3-6②
「なんだ?」
はっと肩を揺らしたエリシュカは、言葉を選ぶようにして答えた。
「オルダは……あんな酷いことは言わないけど、似たような考えよね?」
ムッとしたような表情を浮かべたオルダが、腕を組んで眉間の皺を深くした。
「確かに俺は女は女らしくあるべきだと今でも思っている。が、仲間をバカにされて黙っているほどの薄情者でもない」
エリシュカはぽかんと口を開けた後、一転笑みを零した。
「そう。そうなのね。悪かったわ」
エリシュカは立ち尽くすカーヤの手を取り、思い切り引き寄せた。
「いきましょう、カーヤ」
「え? ああ、うん。……ありがとう、オルダ」
オルダは気まずそうに眉間の皺を深め、小さく頷いた。
しばらく露店を巡り、日が傾きかけた頃。宿へ戻るとマテスが先に戻っていた。オルダが何かを耳打ちすると、マテスが考え込むような素振りを見せた。エリシュカがその様子を眺めていると、マテスが笑みを浮かべて近寄ってくる。
「お祭りは楽しめた?」
後ろを見上げると、カーヤが「まあね」と曖昧な笑みを浮かべた。
「そっか、ツイてなかったな。でも、本当にツイてないのはどっちか、そのうち嫌でもわかるさ」
「どういうこと?」
「ははっ。まあ、悪いことはできないよなってこと」
マテスは楽しそうに口笛を吹きながら、宿の中へ歩いていった。
「ねえ、マテスは一体何の話をしてたの?」
「マテスは情報屋だって言ったでしょう? きっと彼らの良からぬ噂でも知ってるんじゃないかな。今日仕入れたのか、元々持ってるのかは知らないけど」
「オルダは相手が誰だかわかってなかったわよね。カーヤは知ってる人だったの?」
「私は知ってるけど、マテスは私に聞くまでもなく、オルダの話で察したんじゃないかな。あんな風に表立って絡んでくる人も珍しいから」
いつも面と向かって投げつけられる言葉ではなかったのだとわかり、安堵の気持ちで頷いた。けれど、前にカーヤは自身がどう噂されているか知っていると言っていた。ならば、結局辛いことには変わりないのだろう。カーヤをからかった男たちの姿が蘇り、エリシュカは唇をきつく噛み締めた。
「リシュカ、そんな顔しないで。私はもう大丈夫。これのお陰で自信がついたし」
カーヤは柄頭の飾り紐を指で掬い上げ、明るい笑みを浮かべた。
「それに、オルダのことも気になってたから。あんな風に言ってくれるなんて思わなくて、胸につかえてたものが落ちた気分だよ。だから、あの人たちに会ったのも、悪いことだけじゃなかったと思う」
「……うん。そうね」
エリシュカは頷いてからカーヤを見上げ、二人目を合わせて微笑みあった。
カーヤと二人、宿の扉を潜り抜けた。そのまま部屋の前まで歩いていくと、前と同じようにルカが待っていた。そわそわと落ち着かない様子で、行ったり来たりしていたが、二人に気づいて立ち止まった。エリシュカはカーヤと視線を合わせて、二人同時に首を傾げた。
「やあ、ルカ。どこに行ってたの?」
カーヤの問いかけに口籠ったルカは、視線を彷徨わせた。
「ああ、ちょっと……。あの、リシュカ。話があるんだけどいいかな?」
「……ええ」
トクンと心臓が跳ねて、エリシュカは喉を鳴らした。今日のルカは一体何を言うのだろうか。今回の旅では、前回のように避けられているわけではないが、一度目のように気安いわけでもない。ルカの考えが予測できずに、エリシュカは胃が重くなるような気分で後に続いた。
また同じように中庭に着くと、ルカがエリシュカを振り返った。口を開いたり閉じたりしながら、何かをいいかけては止めるを繰り返す。
「どうしたの?」
胡乱な表情で尋ねると、ルカは頭を掻きながら鈍く光るものを差し出した。目をぱちぱちと瞬いたエリシュカは、ルカの掌と顔を何度も往復する。それから眉を寄せて、探るように口を開いた。
「あの、これは?」
「えっと……僕にもわからない」
「えっ? 何を言ってるの?」
がしがしと頭を掻いたルカが、躊躇うように掌を自分の方に引いた。しばらく逡巡してから、言いにくそうに口を開いた。
「カーヤに男装を勧めたのは僕なんだ。邸でカーヤのドレス姿を見たときに、僕はとてつもない罪悪感に襲われた。リシュカにそんなつもりがなかったのはわかってるけど、僕の咎を突きつけられたような気がした」
エリシュカの顔からさっと血の気が引き、震える唇を引き結んだ。
「僕はずっと、カーヤを助けたと思ってた。だけど、ただの思い上がりだったんだって今更気付いた。リシュカがカーヤを焚き付けてなかったら、きっと僕は一生分からなかった。だから、感謝してる。僕にはできなかったけど。本当の意味でカーヤを救ったのはリシュカだ」
「そんなこと……」
どうにか喉の奥から絞り出した声は、震えて木々のざわめきにかき消されてしまいそうだ。ずきずきと胸の奥が痛み、エリシュカは俯いた。
「それから、オルダのことも。僕はオルダの事情を知ってた。でも、時間が解決するだろうって目を逸らしてた」
「私、オルダに余計なことを言ったのかも知れないわ。オルダのお姉さんが心から幸せなのかなんて、私にだってわからないのに」
「いいや」
ルカは決まり悪そうな笑みを浮かべ、首を横に振った。
「オルダの姉上は、『弟を見捨てて自分だけ助かるような人間が、どんな家に嫁いだって幸せになれるわけない』って、ずっと言ってるよ。本当に強い人なんだ。今の結婚だってすごく幸せそうだけど、オルダはそれを認めたがらない。認めたら、どうやって償えばいいかきっとわからないからだ」
「どういうこと?」
「なんて言えばいいのかな」
唸り声を上げたルカは、しばらく考え込んでから口を開いた。
「オルダは姉上が不幸じゃないと、自分を責めることができない。足が不自由になった姉上とは、罪悪感でがんじがらめの自分じゃなきゃ釣り合いがとれないと思ってるんじゃないかな。きっと無意識に」
エリシュカは眉を寄せて考え込んだ。そんな風に思うことで、一体誰が幸せになるのだろうか。エリシュカにはその気持を理解することはできそうにない。もちろんエリシュカだって同じ立場なら、不自由な足を見てきっと罪悪感に苛まれるだろう。けれど、それと姉の幸せは別の話だ。唸り声を上げたエリシュカに、ルカがふっと息を漏らした。
「わからなくても仕方ない。僕だって、本心から理解してるわけじゃないからね。カーヤに対しては、認めてる部分もあると思う。けど、姉上と同じように、また大きな怪我を負ったらって思うと、怖くてたまらないんじゃないかな」
「それはきっとそうね」
エリシュカにもその気持ちは理解できた。目の前で大切な人が自分を庇って、取り返しのつかないことになったのだ。同じような光景を二度と見たくないと思うのは、当然のことだろう。
「リシュカに言われたことで、オルダは嫌でも向き合わなきゃならなくなった。すぐに受け入れるのは難しいだろうけど、それでも一歩前進したと思う」
エリシュカは俯き加減で頷き、複雑な表情を浮かべた。
「それに比べて僕は、本当に情けないや。カーヤのことも、一緒に過ごすオルダのことも、まるで分かってなかった。カーヤの本心には気付かなかったし、オルダはカーヤと過ごせばそのうち変わるんじゃないかって簡単に考えてた。リシュカがいなかったら、きっと。もっと長いこと、二人は辛かったんだろうな」
エリシュカだって、初めて会ったときには何もできなかった。カーヤとオルダが夜番をきっかけにぶつかって、その時はタープの中で息を殺していただけなのだから。あの夜聞いたカーヤの鼻を啜る音が忘れられず、ただなんとかしたいと思って次から活かしただけだ。彼らは全てを忘れていても、エリシュカは全部覚えている。出会ったばかりのエリシュカが、こんなにすんなり彼らの気持ちに踏み込むことなんて、本当ならとても出来はしない。
「それで……よかったら、これを受け取ってほしい」
ずっと引っ込めていた手を、ルカが徐に差し出した。それは鈍く光る腕輪だ。エリシュカは先程のルカがこれを渡そうとしていたのだとようやく気づき、息を呑んだ。
「リシュカに婚約者がいるのは、もちろん知ってるよ。依頼のこともあるから。だから、これは変な意味じゃなくて」
『ああ、そうか。婚約者が……いるんだっけ』
『これは深い意味があるものじゃないんだ』
一度目に聖人の祭りを楽しんだあと、髪飾りを贈ってくれた夜のルカの言葉が蘇る。あのときエリシュカは、婚約者の話などしていなかった。ふと漏れた言葉だったのだろうが、舞い上がっていたエリシュカの耳には残らなかった。けれど確かにルカは、エリシュカに婚約者がいると言っていた。あのときそれをしっかり聞いていれば、出会う前から彼らがエリシュカのことを知っていたのだと分かったはずなのに。
「待って! アダムには……婚約者には指輪を返したの。正式に破棄するにはまだきちんとした手続きが必要だけど。でも、指輪は返したわ」
左手をルカに向けたエリシュカは、言い終えてから「あっ」と小さく呟いた。みるみる内に頬が赤く染まり、全身から汗が吹き出す。一体何を言ってしまったのだろうか。軽く握りしめた左手が微かに震え、降ろしながら俯いた。その左手が完全に降りる直前、大きな掌に掬い上げられた。ぱっと顔を上げると、照れたように笑ったルカがエリシュカの手首に腕輪をつけた。
「これは、お礼のつもりだったんだけど。ははっ。せっかくだから、祭りの記念にしよう」
『ただのお祭りの記念だから、気軽に受け取ってよ』
今と一度目のルカの言葉が脳裏で重なる。こくりと頷いたエリシュカは、再び染まった頬に顔を上げることができず、じっと爪先を見つめた。ルカの言葉が頭の中でぐるぐる巡って目が回りそうだ。
その後どんな会話をしたのか覚えていないほどに気持ちが浮き立ち、いつの間にかカーヤの待つ部屋の前に戻っていた。ルカの背中を見送った後、腕輪を顔の前にかざす。それは星のモチーフのもので、エリシュカは自然と笑みを浮かべた。よく見ると、内側に何か文字が書かれている。慌てて外して確かめると、そこには『悠久の時』と刻まれていた。
一瞬息が詰まり、すぐに腕につけ直す。右手を添えて胸の前に置き、そっと目を閉じた。ルカはエリシュカの死に戻りを知りはしない。『悠久の時』という言葉に一体どんな意味があるのだろうか。永遠にこの時間が続くことを願っているのか、それとも今を過去にして未来へ繋げたいという想いなのか。ルカの本心はわからない。
『リシュカにそんなつもりがなかったのはわかってるけど、僕の咎を突きつけられたような気がした』
ふとルカの言葉が蘇り、胸の奥が切り裂かれるように痛みだす。エリシュカは『そんなつもり』で言ったのだ。ルカが傷つくことはわかっていた。それでも前へ進もうと決めたのはエリシュカ自身だ。頭はでは分かっていても、胸の奥が軋んで息ができなくなりそうだ。もしこの時間が進んで、本当はエリシュカが全てを知っていたのだとルカに知られたら。
扉にもたれかかって、そのままずるずると座り込む。それでもエリシュカは前に進むしかない。どんな未来になろうとも、今度こそ時間を進めるために。




