3-1①
四度目の誕生日を迎えたエリシュカは、掌の中にあるペンダントに目を落とした。また少し暗くなっているのは、最早気の所為ではないのだろう。死に戻る度に欠ける輝きに、エリシュカの胸の奥がざわつく。
起きたときには星の髪飾りはもちろん、カーヤに編んでもらった飾り紐も消えていた。腰に吊るしたナイフもなくなり、すっかり元通りだ。左手の薬指から外したはずの指輪も、以前と同じように鈍く光っていた。
またいつもと同じ時間にアダムが屋敷を訪れる。ホールに足を向けると、扉の向こうにはいつもと同じ花束を持ったアダムが立っていた。
「エリシュカ……誕生日、おめでとう」
「ありがとう、アダム」
四度目の花束をしばらく見つめ、アダムの顔を見上げた。
「エリシュカ?」
アダムが訝しげな表情で問いかけるが、エリシュカは無表情でただ眺める。あの夜宿の窓から見たのは、やはりアダムだ。こうして間近で見ても、そうとしか思えなかった。ミロシュの屋敷から見たのはどうだろう。あの影とは少し違うような気もするが、わからない。
「あのっ」
「アダム、早くこちらへいらして。テレズカが待っていてよ」
アダムが何かを言い掛けたところで、ズラタの声が響いてくる。
「お母様っ」
テレシエが咎めるように声を上げるが、何も変わらない。
「さあ、アダム。庭に冷えたワインとお菓子を用意してあるのよ。テレズカの好きな蜂蜜酒もよ。二人でゆっくり召し上がれ」
「えっ、あ、は、はい」
エリシュカが花束を受け取ると、アダムはほっとしたような表情を浮かべて踵を返した。ズラタを先頭に歩いていく三人を見送っていると、テレシエが振り向く。なんとなく可笑しくなってふっと笑みを零すと、テレシエがなぜか泣きそうな顔をしてから前を向いた。
部屋に戻ったエリシュカは、手にした花束を無造作に花瓶に刺すと、薬指の指輪を引き抜いた。窓の外を見れば、三人が庭に出てくるのが見えた。ズラタが二人に何かを話しかけ、どこかへ去っていく。その姿を確認すると、すぐに部屋を出て庭に向かった。
「アダム」
グラスを片手にテレシエに微笑みかけていたアダムの顔が、凍りついたように固まる。
「お姉様っ」
テレシエがグラスを置き、エリシュカを見上げて何かを言おうとした。
「アダム、これを返すわ。お互いのために」
テーブルの上に婚約指輪をコトリと乗せて、エリシュカは踵を返した。
「えっ」
少し遅れてアダムの声がするが、そのまま真っ直ぐ歩き続ける。
「ま、待って! エリシュカっ。これは……つけててもらわないと僕が困るんだっ」
ぴたりと足を止めたエリシュカは、ゆっくり振り返った。青ざめた顔で立ち上がったアダムが、婚約指輪を握り締めている。
「困るって、どういうこと?」
エリシュカの問いかけにしどろもどろになったアダムは、口を開いたり閉じたりを繰り返した。かと思うと、持っていた指輪をエリシュカの方に差し出し、唸り声をあげる。
「ねえ、アダム。どういう意味なの」
「そ、それは……僕が怒られるんだ」
「誰に……どうして?」
「それはっ、外したらわからなくなるだろっ!」
眉を寄せたエリシュカに、アダムは口を噤んで動きを止めた。指輪を載せた掌が、細かく震えている。エリシュカはさらに質問を重ねようと口を開きかけた、そのとき。
「エリシュカ様っ」
後ろから遠慮がちに響いてきた声に、はっとして振り返る。そこに立っていたのは、ルツィエだ。何かを言いかけて、アダムとテレシエに視線を向けて口を閉じた。エリシュカはルツィエに向かって一度頷くと、前の二人に視線を戻した。テレシエは不安げな表情でアダムを見つめ、アダムの青白くなった額には汗が滲んでいる。ひとつ息を吐き出したエリシュカは、唇を噛み締めて踵を返した。
「エリシュカっ」
背中をアダムの声が追いかけてくるが、振り返らずにルツィエの元へ速歩で向かった。急がなければパヴェルの買い出しに遅れてしまう。
「ルツィエ、ごめんなさい。」
「いいえ、お嬢様。でも……本当によろしいのですか?」
「ええ。今度こそやり遂げるわ」
首を傾げたルツィエに、エリシュカは淡い笑みを向けた。
急いで部屋から荷物を持ち出し、三度目と同じように頼んでいたワンピースとズボンに着替える。慌ただしく外に出ると、パヴェルが馬車に寄りかかって待っていた。
「パヴェル、待たせてしまったかしら」
「いいえ。お気になさらずとも、十分間に合いますよ」
荷台に乗ったパヴェルが、エリシュカに手を伸ばした。その手をしっかり掴んだエリシュカは、勢いよく馬車に乗り込む。ナイフの訓練で固くなっていた掌は、また元の柔らかなものに戻っていた。けれど、パヴェルの手を握る力強さは以前とは比べ物にならないだろう。ふわりと広がったスカートの裾から、パヴェルのズボンがチラリと覗く。
「ははっ。そりゃあ、私のズボンですか? お嬢様も思い切ったことをなさったもんだ」
愉快そうに笑うパヴェルに、ルツィエが「あんたっ、笑い事じゃないよっ!」と目を釣り上げている。
「ふふふ。ねえ、二人とも。私、前よりきっと強くなったわ」
パヴェルとルツィエが顔を見合わせたあと、不思議そうにエリシュカを見つめた。
「きっと無事に戻ってくる。だから――また会いましょう」
「エリシュカ様……。ええ、そうですとも、必ず無事に戻ってきてくださいよ」
エリシュカが笑みを浮かべると、ルツィエは眉を下げてエリシュカを見つめた。
「あんた、くれぐれも頼んだよ」
「ああ」
エリシュカが麻布を被ると、パヴェルが御者台に乗り込んだ。「いきますぜ」と言うやいなや、すぐに馬車を走らせる。本当は少し出発の時間が遅れていたのかも知れない。小さくなっていくルツィエを見つめながら、今度こそこの場所へ帰ってくるのだと、エリシュカは心の中で呟いた。
***
「エリシュカ様、着きましたぜ」
被っていた麻布から出てきたエリシュカは、パヴェルの手にした壺に笑みを浮かべた。
「靴墨よね? ありがとう、パヴェル」
目を閉じたエリシュカに、パヴェルは一瞬目を瞠る。すぐに壺の靴墨を指に取り、エリシュカの顔に塗り始めた。
「エリシュカ様は、どんな格好でも綺麗すぎて目立っちまう。これだけ汚せば、いくらか誤魔化せるでしょう」
「パヴェルのズボンのお陰で、貴族だとは思われないんじゃないかしら?」
「ははっ。確かにちょっと見はそうですがね。お顔をよく見りゃ、すぐにわかっちまいますよ」
荷台の麻袋からマントを取り出し、バサバサと払いながらパヴェルが笑う。エリシュカの肩にそっと掛け、しっかりフードを被せた。
「ありがとう、パヴェル」
頷いたパヴェルと馬車を降り、喧騒の中を歩き出す。目指す先にはやはりラディムがいて、パヴェルの顔を見ると小さく手を挙げた。
「おお、パヴェルじゃねえか。どうしたんだ?」
「ああ、ちょっと訳ありでな。親戚のところにやるんだが、お前の姪ってことにして乗せてやってくれないか?」
「こんにちは。エリです」
パヴェルが驚いたようにエリシュカを見下ろし、すぐにラディムに視線を戻した。
「随分生きのいいお嬢ちゃんだな……だが、訳ありはごめんだぜ」
肩を竦めたラディムに、パヴェルがため息を吐いた。
「お前、この間俺がカミさんに内緒で」
「おっとパヴェル、その話は今は無しだ。よしっ、エリだったな。今思い出したが、お前は俺の姪っ子だ。これでいいだろう?」
戯けたように遮ったラディムに、パヴェルが肩を竦めた。エリシュカのことをよくよく言い含めたパヴェルは、キャスケットを胸に当てて笑みを浮かべた。
パヴェルの背中を見送っている内に、ラディムの馬車に客が集まってくる。エリシュカはラディムを見上げて、ゴクリと喉を鳴らした。
「ねえ、ラディムおじさん」
「おっ? なんだ……エリ」
「この馬車、きっと車軸がおかしいわ」
「なんだとっ? お前さん、何をバカなことを言い出すんだ。全くこれだからお嬢さんはっ!」
エリシュカは渋面を浮かべ、しばらくの間考える。ここで車輪を直していけば、盗賊には会わないのではないか。商人も自分たちを乗せなければ、何事もなく通れるのかも知れない。それに、四人があの道を通っても、時間が違えば会わずに進めるのではないか。ラディムの馬車がいなくても、四人が商人の馬車に追いついて、きっと同じように助けてくれるだろう。一人の旅は心細いが、時間をずらすことで彼らと会わなければ、あの出会いが偶然だっただと確信できる。
「おい、なんとか言えよ……エリ。俺はちょいと言葉がきつくてな。言い過ぎたのなら」
「ラディムおじさんっ! いいことを思いついたわっ」
言葉を遮り一歩踏み出したエリシュカに、ラディムが慌てて後退る。頭を掻きながら「え? おい、なんだ?」と視線を彷徨わせた。




