4-3①
「用は済んだし、王都に戻ろう」
少し前に警備隊と話しにいっていたルカが、こちらに向かって声を掛けた。
「そうだな。あとは任せて僕らは退散しようぜ」
マテスが頷き、カーヤ以外の三人が各々の馬を指笛で呼び寄せた。
「あのっ、私、行かなきゃならないところがあるの」
エリシュカの言葉に、四人の視線が集まった。
「一体どこへ?」
「母の生まれ故郷へ。六年前、母が亡くなる前に言ってたの。十六になったら、叔父の家へ行こうって。ヴラノヴァーの洗礼は、その土地じゃないとできない特別なものなんだって。私、それが一体何で、どんな意味があるのか知りたいの」
ルカが考え込むようにして俯き、他の三人は顔を見合わせた。しばらく沈黙が流れ、エリシュカはルカが口を開くのを静かに待った。やがてゆっくり顔を上げたルカが、頷きながら答えた。
「わかった。それなら、僕らも一緒にそこへ行くよ。いいかな?」
「ええ、助かるわ」
エリシュカが頷くと、ルカはほっとしたような笑みを浮かべた。既に秘密結社の依頼を受けたあとなのだろう。警備隊を呼ぶために後から合流したマテスは、エリシュカが居なくなった話も仕入れてきたのだろうか。チラリとマテスに視線を向けるが、いつもどおり軽く笑みを浮かべているだけだ。
「お嬢様、馬を連れて行くなら鞍が必要でしょう。どうぞお使いください」
商人がエリシュカの返事を待たず、手早く馬に鞍を着けた。エリシュカは苦笑いをしながら礼を言うが、一人で乗ったことはまだない。
「乗ってみる?」
カーヤに聞かれ、自信なさげに頷いた。今までずっとカーヤに乗せて貰っていたが、自分で乗れるならそのほうが負担も少ないだろう。けれど、上手く乗れる自信はない。
「すぐに一人で上手く乗れなんて言わないよ。僕が引いて進むから、心配しなくていい」
「ルカがこう言ってるから大丈夫。もし難しそうなら、また私の馬に一緒にのればいいよ。だけど、あんなに速く走ってもちゃんと乗れてたんだ。きっとリシュカは上手く乗れると思う」
ルカとカーヤに促され、エリシュカはしっかり頷いた。ごくりと喉を鳴らし、馬上に着けられた鞍をじっと見つめる。手綱とたてがみをぎゅっと握り、左足を鐙に掛けた。「えいっ」と声を上げながら思い切って地面を蹴りつけ、たてがみと鞍を引きつけるように腕を曲げる。もう少しで上半身が乗りそうだというところで、そのままずるりと地面に落ちた。
「痛っ」
「大丈夫かっ」
ルカが慌てて駆け寄り、エリシュカの顔を覗き込んだ。マテスはぽかんと口を開け、オルダは目を見開いて珍しく眉間の皺が取れている。カーヤははっとしたようにエリシュカの横にしゃがみ込み、怪我の様子を窺った。
「どこを打ったんだ? 痛みは?」
焦ったような顔で問いかけたルカに、エリシュカは苦笑いを浮かべた。
「大丈夫よ。ただ、ちょっと恥ずかしいだけで」
俯き顔を赤くしたエリシュカは、じわりと涙が滲んで唇を噛み締めた。四人が簡単に乗っていたから、自分もできるのではないかと勘違いしていた。カーヤの前に乗せて貰うときは、一人で乗れた気になっていたのだが。随分カーヤとオルダに頼っていたのだと、今更ながらに申し訳なさが込み上げる。
「まあ、挑戦しただけ大したもんだぜ」
「……ああ、俺も最初はそうだった。と言っても子供のころの話だが」
「おい、オルダっ! 一言余計だって」
マテスとオルダがいつもの調子で小競り合いを始めるが、エリシュカは顔を上げずに膝の上で拳を握り締めた。
「大丈夫。一人で馬に乗れる女の子なんて、普通いないから。さっきはあまりにもすんなり乗れたから、できるものだと思い込んでたよ」
眉を下げたカーヤが、エリシュカの肩を軽く叩いた。
「よし、今度は補助するからもう一度やってみよう。さっきだって、もう少しで一人でも乗れそうだった。ちょっと手を貸せばすぐ乗れるさ」
顔の前に差し出されたルカの手に、エリシュカはおずおずと指先を乗せた。そのままゆっくり手を引かれ、導かれるようにして立ち上がる。顔を上げた途端に柔らかな笑みを浮かべたルカが目に飛び込んできて、再び俯き頬を染めた。馬の横にエリシュカを立たせると、ルカがそっと手を離した。その場に膝をついて手を組むと、エリシュカを見上げて両手を差し出す。
「さあ、今度は補助するから。僕の手に足を乗せてみて」
「えっ? ルカの手に乗るの? オルダじゃなくて?」
エリシュカの言葉に目を丸くしたルカが、ぱっとオルダを振り返る。オルダは組んでいた腕を解き、きょろきょろと辺りを見回した。オルダとルカを見比べたマテスが、面白そうな笑みを浮かべた。カーヤは口元に拳を当て、笑うのを堪えるように肩を震わせた。
「あ、あの、ごめんなさい。オルダのほうが力がありそうだったから」
「……僕じゃ頼りないかな?」
気まずそうに頭を掻いたルカに、エリシュカは何度も首を横に振る。
「ううん、違うの。余計なことを言ってごめんなさい。お願いしていい?」
「あ、ああ」
まだぎこちなさの残る仕草で、ルカがエリシュカの足元に膝をつき直す。エリシュカが鐙に片足を掛けると、ルカが組んだ両手を差し出した。エリシュカは鞍と綱をそれぞれしっかり握り締め、ルカの手に恐る恐る足を掛けた。
ルカが合図を送ると同時に、エリシュカの身体が浮き上がる。エリシュカは思い切り鐙を踏み込み、ルカに押し上げられたもう片方の足を馬の背を超えるように持ち上げた。スカートを翻し、そのまましっかり馬に跨る。パヴェルのズボンが膝まで見えるが、気にしている余裕はない。
今度こそしっかり馬の背に乗ったエリシュカは、ほっと息を吐いた。あっという間に持ち上げられたが、ルカは思っていた以上に力強かった。正直に言えば、オルダのときより楽に乗れたような気すらする。
ぴゅーっと口笛の音が響き、マテスが「やるな」と声を上げた。オルダは目を瞬き、カーヤは満足げに笑っている。ルカは少し気恥ずかしそうに首を傾げ、エリシュカと目が合うとはにかむような笑みを浮かべた。
「あの、ありがとう。とっても乗りやすかった」
エリシュカの言葉にルカが笑みを深める。マテスがニヤリと口の端を上げ、からかうような口調で言った。
「随分息が合ってたな。本当に初めてなのか?」
「ルカに乗せてもらったことなんてないわ! 一人で馬に乗ったことだってないのに、本当に初めてよ」
むっとしたように答えたエリシュカに、マテスは笑ったまま肩を竦めた。
「僕はよく母上の補助をしてたから。と言っても、母上以外を乗せたのは初めてだけど。上手くいってよかった」
「俺なら馬の反対側に落としたかも知れんな」
オルダが腕を組んで唸り声を上げた。何度も土台をしてもらっていたエリシュカは、そんなことはないと言いたかったが口を噤んだ。考えてみれば、毎回カーヤが馬上で引き上げてくれていたのだ。エリシュカ一人なら、バランスを崩してさっきより酷い落ち方をしていても不思議ではないのかも知れない。
「それじゃあ、リシュカはしっかり掴まってて。様子を見ながら進むけど、何かあったら声を掛けてくれ」
「わかった」
エリシュカはしっかり頷き、手綱と鞍の前を握り締めた。様子を見ていた商人が素早くロープを持ってくると、ルカが受け取りハミのすぐ横にある革紐にしっかり固定した。
「行こうか」
ルカの言葉に、全員が頷き馬を歩かせる。エリシュカはどうすれば馬が動き出すのか分からず、皆の様子を窺った。ルカが馬の腹を踵でぐっと押し込むと、ゆっくり前に進み出す。エリシュカも真似してやってみるが、上手く伝わらずに馬は一歩も動かない。ルカの手に繋がったロープに引かれたところで、ようやくエリシュカの馬も歩き出した。
ポクポクと並足で歩く馬たちは、長閑に尻尾を揺らしている。カーヤに乗せて貰っているときは、こんなに尻尾が暴れていなかった。つまり、エリシュカが一人で乗ることによって、むしろ移動が遅くなっている。こんなことならカーヤに乗せてもらえばよかったかと思うが、それではいつまで経っても足手まといだ。
早く一人で走らせることができるようになりたい、そんなことを考えていると、馬の背中がぴくりと震える。何事かと身体の前で握った両手に力を込めると、馬が後ろ足で自分の腹を数回蹴った。のんびり進む馬の身体には、次々虫が飛んでくるのだ。新しい発見を面白いと思わなければ、落ち込んでしまいそうになる。
のんびり会話をしながら進んでいると、以前より大分時間を掛けて次の町に到着した。日はとっぷり暮れており、夕食時もとうに過ぎていた。途中の野営は盗賊がでたこともあり、念のため避けることにした。四人は何かの備えにと多少の食料を持っていたが、馬上でちびちび干し肉をかじった程度だ。エリシュカの進みが遅いせいで、ゆっくり休む暇もなかった。
「私が馬に乗ったせいで、却って迷惑をかけたわ」
宿で出される簡単な食事を待つ間、エリシュカは肩身が狭くて小さくなる。
「誰も迷惑だなんて思ってない。初めての乗馬なんて、皆もっと苦労するものだ」
「ルカの言うとおりだよ。普通は乗るのだって難しいのに」
「僕だって初めてのときは、兄上に引いて貰ったぜ」
「それはガキの頃の話だろう」
ガンっと机の下で何かがぶつかる音がして、オルダが「いてっ」と声を上げた。
「おい、マテスっ!」
「はあ、まったくオルダは気が利かないんだから。脳みそまで筋肉で出来てるんじゃないか?」
「なんだとっ? ……それは、褒めてるのか、けなしてるのかどっちだ」
二人のやり取りに、胸の奥がぎゅっとなる。目を細めたエリシュカは、思わず笑い声を立てた。釣られてオルダ以外の三人も顔を見合わせて笑い出す。
「ふふふっ。ありがとう、みんな。私も早く一人で走れるように頑張るわ」
「リシュカ、無理は禁物だよ。しんどかったらいつでも私が乗せてあげるから頼って」
「そうだな。旅はまだまだ長いんだ。気長にやっていけばいい」
カーヤとルカが頷き、オルダが何かを言い掛けたところで、簡単な食事がテーブルに届いた。湯気の立つスープが全身に染み渡り、身体の奥がじんわりと温かくなる。エリシュカは四人の顔をこっそり覗き見て、笑みを浮かべながら再びスープを口に運んだ。




