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5-3①

「マテス!」


 もつれそうになる足をどうにか前に出し、一直線に進んでいく。エリシュカの声は彼らに届かず、四人はこちらに気づかない。自分の呼吸だけが耳に煩く、心臓が引き絞られるように痛みだす。もう後少しという距離になったところで、エリシュカはもう一度思い切り声を張り上げた。


「マテスっ!」


 オルダの大きな背中が反対へ回り、四人がエリシュカに視線を向けた。ルカとカーヤは不思議そうな顔で走り寄るエリシュカを眺めている。いつも眉間に皺を寄せているオルダも、珍しく驚いた風に目を見開いた。名前を呼ばれたマテスは眉を寄せてすぐ、息を呑んで目を見開いた。


 エリシュカはオルダとルカの間を抜けて、マテスに向かって両手を伸ばした。マテスは面食らったように目と口を大きく開けて、よろけながら一歩後ずさった。


「えっ? ええ? えっと……」


 マテスがしどろもどろになっているところに、エリシュカが勢いよく飛び込む。抱きつかんばかりに伸ばした両手で、マテスの胸ぐらを摑んだ。


「なっ、なっ、何だ?」


 目を白黒させるマテスに構わず、羽織っていた上着を左右に開く。すぐさまシャツの裾をズボンから引き抜くと、「ひえっ」という悲鳴と共にマテスが両手を挙げた。エリシュカは構わず夢中でシャツの釦を一つ、二つと外しだす。マテス以外の三人が動きを止め、目を皿のようにしてその様子に釘付けになった。


「はっ? ええっ、ちょっと、おいっ!」


 顔を真赤に染めてあたふたとし始めたマテスを無視して、エリシュカは更に三つ目の釦に手を掛けた。そのとき、「ぐぇっ」と蛙が潰れたようなうめき声を上げて、マテスのシャツがエリシュカの手から離れていく。


「ぐうう、ぐるじっ! ルっ、ルガっ!」


 息も絶え絶えに呻くマテスの首を、真剣な顔をしたルカが肘で締めていた。その様子にカーヤとオルダが我に返る。カーヤが口に拳を当てて吹き出し、オルダは腕を組みながらマテスを睨みつけた。


「おい、マテス。お前一体何をやらかしたんだ」

「ぐっ、ぼ、ぼぐは……なに……も。ゲホッ」

「ぷっ、くふふ。ねえ、ルカ。ふははは。それじゃあ、マテスが言い訳もできないよ」


 カーヤが笑いながらルカの肘を軽く叩くと、ルカがはっとしたようにマテスから腕を放した。両手を膝について何度か咳込んだマテスが、恨みがましそうな顔でエリシュカを見上げた。


「僕に一体何の恨みがあって、こんな恐ろしいことを……」

「なんだ、お前やっぱり覚えがあるのか」

「なっ……し、失礼なっ! 僕は女の子に恨みを買うようなことなんてしてないぞ。断じてしてないっ!」


 勢いよく身体を起こしたマテスが、憤慨した様子でオルダに言い返した。そのまま慌ててシャツをズボンにしまい込み、今度は上着の釦もしっかり閉じた。エリシュカは自分の両手に視線を落としてから、マテスの顔をじっと見上げた。


 マテスが動いている。胸に赤い染みの一つもない。死に戻れば会えることはわかっていた。けれど、実際に無事を確認するまでは、胸の奥のざわつきが止まらなかった。


「ちょ、ちょっと。どうして黙るんだよ。ねえ、僕は何もしてないって皆に説明してくれよっ!」


 マテスが必死の形相で迫ると、エリシュカはへにゃりと笑った後に、顔を歪めて目に涙を溜めた。「ふえっ」と声を上げて零れそうになる涙を拭うと、俯いて肩を震わせた。


「えええ、ちょ、嘘だろっ、何で泣くんだっ? 僕は無実だっ! むしろ被害者だっ。泣きたいのは僕の方だっ!」

「お前……」

「ふはははっ。マテス、一体何をしたのっ」

「……」

「ルカっ、無言で睨まれるのが一番恐ろしいからやめてくれっ」


 エリシュカは肩を揺らして、三人の掛け合いを聞いていた。三人にとってエリシュカは初対面でも、エリシュカにとってはもう四ヶ月を共にした仲間たちだ。こんなバカみたいなやり取りだって、失ってみればどれほど愛おしいのか彼らにはわかるまい。でもそれでいい。そんな気持ちはエリシュカだけが抱えて、みんな変わらず一緒に過ごせれば、それだけでいい。

 

「あははっ。ふっ、あはははは」


 突然笑い出したエリシュカに、三人は顔を見合わせてから首を傾げた。顔を上げたエリシュカは、涙を拭いて三人を見比べた。

 

「ごめんなさい。マテスが怪我をしてるんじゃないかと思って確かめたかっただけなの」

「君はマテスの知り合いなのか?」

「ええ。でも私が知ってるのはマテスだけじゃない。あなたのことも知ってるわ、ルカ」


 目を瞬いたルカから、カーヤとオルダに視線を巡らせる。


「それにカーヤとオルダ。私は皆のことを知ってるわ」


 再び顔を見合わせた四人は、怪訝な表情で首を横に振った。


「ふふっ。今回は初めましてね。私の名前は、エリシュカ・ヴラノヴァーよ。皆が依頼を受けて、保護する予定の魔女の末裔は私のことよ」

「なっ、どうしてそれをっ?」


 ルカが焦ったように声を上げると、広場のからくり時計が動き出す。カラーンカランランと乾いた鐘の音が響き渡り、エリシュカはぱっと時計を振り仰いだ。


 前回よりも早く彼らに出会えたが、思いの外時間を食ってしまった。すぐに出発しなければ、商人の馬車に追いつけない。ルカに視線を戻したエリシュカは、真剣な表情でその瞳を正面から見つめた。


「お願い、ルカ。私を信じて助けて欲しいの。町の門を出て真っ直ぐ行った先で、商人が盗賊に襲われるわ。私はそれを助けなくちゃならないの。だからお願い、力を貸して」

「そんなおかしな話……」


 眉を顰めたルカは、続きを言いかけて口を閉ざした。ルカが躊躇いがちに他の三人を見回すと、皆考え込むようにして黙っている。エリシュカは何も言わずに、祈る気持ちでその様子を見守った。


「信じられないと思うのに、なんでだろう。僕は彼女の言うとおりにしてもいい気がする。皆はどうだ?」

「僕は……酷い目にあったけど、まあ、同じかな」

「私もなぜかそう思う」

「納得はいかんが、俺もだな」

「それじゃあっ!」


 顔を見合わせた四人が同時に頷き、エリシュカに向き直る。


「案内してくれる?」

「馬を取りにいかなきゃな」

「あなたは私と一緒に乗って」

「よし、さっさと行くぞ」


 エリシュカは「ありがとう」と答え、彼らの後についていく。向かう先は分かっているので、見失っても構わない。エリシュカは先を急ぐように促して、精一杯の速さで後を追った。


 しばらく走ってエリシュカが限界を迎えそうになったところで、あの路地から出てきた四人が馬に跨った。エリシュカの姿を認めたカーヤが馬の向きを変えて迎えにくる。


「エリシュカ嬢っ!」


「リシュカでいいわっ」と返事をしながら、伸ばされたカーヤの手を摑んだ。空の鐙に足を掛け、力いっぱい踏み込んだ。コツは忘れていないが、やはり身体が追いつかない。カーヤの細くしなやかな腕に腰を支えられ、どうにか前によじ登った。馬を跨いでカーヤの前に収まったエリシュカに、全員がぽかんとした表情を浮かべた。しかしすぐに考え込むようなものに変わり、やがて我に返る。


「よし、行こう。門を出て真っ直ぐの道だな?」

「そうよ! お願い、急いでっ」


 エリシュカの返事が終わるや否や、四頭の馬が走り出した。ルカの「急いでるんだっ、どいてくれっ」という声に、慌ただしい町の人波が道を作る。門番の元に辿り着いたルカが家名を名乗り、そのまま分厚い石の門を走り抜けた。


 馬たちが流れるように街道を走り抜けていく。のんびり走っていた馬車や馬、歩いていた旅人たちが、何事かと驚いたように見送った。


 一度目に商人の馬車を見つけた分かれ道を通り過ぎ、そのまま真っ直ぐ走り続ける。土埃を上げながらしばらく進むと、今まさに商人の馬車へ盗賊が向かっていくところに出くわした。


 前回とまるで同じように、オルダが先頭になって馬車へ向かっていく。ルカは迂回しながら、近づいてくる男たちの邪魔をするように馬を走らせた。一つ違うところは、今度はマテスが一緒にいることだ。弓を構えて狙いを定め、ひゅんと矢を放ちルカの援護をする。カーヤはエリシュカをその場に降ろすか一瞬迷うが、結局商人の元へ向かった。


「リシュカはここで待ってて!」


 馬を降りたカーヤが、馬車と馬の影にエリシュカを降ろした。エリシュカはしっかり頷き、剣を抜いたカーヤの後ろ姿を見送った。するとすぐに後ろにいた商人を振り返り、腰元を確認した。


「ナイフを貸してっ!」


 手を差し出したエリシュカの有無を言わさぬ口調に、商人は思わずといった風に腰のナイフを引き抜いた。持ち手をエリシュカに向けて差し出すと、我に返って「ああっ」と声をあげた。


「いや、お嬢ちゃんっ! あんたナイフなんか扱えないだろうっ。無茶をするもんじゃないっ」


 エリシュカはその声に構わず、カーヤの背後に迫ろうとする男に向けて走り出す。エリシュカに気付いて向きを変えた男が、一瞬目を見開いてからニヤリと口の端をあげた。エリシュカは歯を食いしばり、男の手前で足を踏ん張ってからナイフを思い切り横に振った。

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