4-8①
「おはよう、ルカ、オルダ」
エリシュカとカーヤが部屋を出ると、丁度隣の部屋からルカとオルダが出てきた。
「二人とも、おはよう」
「ああ」
ルカとオルダが返事をするが、後に続くはずのマテスがいない。エリシュカはもう一人が出てくるはずの扉をじっと見据えた。
「あれ、マテスは?」
カーヤが声を掛けると、ルカとオルダは顔を見合わせた。二人とも眉を寄せて首を横に振り、部屋の扉を大きく開けて見せた。
「それが夜に出掛けて、まだ戻ってないんだ。今までこんなことはなかったのに、どうしたんだろう」
「俺もいつものことだと気にも留めなかった。まさか、腹を空かせて倒れてるんじゃないだろうな」
オルダの言葉に、ルカとカーヤが苦笑いを浮かべた。エリシュカは昨夜のマテスを思い出して、腹の辺りがぎゅっとなる。心臓がどくんと不自然に跳ね、胸元のブローチを軽く握った。
「マテスは夜でも、よく一人で出掛けるの?」
「まあ、そうかな。あいつは情報屋だから、僕たちにも明かせないやりとりもあったりするから。だけど、こんな風に朝まで帰ってこないなんてことは、今まで一度もなかった」
エリシュカの顔から血の気が引き、昨夜のことを話すかどうか逡巡した。皆の前でマテス本人に白状させるつもりだったのだが、あのまま消えてしまうとは。
『後悔するなよ』
ふとマテスの言葉が頭を過ぎり、ゾクリと背中が寒くなる。一体後悔とは何のことなのだろう。まさかこのまま四人揃って、危険に晒されることもあるのだろうか。頭の中でまとまらない考えが渦巻き、口を閉じたまま三人の背中に続いて一階へ降りる。朝食を取るために昨夜と同じテーブルにつくが、喉が狭くなったように食べ物が上手く通らない。
「リシュカ。無理しなくていいから、ゆっくり食べられるだけ食べておきなよ」
カーヤの声にはっとして顔を上げ、こくりと頷きながらスープで口の中のパンを流し込む。
「僕らもついてるから、そう不安そうな顔をするなよ」
「そうだな。マテス一人いなくても、今日明日を超えればそれで終わりだ。その頃にはマテスも何か掴んで戻ってくるだろう」
ルカとオルダの言葉に、エリシュカはますます顔色を失くした。マテスのことを話さなければと思うが、どう切り出せばいいのかわからない。三人はマテスを微塵も疑ってなどいない。幸か不幸かエリシュカの不調を、死に戻りの期限が近いせいだと思っている。きっかけが掴めないまま朝食を終え、とうとう宿を出ることになった。
「あの、イェリーネク様」
宿を出ようとしたところで、主人に声を掛けられた。怪訝な表情を浮かべたルカが振り返ると、主人が手に持った封筒を申し訳なさそうに両手で掲げる。
「昨夜お食事のあと、お連れの方が朝になったらこれを貴方様にお渡しするようにと。ああ、中身はもちろん見ちゃいません。とにかく、必ずお渡しするようにとのことでしたので」
ルカが礼を言ってその手紙を受け取った。それをじっと見つめ少しの間考えていたが、結局上着の内側にしまい込んだ。エリシュカはその内容が酷く気になったが、それを聞くのも躊躇われた。エリシュカがマテスのことを話しても、手紙によって全てが無駄になるかも知れない。それに、もし信じてくれたとして、皆を――ルカを、また傷つけることになるのだろうか。複雑な思いが胸の中で渦巻き、遂にその場で言い出すことはできなかった。
「リシュカ、実は昨日の内に領主殿には先触れを出したんだ。勝手に悪かったと思うけど、マテスが今日は一日領主殿の邸に滞在したほうがいいって」
「マテスが?」
エリシュカはゴクリと喉を鳴らした。口から漏れた声は掠れ、余計に胸の奥をざわつかせる。
「ああ。何を考えてるのかはわからないが、とにかくそのとき自分がいなくても必ずいくようにって」
「あいつがあんなに真面目な顔で話すなんて、そうないからな。何かあるんだろう」
ルカの言葉にオルダが続き、どうあっても叔父ミロシュの邸へ行かなければならないようだ。しかもマテスは、この場にいないことを既に想定していたような口ぶりだ。それでも向かうように仕向けていたのは、なぜだろう。そこまでしてミロシュの元へ向かわせたいのは、何か魂胆があるのではないだろうか。そもそも、ミロシュもマテスと繋がっていないとは言い切れない。三人に相談したいと思うのに、そうしてはならないように思えて口が重くなる。もしも話したところで、こんなにマテスを信じている二人には一蹴されそうだ。
「リシュカ?」
背中に優しく添えられた手から、柔らかな温もりが伝わってくる。我に返って顔を上げると、心配そうに覗き込んでくるカーヤと目が合った。カーヤなら信じてくれるだろうか。そんな考えが頭を過ぎるが、突然二人だけで話したいというのも不自然だ。
「……三度目に襲われたのは、叔父様の邸だったの。明日はお母様の命日だから、ちょっと思い出しただけよ」
嘘ではないがそれだけでもない。マテスの言うとおりにミロシュの家へ向かえば、またあの部屋に泊まることになるだろう。そうすれば、同じことが繰り返されないとも限らない。いや、エリシュカの話を既に聞いているマテスなら、もっと違う何かを考えているのではないだろうか。
「リシュカ、大丈夫だ。今は全員が死に戻りのことも、警戒すべき日も知ってる。それがわかってれば、今度こそ出し抜かれたりしない」
「そうだな、ルカの言うとおりだ。俺は同じ部屋に入ることはできんが、ルカと共に部屋の前で守ることならできる」
「私だって同じだよ。ずっと側で見てるから、任せてよ。次こそ母上の命日を超えて、黒幕を暴いてやろう」
「みんな……」
それぞれの顔を見比べたエリシュカは、胸の奥がじんわりと温かくなる。マテスが何を考えていようと、きっと三人がいれば乗り越えられる。エリシュカは覚悟を決めて、三人を見回してから笑みを浮かべた。
それぞれが馬に乗ってミロシュの邸へ向かった。ミロシュと会うのはこれで三度目だが、いつものとおり快く迎え入れてくれた。やはり同じ客間に通されて、それぞれの前に薄緑色のグラスが並ぶ。注がれた赤い果実水を飲むミロシュの様子に、全員が動きを止めた。
「みなさん、どうされました?」
「いや、なんでもありません。いただきます」
ルカがすぐに答えて、他の三人もそれに続く。皆の脳裏に浮かんだのは、あの神父の姿だろう。エリシュカは甘酸っぱい果実水を飲み下し、落ち着かない気分で小さく息を吐いた。
ミロシュから聞けた話はやはり以前と変わりなく、神父の言っていたこと以上のものは何も無かった。悪魔や盃についても尋ねてみたが、何も知らないと返された。客間は徐々に重い空気に包まれて、誰ともなく口を閉ざした。こんなときにマテスがいたら、そう考えて首を横に振った。
「マテスがいたら、今頃腹の虫が騒ぎ出してるな」
頭の中を覗き込まれたのかと思うようなオルダの声に、エリシュカはびくりと肩を揺らした。目を瞬き視線を向けると、オルダは肩を竦めて顔を顰めた。
「ははっ、確かにマテスならやりかねない」
ルカが軽く笑い声を立てると、ミロシュが部屋の隅にいた執事に目配せをした。
「気の利かないことで申し訳ない。そろそろ昼食の時間ですな。もしよければご一緒しましょう。もちろん今夜はこのままここに泊まって行くのだろう?」
最後の言葉をエリシュカに向けたミロシュは、柔らかな笑みを浮かべた。エリシュカがルカの方を窺うと、同じように笑みを浮かべて頷いた。
「お願いします、叔父様」
「もちろん。ゆっくり休むといい。夜には自慢の猪肉をご馳走するよ。明日は姉さんの命日だ。後で一度礼拝堂へ行ってもいいが、明日も改めて姉さんの好きだった花を供えにいこう」
「はい」
エリシュカが頷くと、ミロシュも同じように何度か頷いた。




