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4-5①

 カーテンの隙間から差し込む光が顔を掠める。エリシュカは目を眇め、ゆっくりと身体を起こした。思い切り腕を真上に伸ばし、うめき声を上げる。慣れない乗馬に悲鳴をあげそうだった全身が、ようやくゆっくり休めて軽くなったような気がした。昨晩ルカに聞いた婚約無効の話も、エリシュカの気分を明るくさせた。あの指輪を外してから妙に楽に感じたのも、魔力のせいだと分かれば納得だ。


 もう一度洗礼式に出たら、一体何色なのかは気になるが。もし大きな魔力を持っていたとしたら、身分の違うイェリーネク家でも希望はあるだろうか。そんな風に考えて、すぐに首を横に振った。熱くなった頬に手を当てて、大きくため息を吐く。ルカはイェリーネク家の跡継ぎだ。どのみちヴラノヴァーを継ぐエリシュカでは、条件が合わないだろう。それに、今はそれどころではない。まずは死に戻りの謎を解き、今度こそ時間を進めなければ。エリシュカは気持ちを切り替えるように寝台から降り、部屋を訪れた使用人と共に支度を整えた。


 朝食を終え、しばらく五人で時間を過ごしていると、ルカと共に当主に呼ばれた。書斎を前に顔を見合わせた二人は、頷き合ってから執事に合図を送る。執事の声に答えた当主が二人を招き入れ、上質なソファーに導いた。二人の顔を交互に見比べた当主が、やがて重々しく口を開いた。


「ヴラノヴァー嬢、こちらの指輪だが」


 ごくりと喉を鳴らしたエリシュカは、当主の顔をじっと見つめた。間を空けて隣に座ったルカも、身を硬くして固唾をのんだ。


「残念ながら、アーティファクトだった。これは希少なもので、追尾の効果を秘めている」


 エリシュカは肩の力を抜き、ルカにちらりと視線を向けた。ルカもほっとしたように息を吐き、エリシュカと目を合わせて小さな笑みを浮かべた。


「予測はついていたようだな。ならばよかった。しかしこれは正式な手順を踏んで抗議すべき事態だ。……と言っても、今は当主不在か」

「当主はリシュカの父上ではないのですか?」

「いいや、ヴラノヴァーの当主は代々魔女の血を継ぐ娘が担う。だが、前当主のマルケータ殿は既に亡くなっていたな。エリシュカ嬢が十八になれば資格を得るが、確か今は……」

「ええ、まだ十六です」


 唸り声をあげた当主は、テーブルに置いてあった指輪を難しい顔で眺めた。


「父上、イェリーネク家がどうにかすることはできませんか?」

「そんなご迷惑になるようなことはっ!」


 ルカとエリシュカを交互に見比べた当主は、考え込むようにして歯切れ悪く答える。


「難しいことではないが、さてどうしたものか。ルカにはイェリーネク家を継いでもらわねばならん。エリシュカ嬢はヴラノヴァーの当主になる娘だ。それを弁えた上での話なら、相談に乗ろう」

「父上っ」


 エリシュカは唇を噛み締め俯いた。やはり希望などなかったのだ。分かっていたことではあるが、エリシュカの脳裏に星空を見た夜のことが蘇り、すぐに返事をすることはできなかった。


「心が決まったらまた話を聞こう。どちらにせよ、婚約が無効であることは変わらない。あとはどのように後始末を付けるかということだけだ」


 話は終わりとばかりに当主が立ち上がり、指輪をエリシュカに返して二人に退室を促す。ルカは物言いたげな視線を当主に送るが、首を横に振って返された。執事に促された二人は部屋を後にして、他の三人のところへ向かう。廊下を歩きながら、どちらも口を開くことはなく、ただ重い空気が流れた。


「ヴラノヴァー嬢」


 突然掛けられた声に、エリシュカがはっとして顔を上げた。少し先に立っているのは夫人だ。


「母上、お話ならもう父上から伺いました」

「ええ。わたくしは彼女とお話があるのよ。ルカは先にお行きなさい」

「これ以上何を話すのですか?」

「いいからお行きなさい」


 有無を言わさぬ夫人の言葉に、ルカは不満そうな表情を浮かべた。エリシュカは乾いた喉をごくりと鳴らし、掠れた声で返事を返した。


「わかりました、伺います」

「リシュカっ」

「大丈夫よ。後から行くから先に戻って皆に話しておいてくれる?」


 渋々頷いたルカの背中を夫人と見送る。夫人はエリシュカを先導するように歩き出し、そのまま中庭へ足を進めた。


「リシュカ、と」


 びくりと肩を揺らしたエリシュカは、ルカにそう呼ばれていたことが急に後ろめたくなる。馴れ馴れしくて、不愉快に思われたのだろうか。心臓が潰れそうに痛くなり、鳩尾がぎゅっと絞られるような気分だ。


「わたくしも、リシュカと呼んでもいいかしら」


 思いの外柔らかな声でそう言った夫人の顔は、とても怒っているようには見えない。エリシュカは何が起きたのか分からず、曖昧に頷いた。

 

「あなたのお母様――マルケータとわたしくは、友人なのよ。だから、魔女の血がどうとか、結社の依頼がどうとか以前に、わたくしはあなたを知っているのです」

「母の、ご友人ですか?」

「ええ」


 目を細めた夫人は、どこか遠くをみつめるようにして口を開いた。


「あなたはマルケータとよく似ていてよ。美しくも勇敢で、いつも真っ直ぐ前を見ていて。思わず手貸して差し上げたくなるの」


 何かを思い出したかのように「ふふっ」と声を立てた夫人は、懐かしそうにエリシュカを見つめた。


「娘が十六になったら、故郷に連れていくのだと言っていたわ。そのときはここへ寄るように話していたの。けれど」


 言葉を切った夫人の顔に影が差す。


「マルケータが最後にここを通ったのは、物言わぬ姿になって故郷へいくときだったわ。大きくなったあなたと、一緒にくるのを楽しみしていたのだけれど」


 淋しげな笑みを浮かべた夫人に、エリシュカは何とも言えぬ心地で頷いた。気分を変えるように口調を明るくした夫人が、さらに続けた。


「ルカがあなたを連れてくると分かって、わたくしとても楽しみでしたのよ。それが、馬に乗って勇ましい姿でやってくるなんて。本当に嬉しかったわ」


 エリシュカは頬を赤く染めて、じわりと滲む涙に瞬きをした。出会う度に温かく迎えてくれたのは、それでだったのかと胸の奥がジンとする。


「リシュカ。マルケータは時々、私には到底思いつかないようなことをするお転婆でもあったわ。何より、諦めの悪い子だった。諦めなければ全てが叶うなんて慰めは言わないわ。けれど、足掻くだけ足掻いてご覧なさい。できることを全てやって、それでも駄目ならそのときですわ。最初から何もせずに諦めるなんて、マルケータがあちらで怒るのじゃないかしら」


 扇の先を天に向け、悪戯を仕掛けるように夫人は笑みを浮かべた。エリシュカもその先に向かって顔を上げ、明るい笑みを浮かべた。


「ありがとうございます。私、やれるだけのことをやってみます」

「そうね。それでこそマルケータの娘でしてよ」


 扇を口元に当てた夫人は、さも楽しそうな笑みで頷いた。


 既に旅支度を整え、ホールで待っていた四人と合流する。心配そうな視線を向けたルカに、エリシュカは晴れやかな笑みを返した。


 今回も同じように服を貰い、今度は一人で馬に跨る。旅の荷物も軽いものは自分の馬に括り付けた。と言っても、カーヤやルカに手伝って貰っているのだが。馬にもまだ自力では乗れず、ルカに補助をしてもらう。当主の見ている前でルカの手を借りるのも気が引けたが、跪かれては断ることもできない。馬を出す前に振り返ると、厳しい面持ちの当主の横で、夫人が満足げな笑みを浮かべていた。エリシュカはほっと胸を撫で下ろし、遅れを取らないように慌てて前を向いた。


 軽快に走り出した馬は、イェリーネク家を後にした。しばらく走って安定してきたところで、カーヤがエリシュカに顔を向ける。


「指輪はアーティファクトだったんだね」

「そうね」


 頷いたエリシュカは、ポケットにしまい込んだ指輪へちらりと視線を向けた。結局返しそびれたが、身に着けなければ効果はない。アダムがエリシュカの居場所を知ることはないだろう。そう考えたところで、ふと気になってマテスの方を盗み見た。


 前回は、次に向かっている町の手前で、マテスが鳥を呼んでいたように見えた。もしかしたら、誰かと連絡を取り合っているのかも知れない。今度こそあれが一体何で、マテスが何をしていたのかわかるだろうか。斜め前を走る後ろ姿は、特に変わった様子もない。


 いくつかの町を通り過ぎる頃に、ルカに引かれずとも速歩までならどうにか様になってきた。とは言っても、駈歩ができるまでにはまだ時間がかかりそうだ。もうすぐ聖人の祭りがある町へ辿り着く。前回はもう少し進んだところで、マテスが早駆けをしようと言ってきたはずだ。思い返してみれば、一度目の旅以外はいつもこの辺りだ。頭の中で何か共通するものはないかと考えてみると、日付が近いように思えた。


 一度目はエリシュカが乗馬に慣れていなかったこともあり、移動時間が長かったのだ。三、四度目はカーヤの馬に乗せて貰っていたし、今は自分で馬を操っている。前回よりもは遅いが、一度目よりもは速いはずだ。


 エリシュカはふと空を仰ぎ見るが、今のところ何も飛んでいない。そわそわと落ち着かない気分で、マテスの方をチラチラと窺う。そんなことは全く気付いていない様子のマテスは、やはり毎度同じように口笛を吹いている。本当に祭りが楽しみなのか、それとも他になにかあるのか。エリシュカはただ陽気な仲間だと思っていたマテスの背中が、ほの暗い影を背負っているように見えた。

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