2-5②
門の前で待っていた三人と合流すると、長い列を追い越し街へ入る。ルカが先に話を通していたお陰か、エリシュカも見咎められることなく通過することができた。街に入ると、ルカとマテスが先回りして宿を確保する。今回も祭りを楽しむために人で賑わう様に、エリシュカの気持ちが弾む。
「聖人の祭りだったか」
オルダが辺りを見回し、マテスを見てから深く頷いた。
「オルダ、何に納得したんだ?」
マテスが訝しげな顔でオルダを見上げると、オルダはまた頷いてから答えた。
「祭りとなれば、お前の腹の虫も満足するだろうからな」
「くっ。僕が食べることしか考えてないみたいに言うのはやめてくれ」
「あながち間違ってもないだろう」
唸り声を上げたマテスに、カーヤとエリシュカが笑い声を立てた。
「マテス、早くしないと目当てのものが売り切れるんじゃないか?」
マテスの肩を叩いたルカが、首を傾げた。
「目当てのもの?」
「ほら、さっきからいい匂いが漂ってるだろう。そろそろ腹の虫も騒ぎ出すんじゃないか?」
「ルカまでっ! よし、こうなったら食って食って食いまくってやる」
腕まくりをしたマテスが、人混みの中に消えていく。笑いながら皆で後を追い、広場を通り抜けた。民族衣装を着た人々とすれ違い、ふとカーヤを見上げる。着飾った女たちに視線を送っていたカーヤが、エリシュカに気付いて一瞬目を見開いた。すぐにいつもの笑顔を浮かべ、「行こう」とエリシュカの手を取って歩き出した。
一度目と同じように露店の並ぶ一角から、マテスが大きな丸い菓子を持って向かってくる。
「エリ、名物の温泉せんべいだ。ここにきたらまずはこれを食べなきゃ」
エリシュカは差し出された菓子に、手を伸ばした。指先が微かに震え、唇を噛み締めた。
「そんな顔をするな。見た目はでかいが、大して腹の膨れるものでもないぞ」
同じようにマテスからせんべいを受け取ったオルダが、手元に視線を落としたエリシュカを覗き込んだ。顔を上げると眉間にシワを寄せたオルダが、窺うようにエリシュカを見ている。
「ええ、香ばしくて美味しそう」
サクリと一口食べると、懐かしい蜂蜜とくるみの香りが口いっぱいに広がる。「おいしい」と呟きさらに一口齧ると、マテスが不思議そうな顔でエリシュカを眺めた。
「僕はこれじゃ足りないから、他も探しにいってくる」
何事もなかったかのように笑みを浮かべたマテスは、踵を返して人混みに消えていった。
せんべいを食べ終えると、露店巡りに歩き出す。歩きながら腹ごしらえを済ませ、前回と同じ髪飾りを売る店を探した。
「何か探してるのか?」
きょろきょろと辺りを見回していると、いつの間にかルカが横に立っていた。
「……いいえ、珍しいものが沢山あるから見ていただけよ」
「そう」
「エリ、こっちにおいでよ」
カーヤに呼ばれて目を向けると、その先にはあの髪飾り屋だ。エリシュカは逸る気持ちで足を踏み出した。
「どう? 女の子に人気みたいだけど、気に入るのはあった?」
「……ううん」
どれだけ探しても、あの髪飾りは見つからない。この店だったはずなのに、どうしてだろう。一つずつ確かめるように視線を巡らせるが、同じものは見当たらずに肩を落とした。
「エリ、ちょっときてくれ」
呼び声に顔を上げると、少し離れた露店の前にルカがいた。カーヤと顔を見合わせ、二人で向かうと難しい顔をしている。
「ちょっと手を出して」
「何かしら?」
言われるがままに手を差し出すと、ルカに何かを手渡された。掌の中を覗き込むと、そこには一本の棒が乗っていた。
「これは?」
「握ってみて」
理由もわからぬまま軽く握ると、持ちやすくて手に馴染む。ルカがじっと手元を見つめ、何か考え込むように黙り込んだ。珍しく刻まれた眉間の皺をじっと見つめていると、気付いたルカが肩を揺らす。
「もういいよ、ありがとう」
エリシュカの手の中から棒を奪うと、ルカは再び考え込むように口を閉じた。首を傾げたエリシュカは、カーヤに促されてその場を離れた。
「なんだったのかしら」
「さあ?」と答えたカーヤは、ルカをチラリと振り向き、小さく笑みを浮かべた。
露店を巡りながら歩く二人の後ろを、オルダは黙ってついてくる。エリシュカはきょろきょろと辺りを見回し、目当ての店を探した。
「カーヤ、こっちにきてっ!」
ようやく探し当てたその店は、一度目と変わらぬ様相だ。エリシュカは頬を上気させ、カーヤの腕を軽く引いた。
「ねえ、これを付けたら華やかにならない?」
「え? これを……私が?」
エリシュカが指さしたのは、ところ狭しと並べられた飾り紐だ。
「そう。服でもいいし、剣を飾るのもいいかも」
目を丸くしたカーヤが、飾り紐をじっと見下ろした。どこか着飾った女たちの衣装を思わせる色とりどりの紐は、どれもカーヤに似合いそうだ。
「でも、なんだか不格好じゃないかな」
「そんなことないわ。……ねえ、これはきっとカーヤに似合うわよ」
エリシュカの手にした紐は、鮮やかな朱色だ。目の前に掲げてじっと見つめると、一つ頷きカーヤを見上げた。目を瞬き、エリシュカを見下ろすカーヤに向かって笑みを浮かべる。そのままカーヤの剣の柄頭に紐を通し、一歩下がって全体を眺めた。
「ほら、これがあるだけでも、ずっと華やかになるわ」
「エリ……」
目を細めてエリシュカを見つめたカーヤは、柄頭を見下ろしそっと紐を撫でた。
「ありがとう、エリ。これにするよ。それから……」
一歩踏み出したカーヤが、並べられた飾り紐をざっと見回す。一つを手にして代金を支払うと、エリシュカに向き直った。
「これは、私からのお礼」
生成りの紐を手にしたカーヤが、エリシュカの後ろに回る。一度髪を解いて、器用に飾り紐を編み込んだ。
「うん。似合うよ」
カーヤに整えられた髪にそっと手を添え、エリシュカは滲みそうになる視界に慌てて瞬きをする。
「カーヤ、ありがとう。大切にするわ」
「私の方こそ。ありがとう、エリ」
数歩離れたところで見守るオルダが、気まずそうに頭を掻いた。エリシュカとカーヤは、顔を見合わせて笑い声を上げた。
しばらく露店を巡り、夕暮れ時に宿へ戻る。先に戻っていたマテスがオルダと何かを話してから、こちらへ歩いてきた。
「祭りは楽しめた?」
「ええ、楽しかったわ」
エリシュカは、頭の後ろにそっと手を添える。飾り紐が指に触れると胸の奥がくすぐったくて、仄かな笑みを浮かべた。
「そう、ならよかった」
満足そうな笑みを浮かべたマテスが答え、口笛を吹きながら宿の方へ歩いていく。カーヤの腰の剣からこぼれ落ちる飾り紐に視線を送ると、カーヤがそれに手を添えた。二人で顔を見合わせて笑い合い、マテスが入ったのと同じ入口の扉を揃って潜り抜けた。
部屋の前まで辿り着くと、一度目と同じようにルカが待っていた。何かを考え込むようにして扉に寄りかかっていたルカは、二人を認めると姿勢を正す。ギシギシと床を鳴らしながら目の前までくると、エリシュカを見下ろした。
「エリ、ちょっといいかな」
「……ええ、なにかしら?」
肩を竦めたカーヤが、エリシュカに笑いかけてから部屋へ入っていく。ルカに連れられて着いた先は、宿の中庭だ。
「これ」
「え?」
徐に差し出されたのは、少し大きめのナイフだ。
「あの、これは?」
「エリは、カーヤの剣で手を怪我しただろう? あれはエリには重すぎる。このままあんなのを振り回しても、もっと怪我が酷くなるだけだ」
視線を落としたエリシュカは、まだ当分治りそうもない右手に巻かれた布を見つめた。
「無理して重い剣を振るより、こっちを使えたほうがいいと思ったんだけど。余計なお世話だったかな」
気まずそうに首の後ろを掻いたルカに、エリシュカは大きく首を振る。
「ううん、ありがとう。……でもルカは、反対してたんじゃないの?」
ぐっと言葉を詰まらせたルカは、視線を逸らして口ごもる。少しの間を置いて、言葉を選ぶように答えた。
「カーヤに男のように振る舞うことを勧めたのは……僕だ。ずっとそれでいいと思っていたし、何の疑問も持たなかった」
「でもそれは……」
悪気はなかったのでしょう――そう続けようとして口を閉じた。悪気がなかったことでカーヤの葛藤や、ルカの後悔がなくなるわけではない。
「あの時の僕は子供だった。でも、ずっと気付かなかったことに、言い訳はできないよ。エリ、君のお陰でそれに気付いたんだ」
エリシュカは複雑な気持ちで俯いた。
「だから、これはそのお礼なんだ。まだどうしたらいいのか答えは見つからない。けど、僕もちゃんと考えるきっかけになったから」
再び差し出されたナイフをおずおずと受け取り、エリシュカは俯き加減で口を開いた。
「でも……私に、使えるかしら」
「大丈夫。カーヤは扱いに慣れてるから。マテスもナイフなら使えるし、僕も……」
言葉を切ったルカは、口を開いては閉じてを繰り返し、そのまま黙り込んだ。
「ルカにも教えて貰えるなら、心強いわ」
ぱっと顔を上げたルカが、硬かった表情を和らげた。ふっと息を吐いて笑う顔が、一度目のルカと重なる。
「じゃあ、また明日。おやすみ」
言い終えてすぐ踵を返したルカに、「おやすみなさい」と小さな声で返した。手にしたナイフを顔の前に持ち上げ、じっくりと眺める。鞘に施された星の彫刻に、エリシュカは「あっ」と声を上げた。滲みそうになる視界に目元を拭い、さらにナイフを見つめた。そっと引き抜いて見ると、徐々に文字が現れる。そこに書かれていたのは、『不壊の絆』だった。
ほろりと一雫の涙がこぼれ落ち、エリシュカはナイフを胸に抱いてしゃがみ込む。見つからなかった髪飾りの代わりに、星の意匠のナイフがある。絆の文字に、ルカがどんな思いを込めたのかはわからない。今のルカとは大きな距離を感じていた。それでも、変わらないものもあるのかも知れない。
呼吸を整えたエリシュカは、鞘にナイフを収めぎゅっと握りしめた。大きく息を吐き、左手の指輪をそっと抜き取る。唇を噛み締めて、その手を空にかざした。
夜空の星がその手のずっと奥に瞬いている。それはあの日より遥か遠く、どんなに伸ばしても届かない星空の夜の約束のようだった。




