3-3②
食事を終えると、エリシュカはカーヤを呼び止めた。
「お願いがあるの」
「私にできることなら。何かな?」
「ナイフの扱いを見て欲しいのよ」
カーヤは一瞬息を呑み、エリシュカをまじまじと見下ろした。唸り声を上げてからエリシュカのナイフをちらりと見やり、首を横に振る。
「そんなことできないよ。大体私たちがいれば必要ないでしょう?」
「でもっ、前は教えて貰ったの」
「……前って、つまり」
「そう。前回皆と旅したときに、カーヤに教えて貰ったのよ」
考え込むようにしてエリシュカをじっと見つめたカーヤは、今度は小さく頷いた。
「なるほど。それなら、実際の動きを見て決めてもいい?」
「ええ、もちろんっ! ありがとう、カーヤ」
ぱっと笑みを浮かべたエリシュカに、カーヤは呆気にとられた表情を浮かべた。そのすぐ後に目を細め、焚き火から少し離れた場所にエリシュカを連れて行く。
「じゃあ、見せてくれる?」
「ええ」
エリシュカは前回カーヤに教えられたことを頭に思い浮かべた。力も弱く、素早い動きがすぐにできるようになるわけではない。そんなエリシュカができることは、相手の不意を突くことだ。
深く息を吐き出したエリシュカは、カーヤに視線で合図を送る。カーヤが頷いたのを確認すると、できる限りの速さでナイフを鞘から抜いて突き出した。かと思うと踵を返して走り出す。また鞘に収めると、今度は振り向きざまにナイフ抜き腕を伸ばす。二、三度振るとまた相手と距離を取るように走り出す。
扱いに慣れている者からすれば不格好だろう。けれど、エリシュカにできる戦い方はこれだけだ。それでも前回のように筋肉も手の皮も、今の動きには追いついていない。前はもう少しマシだったのに――そう思うと焦燥感が募り、唇を噛み締めた。
「リシュカ、もういいよ。十分わかった」
カーヤは思いの外真剣な表情で、エリシュカを見つめた。しばらく押し黙ったまま難しい顔をしていたが、やがて言葉を選ぶようにして口を開いた。
「貴族のご令嬢がこんな風にナイフを扱えるなんて、普通じゃない。それに、こんな戦い方を教えるのは……私みたいな者だろうね」
一度言葉を切ったカーヤに、エリシュカはごくりと喉を鳴らした。
「リシュカ……私は、あなたを信じるよ。いや……ごめん、まだ心の底から信じられたとは言えないけど。でも、きっとリシュカは嘘を吐いてないって思う」
「カーヤ……」
じわりと視界が滲み、パチパチと目を瞬いた。困ったような笑みを浮かべたカーヤの顔が、すぐにぼやけて歪んで見える。瞬きをしようとしたところで、真っ白なものが視界に飛び込んできた。優しくエリシュカの目元を拭ったカーヤの笑顔が、今度はくっきり浮かび上がる。そっと差し出された手巾を受け取り、エリシュカは俯いた。
「さあ、続けよう。やり方は間違ってない。まずは今使ってるナイフが手に馴染むようになれば、もっとよくなるよ」
「ありがとう、カーヤ」
顔を上げたエリシュカに、カーヤは柔らかな笑みを返した。エリシュカは目元を手巾で拭い、ぎゅっと握りしめた。
しばらくナイフを振っていると、離れた場所で見ている三人が視界に入る。今まで夢中になっていたので、見られていたことに全く気づいていなかった。焚き火を囲むようにして座った彼らは、三者三様の表情だ。ルカは何かを考え込むようにして、組んだ両手に顎を乗せてこちらを眺めている。両手を頭の後ろで組んだマテスは、やはり愉しげに口の端を上げていた。腕を組んだオルダは、いつも以上に眉間の皺を深めて不機嫌そうだ。エリシュカは居心地悪くなり、ナイフを鞘に収めてカーヤを見上げた。
「そろそろ疲れた? 旅はまだ長いからね、ゆっくりやっていこう」
「そうね。ありがとう、カーヤ」
少し赤らんだ掌を眺めていると、じゃりじゃりと足音が近づいてきた。視線を上向けると、渋面を浮かべたオルダの姿が徐々に迫ってくる。いつも以上に機嫌の悪そうなその空気に、エリシュカは思わず後ずさりそうになった。
「手を痛めたのか?」
心配しているという風でもなく、オルダがエリシュカに問いかけた。エリシュカはもう一度掌にチラリと視線を向けて、すぐにオルダを見上げた。
「いいえ、ちょっと赤くなっただけよ。すぐに治るわ」
「強がることはない。そんな薄っぺらい手で、ナイフで戦おうだなどと。おおよそ淑女のやることじゃない」
「オルダ、そんな言い方っ」
カーヤの言葉を遮るように、オルダが大きくため息を吐いた。
「こんな細い腕で、か弱き女が男に勝てるわけはない。悪いことは言わん、無駄なことはやめておけ」
「オルダっ! それは、私にも言ってるの?」
「そうだ。カーヤもリシュカもどうかしてる」
ぐっと息を呑んだカーヤが口を開こうとしたそのとき、エリシュカが静かな声で答えた。
「女が男に勝てないから何だって言うの?」
「なんだと?」
オルダを真っ直ぐ見つめたエリシュカは、言葉を続けた。
「力で勝とうだなんて思ってないわ。オルダは、さっきまで私たちのしてたことを見てたでしょう?」
「ああ、見ていた。だから無駄だとっ」
「それならわかるでしょう? 私たち、力でどうにかしようとしてたかしら」
首を傾げたエリシュカに、オルダが目を見開いた。口をぱくぱくとさせてから、唸り声を上げる。エリシュカはカーヤに向き直り、言葉を選ぶように問いかけた。
「カーヤはどうかしら」
「私?」
「ええ。カーヤは、オルダに力で勝たなきゃいけないと思ってる? そうじゃなきゃ騎士では居られないのかしら」
パチパチと目を瞬いたカーヤは、考えるようにして俯いた。少しの間を置いた後に、眉を寄せて口を開いた。
「そう……だと思ってた。なんでだろう。リシュカに聞かれるまでは、そうあるべきだと思ってた。けど、今はそれが少し違うような気がしてる」
「何を言っているんだっ。男に勝つことのできないカーヤが、騎士を続けられるわけがないだろう! 女は女らしく、武器など持たず守られていればそれでいいんだっ」
オルダはなぜここまで頑なに女が戦うことを否定するのだろうか。一度目は貴族社会の価値観で言えばそれが普通なのだと思っていた。けれど、前回の旅ではそれだけではない何かがあるように感じた。それは一体なんだろう。
「ねえ、オルダ。でも、カーヤはいつも力に頼った戦い方をしてるのかしら?」
「リシュカに何がわかるんだ」
「そうね、私は……今はまだカーヤの戦い方を見ていない。でも、私が教わってるのは勝つための戦い方じゃないわ。自分の身を守るための時間稼ぎよ」
「だから、それに何の意味があるんだっ」
オルダはどうしたって女を戦わせたくはないようだ。オルダをやり込めたいわけではないが、納得してもらうより他にない。エリシュカだって、毎回ナイフの訓練をする度に文句を言われるのではたまらない。
「オルダは、私と一緒にタープで休んでくれるの?」
「なっ、何を言い出すんだっ!」
「宿で同じ部屋に泊まれるのかしら?」
「でっ、でっ、できるわけないだろうっ!」
肩を竦めたエリシュカは、首を横に振りながら息を吐き出した。
「そうよね。女性の部屋で何かがあたっとき一番に守ってくれるのは、カーヤのような騎士だわ。護衛を選べるのなら、私は一番近くにはカーヤを、部屋の外はオルダに頼むわ」
「ぐっ。だ、だが、それがリシュカの戦う理由にはならんだろうっ」
「そうね。でも私、戦うためにナイフを習ってるんじゃないわ。死なないためよ」
ひゅっと息を呑む音が聞こえ、辺りがしんと静まり返る。いつの間にか近くまできていたルカとマテスも、その場で立ち止まったまま動かない。しばらく重い空気が流れ、やがてマテスがじゃりっと足音を立ててオルダの横に並んだ。
「なあ、オルダ。僕ら男の限界を突かれたな。リシュカの言うとおり、僕らは淑女の部屋に入ることなんかできない。何かあったときに、リシュカのように時間稼ぎでナイフを使えたほうが、確かに生存率は上がるよね。だって、誰も淑女がナイフで応戦してくるなんて思ってないから」
マテスに軽く肩を叩かれたオルダは、それでも眉間の皺を深めたまま口を固く閉ざした。
「もうそこまでにしておこう。リシュカの言い分もわかるし……かと言って、オルダの言ってることも全く間違ってるわけじゃない」
ルカが数歩先で止まり、オルダとエリシュカを見比べた。
「だがっ」
ぎゅっと拳を握りしめたオルダの肩が、ぶるぶると震えだす。何かを堪えるように歯を食いしばり、鋭い目つきでエリシュカを見下ろした。
「それでも俺は、女が戦うことを認めるわけにはいかんっ」
厳しい眼差しを向けてくるオルダの叫びに、エリシュカはどういうわけか怒りを感じない。その瞳の奥には、深い影が揺らいでいるようだ。
「どうしてそんなに反対するの? なにか理由があるのよね?」
握り込んだ拳を震わせるオルダが、エリシュカにはなぜだか泣いているように見える。
「あれは、俺がまだ何もわからん、未熟なガキの頃の話だ」
顔を歪めたオルダが、重い口を開いた。




