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5-1①

「リシュカ……」


 温かなカーヤの手が背中にそっと添えられ、そのままゆっくり往復する。我に返って眺めていた先に焦点を合わせようとするが、なぜかぼやけてよく見えない。


 歪んだ視界がゆらゆらと揺れて、自分が大粒の涙を零していることに気が付いた。瞬きを繰り返しても止めどなく雫が溢れ出す。嗚咽を漏らさぬように唇を噛み締めながら、カーヤに気遣われるような資格が自分にあるのかと、胸がギリギリと痛んだ。


 「カーヤ、リシュカを頼む。この場は僕に任せて、オルダも一緒にミロシュ殿の邸に戻ってくれ。終わったら僕もすぐに戻るから」


 エリシュカはその場を離れ難く思うが、ルカに従い二人と共にミロシュの邸へ向かった。馬上でカーヤに何か声を掛けられていたような気がするが、あまり覚えていない。


 邸に戻った三人は、客間のソファでルカの帰りを待っていた。三人とも押し黙ったまま、静かに時間が過ぎていく。どれくらい経った頃か。扉の開く音がして全員がそちらに視線を向けると、酷く疲れた顔をしたルカが中へ入ってきた。


「ルカっ。……マテスは?」


 カーヤの言葉に大きく息を吐き出したルカは、軽く髪を掻き混ぜた。


「詳しい検分は明日になるそうだ。どうも胸を刺されてそのまま……」

「あいつは弓の名手だが、剣はそれほどてもないからな。くそっ、一体どこのどいつがっ」


 オルダの言葉にエリシュカは俯いた。どう考えてもエリシュカのせいだ。エリシュカを保護する依頼など受けなければ――いや、一度目のようにエリシュカが素直に行程を歩んで人生を終えていれば。


「ねえ、マテスの手紙は一体なんだったの?」


 カーヤ言葉に、ルカが今思い出したといった風に上着の内側から手紙を取り出した。少し躊躇うように三人に視線を巡らせてから、やがてゆっくりそれを開いた。そのまま黙って読み進める内に、眉を寄せて険しい顔になる。一体何が書かれているのかと、三人は固唾を飲んで見守った。


「……今夜はミロシュ殿の邸から絶対に出ないようにと。リシュカの行動を依頼人に報告していたんだが、今夜の宿だけ別の場所を伝えたそうだ。それでも用心に越したことはない。自分が戻らなかった場合……追跡者はまだ監視を続けてる。そのときはミロシュ殿にも協力を仰ぐようにと書いてある」

「報告? マテスは敵に情報を流していたのか?」

「いいや、そうじゃない。そもそも依頼主にその都度報告をするのは最初から決まっていたことだ。勿論リシュカの死に戻りの話を聞いてから、僕とマテスでどうすべきか相談はしてた。敢えて事前の決まりどおりにしておいて、相手の出方を窺ってたんだ。大体依頼人が王都にいるなら、そうすぐにことを起こすこともできないだろう?」


 確かにマテスの隼を使って知らせたところで、王都までは遠すぎる。オルダとカーヤは納得したように頷いた。二人もこのことは知らなかったようだ。


「この町でいつも最後に襲われるのなら、きっとどこかで誰かが見てるってことだ。ミロシュ殿のことも、申し訳ないが調査していた。マテスがここに滞在しろと言うのなら、ミロシュ殿は信じていいってことだよ」


 最後はエリシュカに向かって言い切ったルカは、眉を下げて淡い笑みを浮かべた。


 エリシュカは唇を噛み締め頷く。少し考えてから、口を開こうとしたところで咳き込んだ。口の中がカラカラに乾き、舌が張り付いている。グラスを手に取り果実水をごくごくと飲み下すさまを、他の三人が黙って眺めていた。飲み終えたグラスを置き、三人を順番に見つめた。


「ねえ、皆にお願いがあるの」


 エリシュカの言葉に、ルカが黙ったまま訝しげな表情を浮かべた。


「どうしたの?」

「なんだ?」


 カーヤとオルダが目を瞬き、エリシュカを見つめる。エリシュカは、ごくりと喉を鳴らして、昨夜のマテスとの出来事を全て話した。


 エリシュカがマテスを疑っていたこと。抜け出したマテスを追い、尾行に気づかれ裏切りの告白を聞いたこと。今でもマテスが本当の事を言っていたのかわからないこと。ルカに対する本音の部分は、不自然にならぬ程度に濁した。


「私、マテスを疑ってたの。なのに、さっきの手紙は……」

「疑われても仕方ないだろう。情報屋の性とは言え、見るからに怪しいやつだ。あいつだってそんなこと恨みやしない」


 オルダの言葉に、ルカとカーヤが哀しげな笑みを浮かべた。エリシュカは胸の奥が軋み、再び過るマテスの笑顔に唇を噛み締めた。


 この手紙で、本当にマテスが信用できると言えるのかはわからない。けれど、三人はエリシュカの話を聞いても、やはりマテスを信用している。それならやっぱり、本人に直接問いただすしかない。それができるのは自分だけだ。


 エリシュカは一度大きく息を吐き、真っ直ぐルカの顔を見つめた。


「ねえ、私。もう一度死に戻りをするわ」


 はっきりとした口調で告げたエリシュカに、三人が息を呑んで目を瞠る。ピンと部屋の空気が張り詰めた一瞬あとに、それぞれが口を開いた。


「何を言い出すんだっ!」

「リシュカっ!」

「ばかなことをっ」


 ルカは顔を歪めて、今までになく怒ったように声を上げた。カーヤは思わずといった風に立ち上がり、オルダはいつにも増して厳しい表情を浮かべる。そんな三人を順に見比べ、最後はルカの目をじっと見つめた。


「このままお母様の命日を超えれば、マテスとは永遠に会えないかもしれない。ううん、もしかしたら神父様の言っていたことが間違いで、別の日に殺されて死に戻るかも知れないけど。だけど、確実にそうなるとも言えない。それなら、明日が終わるまでに私が……」


 一旦言葉を切ったエリシュカは、大きく息を吐いてから更に続けた。


「私には、まだあと一度チャンスがある。だけど、マテスにはもうないわ。それなら、最後の一度に賭けてみたい。死に戻ればまたみんなに……マテスに必ず会える。私はどうしても、五人揃って死に戻りを終えたいの」

「リシュカっ! そんなの嫌だよ。マテスは大切な仲間だけどっ、リシュカだって大切な人なんだ」

「俺も同じ気持ちだ。マテスの不運は……くそう、信じられん。だが、目の前で死に向かう者を止めないわけにはいかない」


 カーヤとオルダの言葉に、唇を噛み締めて少しの間俯いた。顔を歪めて滲む涙を手の甲で拭い、もう一度順に三人を見つめた。


「マテスを疑って一人であとを追ったこと、私はこのままだと一生後悔するわ。もう一度チャンスがあるのに、マテスを見捨てるのはどうしても嫌なの。死に戻りの記憶で皆の心を勝手に暴いたことだって、本当はすごく辛かった。皆のほうがきっと傷ついたと思うけど……私、もうこれ以上の重荷は嫌なのよっ! お願い、私のわがままを許して。あと一度だけ、もう一度だけやり直せるのなら、今度は絶対に後悔しない道を選ぶからっ!」

「そんなの駄目に決まってるっ! 僕は絶対に認めない。僕はまた目の前でリシュカを失うなんて、もう耐えられないっ!」


 ルカの叫びに、部屋の中がしんと静まり返る。ルカは今なんと言ったのだろうか。まさか、今までの記憶があるだろうか。目を皿のようにしてルカを眺め、早鐘を打つ心臓が煩くて自分の声が遠くなる。


「ルカ、もしかして……記憶が?」


 青ざめた顔のルカが、「いいや」と答えて小さく首を横に振る。その様子を見ていたオルダが、低い唸り声を上げた。ルカはそのまま黙り込み、青い顔をしたまま部屋を出ていった。するとオルダが再び唸り声を上げ、深く息を吐いた。


「ルカは何度も夢の中でリシュカの最期を見てる。それが記憶なのかただの夢なのか、俺達にはわからない。だが、本当に死に戻っているんだろう? それなら、きっとルカの記憶の奥底には、それが残ってるんだろうな」


 部屋の中に重苦しい空気が流れ、時間が止まったかのように誰もが口を閉じた。やがてルカがミロシュを連れて戻ってくると、エリシュカをひとつの部屋に閉じ込めた。


 部屋の中には男女二人の使用人がおり、カーヤと交代で見張りをすることになった。カーヤは先程一旦部屋を出ているので、今は見知らぬ使用人が二人いるだけだ。簡単に抜け出すことは難しそうだが、窓はどうかとゆっくり開けてみる。覗き込んだ三階からの景色に、ブルリと震えて両手で身体を抱え込んだ。


「お嬢様、発言をお許しください。窓から出るのは到底不可能でございます。もしそこから降りようとなさるなら、私も共に参りますのでご承知ください」


 エリシュカは眉を下げて男を振り返り、大きなため息を吐いた。腕を組んで俯くと、見張り役二人の足元を視線でなぞりながら唸り声を上げる。そのとき、入口の鍵が開く音が響いた。


「リシュカ」


 顔を覗かせたのは、盆に食事を乗せたカーヤだ。後ろにはオルダの姿も見える。


「しばらく私たちだけにしてくれる?」

「しかし」


 躊躇いながら反対しかけた男に、カーヤが柔和な笑みを浮かべた。


「こんな異常事態に、知らない人に見られながら食事なんて、リシュカも気が滅入るでしょう? 落ち着かなくて何も喉を通らなかったなんてミロシュ殿に伝えたら、心配すると思うよ」


 うめき声を上げた男は、もう一人の女と顔を見合わせて頷いた。三人に向かって丁寧な礼をしてから、そのまま部屋の外へ出ていった。勿論外から鍵を掛けることは忘れない。


 静かになった部屋で、カーヤが盆を軽く掲げてからテーブルに食事を並べ始めた。オルダは少し離れたところで腕を組んで立っている。


「ルカはまだ怒ってる?」


 顔を見合わせた二人は、軽く肩を竦めた。


「怒ってるわけじゃないって、リシュカも分かってるでしょう?」

「……そうね」


 ルカが怒ったような顔をするのは、いつも心配しているときだ。それがわかっていても、どうすることもできない。


 テーブルに二人分の食事が並ぶと、エリシュカはオルダを見上げた。


「オルダの分は?」

「俺はただの護衛だ。のんびり飯を食ってる間に何かあったら、すぐに動けんからな。気にせずゆっくり味わってくれ」


 エリシュカはオルダに礼を言って、カーヤと二人で食事を口に運んだ。


「ねえ、二人も私の考えには反対?」


 カーヤが眉を下げ、オルダは唸り声を上げた。


「正直に言うと、私はリシュカの気持ちもわかる。もちろんルカの気持ちもね。だけど、何も無かったみたいに誤魔化して生きるのが辛い気持ちのほうが、ほんのちょっとだけわかるかな」

「……俺もだ。自分の間違えから目を背けることしかできずに、俺みたいに歪んだ生き方をしてる奴を見たいとは思わんな。俺がそう思えるのは、リシュカのお陰だ」


 エリシュカは自分の言った言葉を思い返し、また二人の傷口を抉ってしまったような気がして眉を下げた。カーヤとオルダは、小さな笑みを浮かべた。


「じゃあ、カーヤとオルダは……」


 上目遣いで二人を見上げたエリシュカに、カーヤとオルダが顔を見合わせた。その後すぐに頷き、カーヤは少し困ったような、オルダは呆れたような表情を浮かべた。


「心からそうして欲しいとは言えないけど。でも、協力するよ」

「死に戻るなんて正気の沙汰ではないが、俺もリシュカの意思を尊重する」


 じわりと涙が滲み、エリシュカは「ありがとう」と言いながら精一杯の笑みを浮かべた。これでマテスにまた会える。今度会ったら、絶対に文句を言ってやろう。エリシュカは涙を拭いながら、二人を交互に見比べた。


「それなら、次に二人に会ったとき、死に戻りを早く信じてもらうためにはどうしたらいい? すぐに信じてもらえる、誰にも言っていない、だけど私に教えられる秘密はない?」


 顔を見合わせた二人は、首を傾げてしばらくの間考え込んだ。すぐにエリシュカに視線を合わせたカーヤは、笑みを浮かべて頷いた。


「私は兄上に言われた言葉と、リシュカのナイフ捌きを見ればすぐに信じるよ。今回だってそうだったから」


 笑顔で頷いたエリシュカは、表情を改めてオルダを見上げた。いつになく苦い顔をしたオルダがうめき声を上げ、渋々と言った調子で口を開いた。


「……これはあまり教えたくないんだが」


 それを聞いたカーヤとエリシュカは一瞬目を瞬き、オルダの顔を凝視した。カーヤがふっと吹き出して、エリシュカは頬に手を当て顔を赤く染める。腕を組んだオルダは不服そうにそっぽを向き、少しだけ幼く見えた。そんなオルダを初めて見たエリシュカは、思わず笑い声を立ててから慌てて口を塞いだ。

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