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3-4①

「姉上っ! 早く馬車に乗りましょうっ」

「ふふっ、オルダ。そんなに慌てなくても馬車は勝手に走り出したりしなくてよ」


 オルダは姉の手を引っ張り、早く早くと何度も急かした。町での買い物を終えた二人は、荷物を抱えた護衛と共に家路に着くところだった。いつもは二人付く護衛も、今日はペトル一人だけだ。十三になったオルダが、自分が護衛の代わりだと言い張ったからだ。両親は難色を示したが、姉がそれを説き伏せた。剣士の家系であるハヴェル家では、姉もそれなりに剣が使えた。ドレス姿で大っぴらに振り回すわけにはいかないが、ナイフの腕もそこらの男には引けを取らない。


「オルダの選んだ贈り物、お父様とお母様はとても喜んでくれると思うわよ」

「そうかな? ふふん」


 得意げに笑うオルダに、オルダの姉――アドリエナは目を細めた。両親の結婚記念日はまだふた月も先だ。こんなに早くオルダがプレゼントを準備するなんて、両親は思ってもみないだろう。オルダは二人の驚く顔が早く見たくて、うずうずとした気持ちでアドリエナの手を引いた。


「うぅっ」


 オルダたちから少し離れたところで、突然うめき声を上げた老婆がしゃがみこんだ。通り過ぎる人々はその様子に目を向けるが、足を止める者は誰も居ない。オルダはその場に立ち止まり、アドリエナを見上げた。アドリエナは軽くオルダの手を握り、真剣な顔で頷いた。


「ペトル、その荷物は俺が持つ。あの人を助けてあげてっ」

「えっ、いやしかしっ」

「大丈夫よ、早く行ってあげて。見たところ貴族の御婦人ではないわ。放っておいたら誰も助けはしないでしょう。私たちは荷物と一緒に、すぐ馬車に乗るから心配ないわ」


 オルダはペトルの荷物を奪い取り、その背中をぐっと押した。ペトルは一瞬躊躇うが、すぐに老婆の元へ走り寄った。オルダとアドリエナはその様子を見送ってから、馬車に向かって一歩踏み出した。その時。


「うわっ」


 オルダに一人の男が体当りしてきた。両手で運んでいた荷物が地面に落ち、ぶつかってきた男が素早くそれを抱え込む。帽子を目深に被り直し、振り返らずに走り出した。


「オルダっ」


 尻もちを突いたオルダの横に、アドリエナがしゃがみ込む。オルダはさっと顔を青くしたかと思うと、今度は真っ赤に染めて勢いよく立ち上がった。


「あいつっ、父様と母様への贈り物をっ!」

「オルダっ! やめておきなさいっ。物はまた買うことができるわ」

「でもっ! あれは俺が姉上と時間を掛けて選んだ大切なものなんだっ。あんなやつに盗らたまま見逃すなんて嫌だっ。絶対に許すもんかっ!」


 全てを言い終える前に、オルダは既に地面を蹴っていた。ジャッジャと力強く蹴り出す足は、あっという間に人波を抜けていく。途中老婆の横に跪いたペトルが何かを叫んだような気がしたが、そんなことは構うものか。


 チラチラと人波の間に見える男の背中を見失いそうになる。十三にしては体格に恵まれたオルダも、流石に大人たちの背丈には埋もれてしまう。


「くそっ、絶対に逃がすもんかっ」


 オルダは足に思い切り力を込めて、地面を強く蹴り出した。ぜえぜえと肺が悲鳴を上げるが、逃げる男だって苦しいはずだ。人波を抜けて走るうちに、どんどん人影がまばらになる。そんなことすら気付かぬまま、只管夢中で追いかけた。


 ようやく男に追い付くと、そこは日陰になった狭い路地だった。オルダは一瞬しまったと思うが、表情に出すわけにはいかない。肩で息をしながら素早く周囲に視線を巡らせる。男が一人であることを確認すると、少しだけ落ち着きを取り戻した。


「おいっ、盗んだ物を返せっ」

「はっ、威勢のいいぼっちゃんだな。返せと言われて返す盗人がいると思うか?」


 オルダは歯を食いしばり、足に力を込めた。じゃりじゃりと地面を擦る音が耳につき、額から汗が一筋流れ落ちる。


「なんだ、やる気か? ははっ、いいぜ、こいよ」


 男は荷物を放り投げ、オルダに向き直って腰を落とした。オルダはごくりと喉を鳴らし、食いしばった顎に力を込めて地面を蹴った。


「うわあああっ」


 叫び声を上げながら走ってきたオルダに、男はひらりと身を躱す。ニヤリと口の端を上げ、その背中に上から拳を叩き込もうとしたその刹那。オルダがくるりと向きを変え、男の足を抱えて思い切り引き倒した。驚いた男は仰向けになり、地面に頭を打ち付け気を失った。


「くそうっ、剣があればもっと上手くやれたのに」


 オルダはまだ帯剣を許されていない。許されていたとしても、ここで上手く使えたかはわからない。けれど、それを素直に認められるほど大人でもなかった。


「オルダっ!」


 パタパタと軽快な足音に顔を上げると、アドリエナがドレスを翻して路地裏を走ってくる。その表情は焦っているようでもあり、怒っているようにも見える。陽の光が届かぬ狭い道では、はっきりと見ることはできなかった。


 もう少しでその表情がしっかり見えるであろうというところで、路地の脇道から男が現れた。走るアドリエナの後ろから、男がその背に手を伸ばす。


「姉上っ!」


 オルダの声が届いたかどうかという一瞬の間に、アドリエナが倒れ込む。オルダが「あっ」と声を上げたそのとき。素早い動きで立ち上がったアドリエナが、男の首元でナイフを横に振る。狙って皮一枚を切ることができるほど、アドリエナはナイフの扱いに長けていた。慌てた男は後ずさり、アドリエナはすかさず地面を蹴る。何が起きたのか、オルダからでは背中越しで何も見えない。目を凝らす間もなく、男が悲痛な叫びを上げてその場に蹲った。


「姉上っ! さすがです」

「オルダっ。あなたは全く、無鉄砲で目が離せない子ね。帰ったら父様と母様と一緒に、お説教ですからねっ」


 気まずそうに首の後ろを掻いたオルダに、アドリエナは怒った風を装って腕組みをした。オルダは肩の力を抜き、アドリエナの方へ向かって歩き出した。アドリエナがその様子に目を細める。あと数歩でアドリエナに辿り着く、そう思ったところで突然アドリエナが走り出した。


「姉上?」


 オルダの声が終わるか終わらないかの内に、ぐいっと強く腕を引かれた。倒れ込むようにしてアドリエナにもたれかかったオルダは、そのまま身体を包みこまれる。何が起きたのか分からぬ内に、二人の位置が入れ替わっていた。


 アドリエナの腕から逃れようと身動ぎしたその直後――どんっと何かがぶつかったような衝撃が走る。目を瞬いたオルダは、アドリエナの顔を見上げた。一瞬目を見開いたアドリエナは、低い呻き声を漏らした。オルダを抱き寄せた腕が力強く身体を締め付け、そのまま覆いかぶさるように崩れ落ちる。オルダはアドリエナの背に手を回すと、ゆっくり下へと辿っていった。生暖かいものが手に触れ、思わず息を呑む。


「姉上……姉上っ?」


 アドリエナの身体に阻まれ、何があるのかは見えない。じゃりっと近くで鳴った靴音が、そのまま遠ざかっていく。


「アドリエナ様っ! オルドジヒ様ーっ!」


 ペトルの叫び声とともに、複数の男たちがオルダとアドリエナの横を通り過ぎた。「あそこだっ! 逃がすなっ」という怒号が路地に響き渡り、オルダの耳を掠めていった。アドリエナの背に回した手がガタガタと震え、オルダは膝をついたまま色のない世界に堕ちていった。



 エリシュカはごくりと喉を鳴らし、オルダをじっと見上げた。後ろのカーヤの顔は見えないが、視界の端でルカが顔を歪めて俯いた。マテスはいままで見たことのないような、何の感情も読めない表情でオルダを見つめている。重苦しい空気を破るように、オルダが大きく息を吐いた。


「姉上を刺したのは、俺が倒したと思っていた男だった。一度は倒れたが、正気を取り戻して俺を狙ったそうだ。身なりのいい貴族のガキにしてやられて、頭に血が登ったと言っていた」


 くしゃくしゃと髪をかき混ぜたオルダは、いつも以上に苦い表情で続けた。


「姉上は十八だった。婚約者もいて、順風満帆だった。それが、俺のせいで破断になった」

「そんなっ」

「相手は格上の名家だった。瑕疵のついた女など願い下げだと言われた。姉上はあれ以来杖無しでは歩けなくなったんだ」


 エリシュカはなんとも言えずに口を噤んだ。何かを言おうと口を開きかけるが、一体何と声をかければいいのかわからない。


「まあ、そうは言っても、アドリエナ様は幸せそうだけどな?」

「黙れっ!」


 マテスの言葉をすかさずオルダが遮った。


「何が幸せなものかっ! 片足が不自由で、一人で出掛けることすら満足にできないんだっ。俺があのとき、あの男を仕留めていれば……。姉上が剣など使えず、俺をかばおうなどと思いさえしなければっ! 俺が、俺が……」

「待って、オルダ。お姉様が幸せじゃないって、そう言ったの?」


 頭を抱えていたオルダは、ぱっと顔を上げて目を見開いた。

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