2-3①
遠方に見えていた町が徐々に近付き、先頭に出たルカが門に差し掛かる。門番と一言二言交わすと、後ろを振り向き通るように促した。門番はチラリと全員の顔を見るが、特に何か言葉をかけるわけでもない。一度目は気にならなかったが、いつも町へ入るときはルカが最初だった。不思議に思いじっと見つめていると、カーヤが声を掛けてきた。
「エリ、どうかした?」
「ルカは門番と何を話していたのかしら? どうして私たちは何も聞かれず通れるの?」
「ああ」
カーヤは納得したように頷き、言葉を続けた。
「ルカは、イェリーネク家の跡継ぎなんだ。イェリーネク家は知ってる?」
「……ごめんなさい。私、貴族の常識には疎くて」
「そう。気にすることないよ。ルカだって気にしない」
馬を止めたルカがひらりと地面に降り立ち、こちらに向かって歩いてきた。
「エリ」
流れるように差し出された両手に、エリシュカは自然と手を伸ばす。カーヤに腰を支えられ、横座りになって腰をずらした。ルカの肩に両手を乗せ、支える手を頼りにふわりと着地する。いつものようにルカを見上げると、ルカもじっとエリシュカを見下ろしていた。視線が合うと、ルカがはっとしたようにエリシュカの腰から手を離した。一歩後退ると、両手を挙げて視線を逸らす。
「突然悪かった」
「いいえ、助かったわ」
馬上で自分の両手を見つめていたカーヤが、下にいる二人と掌を交互に見比べる。三人の様子を呆然と眺めていたマテスとオルダが、正気を取り戻したように馬から降りた。
「もしかして、三人は会ったことある?」
マテスの声に、カーヤとルカが首を横に振る。
「今日会ったばかりだよ」
「僕もそうだ」
腕を組んだオルダが、「俺も会ったことはないはずなんだが」と呟き首を傾げた。
「エリは、イェリーネク家を知らないって言ってるからね。会ったことがあるなら知ってるはずだよ」
カーヤが馬を降りながら掛けた言葉に、エリシュカは曖昧に頷いた。
「ルカ、彼女が君の家を知らなくても気にしないよね?」
「ああ、もちろん。別に家名で何かが変わるわけじゃない」
「ほらね、エリ。ルカは気にしないって言ったでしょう?」
ふわりと微笑むカーヤに、エリシュカはぎこちない笑みで返す。
「二人もそうでしょう?」
「当然だ。俺は剣士のオルダ。家は代々剣士の家系だが、それで俺の何かが変わるわけじゃない」
「オルダは見るからに筋肉バカだから。家名を言おうが言うまいが、さして変わらないよね。ちなみに僕は見てのとおり、非力な弓使いのマテスだ」
「おい、筋肉バカとは誰のことだ」
「まさか自覚がないとか言わないよね? いや、返事をしたってことは自覚ありだよな」
マテスを睨んだオルダが口を開きかけたところで、ルカが割って入る。
「二人とも、そこまでだ。それぞれ得手不得手があってもいいだろ」
「まあね」
「そうだな。……いや、ルカ。その言い方だとまるで俺が頭を使えないみたいじゃないか」
「いや、そういうつもりじゃないって。参ったな」
困ったように頭を掻いたルカを見ながら、じわりと涙が滲む。繰り返しても変わらない。誰も覚えていないけれど、エリシュカだけは覚えている。
「そんなことより、さっさと食事にしようぜ。腹の虫が騒いでるし、今日は疲れて早く寝たい気分だ」
大きく欠伸をしながら腹を擦るマテスに、オルダが呆れたように肩を竦めた。
「お前はいつだって食うか寝るかだな」
「食うのも寝るのも大事なことだろう?」
「マテスの言うとおりだね。さあ、ルカ。宿を決めて食事にしよう」
カーヤの言葉に頷いたルカが、先を歩いて宿に向かう。やはりそれは初めて四人で泊まった宿と同じで、エリシュカはぎゅっと唇を噛み締めた。
旅の汚れを落とし、寝支度を整えたエリシュカは寝台に腰を降ろした。タライの水をカーヤが中庭に向かって捨てている。見慣れた背中は、やはりどうみても女のものだ。初めて見たときは、昼間と随分印象が違うと思っていた。けれど、今はなぜそう思えたのかも分からない。
「おまたせ、エリ」
「ありがとう、カーヤ」
向かい合わせに寝台に座り、カーヤが柔らかな笑みを浮かべた。
「それにしても、私が女だってよく分かったね」
「そうね……前に、カーヤによく似た人と会ったことがあるから」
「私に? そんな人が他にもいるの?」
カーヤが前のめりになり、エリシュカは思わず肩を跳ね上げた。
「ああ、驚かせてごめん。他にもいるなら、話を聞いてみたいと思ったんだ」
「ううん。あの、話を聞くのは難しいかも」
「どうして?」
首を傾げたカーヤに、エリシュカは言葉を選ぶようにして答えた。
「その人は、今はもういないの」
「あっ、ごめん」
「ううん、違うの。亡くなったわけじゃないの。だけど、もう二度と会えない人なの」
「そう……それは残念だね」
気まずそうに視線を落としたカーヤに、エリシュカは胸の奥がチクリと痛む。
「でも、とっても素敵な人だったわ」
「そっか」
俯いたまま淡く笑みを浮かべたカーヤが、少しの間を置いて口を開いた。
「私の家はね、チェルマーク家と言って、代々騎士の家系なんだ」
エリシュカに視線を合わせたカーヤは、ひとつ息を吐き出してから続けた。
「私は、子どもの頃から兄たちと剣の訓練をしてて。って、こんな話、退屈かな?」
「そんなことないっ。聞かせてくれる?」
小さく頷いたカーヤは、遠くを見つめるようにして苦い笑みを浮かべた。
「カーヤ、いいぞっ!」
ガチンガチンと金属のぶつかり合う音が、小気味良く響き渡る。兄二人が打ち合いの合間に、カーヤの方を見て明るく笑った。
「兄さまっ。わたしも、兄さまたちのように、つよくなりますっ」
「はははっ。女だからそこまで強くならなくてもいい。まあ、おかしな虫を追い払える程度になるのはいいかもな」
「がんばりますっ」
ぶんぶんと闇雲に練習用の木剣を振るカーヤに、二人の兄は笑い声を立てた。離れたところで見守る父も、特に止めることはなかった。しかし母だけは違っていた。
「カロリーナっ! 何をしているのです。早く戻っていらっしゃい」
「かあさま。でも、わたしはまだくんれんが」
「何を言ってるのですか。あなたっ、カーヤは女なのです。こんなバカげたことはすぐにお止めください」
「まあ、そう言うな。そのうちカーヤもわかるだろう。それまで見守ってやってもいいではないか」
カーヤにはその意味が分からなかった。けれど、きっとこのまま騎士を目指していいのだろうと思っていた。
ところが、カーヤが十五になった頃。上の兄が騎士になり、さらにすぐ上の兄も騎士としての資格を得たその日。
「兄様。今日もよろしくお願いします」
「はあ、カーヤ。また母上に叱られるぞ」
「でも、私は騎士になりたいのです」
「まだ言ってるのか」
兄は困ったように頭を掻き、肩を落としてため息を吐いた。
「女が騎士になどなれるはずがない。お前もわかっているだろう?」
「そんなっ! 今までずっと共に剣を交えてきたではないですかっ」
「それはそうだが」
「私の腕だって褒めてくれたのにっ」
渋面を浮かべた兄は、心底困ったように口を開いた。
「それは、まさかお前が本気で騎士になろうとしているなどとは、思っていなかったからだ」
「どういうことですかっ」
「父上も母上も、お前がある程度の年になれば分をわきまえ、淑女として振る舞うようになると思ってたんだ」
手にした木剣をぎゅっと握りしめ、カーヤは兄を見上げる。
「淑女としての教育もしっかりこなしていますっ。それでも私は騎士になりたいのです!」
「カーヤ……ならばはっきり言おう。お前に騎士は無理だ」
兄が木剣を構え、カーヤに向かって「こい」と声を掛けた。木剣を握る手にさらに力を込めたカーヤは、間合いを計って一気に踏み込む。その直後、カランと音を立ててカーヤの木剣が地面を転がった。
「うっ」
手首を押さえたカーヤに、眉を下げた兄が歩み寄る。
「分かっただろう、カーヤ。今まで手加減して調子に乗せてしまったのも悪かった。だが、お前は騎士になれるほど強くはない」
「そんなっ! これからもっと修練を積めばっ」
「カーヤ。遊びの時間はもう終わりだ」
そこまで語り終えたカーヤは、青ざめた顔で深く息を吐いた。エリシュカの脳裏を一度目のカーヤの姿が過る。それは、オルダと夜番のことで揉めていたあの夜のことだ。あと一歩で打ち合うかと思われたところで、ルカが二人を制止した。なおもオルダに詰め寄ったカーヤへ、オルダはこう言った。
『ここから先は森を進むことになるんだ。俺は休むぞ。遊びの時間はもう終わりだ』
あの後タープに戻ってきたカーヤが、どんな思いでエリシュカに声を掛けてきたのか。深い暗闇の中で響いた、カーヤの鼻を啜る音が耳の奥に蘇る。
『リシュカは素敵な騎士様って言ってくれたけど、本当の私は中途半端なんだ。華やかさへの憧れも捨てきれず、かといってオルダに勝つこともできない。がっかりさせてごめん』
カーヤの言葉があの日よりも深くエリシュカの胸を刺す。
「私の名前は、カロリーナ。騎士の格好をしてるときはカレル・チェルマークって、男名でとおしてるんだ」
「カーヤ……」
「ふふっ。おかしいでしょう? 女なのに男の名を使うなんて。エリにはすぐに見破られちゃったけど、初対面の人にはバレないものだよ」
戯けたように笑うカーヤに、エリシュカは眉を下げた。
「男の形をしてないと、騎士は名乗れない。まあ、実際は騎士見習いってことで、ルカが仲間に入れてくれたんだけどね」
「そのお陰で、私は助かったわ」
「エリを助けたのは、マテスの弓矢でしょう?」
エリシュカは首を横に振る。
「そうじゃないわ。こうやって一緒に旅をしてくれる仲間に、カーヤがいてくれた。もしカーヤが本当に男の人だった、私これから馬で相乗りなんて生きた心地がしなかったわ」
「あははっ。そっか。それなら私が騎士を目指すのも、ちょっとは意味があったのかな」
「あるわ。少なくとも、私にとってはすごく意味のあることよ」
「ならよかった」
ふわりと柔らかな笑みを浮かべたカーヤに、エリシュカの肩から力が抜ける。
他愛のない話をしながら、エリシュカはあることを思いつく。きっと反対されるだろう。けれど、カーヤならきっと叶えてくれる。他の三人がどう言おうとも、きっと。




