2-4②
「ところでエリは、どうして旅を?」
カーヤが何気なくしてきた質問に、エリシュカは一旦手を止める。彼らはエリシュカがヴラノヴァーであることを最初から知っているのだろうか。魔女の末裔であることも。さっき名乗ったときには、どちらなのかは分からなかった。そして、何をどこまで知っているのかもエリシュカにはわからない。
「母が亡くなる前に言ってたの。十六になったら生まれ故郷へ行って洗礼をしなきゃならないって」
「一度目はみすぼらしい魔力でがっかりされたけれど」と付け足しておいた。それに何か反応があるかと窺って見るが、どちらかと言えば同情的な空気を感じる。
「それにしても一人でか?」
眉を顰めたオルダが、唸り声をあげた。
「うちには空気みたいな父親と、母が亡くなってすぐきた義母と義妹しか相談できる相手はいないのよ。誰に言っても無駄だと思わない?」
どうということもないと思いながら口にしたが、どこか不自然に突き放した言い方になってしまった。エリシュカの胸の奥に疼くトゲが、チクチクとその存在を主張する。
「ごめん、変なこと聞いちゃって」
眉を下げたカーヤに、嘘はないように見える。他の三人も気まずい表情を浮かべているが、とても作っているようには見えない。マテスやルカは上手く隠せそうだが、オルダに限っては無理だろう。エリシュカは自分の考えに、微かにこわばっていた肩の力を抜いた。
「私なら大丈夫。もう六年も前の話なのよ。どうってことないわ」
ふわりと笑みを浮かべたエリシュカに、カーヤが曖昧に頷いた。オルダが渋面を浮かべたままぐいっとグラスを煽り、マテスは遠くを見つめるようにしてから視線を皿に落とした。ルカは何か言いたげに口を開くが、何も言わずに唇を引き結ぶ。
「それにしても……エリは、二度も洗礼を受けるなんて大変だね。僕はもう二度とやりたくないよ」
軽い調子で言ったマテスは、フォークに刺した肉を頬張って口を尖らせた。その様子にカーヤとルカが苦笑する。
「お前の場合は教会のほうから断られるだろう」
「オルダ、なんて失礼なことを! エリ、聞いてくれる?」
「ええ。マテスは何をしたの?」
「話す前から僕が何かしたと思ってるの? 酷いよ、エリ」
腕を組んで眉を寄せたマテスに、エリシュカは思わずくすりと声を立てた。続きは知っている。けれど、もう一度聞くのも悪くない。
「あれは十四のときだ」
「そう言えば、マテスは今いくつなの?」
「え? ああ、僕は今年十七さ。ついでに、カーヤとルカは二人とも十八で、オルダは一番年寄りの十九だよ」
「年寄りとはなんだ!」というオルダの言葉を遮るように、カーヤが口を開く。
「私とルカは、幼馴染みたいなものだね。両親も交流があるから、子供の頃から知ってるんだ」
二人の言葉にエリシュカは「そう」と頷いた。マテスが聖水を飲んだのは、エリシュカと同じ年の洗礼だったようだ。覚えがないが、もしかしたらすれ違っていたのかもしれない。カーヤとルカの出会いにも一度目との齟齬はなく、特に嘘を吐いてる様子はない。
「いや、それより! 僕の洗礼の話を聞いてくれっ」
両手を挙げて大げさに訴えてくるマテスに、エリシュカが再び笑みを漏らす。一度目と変わらぬ洗礼の話を聞きながら、この四人を本当に信じていいのか、自問自答を繰り返した。
その後も会話を続けながら食事を進めたが、ルカの様子がやはりおかしい。一度目のように視線が合うこともないし、エリシュカを避けているようにも感じる。一度目はこの後二人で星を見た。それを思い返すとソワソワと心が浮き立ち、自然と口元に笑みが滲みそうになる。
夕食を終えると、カーヤがエリシュカに手を差し出した。
「え?」
エリシュカは思わずルカに視線を向けた。何かを考え込むようにして立ち上がったルカは、そのまま扉へ向かう。胸の奥が軋み、唇を噛み締めた。
「エリ?」
はっとして見上げると、カーヤが首を傾げている。差し出されたその手に、そっと指先を重ねると優しく導かれた。
「どうしたの?」
「いいえ、なんでもないの。ごめんなさい」
カーヤに手を引かれて、食堂の扉を潜り抜けた。使用人がエリシュカを部屋へ案内しようとしたところで、カーヤが一言二言言葉を交わすとそのまま下がっていく。
「エリ、ちょっといい?」
「何かしら?」
見上げた先のカーヤは、眉を下げて困ったような笑みを浮かべていた。
「エリの部屋に案内するよ。それで、ちょっとだけ話をしてもいいかな?」
「ええ、もちろん」
エリシュカはカーヤに手を取られて、部屋に向かって歩き出した。エリシュカのドレスに合わせて、カーヤの歩調がいつもよりもいくらか遅い。廊下の窓から見上げた窓は、内側の灯りが反射して外の様子があまり見えない。
「エリ、座って」
部屋に入ると、カーヤがエリシュカに椅子を勧めた。言われるがままに腰掛け、向かいに座ったカーヤをなんとなく眺めた。
「ずっとルカを気にしてるよね?」
「えっ」
ぱっと顔を上げたエリシュカは、一瞬にして顔に熱が集まるのを感じる。カッと熱くなり、思わず両手で頬を押さえた。トクトクと鳴り響く心臓の音が、カーヤに聞こえてしまいやしないかと落ち着かない気分になる。なんと答えればいいのか分からず、口をぱくぱくと動かしていると、カーヤが「ふふっ」と声を漏らした。
「ごめんね、エリ。そういう意味じゃなかったんだけど」
「そういう意味って、どういう意味?」
「あはは。ううん、なんでもないよ。……それより、ルカのことだけど」
思わずと言った風に笑っていたカーヤは、眉を下げ言葉を選ぶようにして口を開いた。
「ちょっと様子がおかしかったでしょう? きっとエリはそれを気にしてるんじゃないかと思ったから」
「ええ……そうね。なんだか私、嫌われてるみたいな気がして」
「そんなことないよ」
カーヤは大きく首を横に振り、少し間を置いて続けた。
「私が男の形をして騎士を名乗るようになったのは、きっかけがあったんだ」
エリシュカは首を傾げてカーヤを見つめた。
「兄に剣の訓練を拒まれてから、私は母から騎士を目指すことを禁じられた。父もそろそろまともに暮らせと言ってきた。だけど、私はどうしても諦めたくなくて」
しばらく視線を彷徨わせたカーヤは、ふっと息を吐いた。
「そんなとき、ルカが私を助けてくれたんだ」
「ルカが?」
「うん。どんな風に言ったのか、私は知らないけれど。ある日ルカがイェリーネク卿……ルカの父上とうちを訪ねてきてね。両親と何かを話してた。それから私はルカの仲間になった」
「仲間に……」
「うん」
カーヤはその時を思い出すかのように、斜め上を向きながら口を開いた。
「きっとルカがイェリーネク卿に頼んでくれたんだ。その時ルカが私に言ったんだ。『女の騎士が認められないのなら、男の格好で僕の仲間にならないか』ってね」
「それって……」
「そう。私が男の形で、男の名で騎士見習いをしてるのは、ルカのお陰なんだ」
気まずそうな笑みを浮かべたカーヤは、言い出しづらそうに続けた。
「エリがドレスを勧めてくれたとき、ルカはきっとショックだったんだ。男のように振る舞って騎士になることが、女としての私を捨てることになる。そんなことまでは、私もルカも考えていなかったんだ。ルカはただ、本心から私を助けてくれただけで」
「そう……だったのね」
エリシュカは唇を噛み締めて俯いた。カーヤのためによかれと思ってしたことが、ルカを傷付けることになってしまったのだ。ルカはきっとカーヤを男にしたかったわけではないだろう。ただ思い悩むカーヤに手を差し伸べただけで。エリシュカだって、一度目のカーヤに会わなければきっとわからなかった。十五のときから三年の月日を経て、一度もドレスに袖と通していないカーヤ。その心の内で、本当に捨ててよかったのかと悩む気持ちが芽生えるなど、その時の二人に想像できなかったのも仕方がないことだろう。
「だから、ルカはエリを避けてるわけでも、嫌ってるわけでもない。ただ、気まずいだけなんだよ。それもこれも、私が中途半端だから」
「そんなことないわっ」
ガタンと音を立てて、エリシュカが椅子から立ち上がった。カーヤは目を見開き、エリシュカを見つめたまま動かない。
「カーヤは素敵な女性騎士よ。私はカーヤがいてくれて助かってる。もしカーヤが男の人だったら、このまま旅を続けるなんて難しかったと思うわ」
「エリは、この間もそう言ってくれたよね」
「だって本当のことだもの。それに、私に剣を教えてくれてるでしょう? もし他の三人に頼んでも、教えてくれなかったと思うわ」
ぱちぱちと瞬きをしたカーヤは、考えるような仕草の後に頷いた。
「確かに……オルダは言うまでもないけど、ルカも女性に剣は教えないかもね。マテスは弓使いかだから、面白がりはするけど弓を勧めそう」
「そうだわ。マテスが教えてくれるにしても、私に弓が引けると思う?」
「ふふっ。そうだね、エリの華奢な腕じゃきっと無理だね」
「そうでしょう? だから、やっぱりカーヤじゃなきゃ駄目だったのよ。少なくとも私にとってはね」
柔らかな笑みを浮かべたカーヤが、「そっか」と呟き視線を下げた。しばらくして、噛みしめるように頷いた後、顔を上げてエリシュカを見つめた。
「ありがとう、エリ。今までもやもやしてたけど、なんだか気分が晴れたよ」
一旦言葉を切ったカーヤは、明るい表情で言葉を続ける。
「女の私であっても……ううん、私らしい騎士が何か、考えてみようと思う」
「ええ。きっとカーヤだからこそできることがあると思うわ」
「だといいな。いや、きっと見付けるよ。ありがとう、エリ」
晴れやかな笑みを浮かべたカーヤに、エリシュカも笑みで答えた。一度目に中途半端だと鼻をすすっていたカーヤは、今回の旅で見ることはないだろう。ピンと背筋を伸ばして部屋を出ていくカーヤを見送り、そっと扉を閉めた。
一つ息を吐き出してから、窓辺に向かって足を進める。分厚いカーテンに手を掛け、しばらく逡巡するが思い切って端に寄せた。窓に手を添え、ゆっくりと押し開く。ヒヤリとした夜の空気が部屋に流れ込み、エリシュカの髪をふわりと撫でた。見上げた先には満天の星空だ。見つめているうちに、じわりと視界が滲んでくる。
何か間違えたのだろうか――いいやそんなことはない。カーヤの過去を知って、またオルダと言い争った夜と同じに落ち込むカーヤを見たくはない。それに、カーヤにドレスを勧めなかったとしても、きっと同じだっただろう。今回のルカは、一度目と違ってどこか壁を感じるのだから。
左手の薬指で鈍く光る指輪は、ヒビの跡形もない。髪に手を伸ばしても、そこに髪飾りもない。一体今度の人生は、どんな結末に向かうのだろうか。エリシュカの胸の奥のトゲが、じんじんと鈍い痛みを響かせた。




