4-2②
「リシュカっ!」
ドンと勢いよく、ルカの腕の中に飛び込んだ。片手で受け止めたルカは、一歩後ずさりそうになるが踏み止まり、そのままエリシュカを自分の背後に引き寄せる。素早く向き直って、追いかけてきた男に剣を向けた。
振り下ろされた男の剣を、ガチンと音を立てて受け止める。そのまま斜めに力を逃がし、男が態勢を崩したところであっという間に足首の後ろを斬りつけた。うめき声を上げた男が地面に倒れ、立ち上がろうとしたところでルカの剣が首の前に置かれた。
「死にたくなければ大人しくするんだ」
男はうめき声を上げながら、悔しそうに顔を歪めた。ふうと息を吐いたルカが、一瞬遠くを見つめてから剣を鞘に収める。すぐに座り込んでいたエリシュカを振り向くが、見下ろす顔はかなり怒っている様子だ。エリシュカは思わずびくりと肩を跳ねさせ、ナイフを握る手に力を込めた。
ルカがゆっくりその場にしゃがみ込み、口を開きかけたそのとき。うめき声を上げていた男が立ち上がり、ルカに向かって剣を振り上げた。エリシュカがひゅっと息を呑み、青ざめた顔で男を見上げる。ルカは振り向くこともなく、そのままエリシュカを見下ろした。乾いた喉が張り付き、声も出せずに手を伸ばそうとした――その刹那。ひゅんと音がして、男は再びうめき声を上げその場に倒れ込んだ。よく見ると、肩には矢が刺さっている。
ガシガシと頭を掻いたルカが、ナイフを持ったエリシュカの手をそっと両手で包み込んだ。
「まったく、生きた心地がしなかった。さあ、もう終わったから手を緩めて」
握り締めた拳が開けず、エリシュカは「あっ」と声を漏らした。気付けばぶるぶると手が震え、じわりと涙が滲んでくる。眉を下げたルカは地べたに座り込み、エリシュカの手を軽く二度叩いた。
「カーヤを助けてくれてありがとう。もう大丈夫だから、安心して」
「ふえっ。うっ、うう」
エリシュカは思わず声を上げ、ぽろぽろと頬を伝う涙に顔を歪めた。困ったように眉を下げたルカが、手巾をエリシュカに差し出した。空いた左手でそれを受け取ると、顔を覆って肩を震わせる。包みこまれた右手の指が、徐々に開いてナイフが手から溢れた。
ルカがふうっと息を吐き、落ちたナイフをエリシュカの横にそっと置き直す。中々涙が止まらず、エリシュカは俯き顔を拭った。ジャリジャリという音がして、誰かが近づいてきたのだと気付く。確かめようと顔を上げると、いつの間にか戻っていたマテスを加えた三人が集まっていた。
「あ! ルカが女の子を泣かせてるっ」
「マテスっ、人聞きの悪いことを言うなよ」
「ふふん、そんな態度でいいのか?」
「ははっ、さっきは助かったよ。マテスの弓の腕はさすがだな」
得意げに笑ったマテスが、頭の後ろで両手を組んでふんぞり返る。
「あの距離でよくマテスを信用できたな」
「私はちょっとヒヤヒヤしたよ」
腕を組んだオルダが眉間の皺を深め、カーヤは肩を竦めて笑みを浮かべた。マテスはムッとした表情を浮かべて、オルダとカーヤを見比べた。
「二人とも酷いなっ! 僕の腕を信じてないのかよ」
「あはは、冗談だって。マテスなら大丈夫だと思ってたから、私もオルダも見守ってたんだよ」
カーヤの言葉にマテスはすねたように口を尖らせ、その様子にエリシュカは思わず吹き出した。エリシュカが笑うと、ルカとカーヤがほっとしたような笑みを浮かべる。マテスはそっぽを向きながら、ほんの少し口の端を上げた。オルダは腕を組んで、相変わらずの渋い表情だ。三人は、地面に座り込んだエリシュカとルカに合わせ、それぞれその場に腰を下ろした。
「それにしても、ヴラノヴァー嬢はナイフが使えたんだね」
「見てるこっちは肝を冷やしたけどな」
カーヤの言葉にルカが苦笑いした。エリシュカは横に置かれたナイフにチラリと視線を向けて、首を横に振った。
「そこまでじゃないわ。だけど、習っておいたことがやっと活かせたのかも」
エリシュカの言葉に、オルダ以外の三人が不思議そうな表情を浮かべた。腕組みしたオルダは、厳しい表情でため息を吐く。
「扱えると言えるほどじゃないだろう。危なっかしくて仕方ない。淑女があんな真似をすべきじゃない」
見慣れていなければ、オルダの表情は恐ろしくて目を逸らしたくなるだろう。けれどエリシュカはもう知っている。オルダがこんな風に言う理由も、どんな気持ちでいるのかも。
「淑女だって、身を守らなきゃならないことはあるわ」
「だからって、男に勝てるわけでもないだろう」
「もちろんよ。私、勝とうなんて思ってないわ。見てて分かったでしょう? 皆オルダみたいにどうせ女は戦えないって思ってる。だから油断させて、ちゃんと助けてくれそうな人のところへ連れていったでしょう?」
四人は目を丸くして、そのまま黙り込んだ。カーヤが顎に手を当て頷くようにして考え込み、ルカは口をぱくぱくと動かしている。オルダは一層眉間の皺を深め、何かを言おうと口を開いた。それを遮るようにして、ぴゅーっと口笛を吹く音が沈黙を破る。
「大したもんだな。ちゃんと計算してルカの方に走ってたのか。中々やるな」
「確かに。助けにいこうとしたら、逆に向かってくるから驚いたよ」
「あははっ。私も気付いたらあっという間に逃げていくから、どうしようかと思った」
三人の言葉に、オルダは開きかけていた口を噤んだ。不機嫌そうな顔で腰を上げ、バサバサと無造作に埃を払う。それを合図に他の三人も立ち上がり、エリシュカもナイフを手にして立ち上がろうとした。
「立てる?」
膝を立てたエリシュカに、ルカが自然に手を伸ばした。エリシュカは一瞬躊躇うが、空いた方の手をそっと重ねる。
「ありがとう」
軽く引き上げられて立ち上がると、笑みを浮かべてゆっくり手を引いた。
「皆も、私のことを信じてここまできてくれて、本当にありがとう」
四人の顔に順に視線を巡らせた。オルダは渋い顔をしていたが、笑みを浮かべた他の三人と同じように頷いた。
「既に名乗ったけど……僕は、ルカーシュ・イェリーネク。ルカでいい。僕ら四人は旅の仲間なんだ」
「私は……カレル・チェルマーク。カーヤって呼んで」
「オルドジヒ・ハヴェルだ。オルダで構わん」
「僕はマティアス・コウカル。マテスでいいよ……って、なぜかもう呼ばれてたっけ」
首を傾げたマテスに、エリシュカは頷いた。
「私のことは、リシュカと呼んで。よろしく、ルカ、カーヤ、オルダ、マテス」
一人ひとりと目を合わせ、エリシュカは再び口を開く。
「私、皆のことを知ってるわ。だって、私は」
「おーい、ちょっといいか」
エリシュカが死に戻りの話をしようとしたところで、遠くから五人を呼ぶ声が聞こえた。振り返ると商人たちがこちらに向かって手を降っている。顔を見合わせた五人は、ルカを先頭にして商人の方へ歩き出した。
「いやあ、あんたたちのお陰で命拾いしたよ。何かお礼をしたいんだが、馬車の中に使えるものがあるなら是非」
商人が言葉を止め、全員を上から下まで眺めてから顔を青ざめさせた。
「あっ、あなたがたは、貴族様ですかっ? こ、こりゃあ失礼したしました。私みたいな商人の持ってるものなんて、何の礼にもなりゃしませんな。これはどうしたものか」
商人が手を挙げたり下げたりしながら、体を揺らして眉を下げた。隣りにいた御者が、慌てた様子で帽子を脱いで胸の前に掲げた。俯き加減の顔は青ざめている。
「そんなことは気にしなくていい。盗賊が出ると聞いたから急いで駆けつけただけなんだ。目的が果たせたんだから、礼など気にする必要はないよ」
ルカの言葉に全員が頷き、商人と御者が目を皿のようにして動きを止めた。「あぁ」とか「ええ」などと、意味を成さない声を上げて視線を彷徨わせた。
「あのっ、私、ナイフを勝手に使ってしまったのだけど」
「ああっ、お嬢様っ! そんな安物のナイフで良ければ、持っていってくださいませ」
商人は慌てて腰のベルトからナイフの鞘を抜き、両手で掲げてエリシュカに差し出した。エリシュカは躊躇いがちにそれを受け取り、礼を言って自分の腰に下げた。鞘に収めたナイフは、そこまで安物というほどでもなさそうに見える。
「私の馬を預かって貰って悪かったね。助かったよ」
「い、いいえ! とんでもないっ。大変大人しく素晴らしい馬で」
カーヤが柔和な笑みを浮かべて、商人の近くで大人しく待っていた馬の首を軽く叩いた。ぶるぶると鼻を鳴らした馬が、その鼻先をカーヤに寄せた。カーヤに呼ばれてエリシュカが馬の方へ足を進めると、ぶるぶると別の馬が鼻を鳴らし始めた。カッカッと蹄を擦る音がして、全員が馬車の前を覗き込む。商人の馬車に繋がれていた一頭の馬が、動きを止めてエリシュカをじっと見つめた。
「どうしたんだ? お前、いつも大人しいのに」
馬と目の合ったエリシュカは、はっと息を呑んだ。この馬は、前回ここを通ったときにもエリシュカを見ていた馬だ。あのときはエリシュカが行動を変えたせいで商人が犠牲になり、責められているような気がしていたのだが。静かにエリシュカを見つめるその濃茶の瞳は、何かを訴えかけているように思える。それが何なのか、エリシュカには分からないのだが。
「なあ、この馬。リシュカに一目惚れでもしたんじゃないか?」
からかうようなマテスの声に、商人が目を瞬いた。「何を言ってるんだ、マテスは」と呆れたようにオルダが言うと、ルカとカーヤは神妙な表情を浮かべた。
「いや、案外当たってるかも知れない」
「……そうだね、私もそう思うよ」
エリシュカがじっと馬を見つめていると、鼻を鳴らして再び蹄を地面にこすり出す。首を上下に大きく振った馬に、商人が慌てて綱を握った。
「お前、まさか本当にあのお嬢様に? ……いや、まさかな」
商人は馬を見上げてしばらくの間唸り声を上げていたが、やがて決心したように繋いでいた馬車の金具を外す。すると馬は勝手に歩き出し、エリシュカの前まできて鼻を鳴らした。その様子を見上げていたエリシュカの方へ、馬がゆっくり顔を寄せた。恐る恐る手を差し出し、馬の鼻面をそっと撫でる。馬は気持ち良さげに目を閉じ、大人しくじっとその場に留まった。
「はあ、こりゃ参りましたな。その馬もお嬢様に差し上げるのがよさそうだ」
商人の言葉に、周りにいた者たちは一様に頷いた。
「まさか……本当に覚えてるの? 今度はちゃんと助けたわ」
エリシュカが微かな声で囁くと、馬は一度鼻を鳴らした。じわりと涙を滲ませたエリシュカは、馬の首に腕を回してそっと抱きしめた。しっとりと温かなその首元は、血の通う生き物のものだ。今度は鉄と埃の匂いなど、鼻を掠めることはない。エリシュカはやっと正しい道を進めたのだと、馬の首に回した腕の力に力を込めた。




