3-6①
イェリーネク家を出発した五人は、順調に旅を進めた。前と同じように、夫人からは着替えや鞍も貰っている。
いつの間にかエリシュカの掌の傷は癒え、左手の白い布はもう巻かれていない。逆に右手が赤くなっているが、前回よりもは大分マシだ。
商人のナイフは、前回ルカに貰ったナイフのようには手に馴染んでいない。けれど、どう動けばいいのかは覚えている。それなりに形になっているはずだが、実際は身体が追いついてこない。もどかしくもあるが、こればかりは記憶だけではどうにもならない。
そろそろ二度目の旅で早駆けをした辺りにたどり着く。あの日は一度目よりも速く走ったが、それすらまだ彼らの本気ではないはすだ。また早駆けをしようと言われたら、今度はもっとずっと速く走るのだろう。それでもエリシュカがいる限り、全速力とはいかないのだろうが。
思い返せば、一度目の早駆けで、マテスは大分遅れて到着した。あのときは気にならなかったが、彼の役割となにか関係があるのだろうか。度々姿を消すことも、それを誰も咎めないのも、全てはそのせいなのだろうか。
難しい顔で考え込んでいたエリシュカは、マテスの鼻歌にはっと我に返った。斜め前を走る馬上のマテスは、やはり機嫌がよさそうだ。一度目のときからそうだが、祭りがそんなに好きなのだろうか。
「ねえ、マテスはどうしてあんなに機嫌がいいの?」
エリシュカは斜め後ろを振り向き、カーヤに小さな声で尋ねた。
「ああ、マテスは伝達役って言ってたでしょう」
そこで一旦言葉を止めたカーヤは、少し悩むように間をおいてから「リシュカなら、まあいいか」と呟いた。
「ここだけの話にして欲しいんだけど、マテスは情報屋なんだ。……もう知ってると思うけど、クラーロ・ヴァリの街ではお祭りをやってるからね。人が集まる場所は、色んなネタも集まってくる。きっと情報収集が楽しみなんじゃないかな」
「そう」
食い意地が張った振りをして、人混みの中に一人紛れ込んで行ったのはそういうわけだったのか。楽しそうに消えていくマテスの姿が脳裏を過ぎり、エリシュカは頷いた。
「なあ、早駆けでもしてみないか?」
振り返ったマテスが、ほんの少し表情を硬くして全員を順に見比べた。マテスに釣られて全員が馬の足を止める。エリシュカは眉を顰め、マテスの様子を窺った。
「何だ突然、そう急ぐこともないだろう」
「そうだよ、マテス。私はリシュカを乗せて早駆けなんて危ないこと、理由もなしにはやらないよ」
オルダとカーヤの言葉に、マテスは肩を竦めた。
「リシュカも大分馬に慣れたし、興味あると思ったんだけどな」
曖昧な笑みを浮かべたエリシュカは、なんと答えるべきか分からず口を噤んだ。
「おい、マテス。いくらリシュカが慣れてきたからと言って、女二人がそんなに速く走れるわけがないだろう」
「そうだよ、マテス。私はリシュカにそんな危ないことをさせるつもりはないからね」
「ちぇっ、皆ノリが悪いな。なあ、ルカはどう思う?」
先頭にいたルカは、少しの間考え込むが、空を眺めて目を細めた。エリシュカはその仕草がなぜか気になり、同じように空を見上げた。ルカの見つめる先には、小さな黒い点が浮かんでいる。一体なんだろうと目を凝らすと、その身体の一部がキラリと光る。どうやら、何かを足に着けた鳥が飛んでいるようだ。
「そうだな……少し急いだほうがいいかも知れない。あまり遅くなると、宿を探すのに苦労するだろうから」
上空からマテスに視線を戻したエリシュカは、訝しげな表情を浮かべた。マテスはよそ見をしていたようだが、すぐにいつもの笑みでエリシュカに視線を合わせた。
「なるほど、確かにそうだな」
「ルカが言うなら私もいいよ。リシュカはどう?」
エリシュカはぎこちなく頷き、再びマテスに視線を戻した。
「なんだよ、オルダもカーヤも! 僕が言ったら反対したのに、ルカだとあっさり賛成するなんて!」
オルダは肩を竦め、カーヤは声を立てて笑った。
「だって、マテスのはただの遊びの提案だけど、ルカのは理由があるでしょう?」
カーヤの言葉にマテスは口を尖らせた。以前のエリシュカなら一緒に笑うところだが、今日はそんな気分にはなれなかった。
「ちぇっ。まあいいさ。僕は言い出しっぺだから最後に出るよ」
「当たり前でしょう? 私はリシュカと二人乗りなんだから、先に行くよっ!」
言うや否や、カーヤはあっという間に馬を走らせた。エリシュカは慌てて前方にある持ち手をぎゅっと握りしめた。前回より少し速いのは、それだけカーヤと息が合っている証だろうか。後ろが気になり、姿勢を低くしたままそっと振り向くと、マテスが腕に何かを巻き付けていた。一体何をしているのか、しっかり見ることはできない。何度かちらちらと後ろを窺ってみたが、すぐ側をオルダとルカが付いてくるので視界が遮られる。結局マテスが何をしているのかはわからなかった。
今回も街に着いたのは、やはりルカが先頭だった。前は加減していたのだと、今のエリシュカならわかることだ。門を通過するにはルカがいなければこれほど順調にはいかず、エリシュカだけなら最初の街で止められていたことだろう。すんなり街に入り、いつもどおりにルカが宿を取る。特に苦労している様子もないのは、やはりイェリーネク家がそれほどの力を持っているという証なのだろう。
少ししてからマテスが追いつき、いつもと変わらぬ調子で食べ物の話を始めた。温泉せんべいを食べながら、やはり人混みの中へ消えていく。カーヤの話では情報収集とのことだが、実際は何をしているのだろうか。後をつけるわけにもいかず、エリシュカは祭りの露店をまた三人と巡った。
前回と同じように、やはり髪飾りは無かった。もしやと思って刃物屋も覗いてみると、同じナイフは置いていない。一体何が違うのだろうかと考えてみるが、この街に着いた時間なのかもしれないと思い当たる。エリシュカの乗馬の腕が上がるに連れ、到着時間が早まっているのだ。あと一日二日遅ければ、あの髪飾りもナイフも店に並ぶのかも知れない。どちにらせよ今回のエリシュカは、髪飾りもナイフもルカに貰う理由がないのだが。
「なにか探してる?」
カーヤに声を掛けられ、エリシュカは慌てて首を横に振った。
「なんでもないの。あの、前と同じものがあるのか気になっただけ」
「ああ、なるほど」
顔を寄せて囁いたエリシュカに、カーヤが納得顔で頷いた。
「リシュカ、ちょっといいかな」
後ろからルカに呼び止められて、エリシュカは慌てて振り返る。
「どうしたの?」
「うん、ちょっと」
ルカに促されて後についていくと、腕輪の露店の前に辿り着いた。並べられた商品の中から、ルカが適当なものを一つ手に取った。「手を貸して」と言われて、エリシュカは左手を差し出した。ルカが徐にエリシュカの手首に腕輪を嵌めて、頷いた後はすぐに外す。
「ありがとう、もう大丈夫」
「え?」
拍子抜けしたエリシュカは、呆然とした顔でルカを見上げた。決まり悪そうに頭を掻いたルカが、「ごめん」と苦笑いしながら呟いた。
「リシュカ、あっちも見にいこう」
カーヤに声を掛けられ、「ええ」と答えたエリシュカは、後ろ髪引かれる思いで踵を返す。後に残る金属の冷たさが気になり、右手でそっと手首を擦った。
しばらく露店を見ていると、前回カーヤと飾り紐を買った店を見つけた。エリシュカは「あっ」と声を上げ、カーヤの手を引き店に向かって走り出した。
「おいっ、いきなり走るなっ」
オルダが慌てて後を追い、少し離れた位置で不機嫌そうに立ち止まる。眉間にしわを寄せているが、本当は不機嫌なわけではない。エリシュカはオルダの顔を見て、小さく吹き出した。片眉をピクリと上げたオルダに、「ごめんなさい」と声を掛ければ、同じ表情のまま頷いた。
「ねえ、カーヤ。この飾り紐をカーヤの剣に付けましょう」
「え?」
目をパチパチと瞬くカーヤを横目に、エリシュカは迷わず一つの飾り紐を手に取った。それは、前回と同じ鮮やかな朱色の紐だ。口元に笑みを浮かべたまま、初めて自分の金をポケットから取り出した。前回カーヤが買うのを見ていたから、エリシュカの手持ちでも十分足りることは分かっていた。とくとくと鼓動が跳ねて、硬貨を握る手が微かに震える。
「これで足りるかしら?」
店主の男に差し出すと、男は「まいどっ」と景気のいい笑みとともにエリシュカの金を受け取った。
エリシュカは満面の笑みを浮かべて、カーヤの剣の柄頭に紐を通した。一歩下がって全身を眺め、「やっぱり似合うわ。とっても素敵よ」と満足げに頷いた。唇を引き結んだカーヤは、柄頭を見下ろす。それから目を細めてそっと紐を指で流し、「ありがとう」と笑みを浮かべた。すぐに店の前に移動すると、今度はカーヤが生成りの飾り紐を手に取る。店主に代金を払うとエリシュカに向き直り、照れたように微笑んだ。
「リシュカには、これを。ドレスと今日の飾り紐のお礼。二つ合わせたらまだ足りないけど、今はこれで」
言い終わるのを待たずに、エリシュカの後ろに回って髪を解く。飾り紐を器用に編み込むと、「よく似合ってるよ」とエリシュカの頭を軽く叩いた。
「カーヤ……ありがとう」
じわりと涙が滲み、エリシュカは指先で目元を拭った。振り向いて見上げると、カーヤが目を細めて視線を合わせた。髪を飾る生成りの紐を、エリシュカは懐かしい思いでそっと撫でた。その様子に気付いたカーヤが、はっとしたように口を開いた。
「もしかして、前も?」
エリシュカは唇を噛み締め、深く頷いた。
「そう……ふふっ。何度繰り返してもきっと同じだよ。リシュカは私にこの飾り紐を選んで、私はリシュカの髪をその色で飾る。嬉しい気持ちもきっと同じだね」
再び涙が浮かびそうになり、エリシュカは慌てて唇を引き結んだ。むずむずと動く口元に、カーヤが声を立てて笑う。少し離れたところで、オルダが呆れたように肩を竦めた。
そのままカーヤと並んで露店を周り、オルダは少し離れて付いてくる。マテスとルカに会うことはなく、エリシュカは今だけ祭りを楽しむことにした。
「次はあっちへいっていみよう」
カーヤが笑みを浮かべて行き先を変えると、向かいから歩いてきた若い男の一人と肩がぶつかる。
「いてっ」
「失礼」
男装のカーヤが騎士らしく優雅に詫び、そのまま通り過ぎようとすると、ぶつかった男が声を上げた。
「あっ、お前っ!」
「どうした?」
もう一人の男がカーヤの顔を見て、目を瞬いた。
「ああ、なるほど」
ニヤリと口の端を上げた男に、エリシュカは眉を顰めた。カーヤは一瞬こわばったように身体を固くして、その場から動かない。見上げた先には青ざめたカーヤの顔があった。
「お前、チェルマーク家の……出来損ないの三男坊、だよな?」
「あははっ。止めとけよ、三男坊だなんて」
目を細めて見下ろしてくる男たちに、エリシュカは唇を噛み締めた。このまま黙っているわけにはいかない。思い切って口を開こうとしたその時。
「おい、出来損ないの三男坊とは俺のことか」
後ろからオルダの低い声が響いてきた。じゃりじゃりと靴音を鳴らしながら、男たちとカーヤの間に立つ。エリシュカはまるで大きな壁のようなオルダの背を見上げ、目を瞬いた。
「お、お前はオルドジヒ・ハヴェルっ!」
「いや、俺達はハヴェル家に楯突くつもりは」
「黙れっ! 俺の家は関係ない。お前らのその根性、今ここで叩き直してやる」
「わ、悪かった」
二人の男は顔を青ざめさせ、飛び上がるように後退る。そのまま先を争って走り出し、あっという間に人混みに消えた。
「ふん。人のことをとやかく言う割には肝の小さいやつらだな」
オルダの大きな背中がくるりと回り、いつもの渋面が現れた。エリシュカはパチパチと目を瞬き、オルダをじっと見上げた。




