなカーヤの叫び声の後に、オルダが剣を落として頭を抱えた。遠くから弓を構えていたマテスが、番えていた矢を外して吹き出した。いつの間にか馬車の後ろに立っていたルカは、真っ青な顔をして口を片手で覆っている。よく見れば、エリシュカの倒した男以外は全て地面に横たわっていた。


 手の甲で額を拭ったエリシュカに向かって、頭を抱えたオルダが信じられないといった様子で声を震わせた。


「な、なんと卑劣な」

「ぶっ、ははははははは」


 オルダが呟いた直後にマテスが腹を抱えて大きな声で笑いだし、カーヤは何とも言えない苦笑いを浮かべた。ルカは青い顔をしたまま無言でオルダの剣を拾い、そっと差し出した。それを反射的に受け取ったオルダは、心ここにあらずといった様子で腰の鞘にゆっくり戻す。「信じられん」とこぼした後は、呆然とエリシュカを眺めた。


「これを教えたのはオルダよっ! 私のことを卑怯だなんて言わないでほしいわ」


 真っ赤な顔で言い放ったエリシュカに、オルダは絶望したような顔をした。すぐに我に返ると、焦ったように口を開いた。


「俺が教えただと? そんなバカなっ! こんな姑息な手を教えるわけがないっ。大体さっき会ったばかりだろう、嘘を吐くなっ!」

「嘘じゃないわっ!」


 ナイフを握る手に力を込めて、エリシュカは四人をぐるりと見回した。オルダは怒ったように拳を震わせ、他の三人は不思議そうな顔をしている。気持ちを落ち着けるように深く息を吸い込むと、それを一気に吐き出した。


「私にとって今は六度目の人生なの。だから依頼のことも、皆のことも知ってるのよ。今やったことは、最後の死に戻りの前にオルダが私に教えたことよ。私みたいな力のない女が生き残るには、卑劣な悪党を一撃で沈めなきゃならない。本当はオルダもそれを知ってる。だから次のオルダに言ってやれって言われたの」

「何をだ」


 額に汗を浮かべたオルダが、ごくりと喉を鳴らした。


「守られるべきはずの女であっても、それを逆手に取って戦う術はある。オルダはそれを、子供の時に教えられたはずだって」

「な、なぜそれをっ!」

「それってつまり、オルダのお姉様――アドリエナ様のことでしょう?」


 愕然とした表情で黙り込んだオルダを、エリシュカは静かに見つめた。前回のオルダに構わないと言われたが、やはり人の傷口を抉るのは気持ちのいいものではない。死に戻りの記憶を使う自分とオルダの教えは、実際どちらが卑怯なのだろうか。


 膝から崩れ落ちたオルダが、座り込んで頭を抱えた。わしゃわしゃと髪をかき混ぜた後、諦めたように肩を落とした。


「姉上は――そうだ。姉上はまさに活発で強い人だった。本当に死に戻っていると言うのなら、何があったか知ってるのか?」

「ええ。町へ出たときに……オルダを庇って怪我をしたって」

「そうか」


 しばらくの間黙って考え込んでいたオルダが、大きく息を吐いた。


「姉上は、力の弱い者が命を守るために、使えるものは何でも使えと言っていた。それはまだ子供だった俺も同じことだ。……あの日、俺は過信していた。剣もなしに、無様ではあっても大の大人の男に勝てたからだ」


 一度言葉を切ったオルダは、頭を抱えて悔しそうに続けた。


「俺があいつをちゃんと倒しておけば、姉上が怪我を負うことなどなかったんだ。俺のせいで姉上は不自由な身体になって、幸せから遠ざかった」

「でも、オルダっ」


 エリシュカが声を上げると、オルダはどこか吹っ切れたような笑みを浮かべて頷いた。


「だが、どうしてかさっきの卑怯な手を思い出したら、それも違うように思えてきた。いや、姉上が怪我を負ったのは俺のせいに違いないが」


 エリシュカは複雑な表情で口を真横に結んだ。


「はははっ。そんな顔をするな。俺が教えたんだろう? だとするなら、それは姉上のやり方だ」

「オルダのお姉様の?」

「ああ。あの日俺の目の前で、姉上はさっきと全く同じ方法で男を倒した。あの手は間違いなく俺の姉上が悪党相手に使ったものだからな」


 オルダは全員の顔を順に見た後、どこか遠くを見つめるような目をして口を開いた。


「あの日、俺は両親への贈り物を盗まれて、すっかり頭に血が昇っていた。護衛のペトルが呼び止めたことも分かっていたのに、そのまま賊を追って走り出した。そしてそいつを倒したと思ってすっかり気を抜いていた」



『オルダっ』


 軽快な足音が近づいてきて、オルダは倒れた男を見ていた視線を音の方へ向けた。ドレスを翻して走ってくるアドリエナの姿を認め、どこかほっとした。


 怒ったような顔をして走ってきた姉は、突然脇道から出てきた男に気付いてナイフを振った。それを避けた男に向けて、エリシュカと全く同じ事をした。悲痛な叫び声を上げて男は蹲ったが、オルダは姉を卑怯だとは思わなかった。


『全く目の離せない子ね』


 そう言った姉がオルダを庇い、オルダが倒したはずの男に刺された。オルダはその後気を失い、起きたときには自室の寝台に寝かされていた。


 目を覚ましたオルダは、勢いよく身体を起こすと辺りを見回した。当然姉の姿はなく、逸る気持ちで寝台から飛び出した。そのまま裸足で姉を探し、邸の廊下を走り出した。途中で見つけた使用人を捕まえて姉の様子を聞けば、部屋で休んでいるという。呼び止められるのを無視して、そのまま部屋まで駆けていった。


『姉上っ!』


 大声で叫びながら部屋に入ると、父親に肩を掴まれた。『怪我人の前で騒ぐな』と低い声で窘められて、青い顔のまま横たわる姉に視線を向けた。


『オルダ』


 姉は薄っすらと笑みを浮かべ、『無事でよかった』と掠れた声で言った。泣くのを堪えて枕元に行くと、姉は少しだけ怒ったような顔をした。


『オルダ、泣くのはおよしなさい。見てのとおり私は生きてるわ』

『でも……姉上っ』

『あなたが反省すべきは、油断したことよ。ちゃんと姉さまを見ていた? あのような卑劣な相手には、情けなど無用です。無闇に甚振ることはなりません。けれど、自分や大切な人の命を守るべきときは、どんな手を使ってでも相手の動きを確実に止めなさい。いいわね?』


 その言葉に母が苦言を呈しながら泣き出し、父は頭を抱えていた。オルダはしっかり聞いたはずのその言葉を罪悪感で押し込めて、そのまま記憶の底に沈めてしまった。



「姉上はいつも言っていた。完全に相手を無効化するまでは、絶対に気を抜くなと。なのに俺はあのとき、それを守れなかった。挙句の果てに、その失態の尻拭いまで姉上にさせたんだ」


 悔しそうに顔を歪めたオルダは、大きく息を吐いた。


「それを認めることが出来ずに、見ないふりをした。女は戦う手段など持たずに、守られるべき存在なんだと決めつけた。そうやって姉上の不幸に俺の罪悪感まで押し付けて、俺は一人で逃げたんだ」


 ガシガシと頭を掻き混ぜたオルダが、肩を落として俯いた。なんだか小さな子どものように見えて、エリシュカの胸がずきりと痛む。


 しかし徐に顔を上げたオルダは、どこか晴れやかな表情で続けた。


「だが、そう気付いたらなぜか霧が晴れたような気分だ。今まで戦おうとする女は……カーヤのことを、正直なんてバカなことをしてるんだと思ってた」

「オルダ、それはさすがに言い過ぎだって」


 マテスが苦笑いを浮かべながらカーヤとオルダを見比べた。カーヤは大して気にした風でもないように肩をすくめて返した。


「すまん。だが本気でそう思ってたんだ。姉上の戦う姿と重なって、いつか同じ目に合うんじゃないかと怖かった」


 決まり悪そうに頭を掻くオルダに、エリシュカは小さな笑みを浮かべた。


「前回のオルダは、お姉様と話してみるって言ってたわ」

「そうか」


 そう言って笑ったオルダは、いつも居座っていた眉間のシワが珍しく伸びて、少しだけ幼く見えた。

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