3-7①
険しい森の道を抜け、五人はようやく街道に出た。このまま道なりに進めば目的地に辿り着く。前回よりも一日早くなったのは、エリシュカが乗馬や野営に慣れたお陰だろう。
湖に続く脇道を通り過ぎるとき、ルカを先頭に全員が何となくそちらを振り向いた。けれど、今回は誰もそこで足を止めることは無かった。
「どうしたの?」
脇道を振り返ったエリシュカを見下ろし、カーヤが尋ねた。エリシュカはすぐに「なんでもない」と首を横に振り、前方へ視線を戻した。初めて通ったときのように、あの道を進まなければという気持ちは湧かなかった。それが不思議でもあるが、もう一度行くのが怖くもある。あのとき自分の身に何が起きたのか、エリシュカにもわからない。
町に辿り着くと、既に日が暮れていた。前と同じ宿に泊まり、翌日は教会を訪ねることになった。前回は先に領主である叔父の家へ行ったが、邸も安全ではなかった。同じ行動を取れば、同じ結果が待っているかも知れない。そう思うとすぐに叔父の家を訪ねる気にはなれなかった。
「リシュカ、大丈夫?」
隣り合わせの寝台に、向かい合って腰を下ろしたカーヤが気遣うように口を開いた。エリシュカは頷いてから口ごもり、間を置いて答えた。
「前は、叔父様の家に泊まって……誰かに殺されたの。でも、一度目はこの宿だったわ」
両手を身体に回し、エリシュカはぶるりと身体を震わせた。叔父の家のことばかり考えていたが、口に出して今更ここで死んだのだと実感が湧いてきた。ぎしりと音を立てて、カーヤがエリシュカの隣に座る。ふわりと肩に置かれた手は、エリシュカよりずっと硬くて心強い。
「大丈夫、私が一緒にいるから」
「ええ……ありがとう」
前回も同じ部屋だったのだとは言えなかった。カーヤが悪かったわけではない。あのときカーヤはエリシュカの側にいなかったのだから。湖に寄らなければ、きっと皆が集まって秘密の話をすることなどないだろう。それなら今夜はきっとカーヤが側に居てくれるはずだ。肩から伝わる温もりに、エリシュカの震えがようやく止まる。
「ねえ、カーヤ。もし部屋を出るときは、声を掛けてくれる?」
「うん、わかった。約束するよ」
ぽんと肩を軽く叩いたカーヤに、エリシュカは淡い笑みを浮かべた。ほっと息を吐いて、それぞれ布団に潜り込む。そのまま横になり、カーヤと「おやすみなさい」と挨拶を交わして眠りに付いた。
ふと夜中に目が覚めて、隣の寝台を見るとカーヤは穏やかな寝息を立てていた。音を立てぬように寝返りを打ち、そのまま目を閉じるが寝付けない。なんだかそわそわとした気分になり、そっと寝台を抜け出した。
足音を殺して窓に近づき、月明かりに照らされた外を見下ろす。今夜は誰も居ない——そう思ったところで、離れた建物の間から一つの影が出てきた。目を凝らして見るが、それが誰なのかわからない。またアダムなのか、それともマテスなのか。目を眇めて見極めようとしていると、その影がこちらを振り返った。どくんと心臓が跳ねて、慌てて窓から離れて身を隠す。深呼吸を繰り返し、そっと窓の外を覗くと、もう人影はなかった。夜が明けるまでそのまま見ていたが、宿に近づいてくる気配はなかった。
起き出したカーヤとともに支度を整え、他の三人と合流する。欠伸をしながら伸びをしたマテスの姿を見て、エリシュカはほっと息を吐いた。あれから誰もこちらに向かってこなかったのだから、あれはマテスではなかったのだろう。ならばアダムだったのだろうか。だとしたら、なぜここにいるのだろうか。エリシュカは指輪のない左の薬指にそっと触れて、思わず身震いした。
「早速教会に行ってみようか」
ルカの言葉に全員が頷いた。またあの細身の男に会うかも知れないと思うと、落ち着かずに呼吸が浅くなる。カーヤと並んで、町の人たちに話を聞きながら教会へ行く道すがら、向かい側から母親と少年が歩いてきた。
エリシュカは、ふとホンザのことを思い出した。今回の旅では話すことすらなかったが、あのあと無事に目的の町へ辿り着いたのだろうか。もし何事もなく王都へ帰れたら、またホンザに会えるだろうか。そんなことを考えながら歩いていると、目の前まで迫っていた母子が立ち止まった。
「ゴホッ、ゴホッゴホッ」
少年が激しく咳き込み、蹲って苦しそうに胸を押さえた。直ぐ側に膝を付いた母親が、少年の背中を何度も擦る。やつれた顔は青ざめ、唇はかさついている。背中に回された手も、細くて今にも折れて仕舞いそうだ。
「あの、大丈夫ですか?」
エリシュカは思わず駆け寄り、側にしゃがみ込んだ。少年と母親を交互に見比べると、母親は目を見開き、すぐに息子を抱きしめて俯いた。
「もっ、申し訳ありません。流行り病じゃありませんから、安心なさってください」
腕に力を込めて、息子を守るように丸まった母親に、エリシュカは伸ばしかけた手を引いた。
「……お大事になさってください」
その言葉にぱっと顔を上げた母親が驚いたような表情を浮かべた。小さく苦笑したエリシュカは、少し離れた場所で待つ四人の元に戻っていった。
「あの様子だと、薬も買えないんだろうな」
「活気のある町だと思ったけど、やっぱりどうしても皆が同じとはいかないよね」
気の毒そうに親子を見つめるマテスに、カーヤが眉を下げた。
「まあ、仕方のないことだな」
「ああ……でも、リシュカ。領主殿の邸を訪ねたときに、伝えてみたらどう?」
オルダに続いたルカが、母子に一度視線を向けてからエリシュカに微笑みかけた。
目を瞬いたエリシュカは、すぐに笑みを浮かべ「ええ、そうね」と頷いた。まだヴラノヴァー家を正式に継いだわけではないが、あの母子もヴラノヴァーの領民だ。今は叔父に頼るしかないが、何もしないよりはいいだろう。
五人はそのまま教会へ向かい、エリシュカにとっては三度目となるその場所に辿り着いた。壁の蔦は前回と何も変わらない。周囲を見渡してみるが、不気味な細身の男の姿はなかった。
重そうな教会の扉を、ルカが押し開く。扉と一緒に中へ入ると、微かなかび臭さが鼻を掠めた。ひやりとした空気に、エリシュカは身体を震わせる。コツコツと靴音を立てながら通路を歩き、正面の神の像の前まで五人で進む。両側の木の椅子に座る者もなく、差し込む日差しに混じる埃がベールのように色とりどりに輝いている。ステンドグラスの色に染まった床は、叔父の家にあった礼拝堂とは違ってどこか冷たく映った。
神の像の前までくると、エリシュカはその顔をじっと見上げた。カーヤとルカは軽く像に頭を下げ、オルダとマテスはきょろきょろと辺りを見回している。
「神父はいないようだな」
渋面を浮かべたオルダが、ルカに視線を向けた。その時、ぎいっと軋む音を立てて入口の扉が開く。「よいしょっ」と声を上げながら入ってきたのは、一人の中年の女だ。水の入った木桶を床に置き、扉を閉めて振り返る。
「うわあああ、あ、あんたたちっ、どこの誰だいっ」
女は扉に背中を預け、目を丸くして五人を眺めた。すぐに両手を口に当て、怯えたように頭を下げた。
「も、申し訳ありません、高貴な方々」
顔を見合わせた五人は、肩を竦めて苦い笑みを浮かべた。
「私たちの方こそ驚かせて済まなかったね。そう怯えなくても取って食いやしないよ」
カーヤを先頭に扉へ向かって歩き出すと、女はほっとしたように大きく息を吐いた。
「あなたはここで何を?」
ルカの問いかけに、女はうなずき木桶にちらりと視線を向けた。
「教会の掃除ですよ。これから何人か集まりますけど、あたしは少し早くきすぎたみたいで」
「そう。……ところで、こちらの神父様はどちらに?」
続けて問いかけたルカに、女は神妙な面持ちで口を開いた。
「それがね、ちょっと前に怪我をしなさって。しばらく療養が必要だとかで、お休みになってますよ」
「神父様はどちらで療養を?」
「町の反対側にある診療所にいらっしゃいますよ。なんでも転んで頭を打ったとかで」
難しい顔をして黙り込んだルカに、女は所在なさげに体を揺らした。
「ありがとう。邪魔して悪かったね」
カーヤの言葉に女が「とんでもない」と首を振り、道を譲って頭を下げた。 五人は再び扉を潜り、教会を後にした。
外に出ると新鮮な空気を取り込もうと、エリシュカは大きく息を吸い込んだ。それをゆっくり吐き出すと、マテスが同じように大きなため息を吐いた。
「はあ、教会ってあんまり好きじゃないんだよな」
「マテスの場合は、教会のほうがお断りなんじゃない?」
からかうようなカーヤの言葉に、マテスはむっとしたように唇を尖らせた。
「向こうが断る前に、僕の方からお断りだねっ」
「おい、マテス。誰が聞いてるかわからないのに不用意だぞ」
ルカの言葉にマテスが肩を竦めた。エリシュカと目が合うと、苦虫を噛み潰したような顔をする。エリシュカは肩を揺らして視線を逸らした。教会にいい思い出がないのは、エリシュカも同じだ。マテスは自ら聖水を飲んだと戯けていたけれど。もしかしたらその後、大変な思いをしたのかも知れない。
「さて、どうしようか。診療所を探すのに、また時間がかかるな」
「今から町の中央に戻れば、丁度飯時じゃないか?」
「お前はまた食い物か」
「ははっ、それでこそマテスだよね」
四人の会話にエリシュカが笑みを浮かべたところで、マテスの腹が盛大な音を立てた。マテスは両手で腹を抑え、「ほらな?」と全員を見回した。四人は顔を合わせて目を瞬いた。オルダは眉間に指を押し当て呆れたように俯いた。ルカは肩を竦めて、「仕方のない奴だな」と笑みを浮かべる。カーヤとエリシュカは、思わず吹き出し声を立てて笑った。




