4-6①
険しい森を走っているうちに、エリシュカの乗馬の腕も随分上達した。ルカに曳行してもらうことはほとんどなくなり、カーヤとの相乗りも数回程度だ。マテスが別行動することも少なくなり、隼はあれから一度しか見ていない。筒の中身は他の三人も知らないようで、結局マテスが何をしているのかは分からなかった。
長い旅の末、街道に出たのはエリシュカの誕生日からひと月近く――母の命日の二日前だった。馬に乗れるようになっても、慣れるまでに時間が掛かってしまった。結果的にはカーヤに乗せて貰ったときと同じだが、帰りのことを思えば自分で乗れたほうがいいだろう。今度こそ皆で王都へ引き返すのだから。
朝靄の中を進む馬のたてがみには、小さな雫が纏わりつく。エリシュカの羽織ったマントも、しっとりと湿り気を帯びていた。その袷には、ルカから貰ったブローチがしっかりと留まっている。まだイェリーネク家との溝をどう埋めるのかは、何も考えついていない。まずはヴラノヴァーの洗礼の意味と、死に戻りの謎を解かなければならない。
「さて、これからどうする?」
町が見えてきたところで、ルカが馬を止めて振り返る。今回は誰も湖への道の前で止まることはなかった。全員が馬を止め、互いに顔を見合わせた。
「前は、神父様のお話を聞きに行こうとして、できなくなったの。町の外れにある教会の神父様なんだけど。今は怪我をして、少し離れた場所で療養してるはずよ。前回までに町の人たちや、叔父様から話は聞いたわ。だけど、結局肝心なことは何も分からないまま、五度目の誕生日に戻った」
「……そうか」
エリシュカの言葉にルカが一言答え、苦しげな表情を浮かべた。他の三人も神妙な面持ちでエリシュカを見つめ、空気がずしりと重くなる。エリシュカは一瞬あの母子を思い出し、ぶるりと身体を震わせた。
「本来ならまずは領主殿への挨拶だが」
ルカが思案気に口を開くと、エリシュカは首を横に振った。
「叔父様のところへ行く時間はないと思う。きっと私、今日を入れて三日間を無事に終えないとまた戻ってしまうから。一度も母の命日を超えたことがないのよ」
「それが後三日ってこと?」
「そんなっ」
マテスの問いかけに、カーヤが悲痛な声をあげる。オルダは険しい顔つきで、口を引き結んだ。
「そんなことにはならない。僕らはもう死に戻りを知ってるんだから。そうだろう?」
ルカの言葉にカーヤが「そうだよね」と頷くが、マテスとオルダが渋い顔をした。
「だが、前回は全員が分かっていたはずなのに出し抜かれたわけだな」
「そんな言い方っ」
カーヤが抗議の声を上げるが、オルダの言っていることは間違ってはいない。まさか疑うはずもない子供を使うだなんて、誰も予想していなかったし、あっという間の出来事だったのだ。だから、全員が死に戻りを知っているからと言って、必ずどうにかなるとは言い難い。
「とにかく、神父様の話を聞きに行きましょう。前回聞いたのと同じ療養先にいらっしゃるとは限らないから、確かめたほうがいいと思う」
エリシュカの言葉に全員が頷き、一旦町を目指すことにした。
町へ辿り着くと、ひとまず宿へ向かい部屋を取る。前回エリシュカが最期を迎えたところは避け、診療所から然程離れていない場所にした。軽い食事をして少しの休憩を挟むと、再び馬に跨り診療所を目指す。道を知っているのがエリシュカだけなので、初めて先頭で馬を進めた。目の前にあったはずの背中がないことで、心許なさに胸の奥がざわつく。気づかぬ内に手綱を握る指に力がこもったところで、すぐ横で馬の鼻を鳴らす音がした。
ポクポクと蹄の音を鳴らし、ルカがエリシュカの横に並んだ。反対側にはカーヤが並ぶ。交互に二人を見比べて、エリシュカはほっとしたような笑みを浮かべた。
「僕らも後ろにいるって忘れないでくれよな」
「お前はそのうち腹が減ったとうるさくなるだろうからな。嫌でも忘れられないだろう」
「なっ……オルダっ! 僕がいつそんなことをっ」
「いつもだな」
呆れたようなオルダの声に、マテスが口を尖らせた。流石に分が悪くてこれ以上の反論は諦めたようだ。こんないつものやり取りを見ていると、マテスを信用したくなる。けれど、表向きの軽さとは裏腹に、何かを隠しているように思えて気が抜けない。
辺りがすっかり明るくなり、人々が活動を始める頃。神父がいるはずの診療所に辿り着いた。前回と同じようにルカが中へ話を聞きに行くと、教えられたのは半日ほど掛かる療養先だ。今から向かえば昼過ぎには着くだろう。話を聞いて引き返してくれば、予定どおり夕食時を少し過ぎたあたりで戻れるはずだ。昼食には宿で頼んだパンや果物を持っている。
前回は、もと来た道を戻り湖へ向かったが、すぐに行く必要もない。今回は、真っ直ぐ神父の療養先を目指すことになった。
途中休憩を挟みながら、半日ほど経った頃。予定どおり療養先近くまで辿り着いた。街道から逸れて森へ入るが、日の差さない陰気さは、とても療養に向いているようには見えない。エリシュカはぞくぞくと走る寒気に、落ち着かない気分で辺りを見回した。進めば進むほど空気が重くなるような気がして、息が苦しくなってくる。他の四人の様子を窺えば、皆同じようにどこか険しい表情を浮かべていた。
ようやく木々の途切れた場所に、一軒の粗末な家を見つける。蔦のはびこる石造りの建物は、どこか古びた教会を思わせた。全員がその建物を見つめて黙り込み、それぞれ馬からゆっくり降りる。ルカがエリシュカを手伝い、全員が地面に降り立ったところで建物の扉が開いた。
「おや、こんなところにお客様とは珍しい」
驚いたように目を見開いた男は、頭に白い包帯を巻いている。黒のチュニックを翻しながら、手を家の中に向けて「どうぞ」と笑みを浮かべた。
馬を繋ごうと、申し訳程度に設えられた壊れかけの木の柵へ歩み寄る。ところが、五頭ともが蹄で地面を蹴り、首を振って落ち着きがない。神父の家に近付くのをどうにも嫌がり、仕方なく少し離れた木の枝に繋いだ。
家の中はじっとりと湿気がこもり、お世辞にもいい環境とは言えなかった。世話人の姿も見当たらず、一体どうやって療養していたのか想像がつかない。広くない部屋には、大凡馴染まない古ぼけた長テーブルが置かれていた。神父の向かいにちょうど五脚の椅子が並べられており、それが殊更不気味さを際立たせた。
「さあどうぞ、お座りください」
互いに簡単な自己紹介を済ませ、促されるままに椅子へ座る。神父はどこか貼り付けたような笑みで、それぞれの前に果実水の入ったコップを置いた。叔父ミロシュの家で出されたグラスと同じ薄緑なのに、なぜか注がれた深い赤の果実水が別のものに見える。エリシュカはごくりと喉を鳴らし、左右の四人に視線を向けた。両端に座るマテスやオルダですらグラスに手を付けておらず、エリシュカは早くここから出たくなった。
「ありがとうございます、神父様。療養中と伺っておりましたが、お加減は?」
左隣に座ったルカかが口火を切った。
「ああ、この怪我ですか。いやいや、参りましたよ。突然誰ともわからぬ者に殴られまして、このとおりです。とは言え、私は傷の治りが人より早いもので、もう大したことはありませんがね」
どこか芝居がかったような話し方に、エリシュカは眉を寄せた。この神父から聞ける話があったとして、信じていいのだろうか。いや、聖職者を疑うなどあってはならないだろうか。探るような視線を向けると、神父がエリシュカを見てニヤリと笑ったような気がした。ぞくぞくと背中に寒気が走り、思わず肩を揺らす。しかし、もう一度その顔を見てみると、特におかしな様子はない。気の所為だったかと息を吐くが、やはりどうにも落ち着かない。
「早速ですが、今日はお伺いしたいことがあってこちらに参りました。神父様のお知恵をお借りしたい」
「ほう。一体なんでしょう? 私でお役に立てることであればなんでもお答えしましょう」
ルカと視線を合わせ、頷きあってからエリシュカが話を引き継いだ。
「ヴラノヴァーの洗礼について、何かご存知ありませんか?」
「なるほど、洗礼についてですか」
頷いた神父は、ふとエリシュカの胸元に視線を向けた。そこにはルカに貰ったブローチが留まっているが、それを見ている風ではない。エリシュカは思わずマントごとブローチを握り、軽く身体を引いた。
「おや、これは失礼致しました。エリシュカ様は、ご母堂様から受け継いだペンダントをお持ちでは?」
「……ええ、持っています」
エリシュカは微かに震える指でブローチを外し、マントの袷を開く。服の中に収めていたブローチを引き抜き、掌の上に乗せた。それはやはり一部しか輝いておらず、残りの部分は黒くなっている。覗き込むようにして他の四人が掌の中を確認し、ルカとカーヤが息を呑んだ。オルダは眉間の溝を深くし、マテスは考え込むように神妙な顔をしている。
「リシュカ、その色は元から?」
エリシュカは答えようとしてすぐに神父に視線を向け、口を閉じてただ首を横に振った。死に戻りの話をこの神父にしていいのか分からない。ペンダントの話を持ちかけたということは、もしかしたら知っているのだろうか。窺うように神父に視線を向けると、満足そうな笑みを浮かべて頷いた。
「そうです、そのペンダントです。見たところ、エリシュカ様は既に四度の死に戻りをされている。つまり今は、五度目の同じ日を迎えているのでしょう」
全員が息を呑み、神父のことを凝視した。誰かの喉を鳴らす音だけが部屋に響き、張り詰めた空気に満たされる。エリシュカはペンダントを握り締め、神父に疑うような視線を向けた。
「皆さん、そんな恐ろしい顔をなさらないでください。私はただ、魔女の契約についてちょっと知識があるだけなのですよ。なにせヴラノヴァーの土地に住む神父なのですから」
それもそうかと思いもするが、どうにも胡散臭くて仕方ない。先程からエリシュカに向けてくる視線が、なぜだか絡みついてくるようで息苦しくなる。
「このペンダントはどんなものなのでしょう。ただの形見ではないと? 魔女に纏わるなにかなのでしょうか」
ルカの問いかけに、神父は口の端を上げて頷いた。
「ええ。これは、代々魔女の末裔が持つペンダントです。エリシュカ様は、ご母堂様から何か口伝を頂いているのではありませんか?」
「いいえ、何も」
エリシュカは首を振って俯いた。これを貰ったひと月後に母は亡くなった。いつか意味を教えると言われていた。しかしそれを聞く機会もないまま、母は今あの礼拝堂に眠っている。
「なるほど、何も……ですか。それなら、私が話せる限りのことをお教え致しましょう。ただし、ペンダントを受け継ぐときに授かる口伝については、私からは何も申せません。それ以外に知っていることだけになりますが」
「構いません、教えてください」
頷いた神父は、果実水を一口飲み下す。余程喉が乾いていたのか、その後一気に飲み干した。ごくごくと喉を動かすその様子が、なぜか恐ろしくてたまらない。
エリシュカはペンダントを服の内側に仕舞い、マントの袷を硬く閉じた。ルカから贈られたブローチで留めると、少しだけ気分が軽くなる。再び神父に視線を向けると、薄い笑みを浮かべてエリシュカを見つめていた。




