4-4②
その後の移動もエリシュカは自分で馬に乗って進んだ。あまり速くはないが、この数日で駆け足でも危なげなく乗れるようになっている。時間があればカーヤにナイフを教わるが、乗馬の疲れであまり時間は割けなかった。それでも徐々に身体が動くようになり、思うとおりの動きに近くなっている。まだ咄嗟に上手く使えるかはわからない。それでもできる限りのことをしたかった。
「見えてきたね」
カーヤの言葉に全員が頷き、エリシュカは四度目になる塔に目を凝らす。見張りと星見を兼ねたその塔は、以前と変わらぬ様相を呈していた。門を潜り抜け、扉を叩けば見慣れたホールでイェリーネク夫妻の出迎えを受ける。皆が同じように挨拶を交わし、ルカがエリシュカを促した。
「父上、母上。彼女が例の」
ルカの言葉に、エリシュカが一歩前に出てゆっくりと腰を落とした。エリシュカの名乗りに夫人が「ようこそ」と答え、視線を合わせると温かな笑みが返ってくる。
「父上、後でお話があります。実は、見ていただきたいものが」
「ん? 一体なんだね。急ぎのものなのか?」
「リシュカ」
呼ばれたエリシュカは、ポケットから出した指輪を両手に乗せてそっと掲げる。
「これは?」
「彼女が言うには、追跡のアーティファクトらしいのです。父上にはどう見えますか?」
「触っても構わないかな?」
「はい」
エリシュカが頷くと、当主が指輪をそっと摘んだ。そのまま自分の目の前まで持っていくと、角度を変えながら唸り声をあげて検分する。しばらく目を細めて見ていたが、一度頷いてからエリシュカに向き直った。
「しばらく預かってもいいだろうか。アーティファクトのようにも見えるが、断言はできない。……そうだな、早ければ明日の昼にはわかるだろう」
「はい。私もこれが一体何なのか知りたいと思っています。よろしくお願いします」
「ああ」
頷いた当主は胸元から出した手巾に丁寧に指輪を包み、上着の内ポケットにしまい込んだ。
夫人が合図を送ると、使用人に促されてそれぞれ着替えのために部屋へ案内される。エリシュカは前回と同じ手順でカーヤにドレスを着せて、他の三人に披露した。オルダとマテスは変わらぬ反応だが、今回のルカは以前程傷ついているようには見えなかった。そのことに少し気持ちが軽くなったが、何も思わなかったわけではないだろう。ルカとの距離がまた開いていくようで、エリシュカの胸がずきりと痛んだ。
食事は和やかに進み、エリシュカとマテスの洗礼の話をまた同じように繰り返した。やはり同じ気持ちで笑えはしなかったが、今度は皆が死に戻りを信じてくれた。そう思えば少し気分が軽くなっていた。
今までと違うのは、エリシュカの死に戻りについて皆に話せたことだ。とは言え、全てを話せるわけではなかった。まだ皆を――マテスを信用していいのかがわからない。
食事を終えると、カーヤと二人で部屋の前までやってきた。エリシュカの部屋はこのひとつ先だ。
「リシュカ、ありがとう。こんな姿は子供の時以来だ。けど、前もリシュカのお陰で、私はドレスを着られたのかな?」
「カーヤは前回もドレスを着たけど、私のお陰なんかじゃないわ。カーヤが選んで決めたことだもの」
「ははっ、そうかな。私はリシュカのお陰だと思うよ。だって、今までなら絶対勧められてももこんなにすんなり着替えなかったよ。前の私はどうだった?」
エリシュカは照れながらも躊躇していたカーヤを思い出し、懐かしさが込み上げる。
「ああ、聞かなくてもわかるよ。きっと恥ずかしいから止めるとか、元の服に着替えるって言ったんでしょう?」
「ふふっ、そうね。でも、一緒なら心強いって言って、ちゃんと皆に披露したわ」
「そう。うん、そうなんだろうね。ありがとう、リシュカ」
満足そうに頷くカーヤに、エリシュカは笑みを返すがすぐに複雑なものに変わる。こうしてすんなり進んでいるのも、全ては記憶があるからだ。繰り返しても覚えている者は誰も居ない。カーヤを救った気になっても、ルカを傷つけている。オルダが気持ちを変えたのも、ルカの言葉があってこそだ。
「下を向かないで、リシュカ。前のリシュカも、私の背中を押してくれたんだよね。どちらも嘘偽りない、本当のリシュカだよ」
エリシュカは、はっとして顔をあげた。柔らかなカーヤの笑みに、前回話したときの光景が鮮やかに蘇る。
『下を向かないで、リシュカ。初めて会ったリシュカは、私を素敵な騎士だと言ってくれたんでしょう?』
『前のリシュカも今のリシュカも、同じように感じて私の背中を押してくれた。どちらも嘘偽りない、本当のリシュカでしょう?』
また同じ場所で、同じ言葉を聞くことになるとは。エリシュカの瞳に膜が張り、カーヤの顔がぼんやりと滲み出す。眉を下げたカーヤが手巾でエリシュカの目元を拭い、困ったような笑みを浮かべた。それでもエリシュカの涙は止まらず、手巾を握り締めて俯いた。
「どうしたんだっ?」
突然掛けられた声に、エリシュカは手巾を握り締めたまま顔をあげた。目の前のカーヤが見ている方へ視線を向けると、慌てた様子のルカの姿があった。予想外の出来事にエリシュカの涙はすっかり止まり、呆然とルカの姿を眺めた。
「何があったんだ」
「あははっ、ルカ、そう慌てないでよ。私がいじめてたとでも思ってるの?」
「いや、そういうわけじゃない」
気まずそうに頭を掻いたルカが、ゆっくり歩いてきた。ぱちぱちと目を瞬いたエリシュカは、今までと違うルカの行動に首を傾げた。
「リシュカに話があったんだ。でも、夜に訪ねるのもまずいかと思いながら廊下を歩いてたら……」
「泣いてる姿が目に入って思わず声を掛けたってところ?」
「まあ、そんなところだ」
クスクスと笑い声を漏らすカーヤを、ルカが顔を顰めて軽く睨む。エリシュカは首を傾げて、二人の様子を見守った。
「じゃあ、私は少し離れて見てるから、話をしたらどう?」
「いいのか?」
「構わないよ。あの辺りなら声も聞こえないだろうから、ちょっと行ってくるよ」
肩を竦めたカーヤは、ドレスの裾を翻して廊下の角へ向かっていった。エリシュカはその後ろ姿を呆然と見つめた後、気まずさに視線を彷徨わせた。コホンと小さく咳払いをしたルカを見上げると、明後日の方向を見ながら口に拳を当てている。何を言われるのか予想が付かず、エリシュカはそわそわとした気分で視線を下げた。
「リシュカは、僕らと会うのは五度目だって言ったよな?」
「ええ」
「じゃあ、僕がカーヤに男装させたことも、もしかしたら知ってたのか?」
エリシュカは一瞬言葉に詰まり、眉を下げて頷いた。やはり気にしてないはずがなかったのだ。わざとカーヤのドレス姿を見せつけたのだと思われただろうか。視線を合わせることができずに、床に敷かれた豪華な絨毯の模様を辿る。ルカがはあと息を吐いた音がして、思わず肩がびくりと揺れた。
「やっぱりそうだったのか。きっと前も同じことがあったんだろうなと思った。オルダやマテスじゃないけど、なぜかカーヤの姿を見て何かがカチリと嵌ったような気がした。ずっと考えたことなんてなかったのに、ただ救ったつもりになってたのに。なぜか僕が間違えてたんだってことをすんなり納得できたんだ」
ゆっくり顔を上げると、決まり悪そうな顔をしたルカと目があった。傷つかなかったわけはないのだろうが、困ったような笑みにエリシュカを責めるような色はない。
「オルダのこともそうだ。僕はわかってたのに何もできなかったし、しなかった。それなのに、突然現れたリシュカがあっという間に飛び越えていった気がして、ちょっと悔しかったけど。五回も繰り返す中で、少しずつ知ったことなんだろ?」
エリシュカは顔を歪めて頷いた。涙を堪えるように目を瞬き、唇を噛み締めた。
「僕はきっとその度自分を責めたと思う。今もそうだ。だけど、気付かないまま過ぎていいことじゃなかった。だから……カッコ悪いけど、リシュカにお礼を言いたくて」
「それできてくれたの?」
頭を掻きながら頷いたルカは、照れくさそうに視線を逸らした。ぽつりと「ありがとう」の言葉を口にしたあと、誤魔化すように息を吐いた。少し間を空けて、気分を変えるようにルカが向き直る。
「それと、もう一つ。アーティファクトかも知れないって言ってたあの指輪のことだけど」
「何かわかったの?」
「いや、父上からはまだ何も聞いてない。けど、あれがもしアーティファクトだったなら、リシュカが洗礼で受けた評価は不当なものだ」
「どういうこと?」
ルカは一瞬口ごもり、エリシュカを窺うように口を開いた。
「アーティファクトを使うには魔力が必要なのは知ってるだろう?」
「ええ」
「つまり、あれがアーティファクトなら、ずっとリシュカの魔力を吸ってたってことだ。だから洗礼式で良い色がでなくて当然なんだよ。だって、本当の魔力はアーティファクトが使い続けてるんだから」
エリシュカは眉を寄せて、あの洗礼式の日を思い起こした。灰色の魔力だったことで蔑まれたが、あれは間違いだったということか。ヴラノヴァーの領地にあった湖では、強い光が虹色に揺らめいた。あれが本当の魔力だとするなら、一体どれほどの魔力なのだろうか。それもまた恐ろしく思えて、ぶるりと身体を震わせた。
「それから、あの指輪がアーティファクトだったら」
言いづらそうに口ごもったルカに、エリシュカは首を傾げて瞬きをした。ルカは躊躇うように視線を彷徨わせたが、やがてゆっくり口を開いた。
「あれがアーティファクトだったなら、婚約は無効になる。婚約の儀式にアーティファクトを使うことは、国に禁止されてるからだ」
「どういうことっ?」
「アーティファクトは魔力に影響するし、精神に影響するものもあるんだ。だから、正式な誓いを立てる場に使うことは固く禁じられてる。君にとって婚約者殿がどんな存在だったのか、僕にはわからないけど。もし、とても大切な人だったのなら」
「よかったわっ!」
両手を胸の前で組んで、弾んだ声で答えたエリシュカに、ルカが目を見開き動きを止めた。
「アダムは、義妹のテレシエとお互い思い合ってるの。私もずっとアダムを他人としか思えなかったし、無効になるなんて、お互い願ってもないことよ!」
しばらくの間驚いたようにエリシュカを眺めていたルカが、ふっと肩の力を抜いて笑みを浮かべた。
「そう。それならよかった。明日いきなり父上に告げられるよりいいかも知れないと思ったけど。そんなに喜ばれるとは思ってなかった」
エリシュカは両手で口を抑え、気まずくなって横を向いた。その姿にルカが思わずと言ったように吹き出し、エリシュカも一緒に笑みを浮かべる。いつの間にか廊下の端から戻ってきたカーヤが、一体何事かと二人を見比べ、やがて一緒に笑い出した。
窓の外に瞬く星は、今日もずっと遠くまだ手が届くことはない。それでも廊下に響く明るい笑い声に、エリシュカの胸の奥に刺さっていたトゲがようやく抜けたような気がした。




