3-4②
「そんなわけないだろうっ! 姉上は幸せだといつも言っている。だが、そんなの強がりに決まってる。あんなに楽しそうに剣を振って、並の男では敵わないくらいに強かったんだっ。それが今は……」
「ねえ、お姉様はオルダを庇ったこと、後悔してるの?」
「そんなことを言うわけがないだろうっ。それでも後悔してるに決まってる」
「どうして?」
「どうしてだとっ?」
オルダが一歩踏み出すが、エリシュカは見上げたまま視線を逸らさずぐっと腹に力を込めた。ここで引けば、オルダの苦しみは変わらない。変わらなければ、エリシュカやカーヤが剣やナイフを使う度に、きっとずっと傷つくのだ。
「適齢期を過ぎた瑕疵のある女が、格下の家に嫁ぐしかなかったんだっ! 後悔しないわけがないだろうっ」
「でも、オルダは……ここにいる皆は、家の名前なんて気にしないのでしょう? お姉様は違うの?」
「姉上はそんな人ではっ」
言い掛けたオルダが、ぐっと言葉に詰まった。
「それなら、条件が悪いって決めつけてるのはオルダよね」
「……だとしても、姉上が戦う術を持たなければ、あんなことにはっ」
「そうかしら? もしお姉様が剣やナイフを使えなければ、もっとひどい目に遭ってたかも知れない。だって、オルダを庇えるほどに強かった。男一人を簡単に倒せてしまうほどの腕だった。そうじゃなければ、ただオルダを追いかけて……命を失ってたかも知れないって思わない?」
蒼白な顔をしたオルダは、そのまま何も言わずに黙り込んだ。エリシュカは自分が刺されたときの痛みを思い出し、眉を寄せてごくりと喉を鳴らした。
「力で勝つだけが正解じゃないわ。オルダのお姉様だって、そういう強さを持ってたのよね? 私が欲しいのはそういうものよ。だから、ナイフを習うことは止めない。私も……死なないために」
握りしめた拳が微かに震えた。それでもオルダから視線を外すわけにはいかない。オルダはしばらくの間エリシュカを見つめたまま動かなかった。マテスが軽く肩を叩くと、踵を返して焚き火の向こうへ歩いていった。小さくなっていく背中は、いつになく頼りない。十三の少年が傷つき、肩を落として去っていくかのようだ。エリシュカは閉ざしていた拳を緩め、ずきずきと痛む胸に唇を噛み締めた。
「リシュカ、そんなに落ち込むなって。今のは自分がナイフを扱いたいからってだけで言ったことじゃないだろ?」
頭の後ろで腕を組んだマテスが、今までになく優しい笑みを浮かべた。
「僕は、知ってたのに今まで何も言えなかった。いや、共に過ごせば過ごすほど、余計に何を言えばいいかわからなかったんだ。リシュカだけにあんな風に言わせるなんて……情けないな」
ルカがオルダの背中を見つめながら、気まずそうな笑みを浮かべた。
「それを言うなら私も同罪だよ。詳しいことは知らなかったけど……オルダにとっては私も十分トラウマを抉る存在だっただろうしね」
肩を竦めたカーヤに、ルカがぱっと顔を上げた。一瞬後に顔を歪ませ、もう一度オルダの去った方へ顔を向けた。
「さて、僕は夜番をするつもりだったけど……まだここに残ってるってことは、誰かが代わってくれるってこと?」
軽い調子で順に三人を見比べたマテスが、愉しげな笑みを浮かべた。
「冗談っ! 私はリシュカとタープで休むよ」
「ははっ。僕も少し休ませてもらうよ。頼んだぞ、マテス」
「ちぇっ」
それほど残念そうでもないマテスの返事に、エリシュカは軽く息を漏らした。振り切るように立ち去るルカの後ろ姿に、胸の奥がチクリと痛む。
「リシュカ、いこう」
カーヤに促されたエリシュカは、マテスに「おやすみなさい」と声を掛けてタープへ向かった。
焚き火から少し離れた場所にあるタープの中は、薄暗くて互いの表情はよく見えない。エリシュカはそのことにほっとして、ゆっくり横たわった。
「すごいね、リシュカは」
「え?」
カーヤが微かに息を吐きながら、言葉を続けた。
「オルダにあんな風に言い返すなんて、怖かったんじゃない? だけど、オルダが何に悩んでるかを見抜いてたんだよね」
「それはっ」
「うん」
カーヤは一度言葉を切って、エリシュカの方へ向き直った。
「本当に四度目なんだね」
「……っ!」
エリシュカは思わず身体を起こし、カーヤの方へ身を乗り出した。
「あははっ。そんなに慌てなくても、聞き間違いなんかじゃないから安心してよ。私はリシュカの言ってたことを信じるよ」
「どうして?」
ごそごそと音を立てて、カーヤも身体を起こした。薄っすらと浮かび上がったカーヤの姿に、エリシュカは目を凝らす。
「リシュカは私が女って分かっても、なんてことないように接してくれた」
「それは……私がカーヤを知ってたから」
「うん。だけど、さっき言ってくれたでしょう? 一番近くには私を、部屋の外にはオルダをって。私みたいな中途半端な騎士見習いなんて、何の役に立つのかなって思ってた。でも、リシュカは私がいいって言ってくれた。それが、嬉しかった」
エリシュカは唇を引き結んで俯いた。カーヤは三度の出会いを何も知らない。だからこんな風に思うのだ。エリシュカは息を吐き出してから、ゆっくり顔を上げた。
「違うわ、カーヤ。私はただ、カーヤが言ってたことを繰り返しただけなの。女性にとっては女性の騎士が必要だって、前のカーヤが言ったのよっ」
暗闇に慣れた視界に、カーヤの驚いたような顔がぼんやり浮かび上がる。少しの間考え込んでいたカーヤは、頷きながら口を開いた。
「そう。そう言われると、なんだかとても腑に落ちるよ。ずっと男に勝たなきゃ価値がないって思ってたはずなのに。今日のリシュカの言葉がなぜかすとんと落ちてきて、ぽっかり空いてた穴が埋まったみたいだった。なんでだろうって思ってたけど、私が辿り着いた答えだったんだね」
「そうよ、だから私が考えたわけじゃないのっ。私はずるいのよ!」
「そうかな?」
唸り声を上げたカーヤは、顎に手を当ててながら首を傾げた。
「リシュカは初めて私に会ったとき、どう思った?」
「どうって?」
「気味が悪いと思った? 女だって分かって、軽蔑した?」
「そんなっ! 素敵な騎士様だって思ったわっ。私を助けてくれて、すごく気遣ってくれて。だから、カーヤがいてくれて嬉しかった」
「うん」
ふっと微かに息を吐いたカーヤは、ふわりと明るい笑みを浮かべた。
「私はリシュカに会えたから、自分の道を見付けることが出来たんだ。残念ながら覚えてないけど……でもそうに違いないよ。だって今の私がそう思うんだから」
「カーヤ」
あっという間に視界が滲み、やっと見えるようになっていたカーヤの顔が霞んでいく。「ふふっ」と笑ったカーヤが、指でそっとエリシュカの涙を拭った。
「ずっと一人で、辛かったね」
「ふっ、うっうう」
声にならない声が漏れて、エリシュカは必死に唇を噛み締めた。何度戻っても誰も覚えていない。誰かに話すことも怖くて、とにかく必死にできることを探してきた。不安がなかったことなどひと時もない。誰かにすがりたくて、でも誰に打ち明けていいのかも分からなかった。
互いに中途半端だと悩んで、勝手に似た者同士のように思っていたカーヤ。けれど、前回の旅で取り残されたように感じていた。そんなカーヤの大事な一歩を、エリシュカが勝手に先に進めてしまったのだ。こんな酷い話があるだろうか。それなのに、カーヤは会えてよかったのだと言う。
「でも私、今回はカーヤに直接何も聞いてないっ。なのに勝手にっ」
「前の私は話したんでしょう? それに、今の私だって話そうと思ってた。遅かれ早かれそうなっていたんだから、同じことだよ」
「だけど」
エリシュカの頭に、ぽんと優しくカーヤの手が乗る。数回撫でるその手つきに目を閉じると、幼い日の母の温もりが蘇った。もうこんな風に頭を撫でてくれる人など、誰もいないと思っていたのに。ぽろぽろととめどなく流れる涙に、エリシュカは静かに俯いた。
「さあ、明日からもまだ旅は続くんだ。今日はもうおやすみ。寝心地は悪いかもしれないけど、横になれば疲れもマシになるよ」
ゆっくり頷いたエリシュカは、離れてもなお残るカーヤの温もりに息を吐いた。そっと横たわり、目を閉じて前回の旅を思い起こす。
オルダはきっと姉と何かがあったのだと思っていた。エリシュカが剣を習いたいと言い出したとき、オルダは強く反対した。
『ほら、オルダ。君の姉さんだってそれくらはできただろ』
『姉上の話は関係ないっ』
マテスの言葉にオルダはいつも以上に険しい表情を浮かべていた。それに、マテスはあのとき『できる』ではなく、『できた』と言ったのだ。成り行きを落ち着かない気分で見守っていたエリシュカは、何も気付かなかった。つまり今は剣を扱うことができないという意味だったのだろう。それから、野営でエリシュカのナイフさばきの話をしたとき、オルダを器用だと褒めるとこう言った。
『俺より姉上のほうが……』
そのまま口ごもったオルダに、ほんの少しの引っ掛かりを感じていた。けれど二つの言葉が繋がらず、何だろうかと思いつつもそのままにしていた。それを今回あんな形で暴いてしまったのだ。
カーヤを救おうとすればルカを傷つけ、自分のためにオルダの傷を抉った。出会ったことを覚えているのはエリシュカだけで、他は誰も覚えていない。カーヤに打ち明けたことで、胸の奥のつかえがほんの少しは軽くなった。けれど、知っていることを使って心の内を暴くことは、本当にいいことなのだろうか。
本音では皆に打ち明けたい。怖くてたまらなくて、助けて欲しい。信じていいのかわからないのに、どうしようもなく信じたい。そんな彼らに、今までの記憶を利用して土足で踏み込むなんて。エリシュカだって彼らに全てを話しているわけではないのに、自分の中にだけ彼らの記憶が降り積もっていく。それがどうしようもなく重くもあり、愛おしくもある。
ルカやオルダの傷ついたような顔が思い浮かび、胸の奥がずきずきと痛みだす。自分の都合で彼らを傷つけておいて、愛おしと思うなんて。エリシュカがもっと強く、もっと賢く立ち回れたら、彼らを傷付けることもなかったかも知れない。それどころか、この理由のわからない死に戻りすら避けられたのかも知れない。そうしたら彼らが苦しむこともなかった。でもそれは、出会うこともなかったということなのだろうか。
ぐるぐると回る思考の渦が、エリシュカの意識を呑み込んでいく。一人ずつ浮かび上がる四人の姿が、渦に飲まれてぐにゃりと歪む。胸が苦しくなって必死に手を伸ばすが、届きそうなところでサラサラと消えていった。空になった手を見つめ、エリシュカは唇を噛み締める。今度こそ、彼らと一緒に生きて時間を進めたい。そのためにまた彼らを傷付けるのかも知れない――それでも。




