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5-1②

 夜が更けたころ、テーブルを挟んだ向かい側には怖い顔をしたルカが座っていた。勿論二人きりではない。部屋の隅には女の使用人が立っており、先程から重い空気に顔をこわばらせている。

 

「ルカ、そんなに怖い顔をしてたら、他の人が困るわよ」

「別に僕は怖い顔なんかしてない。そう見えるのなら、リシュカに後ろめたいことがあるからだろう?」

「そうだとしても、この状況でなにかできるわけないじゃない」


 肩を竦めたエリシュカに、ルカは険しい顔で黙り込んだ。日付が変わってから、ずっとこんな調子でエリシュカを見張っている。この様子では、ルカだけは絶対に許してくれないだろう。ミロシュは詳細を知らないが、エリシュカの命が危ないとだけ聞かされているようだ。まさかエリシュカが自ら死に戻りをしようとしているとは、ほんの少しも考えてはいないはずだ。


 しばらくの間ルカと不毛なにらめっこを続けていると、使用人が空になったグラスに果実水を注いだ。微かに震える手でルカの分を注ぎ終えると、エリシュカのグラスに移る。そちらのグラスも注ぎ終えると、ほっと息を吐いた。そのまま手を引こうとしたところで、不意にグラスにぶつかった。「あっ」と声を上げるがどうにもならず、グラスはエリシュカのほうへ倒れ込んだ。


「きゃっ」


 エリシュカの服が赤く染まり、一瞬マテスの姿が脳裏をよぎる。ひゅっと息を呑んだエリシュカの様子に、ルカが慌てて席を立った。


「リシュカっ、大丈夫か?」


 使用人を振り仰いだルカが、誰かに着替えを持たせるようにと声を掛けた。青ざめた使用人はカクカクと首を縦に振り、扉の外に向かって呼びかけた。


 しばらくすると、扉を叩く音がする。


「私だけど、いいかな?」


 鍵が開くと共に顔を覗かせたのは、着替えを手にしたカーヤだ。


「飲み物を零したんだって? リシュカ、着替えを持ってきたよ」


 ルカが眉を寄せてカーヤを振り返る。肩を竦めたカーヤが、着替えを掲げて呆れたように続けた。


「そんな怖い顔で見られてたら、誰だって飲み物くらい零すよ。ほら、早く交代して」


 唸り声を上げたルカが、渋々といった風に腰を上げた。一度エリシュカを見下ろしてから、カーヤに視線を戻し「外で待ってる」と言い残して出口に向かう。扉を閉める前にエリシュカに顔を向け、何とも切ない目をして扉を閉じた。胸の奥がずきりと痛むが、エリシュカの気持ちは変わらない。


「さあ、着替えようか」


 部屋の隅にいた使用人の女に、カーヤが持ってきた服を見せて笑みを浮かべた。女は一瞬躊躇うように視線を彷徨わせたが、すぐに頷き着替えを受け取った。



 着替えを終えたエリシュカは、顔を強張らせて扉の前に立った。カーヤがマントをそっと被せ、袷はそのまま開いておく。ルカから貰ったブローチは、服のポケットにしまい込んだ。死に戻りをすれば消えてしまうが、それでも最後まで持っていたい。


「リシュカ、準備はいい?」


 袷を握り締めて頷いたエリシュカに、カーヤが笑みを浮かべた。


「じゃあ、リシュカ。なるべく俯いて、顔が見えないようにしていてね」

「ええ。ありがとう、カーヤ。オルダにもお礼を伝えて」

「うん、分かった。必ず次の人生で、また会おう」


 頷いたエリシュカは口を開きかけて閉じた後、俯き唇を噛み締めた。カーヤがふっと微かな笑い声を立て、エリシュカの肩をぽんと叩いた。


「ルカなら大丈夫。リシュカの最期が見えないように、ちゃんと連れていくよ」


 勢いよくカーヤを見上げたエリシュカは、くしゃりと顔を歪ませた。


「ねえ、私が死んですぐにまだルカと話せたら……ごめんなさいって伝えておいて」

「わかった」


 エリシュカの肩を優しく擦ったカーヤが、背中のフードを深く被せた。


「じゃあ、いくよ、リシュカ」

「ええ、カーヤ。必ず、また会いましょう」


 頷いたカーヤがコンコンと扉を叩くと、鍵の開く音の後にルカが顔を覗かせた。エリシュカはごくりと喉を鳴らして、出入口すぐ横の壁際で俯く。訝しげに部屋を覗き込んだルカが、エリシュカの姿を探すが視界には入らない。エリシュカのすぐ前に立ったカーヤが、その姿を隠しているからだ。貼り付けたような笑みを浮かべたカーヤに、ルカは一層探るような表情を浮かべた。


「……リシュカは?」

 

 声を上げた瞬間、後ろからどんと押されてルカが部屋に転がり込んだ。


「うわっ、おい、なんだっ?」


 慌てて振り返った途端に、カーヤが扉脇にいたエリシュカの手を引いて部屋から駆け出した。


「あっ、待てカーヤ!」とルカが叫ぶと、扉の前にはオルダが仁王立ちしている。


「オルダっ、どけっ! お前も裏切るのかっ」

「人聞きの悪いことを言うな。俺は何も裏切っちゃいない。ただ、リシュカの望みを叶えるだけだ」

「くそっ、そこをどけっ! ……いや、待てよ。さっきのはリシュカじゃないんだろう?」


 口の端を上げたルカが、部屋の中を振り返る。部屋の壁際で気配を消した女が、顔を伏せて立っていた。ルカがゆっくり近付くと、女は微かに顔を上げた。目を見開いたルカがその顔を覗き込むと――それは、使用人の女だった。ルカは女の顔をまじまじと眺めるが、やはりどう見てもエリシュカではない。


「なっ! まさか、さっきのが本当にリシュカなのかっ?」


 ルカは焦ったように部屋を見回すが、当然そこにエリシュカの姿はない。慌てて部屋を出ようとすると、オルダにそれを留められる。「どけっ!」といつになく大きな声を出して、オルダに飛びかかった。オルダは正面からそれを受け止め、そのまま床に転がした。ルカが悔しそうにオルダを睨みつけるが、オルダは表情を動かさずにそのまま立ちふさがった。ルカがチラリと階段に視線を向けた。かと思うとあっという間に走り寄り、そのまま一気に手すりを飛び越えた。


「おいっ、嘘だろっ」


 オルダの焦ったような声を背中に、階段の中程に着地したルカはそのまま駆け下りる。開け放たれた邸の扉の先には、マントを着た女を抱えて馬に跨るカーヤの後ろ姿が見えた。


「リシュカっ! カーヤ、待つんだっ!」

「ルカっ、止めるなっ! 行かせてやれっ」

「ばかを言うなっ」


 ルカが扉を出ていくと、オルダがその後を追う。厩までは少し距離があるので、カーヤにすぐに追い付くことはできないだろう。


 静けさを取り戻した邸の階段の暗がりから、そっと人影が現れた。


 姿を表したエリシュカは、ポケットに入れたブローチを取り出した。開け放たれた扉の向こうから、月の光が差している。それに向かってかざしたブローチを、目を細めて眺めた。裏の文字を一度なぞると、服の胸元にしっかり留める。マントはもう着ていない。先程カーヤと逃げたのは、女物の服とマントを被ったただの布の塊だ。予めカーヤとオルダがこの場所に隠しておき、エリシュカと入れ替わっただけだった。


 エリシュカはほっと息を吐き、両手で胸の前を押さえた。ここからが本番だ。エリシュカは先程駆け下りた階段を再び登り、使用人の残っている部屋へと戻っていった。


「驚かせてしまって、ごめんなさい」


 壁際に立っていた使用人の女は、青い顔をしてビクリと肩を震わせた。黙ったまま俯き、握り締めた拳をずっと震わせている。その視線の先にあるのは、履き古された革靴だ。


「ねえ、もうすぐ夜半の祈りの鐘が鳴るわ。今夜は……今夜も、貴女なんでしょう?」


 女ははっとしたように顔を上げ、エリシュカを見つめて目を見開いた。震える口元は何かを言おうとして、開いては閉じを繰り返す。


「最後に教えて欲しいの。誰が貴女を唆したの?」

「なっ、なんのことでございましょう」


 一層震えだした女が、両手で身体を抱きしめながら一歩下がる。すぐに壁にぶつかり、ゴクリと喉を鳴らした。


「貴女は覚えてないでしょうけど。私、三度目に死んだときに見たのよ……貴女の靴の爪先を。そう、そんな風に少しだけ擦り切れてた」


 エリシュカが足元に視線を落とすと、女は「ひっ」と声を上げた。


「大丈夫、貴女の望み通りちゃんと殺されてあげるから。お願い、教えてほしいの。貴女を差し向けたのは、一体誰? マテスなの? それとも、まさか叔父様が? いいえ、アダムかしら……それとも」


 言葉を切って一歩踏み出したエリシュカに、女が「ひぃっ」と声を上げながら、ポケットに隠していたナイフを振る。エリシュカは女の動きを軽く避け、腰の鞘からナイフを抜いた。


「私、これでも少しはナイフを使えるの。貴女に怪我をさせたくないわ。だから、早く教えて」


 両手でナイフを握っていた女の手が、さっきよりも大きく震えだした。目にいっぱい涙を溜めて唇を噛み締めていたが、コツンと音を立ててナイフが床に落ちる。エリシュカはナイフを構えたまま、女の答えを待った。


「……わ、私っ、お嬢様を殺さないと、か、母さんがっ! こ、殺されるっ。だからっ」

「そう。お母様を人質に取られているのね。では、誰がそんなことを?」

「し、知らないっ、知らない男」

「若い男かしら? それとも……」

「ミっ、ミロシュ様と同じくらいの人っ。目つきが鋭くて……て、手の甲に火傷の痕がっ」


 エリシュカはミロシュと同じ年頃の男を思い浮かべるが、全く心当たりがない。しかし、マテスが依頼したわけではないことにほっと胸を撫で下ろした。とは言え、マテスが男と仲間である可能性もあるのだが。


「それで、期限があるのかしら?」

「きょ、今日中にって」


 女の言葉終わるかどうかのところで、ボーンボーンと教会の鐘の音が響き渡る。エリシュカは一度ぶるりと身体を震わせ、女に向かって頷いた。


「分かったわ、ありがとう。じゃあ、私そこの窓に腰掛けるから、貴女が押してくれるかしら?」

「えっ?」


 ナイフを鞘に戻しながら、まるで飲み物でも頼むかのような口調で言ったエリシュカを、女がぽかんとした表情で眺めた。


「流石に自分で飛び降りるのは、勇気が出そうもないわ。だけど、私もどうしたってやらなきゃならないの。貴女が手伝ってよ」


 酷い事を言っているような気もするが、どうせ一度は自分を殺した女なのだ。エリシュカだって死に戻ることに恐怖がないわけではない。今までの死を思い起こせば、今だって全身が震えてしまいそうになる。それでもこうすると決めたのは自分だ。窓の下がはるか遠く感じ、エリシュカはごくりと喉を鳴らした。


 本当は死にたくない。痛い思いなんてもう沢山だ。ルカの怒った顔が思い浮かび、足が竦みそうになる。ぎゅっと目を閉じると、マテスを含めた四人が楽しそうに笑う様が脳裏を過ぎる。


『後悔するなよ』


 マテスの声が鮮明に蘇る。


「後悔しないわ、マテス」


 エリシュカは窓から夜空を眺めた。大きく息を吸い、一気に吐き出す。


「私、後悔しないわ。次こそ絶対間違えない」


 部屋の中に向き直り、窓枠にゆっくり腰掛けた。使用人の女は真っ白な顔をして、泣きながら近づいてくる。エリシュカが淡い笑みを浮かべると、女は震える手を伸ばした。


「さあ、準備はいいわ」


 嗚咽を漏らしながら、女がぎゅっと目をつぶる。エリシュカは胸元のブローチを両手で握りしめ、静かに瞼を閉じた。次の瞬間、どんっと両肩を押され、エリシュカは窓の外に転げ落ちた。


 びゅうっと風を切るような音がして、そのまま頭から地面に向かう。同時にどこからか馬の蹄の音が聞こえた。衝撃に備えて歯を食いしばったエリシュカの耳に、誰かの声が響いてきた。


「リシュカっ! リシュカーーーっ!」


 ああ、あれはルカの声だ。そうだ、いつも死に際に聞こえるあの声は、ルカの悲痛な叫びだったのだ。今回の死はどこか頭の中が静かで、ようやく声の主を知ることができた。こんな悲しい声を聞くのは、きっとこれで最後だ。だから、ルカ――どうか許してほしい。


 心の中でそう呟いた瞬間に、エリシュカの意識が途切れた。きっとまた無事誕生日に目覚め、今度こそ誰一人欠けることなく死に戻りを終えるのだ。


 エリシュカの亡骸を前にした者たちがどうなったのか、エリシュカにはわからない。

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