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5-2①

 ひゅっと息を呑み、目を開けるとそこには見慣れた天井があった。エリシュカは慌てて上半身を起こすと、胸元のペンダントを寝間着の下から引き出した。震える掌の上に乗せると、その輝きを確かめる。前よりまた少し暗くなり、残りは丁度六分の一だ。


 無事に六度目の誕生日に戻ってきたのだと分かり、強張っていた全身から一気に力が抜け落ちた。大きく息を吐き、再びペンダントをしまう。胸元にあったブローチは当然跡形もなく、皆の記憶からもエリシュカは消えていることだろう。


 今度の死に戻りは何をすればいいのかもう分かっている。黒幕はまだ確かではないが、絶対に突き止めなければ。そうとなれば、こんなところでのんびり寝ている場合ではない。寝台を抜け出したエリシュカは、ルツィエに着替えを頼みに厨房へ向かった。


 前回と同じように、アダムがくるのをホールで待ち構えた。使用人たちが戸惑うように見てくるが、そんなことはどうでもいい。ようやくアダムが到着すると、エリシュカは執事が開いた扉から現れたアダムに声を掛けた。


「アダムっ! 話があるからこっちへきてっ。早くっ!」

「えっ、エリシュカ? ど、どうしたんだよ」


 花束を手にしたアダムが、後退りしながら視線を彷徨わせた。エリシュカは苛立つ気持ちを抑えて、「いいからこっちへきて」とアダムを促した。執事に庭へ出ると声を掛けると、驚いたような顔をしてから軽く俯いた。エリシュカはすぐに向きを変えると、「あのっ」とか「待ってくれよっ」などと背中から声を掛けてくるアダムを無視して歩き出した。


「アダム、お花は要らない。テレシエにでもあげたらいいわ」


 庭に出るや否や、エリシュカは指輪を外しながらアダムを振り返る。


「えっ、あのっ、どういうこと?」


 花束を上げたり下げたりするアダムに、エリシュカはため息を吐いた。更に続けようと口を開いたところで、少し離れたところからアダムとエリシュカを呼ぶ声が響いてきた。


「アダムっ、お姉様っ!」


 テレシエが足早に向かってくるのをアダムが見付けて、微かに頬を染めた。エリシュカは呆れたようにその様子を眺め、どう話をつけようかと頭の中で考える。


「ねえ、そのお花もこの婚約指輪も、テレシエにあげたらいいわ。ただし、これをあげても婚約はできないけど」

「お姉様……」

「なっ! エリシュカっ、そんな言い方っ」


 眉を下げたテレシエを見て、アダムがむっとしたような表情を浮かべた。エリシュカは益々どうしようもないといった顔で、大きなため息を吐いた。


「二人とも、いい? この指輪は追跡のアーティファクトよ。こんなもので婚約は成立しないわ。アーティファクトを婚約で使うことは、国で禁じられてるのよ。……もしかして、知らなかった?」


 目を瞬いた二人を見比べて、エリシュカは首を傾げた。自分だけが無知だったのかと思ったが、どうやらそうでもなかったようだ。アダムとテレシエは顔を見合わせて、互いに首を横に振った。


「そう、二人も知らなかったのね。でもよかったわ。正式な話は後になるけど、どのみち私たちの婚約は無効よ。これで心置きなく二人が婚約できるじゃない」

「でも、お姉様は……」


 後ろめたそうな顔をしたテレシエに、エリシュカは苦い笑みを浮かべた。無効になろうと一度は婚約者がいたことになった身だ。普通に考えれば、次の結婚は大分条件が悪くなるだろう。テレシエはそれを知ってか知らずか、エリシュカに同情しているのかも知れない。


「私はそんなことを気にしてる場合じゃないの。それより、アダム。ヴァーツラフ様のことについて聞きたいのよ」

「父上の? 一体何を?」

「お母様が亡くなってから、様子がおかしいって聞いたわ。ねえ、ここ最近ヴラノヴァーの領地へ出掛けたりしていない?」

「父上が? 一体なぜ?」


 エリシュカは眉を寄せてアダムをじっと見上げた。本当に何も知らないように見える。アダムから何かを聞こうとしても、無駄なのかも知れない。


「何も知らないならいいわ。……そう言えば、どうしてお母様が亡くなってから様子がおかしくなったのかしら」


 独り言のように呟いたエリシュカの声に、アダムが「ああ」と声を上げた。


「エリシュカは知らなかったっけ。父上とマルケータ様は顔見知りなんだ。子供の頃から知ってるらしいよ」

「そうだったの?」

「なんでも父上の初恋だったとか聞いたけど。詳しいことはわからないよ」

「そう」


 そんな話は初めて聞いた。とは言え、アダムとの婚約が持ち上がったのは母が亡くなってからだ。当然クリーマ家の話を母とする機会などなかったのだから、エリシュカが知っているはずもない。アダムは形ばかりの婚約者で、そんな話をするような仲でもなかった。


 始めの頃は、自分にも家族ができるかもしれないと仄かな期待を抱いていたのだが。テレシエとアダムが先に出会っていたのだと聞いていれば、そんなことを考えずに済んでいただろうに。今更ながらに何も知らなかった自分が滑稽に思えて、苦い笑みを浮かべた。


「それじゃあ私、やらなきゃならないことがあるからもう行くわ」


 指輪を突き出したエリシュカに、アダムが一歩後ずさる。


「えっ? いや、指輪を返されても困るよっ!」

「そんなこと私は知らないわよ。追尾の機能があると知ってて、それをしたまま大人しくしてるほど私はお人好しじゃないわ」

「でもっ、それが本当にアーティファクトだなんて、どうしてエリシュカに分かるんだよっ」

「イェリーネク家のご当主様が調べてくださったのだから、間違いないわ」

「イっ、イェリーネク家だって? どうしてエリシュカがっ」


 今度は一歩踏み出したアダムが、心底納得いかないと言った顔をした。それもそうだろう。エリシュカは宮廷の宴にも呼ばれたことはないし、他の貴族のことなど大して知りもしないのだから。


「私はあなたたちみたいに、ただ黙って運命を受け入れるなんてごめんだわ。だから自分で動いたのよ。私は私にできることを全部やりきって、それでも駄目ならそのときまた考えるわ」


『足掻くだけ足掻いてご覧なさい。できることを全てやって、それでも駄目ならそのときですわ。最初から何もせずに諦めるなんて、マルケータがあちらで怒るのじゃないかしら』


 イェリーネク家での夫人の姿がエリシュカの脳裏に浮かぶ。悪戯を仕掛けるように笑ったその姿は、エリシュカにとって心の支えのひとつになった。


「アダム、あなたもテレシエのことを本当に幸せにしたいと思うなら、ヴァーツラフ様の言いなりになってないで、そろそろ自分で動いてみたらどう?」

「そ、そんなことっ」


 何かを言い掛けたまま口を閉じたアダムは、俯き唇を噛み締めた。アダムも兄であるベドジフに相談はしたようだがそこまでだ。エリシュカだって命が掛かっていなければ、ここまでのことができたかわからない。けれど何度も繰り返す内に、ただ待っているだけでは何も変わらないのだと思ったのだ。何が正しいのかなんて、エリシュカにだってわからない。それでも何もせずにじっとしていたら、殺されて力を奪われて、ただそれでお仕舞いだ。


「あのっ、私がその指輪をしてはいけないかしら?」

「テ、テレズカっ」

「……追尾のアーティファクトをしても、婚約者にはなれないわよ?」


 両手を胸の前で組んだテレシエを、エリシュカは怪訝な表情で見つめた。


「お姉様はこれからどこかへ出かけるのでしょう? それなら、私がこの指輪をしてここにいれば、お姉様の居場所は誤魔化せるのじゃないかしら」

「でも、そんなことをしてテレシエに一体なんの意味があるの?」

「そうだよっ! それに、アーティファクトってことは魔力を吸われるんだっ。テレズカの身に何かあったら」


 アダムはそこまで口にしてから、はっとしたようにエリシュカに視線を向けた。今までずっとエリシュカが身につけていたことすら忘れていたのだろうか。エリシュカはため息すら出ないほどに呆れ返って、婚約が無効であったことを心底ありがたく思った。


「お姉様は、さっきやることがあるっておっしゃったでしょう? それには指輪が邪魔だから置いていくのではなくて?」

「そうね、それもあるわ」

「それなら、ここにいると思われたほうがいいのではない? 私にとっての意味は……ずっとお姉様とお話したかった。けれど、それ以上に申し訳ない気持ちが強くって。ずっと何もできなくて、アダムとお姉様の婚約も諦めるしか無いと思ってた」


 テレシエは言葉を切ると、しっかり頷いてから続けた。


「だけどさっき、できることは全部やるってお姉様が言ったから。私も自分にできるこをとしてみたいの」

「だけど、テレズカっ」


 アダムの顔を見上げたテレシエは、首を横に振った。


「私、これでもアーティファクトを使える程度には魔力があるわ。きっと大丈夫」


 テレシエが胸の前で組んでいた両手を、エリシュカに向かってそっと差し出す。真っ直ぐエリシュカを見つめる瞳には、今まで見たことのないような力強さが宿っていた。エリシュカは一度自分の手の中の指輪を確かめてから、差し出された両掌にそっと乗せた。


「いいのね?」

「ええ、お姉様」


 テレシエが指輪を見つめてから、覚悟を決めたように左手の薬指に嵌めた。ふうと息を吐いてから、笑みを浮かべてエリシュカを見つめる。エリシュカは複雑な思いで一度頷き、何とも言えずに口を閉じた。


 テレシエが身代わりになったからと言って、義母のズラタと父が母を裏切っていた事実は変わらない。生まれてきたテレシエに責任があるとは言えないが、複雑な思いが変わることはない。なにせ妹とは言ってもたった数ヶ月しか違わないのだから。別の出会い方をしていたらもしかして、と思わなくもないが。どのみちズタラと父の娘としてしか生まれてこないのなら、同じことだっただろう。


「エリシュカ様っ」


 遠慮がちに掛けられた声に振り向けば、そこにはルツィエがいた。思いの外長い時間を過ごしてしまったようだ。きっと前のようにズラタがこちらへ向かってきているのだろう。エリシュカは再びテレシエとアダムに視線を向けると、「じゃあ、いくわ」と一言残して踵を返した。

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