↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/44

1-2②

「おお、パヴェルじゃねえか。どうしたんだ?」

「ああ、ちょっと訳ありでな。親戚のところにやるんだが、お前の姪ってことにして乗せてやってくれないか?」

 

 馬車の横に立った男は、パヴェルの後ろから顔を覗かせたエリシュカを上から下までジロジロと眺めた。

 

「こりゃまた……顔を汚しちゃいるが、随分綺麗な娘だな」

 

 しばらく考え込んだ男は、顎に手を置き眉を顰めた。

 

「こんなのを乗せたら面倒なことになりそうだ」

 

 雲行きの怪しくなりそうな雰囲気に、エリシュカは喉を鳴らす。息が詰まり呼吸が無意識に速くなる。

 

「おいおい、よく見ろよ。そんな目立つ娘じゃないだろう、何せお前の姪なんだから。それよりラディム。お前、この間俺がカミさんに内緒で貸してやった金……」

「おっとパヴェル、お前の言うとおりだ。俺の姪に違いない。俺の行くとこまででよけりゃ、ちゃんと送ってやるよ」

 

 パヴェルはエリシュカを振り返り、軽く肩を竦めた。

 

「あの、ラディムさん、よろしくお願いします」

「ああ、えっとあんたは姪の……」

 

「エリシュ」と言い掛けたところで慌ててパヴェルが口を挟んだ。

 

「エリだ」

「そうだった、エリだったな。お前さんは俺の横に乗りな。他の客と一緒じゃ目が届かないからな」

 

 エリシュカはしっかり頷いたあと、パヴェルに視線を移した。

 

「パヴェル、ありがとう。本当に助かったわ」

「いいえ、私は何も知りませんよ。どうかお気をつけて……エリ様」

 

 キャスケットを胸に当てたパヴェルは、じっとエリシュカを見つめた。すぐに被り直すとラディムへ目配せして、振り切るように踵を返して元きた道を歩いていく。

 

「さあ、エリ」

 

 差し出された厚みのある手に、パヴェルのような温もりはない。それでもエリシュカはしっかりとその手を握り、御者台へ一気に乗り込んだ。


 しばらくすると、客で後ろの荷台はいっぱいになった。客層は母子や若い男、壮年の夫婦や老夫婦などで、エリシュカはほっと胸を撫で下ろした。

 

 出発の時間を迎え、ラディムが馬に合図を送る。ゴトゴトと石畳の上を走る馬車は、エリシュカが経験したことのないような酷い振動だ。両手を横について身体をどうにか支えるが、徐々にずれて滑り落ちてしまいそうになる。けれど今はそれどころではない。すぐ目の前に街を出る門が近づいてきたからだ。

 

「よう、ラディム」

「今日の門番はヴォイチェフか。ほら、通行証だ」

 

 使い古された丸帽子を軽く上げてから、ラディムが紙の束を門番に掲げた。

 

「……お前の横に乗ってるのは?」

 

 座席についた手に思わず力が入り、エリシュカの肩が微かに揺れる。フードを深く被り直したくなるが、不自然に思われてもまずい。

 

「ジロジロ見るなって。こいつは俺の姪だ。見せもんじゃねーんだ、もういいだろ?」

「随分酷い顔だな。後でちゃんと拭いてやれよ」

「ほっといてくれ」

 

 ラディムの言葉に軽く肩を竦めたヴォイチェフは、顎を門の外へ向けて出発を促した。片手を上げたラディムが慣れた様子で馬車を出し、厚い石門をゆっくり進む。日差しを遮る通路の中に、ガタゴトと響く車輪の音がやけに耳につく。頬を撫でる空気がひやりとして、思わず身震いした。やがで門を潜り抜けると、ジャリジャリと馬の蹄の音が変わる。途端に日差しが降り注ぎ、エリシュカは詰めていた息を吐き出した。

 

 ようやく肩の力の抜けたエリシュカは、ふと後ろから漂う家畜や干し草の匂いに首を傾げた。荷台を振り返れば鶏を抱えた者や、麻袋から草を覗かせている者もいる。客の顔は目に入っていたが、そんなところまでは気が回っていなかったのだと今更気付いた。

 

「珍しいか? まあ、安心しなって。次の街まではちゃんと送り届けてやるさ。その後も必要なら足を紹介してやるから」

「ありがとうございます」

「いいってことよ。パヴェルが随分気にしてたからな。嬢ちゃ……エリに何かあったら、俺はきっとあの世行きだ!」

 

 人懐こい顔で片目を閉じたラディムに、エリシュカも思わす笑みをこぼした。

 

 そのまましばらく走り続けていると、枝分かれした道の先に馬車の小さな影が見える。他の街からやってきた馬車だろうか。まだ大分距離があるが、こちらへ向かって走っているようだ。もしかしたら同じ街へ行くのかもしれない。エリシュカにとってはそんなものすら珍しく、きょろきょろと辺りを見回してしまう。

 

 夢中になって周囲を見ていると、突然荷台に乗っていた鶏が鳴き出した。驚いて飛び上がったところでガタンと大きな音が響く。馬車が傾き、荷台の人々が騒ぎ出す。ラディムは慌てて馬を止めながら、滑り落ちそうなエリシュカの腕を掴んだ。

 

「チッ。参ったな」

 

 エリシュカを降ろしたラディムは、馬車の傾いた原因に視線を向け舌打ちした。

 

「悪いな、車軸が壊れちまった。修理にしばらくかかるから皆降りてくれ」

 

 乗客たちはため息を吐いたり、ブツブツと文句を言いながら馬車を降りる。ラディムはエリシュカを自分の目の届く場所に座らせ、車輪の修理を始めた。

 

 唸り声を上げながらしばらく格闘していたラディムが、やがて大きな息を吐いた。

 

「まずったな、こりゃいつまでかかるかわからんぞ」

 

 工具を片手に頭を掻いたラディムは、心底困ったように眉を下げた。すると、元来た道の方から先ほど小さく見えた馬車が近づいてくる。やがてすぐ手前で、ゆっくり車輪の止まる音が響いた。

 

「おい、大丈夫か?」

「いやあ、参った。車軸が歪んじまって大分かかりそうだ」

「そりゃ難儀だな」

 

 答えた男は隣に座っていた男に合図を出し、幌馬車の中に向かって「おーい、ちょっと荷物を横へ寄せといてくれ」と声を掛けた。それからすぐにラディムへ視線を戻し、再び口を開いた。

 

「俺はこの先の街へ行くんだが、あんたの乗客を乗せてってやろうか?」

「いいのか?」

「ああ。見てのとおりの幌馬車だ。売り物が乗っちゃいるが、まあ、これくらいの人数なら乗せてやれるぜ」

 

 男は周囲に座る人々をぐるりと見回し、ひょいと肩を竦めた。

 

「悪いが頼むよ。ついでに街に着いたら人を寄越して貰えるか?」

「勿論だ。俺だっていつ同じ目に合うかわからんからな。気にするな」

 

 ラディムの馬車の乗客たちが、口々に礼を言いながら商人の幌馬車へ移動していく。エリシュカはラディ厶と幌馬車を見比べて、どうしたものかと逡巡した。

 

「おい、エリ。お前も乗せてもらいな。こんなとこでのんびりしてる暇はないんじゃないか? わけありだろ」

 

 耳元で囁くラディムに、エリシュカは目を瞬く。

 

「でも、ラディムさん一人置いていくなんて……」

「はっ。俺は慣れてるから大丈夫だ。まったく、俺の姪っ子は随分優しいお嬢ちゃんだな」

 

 エリシュカの頭を軽くかき混ぜたラディムが、商人に向かって声を響かせた。

 

「こいつぁ、俺の姪っ子なんだ。世間知らずで危なっかしいからよく見てやってくれるか」

 

 乗客を乗せ終えた商人が、エリシュカを上から下まで眺めてから頷く。

 

「ああ、任せとけ」

 

 エリシュカは商人に促され、幌馬車の一番御者台に近い位置に乗り込んだ。

 

「ラディ……おじさん、ありがとうっ」

 

 丸帽子を軽く振ったラディムを商人の馬車が追い越していく。それほど長い時間共に過ごしたわけでもないのに、エリシュカの胸の奥に心細さが込み上げた。

 

 乗客と共に乗った鶏がバタバタと羽をばたつかせ、獣の匂いが鼻に付く。さっにまでの御者台のような澄んだ空気は薄くなり、やけに埃っぽく感じる。居心地悪く身体を動かしながら、なるべく御者台から流れる新鮮な空気を肺に取り込んだ。


 硬い床でゴトゴトと揺られ、荷台床の冷たさが徐々に身体を侵食していく。しばらく揺られて、ようやく幌馬車に慣れ始めたところで、馬のいななきが響き渡った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。