2-7①
王都を出発してからもうすぐひと月。やはり森の道は険しく、馬の進みも遅くなる。それでも以前より大分相乗りにも慣れ、カーヤの負担もマシになっているはずだ。エリシュカを守るカーヤの腕は、一度目よりも力強い。潰れた豆のすっかり治ったエリシュカの掌も、少しは厚みを増したように思えた。
しばらく進むと、木々の向こう側には太陽に照らされた道が一本見えてきた。それは一度目も通った街道なのだろうが、夜も明けきらない時間だった一度目とは景色がまるで違う。うっそうとした針葉樹の間を抜けて道に出ると、視界がぱっと広がる。昼下がりの太陽は、辺りの景色を鮮やかに映し出した。
「やっぱりお日さまはいいな。森の中はしばらく遠慮したいや」
マテスが伸びをしながら、うんざりしたようにぼやいた。
「この程度で弱音を吐くとは、鍛え方が足りんな」
「オルダみたいな体力おばけと一緒にしないでくれよ。なあ、ルカ」
「ははっ、まあね。流石に僕もまた森に入るなら少しは休みたいところだな」
「ほらみろ、カーヤとエリだって疲れてるに決まってる。大丈夫なのはオルダだけだ!」
エリシュカが後ろを見上げると、カーヤが肩を竦めて苦笑いした。
「それより、これから町に行ったらまずは教会を探すべきかな?」
ルカの言葉に皆が頷き、しばらく馬を進める。道なりに行く内に、ふとマテスが馬の足を止めた。
「どうしたんだ?」
気付いたオルダが声を掛け、先に進んでいたルカが馬の鼻先をマテスの方に向けた。
「マテス、何かあったのか?」
「……いや、なんとなく。なんだかあの道が気になったんだけど」
そこは一度目の旅で、エリシュカが気になると言ったあの脇道だ。
「お前、ここにきたことがあったのか?」
オルダの不思議そうな問いかけに、マテスはしばらく顎に手を当てて考え込んだ。エリシュカは速くなる鼓動に息が詰まりそうになる。マテスは覚えているのだろうか。
「そう言えば僕も……」と言い掛けたルカが、道の先をじっと見つめた。後ろのカーヤは唸り声を上げて、考え込んでいる。
エリシュカはごくりと喉を鳴らし、通り抜ける息の冷たさに身体を震わせた。一度目の話をしてみようか。けれど、信じてもらえるだろうか。おかしなことを言い出したと思われて、魔女だからだと気味悪がられるのだろうか。それ以上に、彼らを信じて打ち明けていいのだろうか。
「気の所為だろう。先に進むぞ」
オルダの声に、ルカがはっとしたように目を瞬いた。マテスは相変わらず首をひねり、カーヤはまだ唸り声を上げていた。しかし、ルカの「行こうか」の声に全員が続き、再び馬を走らせた。脇道を横目に通り過ぎ、エリシュカはほっと息を吐いた。
しばらく走ると、一度目と同じ町に着き、いつものようにルカとマテスが宿を取る。馬を預けて歩き出そうとしたところで、エリシュカが口を開いた。
「叔父様のところへは、教会のあとに行くのかしら?」
「そうだな、今日は町で一泊して明日領主邸に向かおう」
ルカの言葉に三人が頷くと同時に、エリシュカは思わず「え?」と声を上げた。
「どうしたんだ?」
首を傾げたルカが、エリシュカを見下ろす。指先を口に当てたエリシュカは、思わず出てしまった声に視線を彷徨わせた。今ルカは『領主』と言った。つまり、この辺りをヴラノヴァー家が治めていることを、既に知っているということだ。これは貴族なら既知のことなのだろうか。それとも、先にエリシュカのことを調べていたのだろうか。一度目はどうだっただろうか。
「先触れもなしにこの時間に伺うと、マテスが夕食を催促して大変なことになっちゃうからね」
戯けたように言ったカーヤに、マテスが目を瞬いた。
「カーヤまでそんなことをっ」
「お前ならやるな」
「オルダはいつものことだけどっ!」
「エリもそう思うよね?」
カーヤに声をかけられ、エリシュカはパチパチと目を瞬いた。考え事をしていたせいで、不自然な間が空いてしまう。慌てて大きく頷くと、マテスが両手で頭を抱えて天を仰いだ。
「エリまでっ」
「違うわ、マテスっ! この時間に行くのが駄目だってことがわかっただけ。マテスがそんなことするなんて……」
言葉を区切って口ごもったエリシュカに、マテス以外の三人が笑い声を立てる。天を仰いでいたマテスは、大げさにため息を吐いて項垂れた。
「もういいよ。確かに腹は減ってきた。さっさと飯でも食って嫌なことは忘れるに限るっ」
ルカに肩をたたかれたマテスは、気を取り直したように歩き出した。
とっくに昼を過ぎていたため、腹を満たしてから町を巡る。エリシュカは既に叔父の家を知っているのだが、それも知らないふりでやり過ごした。前に話を聞いた男に会うことはなく、オルダが彼を殴るなんて物騒な話をすることもない。一度目にすれ違った細身の男に行き合うわずに済み、エリシュカは胸をなでおろした。
辺りがすっかり暗くなった頃。一度目と同じ店で夕食を済ませ、宿もやはり同じ場所だった。その素朴な建物を見上げたエリシュカは、ごくりと喉を鳴らす。あの男がきても、きっと今度は黙って殺されたりなどしない。誰が、なぜエリシュカの死を願っているのか。腰に下げたナイフをひと撫でしたエリシュカは、四人に続いて堅い足取りで宿に入った。
カーヤと他愛ない話をしながら寝台に入り、いつの間にか浅い眠りに落ちていた。ふと目を覚ますと、寝入る前と変わらぬ天井が視界に映る。慌てて隣の寝台に視線を移すと、穏やかな寝息を立てたカーヤがいた。湖に行かなかったおかげで、四人がエリシュカに隠れて話す必要が無くなったのかも知れない。
エリシュカはほっと息を吐き、再び床に入るがどうにも目が冴えて眠れない。落ち着かぬまま音を立てぬように寝台から抜け出し、窓の外を覗いた。
月に照らされた道端に、人影がひとつ。ドクンと心臓が跳ねて、その影に目を凝らした。またマテスだろうか――そう思って注意深く見ていると、予想外の顔にあっと声を上げそうになる。慌てて口を閉じ、眉を寄せてもう一度目を凝らした。あれはきっと、アダムだ。エリシュカは指輪の無い薬指をそっと撫で、身震いした。なぜアダムがこんなところに居るのだろうか。
きょろきょろと辺りを窺いながら、アダムは宿に背を向け歩き出す。その後姿が見えなくなるまで、エリシュカは目を離すことができなかった。そのまま朝方まで窓の外を見ていたが、結局何事もなく日の出を迎えた。
朝食後に叔父の家へ先触れを出すと、宿の使いがすぐに返事を持って帰ってきた。こちらの都合のいい時間に訪ねるようにと書かれている。さすがに朝から訪ねるわけにもいかず、先に教会を探してみようというルカの言葉に従い、町外れへ出掛けることにした。
中心から外れていくと、段々寂しくなっていく。普通は教会の近くに家が集まるものだが、この土地は何か特別なのかも知れない。近づいてみると、壁を伝う蔦が青く茂っている。エリシュカは二度目に連れて行かれた邸の地下を思い出し、ブルリと身体を震わせた。その時、前から一人の細身の男が歩いてきた。ぶつぶつと何かを呟いているその姿は、見覚えがある。一度目の旅でこの町にきたとき、あの男と会った夜にエリシュカは死んだのだ。
突然目の前が暗くなり、足が一歩も動かなくなる。背中がゾクリと寒くなり、勝手に歯がカチカチと音を立てた。
『魔女っ、魔女めっ』
あの夜の男の声が頭の中に木霊して、前から来る男の姿と重なっていく。足元がグラリと揺れ、その場に崩れ落ちた――そう思ったところで、ふっと温かいものが肩に触れた。
「エリっ、大丈夫か」
はっとして視線を上げると、そこには怒ったようなルカの顔があった。肩から伝わる手の温もりに、ほっと息を吐く。
「ごめんなさい、なんでもないの」
どうにか笑みを浮かべてみるが、エリシュカの額にはうっすら汗が滲んでいる。ぐいっと腕を引かれて一歩踏み出すと、ルカの背中が目の前に現れた。その向こう側を細身の男がブツブツ何かを言いながら歩いてきて、そのまま通り過ぎていった。
「エリ、それからルカも。どうしたんだ?」
オルダが不思議そうな顔で歩いてきた。カーヤとマテスは、男の後ろ姿をじっと見つめている。
「知り合いか?」
問いかけるオルダに、エリシュカは首を横に振った。ルカを見上げると、険しい顔つきで男の背に視線を向けたまま微動だにしない。
「おい、ルカ」
肩を叩かれたルカが、はっとしたようにオルダに向き直った。
「あ、ああ。僕も知らない男だ。だけど、なんでかな……近づかないほうがいい気がして」
腑に落ちないといった表情を浮かべたルカに、カーヤが考え込みながら頷く。
「私もそう思った」
マテスがもう一度男の立ち去った方をチラリと見てから、オルダに視線を移した。
「大体あいつ、意味のわからないことをぶつぶつ言ってたからな。知り合いじゃなくても避けたほうが無難だと思うぜ」
肩を竦めたマテスに、オルダは「なるほど」と頷く。エリシュカは四人があの男と知り合いではなかったことに、ほっと胸を撫で下ろした。けれど、まだ油断するわけにはいかない。
「ああ、もうこんな時間か」
ルカが教会の時計を見上げて呟いた。昼を少し過ぎていて、中心街に戻って食事を済ませば叔父の家を訪問するのにちょうどいい時間だ。
「めずらしくマテスの腹時計が鳴らなかったな」
「僕だって年中空腹なわけじゃないぜ」
オルダの言葉に口を尖らせたマテスの腹から、盛大な音が響き渡る。「あ」と言いながら両手で腹を抑えたマテスに、全員が顔を見合わせ笑い出した。
食事を済ませた一行は、今度こそエリシュカの叔父の家へ向かった。馬に乗って上り坂をゆっくり進み、丘の上の邸に辿り着いた。振り向けば領地が一望でき、エリシュカたちが通ってきた街道も見える。うっそうとした針葉樹の森から伸びる一本の道は、この活気ある町へ繋がっている。ヴラノヴァーの領地だと言われても、エリシュカには実感が湧かない。けれど、ほんの少しだけ誇らしく思えた。
門に辿り着くと、番をする男が二人立っていた。下馬したエリシュカは、ルカに促されてそちらへ向かう。身分を伝えると何事もなく門が開き、内側へと招き入れられた。その場で馬を預け、一歩ずつ踏みしめながら邸への道を歩いていく。大きいわけではないが、粗末なわけでもない。ヴラノヴァー家がこの国で、どの程度の身分なのかもわからない。
邸の扉の前に着き、ゴクリと喉を鳴らした。微かに汗ばむ掌を一度握りしめ、そっとノッカーを掴む。息を吸ってカンカンと打ち鳴らせば、すぐに中から人が出てきた。
「ようこそおいでくださいました。エリシュカ様、皆様。どうぞ中へ」
執事と思しき男に促され、五人は邸に足を踏み入れた。町の人々によれば、領主は気さくだが立派な人らしい。邸の中は豪華ではないが、趣味の良い花瓶や絵画が飾られている。使用人も静かだが、どことなく穏やかな雰囲気だ。エリシュカは知らずに握りしめていた掌をふっと緩め、肩の力を抜いた。




