3-3①
門を出た一行は、順調に馬を走らせた。しばらく進むと、あの馬車が停まっていた。そこに倒れていた商人の姿はなく、代わりにいたのは警備隊だ。四人は馬車の手前で速度を落とし、警備隊に近寄っていく。少し手前でカーヤが向きを変え、そのまま馬車の前に回り込んだ。
ルカとマテスが警備隊と話をしている間に、カーヤとオルダはエリシュカと共にその様子を窺う。エリシュカは馬車の後方で倒れていた商人を思い出し、ブルリと身体を震わせた。
「リシュカ、大丈夫?」
「……ええ、ごめんなさい。実は一度ここまで来たの」
「えっ、どういうこと?」
エリシュカはラディムと共にここまで来たが、商人の馬車を見付けて引き返したことを話した。自分のせいで彼らが命を失ったのだと、再び罪悪感が胸の奥に広がる。埃と鉄の匂いを思い出し、顔がさっと青ざめた。
「随分顔色が悪いね。一旦馬を降りて休もう。オルダ」
「ああ」
馬を降りたオルダが手を差し出し、エリシュカがその肩に向かって手を伸ばす。ルカより少し高い位置にあるそれが、なんとなくだが落ち着かない。カーヤがエリシュカの腰を支えて下ろそうとしたその時。
「何をしてるんだっ」
ルカの焦ったような声が響いた。三人がその場で留まり、ルカの方へ視線を向ける。
「リシュカの気分が悪いみたいだから、一旦馬から降りたほうがいいかと思って」
「何を慌ててるんだ?」
首を傾げたオルダに、ルカがきまり悪そうに頭を掻いた。
「いや……自分でもよく分からない。けど……」
ルカはそのまま言葉を切って、黙り込んだ。エリシュカはカーヤの前に座り直し、その様子を見つめた。いつも馬から降りる時は、ルカに肩を借りていた。もしかしたら覚えているのだろうかと、ソワソワとした気持ちになる。何かを言おうと口を開きかけたとき、ブルブルと馬が鼻を鳴らす音が響いた。
顔を上げると商人の馬車に繋がれた馬の内一頭が、こちらをじっと見ている。その瞳がエリシュカには哀しげに見えて、そっと視線を逸らした。
「あの馬は、リシュカのことが気になるみたいだね」
「……そうかしら」
「うん。案外一目惚れでもしたんじゃない?」
「まさかっ」
苦い笑みを浮かべて馬をもう一度見ると、やはりエリシュカをじっと見つめている。もう一度鼻を鳴らし、今度はエリシュカの方へ首を伸ばした。
「ははっ。こいつ、本当にリシュカが気に入ったみたいだぜ」
マテスが馬とエリシュカを見比べて、愉快そうに笑った。エリシュカはそんな風には思えず、曖昧な笑みを浮かべた。
「おい、馬から降りないのか?」
眉間に皺を寄せたオルダが、エリシュカとカーヤを見上げた。カーヤは「あっ」と声を漏らし、エリシュカの顔を覗き込んだ。
「気分は大丈夫そう?」
「ええ。もう大丈夫。オルダ、ありがとう」
肩を竦めたオルダは、「いいさ」と返事をして自分の馬に跨った。
それを合図にルカを先頭にして、その場を離れて走り出す。エリシュカは馬の瞳が脳裏から離れず、振り切るように頭を振った。
順調に馬を進め、また同じ宿に辿り着く。食事を済ませて寝支度を整えれば、目の前には旅装を解いたカーヤが座っている。
「それにしても、よく私が女だってわかったね。ああ、そうだ。私の本当の名前は」
「カロリーナ……でしょう?」
「えっ?」
カーヤは目を大きく見開いた後に、顔を歪めて視線を逸らした。
「そうか……リシュカ。本当は私を知ってたんだね」
「どういうこと?」
「ははっ。女が男の騎士の真似事をしてるんだ。名家の間では、それなりに噂になってるよ。どんな噂かは聞かなくてもわかる。実際男姿の私に気づく人はそういないけど、名乗ればピンとくる人も多いからね」
「違うわっ! 私、宮廷の宴にだってお目見えしたことすらないのにっ。そんな噂を聞く機会なんてなかった」
エリシュカは慌てて声をあげ、思わず寝台から立ち上がった。カーヤは両手を後ろについて、目を皿のようにしてエリシュカを見上げた。一瞬後に目を瞬き、ホッとしたように肩の力を抜いた。
「私がカーヤと会うのは、四度目なの」
「……そんなはずは」
「ええ。今回はまだ会ったばかり。だけど、私がカーヤと会うのは四度目よ」
カーヤは訝しげな顔でエリシュカを見つめる。心臓がどくどくと鳴り響き、自分の声まで聞こえなくなりそうだ。何から話せばいいのかわからなくなり、何度か浅い呼吸を繰り返した。
「私、カーヤが騎士になりたいから男装してることも、なぜそうなったのかも知ってるわ」
「……それは噂で聞いたからじゃないの?」
「違うわ。私はカーヤから直接聞いたのよ」
眉を顰めたカーヤは、それでもエリシュカから目を逸らさない。ばかなことをと一蹴されてもおかしくないが、きっとカーヤなら聞いてくれる。エリシュカはずっとそう思っていた――いや、願っていた。一度目も、二度目も、三度目も。四人を信じたいが、確信が持てない。けれど、カーヤは信じてもいいのではないか。いつも一番近くで支えてくれるカーヤなら。
一度目は中途半端だと鼻をすすり、三度目は自分なりの道を見つけた強い人。エリシュカよりずっと先を歩いていくことが寂しくもあったが、四度目でまた後戻りなんてしてほしくはない。
「お兄さんに言われた言葉も、ルカがお父様と一緒にカーヤの家へ行ったことも。ルカに勧められて男装をしてることも、知ってるわ」
カーヤは難しい顔をして、絞り出すような声で問いかけた。
「……兄は、なんて?」
エリシュカはぐっと息を呑み、顔を俯けて小さな声で答えた。
「……遊びの時間はもう終わりだって」
「そう……」
カーヤはそのまま黙り込み、重い沈黙が部屋に流れる。結局「少し考えさせて」という返事を最後に、そのまま二人は眠りについた。
翌朝、カーヤは何事もなかったかのようにエリシュカを馬に乗せ、変わらぬ力強さで支えた。どちらともつかぬ時間がエリシュカの胸を重くするが、信じると決めたのは自分だ。この先どうなろうと、後悔することはない。信じてもらえなかったとしても、エリシュカのやることは変わらないのだから。
「うーん、参ったな」
半日ほど走ったところで、ルカが唸り声を上げながら馬の足を緩めた。
「どうしたんだ?」
殿を務めるオルダが、エリシュカたちの馬の横に並んだ。足を止めたルカは、馬の鼻を横に向けてこちらを振り返る。
「思ったより早く進んだから次の町まで行こうかと思ったんだけど。そうすると到着が夜中になるんだ。かと言って今から引き返して通り過ぎた村に戻るのも中途半端だし」
「なら野営をすればいい」
「はあ、全くオルダは分かってないな。僕らはいいけど、リシュカにはきついだろ?」
マテスの言葉にオルダがエリシュカを見下ろし、ひとつ頷くと「そうだな」と一言呟いた。エリシュカが口を開こうとしたところで、マテスがオルダに向かってため息を吐いた。
「これだから筋肉バカは……」
「な、なんだとっ!」
からかうような笑みを浮かべたマテスが、更にオルダに何かを言おうとしたところで、エリシュカが慌てて割って入る。
「あのっ。私なら野営もできるわ」
「えっ?」
「なんだって?」
「何を言ってるんだ」
ルカとマテス、そしてオルダが目を丸くしてエリシュカを見つめ、カーヤは何かを考えるような表情で視線を下げた。
「ねえ、どうせこの先野営はしなきゃならない。それならまだ体力のある今のうちに、リシュカにも慣れてもらったらいいんじゃない?」
カーヤの言葉に他の三人が黙り込んだ。オルダは眉を寄せて唸り声を上げ、ルカは顎に手を置き「確かにそうだな」と頷いた。マテスは薄い笑みを浮かべたまま、エリシュカをじっと見つめている。
居心地の悪くなったエリシュカは、もぞもぞと座る位置を変えて視線を逸らした。すると、カーヤの腕を持つエリシュカの手を、しなやかな掌が包み込む。二度軽く重ねた掌を再び元の位置に戻したカーヤは、エリシュカに向かって軽く片目を瞑った。
結局そのまましばらく馬を進め、日が陰り始めた頃に手頃な場所にタープを張った。エリシュカは使い慣れないナイフで野菜を切り、前より歪なスープの具材に肩を落とした。
「怪我もしてるんだから、無理しなくてよかったのに」
エリシュカの左手には、まだ白い布が巻かれている。すぐに手当をしてもらったお陰でそこまで酷い傷にもならず、ましてや利き手でもない。以前右手にできた豆に比べれば大した痛みもなく、ナイフを使うのに苦労するほどでもなかった。
「大丈夫よ。それより、上手くできなくてごめんなさい」
「いいや、これだけできれば十分だ。助かったよ」
「僕もそう思う。普通ならやろうなんて思いつきもしないからね」
ルカの言葉に続いて、マテスが肩を竦めた。
「そうだな。いかにも慣れないナイフ捌きが恐ろしかったが、食えるものにはなってる」
「オルダっ」
カーヤの咎める声に被せて、マテスがオルダの足を蹴った。
「いてっ! おい、マテスっ」
オルダが眉を吊り上げるが、睨まれたマテスはため息を吐きながら首を横に振った。エリシュカはその様子に思わず笑みをこぼし、ルカとカーヤはホッとしたように表情を緩めた。
「ふふっ。次はオルダが見本を見せてよ」
笑い混じりのエリシュカの言葉に、オルダが目を瞬いた後に頷く。マテスがエリシュカをじっと見つめてからぽつりと呟いた。
「……どうしてカーヤでも僕らでもなく、オルダに?」
エリシュカは一瞬動きを止めた後、自然に見えるような動作でマテスと視線を合わせた。
「だって、あんな風に言うくらいだもの、きっとオルダは上手いんだろうなって思ったから。そうでしょう?」
首を傾げたエリシュカに、マテスは目を瞬いてから「それもそうだな」と頷いた。エリシュカはほっと息を吐きそうになり、ぐっと堪えた。彼らと一緒にいると、どうも調子が狂ってしまう。マテスは前と同じように調子がよくて、それに釣られてボロが出そうだ。
視線を感じてチラリと隣を見ると、意味ありげな笑みを浮かべたカーヤと目が合った。




