1-3①
緊張の面持ちで馬車の後部へ移動したのは、商人の護衛だ。二人は顔を見合わせて頷き合った。エリシュカは御者台に身を乗り出すが、外の様子はよく見えない。
「おい、あんたたちは大人しくここに乗ってるんだ。何があっても騒がず、逃げたり逆らったりするなよ」
馬車を停めた商人と御者は、硬い表情で辺りを見回した。ぶるぶると鼻を鳴らした馬が足を停め、ギシリと音を立てて馬車が止まった。
護衛の男二人は荷台を移動しながら、スラリと腰の剣を抜く。幌馬車の後部を覆う布をすり抜けざまに、陽の光に照らされた刃がキラリと光る。
ジャリッと地面に降り立つ音がしたかと思うと、二つの足音が遠ざかった。すぐに複数の男たちの叫び声が周囲に迫り、エリシュカは身を竦ませて身体を両手で抱きしめた。
「なんだっ! 一体何が起きてるんだ?」
「まっ、まさか盗賊じゃないでしょうね」
「おいっ、どうなってるんだっ」
乗客たちが騒ぎ始めるが、商人は既に御者台を降りていた。御者は剣を片手に御者台に留まっているが、その顔色は蒼白だ。
ガチンガチンと金属のぶつかる音がしばらく続いたが、やがて静まりいつの間にか御者の姿も消えている。乗客たちは一塊になり、身動ぎせずに固唾を呑んだ。
「よーし、中のもんを確かめるぞ」
「へへへっ。俺が見つけたもんはおれが貰うぜっ」
「おい待て、俺が先だっ」
不穏な言葉とともに、幌馬車の布が大きく開かれた。光の中に黒い影が浮かび、馬車の乗客たちは一様に目を眇めた。徐々に目が慣れてその姿を認めると、誰もが口を閉ざしてそのままその場に縫い止められた。
「おいっ、女が乗ってるぜ」
「チッ、男は鶏しか持ってねーよ」
「まあいい。とにかく全員降ろせ」
値踏みするように乗客を見回す男たちは、見える範囲に五人。皆どこかしらに傷跡があり、獲物を狙うような目つきだ。エリシュカは遠のいていた意識がふっと戻り、途端にガタガタと身体を震わせた。
乗客たちは次々に馬車から降ろされ、一箇所に集められた。取り囲む男の数は、全部で十五人程だ。商人や護衛たちの姿は見えないが、恐らく無事ではないだろう。男たちの汚れた身体に付いた赤い染みから、エリシュカは視線を逸らした。
「おい、女と荷物だけ乗せて、後は始末しろ。ああ、婆さんは乗せるなよ」
一人が指示を出し、男だけ集団から引き離される。エリシュカはカチカチと歯を鳴らし、靴墨で汚れた顔を伏せた。胸の前で握りしめた両手の震えを抑えることができずにじわりと涙が滲む。
「見ろよ! こいつ顔を汚してるがよく見ると、とんだ上玉だぜ」
襟元を掴まれたエリシュカは、無理やり上向かされた。フードが無造作に取り払われ、値踏みするかのような視線が顔に張り付く。顎に当てられた手は、ゴツゴツと分厚くざらついている。同じような厚みでもパヴェルやラディムとは大違いだ。
震えを誤魔化すように唇を引き結ぶが、小刻みな手の動きは止まらない。面白そうに見下ろしてくる男の顔に、頭の芯が痺れて気が遠のきそうだ。
ニヤリと口の端を上げた男が、エリシュカを立たせようとしたその刹那――「ぐっ」っと呻き声を上げその場に蹲った。よく見れば、肩には矢が刺さっている。助かると同時に目に飛び込んできた生々しい光景に、喉が狭くなったように息苦しくなる。
「ちくしょうっ! 横取りかっ」
「おい、あっちだっ」
「くそっ、なんだあいつらは」
男たちの怒号が飛び交い、乗客たちは身を寄せ合って成り行きを見守る。蹲っていた男は矢の飛んできた方に視線を向け、顔を歪めて走り出した。
恐る恐るそちらに顔を向けると、男たちの行った先には馬に乗った四人の若者の姿が見えた。エリシュカより上等なマントを羽織っていて、何者なのかは分からない。土煙を上げながら走るその様に、敵か味方か分からず背筋を冷たい汗が流れた。
一人を残して、若者たちはひらりと馬から飛び降りた。先程矢を放ったのは、馬上に残った一人のようだ。器用に馬を操りながら、敵の動きを止めるように更に弓を引いている。一方馬から降りた若者たちも、鈍い金属の音を響かせながら盗賊と打ち合い始めた。
一人は見るからに剛腕で、力で盗賊をなぎ倒している。一方細身でスラリと手足の長い若者は、素早い動きで相手を翻弄している。もう一人の若者は、難なく剣を受け流している。剛腕ではないが、力負けしているわけでもなく。一番器用な戦い方だ。と言っても、エリシュカには詳しいことは何もわからない。ただ目の前で繰り広げられる剣戟が、まるで芝居でも見ているかのように遠く感じられた。
しばらく遠くの出来事のように呆然と眺めていると、突然若者の声が響いてきた。
「怪我はないか?」
いつの間にか乗客たちの目の前には、器用に戦っていた若者が立っていた。それほど時間は経っていないが、気づけば盗賊たちは捕縛されている。若者は全員をぐるりと見回し、無事を確認したように一度頷いた。
「おい、マテスっ。都に戻って警備隊を呼んできてくれ」
馬上のマテスと呼ばれた男は、弓を背に担いでひらひらと手を振りながら馬の向きを変えた。ブルブルと鼻を鳴らした馬が、土煙を上げてあっという間に走り去る。警備隊と聞いたことで、その場の全員がほっと息を吐いた。エリシュカは未だ夢の中にいるようで、現実味の沸かない気分で目の前の光景を眺めていた。
「ねえ、君。大丈夫?」
細身の若者がエリシュカの目の前にしゃがみ込んだ。眉を下げて気遣うように顔を覗き込んでくる。エリシュカはそのままぼうっと視線を向け、何も言わずにその様子を見ていた。
「私はカーヤ。これでも騎士だから安心して。君の名前は?」
男にしては高く、女にしては低い声の若者は、ぎこちない笑みを浮かべた。エリシュカは一度口を開きかけるが、カラカラに乾いた喉から声が出て来ない。カーヤはその様子に眉を顰め、腰に吊るした革袋を差し出した。
「さあ、一口飲んで」
エリシュカは戸惑いながら、そっと革袋に手を伸ばした。その途端、ガタガタと体中が震えだした。革袋を落としそうになり、カーヤがエリシュカの手ごとそっと両手で包み込む。
「怖かったね。でも、もう大丈夫。ほら、皆無事だろう?」
その途端、周囲から流れてきたホコリ混じりの鉄のような匂いと、生臭さが鼻をつく。エリシュカはせり上がるものを堪えて、思わず蹲った。
乗客たちは確かに無事だ。盗賊たちも呻き声をあげていたから、きっと若者たちは殺してはいないのだろう。けれど、商人と御者、そして護衛たちはどうなったのだろうか。想像するのも恐ろしく、聞くこともできない。
「どうした。吐くなら俺が手を貸してやろうか」
「ちょっと、オルダ。親切のつもりかも知れないけど、女性にそんなこと言ったら駄目だよ」
「そうなのか? 我慢するより気分がマシになるだろうに」
胃がムカムカとして、口の中がカラカラに乾く。込み上げて来そうなものを押し留めていると、体の芯が一層冷えてくる。二人の若者の声と共に徐々に意識が遠のき、そのままエリシュカの視界が闇に染まった。




