1-1①
ヴラノヴァー家は魔女の家。建国の祖が魔女を使って国を興し、その力が失われて王が変わった。以来、ヴラノヴァーの血を引く魔女の末裔は、王都でそれなりの地位を与えられ、保護と言う名の管理をされる立場だ。とは言え、長い時を経てその役割や存在を意識する者は、既に王家くらいなものだろう。
エリシュカは窓から見える庭を見下ろしながら、小さなため息を吐いた。眼下に広がる整えられた庭では、エリシュカの婚約者であるはずのアダムと、義妹のテレシエが楽しそうにテーブルを挟んで軽食を摘んでいる。一つの大振りな石がはめ込まれた胸元のペンダントにそっと触れ、エリシュカは再び深く息を吐いた。
エリシュカの母親が亡くなったのは、今から六年前。エリシュカはまだ十歳で、形見となったこのペンダントを貰ったばかりの頃だった。出先での事故で、突然のことに実感が湧かず、しばらく地に足のつかない思いで過ごしていた。
それから半年も待たずに、ズラタとテレシエ母子がやってきた。突然新しい母親と妹だと言われたエリシュカは、ショックでしばらくの間口がきけなかった。しかもテレシエは、エリシュカとたった数ヶ月しか誕生日が変わらなかったのだ。
庭から響く二人の笑い声が、あの日のズラタのものに変わっていく。
誰もが受ける魔力判定の洗礼式のとき、エリシュカとテレシエは共に十三だった。城の近くにある教会で、その日判定を受けた子供は十人程だった。
「さあ、テレズカ。怖がらずに手をかざしてご覧」
今まで一度も聞いたことのないような柔らかな声をした父が、目尻を下げて義妹を見つめる。愛称で呼ばれる義妹を横目に、自分をエリシュカとしか呼ばない父親にちらりと視線を投げた。
「あ、あの。でも、お姉さまが先に……」
「まあ、テレズカ。なんて優しい子なのかしら。でもいいのよ。きっとあなたのほうがいい結果なのだから、早くやって見せてちょうだい」
周囲の視線が冷たいことに、気付いていないであろう義母と父。おどおどしながらも二人に逆らえない義妹。エリシュカは既にこの三年で、すっかり諦めていた。母のように優しい声で『リシュカ』と呼んでくれる人は、もうこの世にいやしない。
左手に嵌めた指輪をそっと撫で、益々気分が重くなる。一年前に婚約したアダムも、エリシュカのことを愛称で呼ぶことはない。婚約式で儀礼的に渡された薬指の婚約指輪が、枷のように重くエリシュカの心まで縛り付ける。
「まあっ! テレズカ、とっても美しい光ね」
「ああ、素晴らしい。さすが私とズラタの娘だ」
二人の声に我に返って顔を上げると、テレシエの掌が触れた魔力測定の聖水が、淡い桃色に輝いていた。特に素晴らしい魔力ではないが、悪いわけでもない。光の強さもごく平均的だ。二人が大げさに褒めるほど凄いものではないが、アーティファクトを使うことはできる。とは言え、今となってはそのアーティファクト自体が過去の遺物で大した意味もないのだが。それでも貴族の結婚は魔力で決まり、テレシエが嫁ぎ先に苦労することはないだろう。
「エリシュカ・ヴラノヴァー嬢」
名前を呼ばれたエリシュカは、判定員に視線を向けた。無表情な男は、事務的な仕草でエリシュカを促した。
「失礼します」
エリシュカはそっと聖水に指先を浸す。ほんの少しピリッとした刺激が指に触れ、軽く眉を寄せた。
「ああ……まあ、こんなものだろうな」
「ふっ。なんてみすぼらしい魔力かしら」
クスクスとエリシュカを見て笑う義母に、周囲の視線は冷ややかだ。かと言って咎める者もいない。二人の蔑むような態度に、エリシュカは何も感じない。始めからこの二人に何かを期待しても無駄なのだから。
聖水から漏れ出すエリシュカの魔力の色は、なんとも淡い灰色だ。光も弱く、結婚する相手を探すのも困難なほどだろう。けれど、既にエリシュカの指には婚約指輪が嵌められている。上手くすれば、この婚約がなかったことにならないだろうか。エリシュカは心の底からそれを願った。
それから三年経った今も、エリシュカの婚約者はアダムで、この家での扱いも変わらない。いや、あのとき以上にズラタが当たり前のように、この家の主然とした態度を取るようになった。父親はまるで空気だし、テレシエは相変わらず両親の顔を窺っているだけだ――アダムと過ごすとき以外は。
エリシュカはぶるりと身体を震わせた。二人を見て怒っているのでも、悲しんでいるわけでもない。あの二人がどれほど睦まじく過ごしていようと、どうでもいいことだ。そんなことより、今日という日はエリシュカにとって運命の日なのだ。
なぜなら、今日は十六歳を迎えてちょうどひと月――しかも、二度目のひと月なのだから。
落ち着かない気分で眺めていた庭から、視線を部屋に移した。鏡に映る自分が目に入り、蒼白な顔にそっと指先を当てる。その手は震え、心臓がどくどくと鳴り響いている。きっと大丈夫、あれは夢だったに違いない。きっと長い夢を見ていただけだ。そう自分に言い聞かせてみるが、どうやっても心臓は大人しくなってくれない。
落ち着きなく部屋の中を歩いていると、屋敷を訪ねてきた誰かの声がする。カンカンと響くノッカーの音に、エリシュカの心音が重なった。目の前が霞みそうだが、どうにか唇を噛み締めてこらえた。
階下で誰かの話し声が聞こえ、しばらくすると数人の気配が近づいてきた。そのうち一人はズラタだ。
「まあ、あのような娘に一体どういったご用件で?」
「詳細はお教えできませんが、これは正式な依頼を受けた話です」
その声に、エリシュカの心臓は一度止まったかのような衝撃を受けた。やはり彼らがきたのだろうか。今度はどこにも行かず、ずっと屋敷で過ごしていたのに――なぜ。
「では、あの娘をどこかへ連れていって下さるのですね」
「……ええ」
体の奥から震えと共に冷たい汗が吹き出す。扉を叩く音が聞こえるが、喉が張り付き声も出せない。ゆっくりと開かれた扉から現れたのは、やはり彼らだ。
「初めまして、エリシュカ・ヴラノヴァー嬢。僕はルカーシュ・イェリーネクと申します」
エリシュカと目を合わせたルカは、ほんの一瞬息を止めた。しかしすぐに表面的な笑みを浮かべた。その後ろに見えるのは、カーヤとオルダだ。この場にマテスの姿はないが、きっと一緒に行動しているだろう。
「イェリーネク様、申し訳ございません。挨拶もできない、無作法な娘なのですわ」
真っ青な顔でペンダントを握りしめたエリシュカに、ズラタが冷めた視線を送る。エリシュカの握りしめたペンダントは、一部分を除いて美しい輝きを放っていた。
「いえ、突然訪ねてきたので驚かれているのでしょう。無作法なのはこちらの方ですが……申し訳ないが、あまり時間がありません」
ルカは、エリシュカに視線を合わせたまま言葉を続けた。
「ヴラノヴァー嬢。一緒にきていただけませんか? 事情は移動しながらお話しいたしますので」
ルカの後に立つカーヤは、やはりよそ行きの凛とした表情だ。一方オルダは、相変わらず眉間にシワを寄せ不機嫌そうな顔をしている。
そう、エリシュカが彼らに会うのは二度目だ。エリシュカの記憶には鮮明に刻まれているが、彼らはどうだろう。ついていくべきか、やめるべきか。
じんわりと掌に汗が滲み、止まない心音がエリシュカの焦燥感を煽る。
「ヴラノヴァー嬢?」
ごくりと喉を鳴らしたエリシュカは、震える声をどうにか絞り出した。
「ええ、参ります」
きっと拒否しても意味がないのだろう。ルカに、カーヤやオルダにも、エリシュカが抵抗したところで勝てやしないのだから。
「では、こちらへ」
促されるまま蒼白な顔で通り過ぎるエリシュカを、ズラタは目を細めて眺めた。鷹揚に開いた扇の下では、口の端を満足げに上げていることだろう。
エリシュカは硬い表情のまま扉を潜り、ルカの後ろをついて歩く。その後にカーヤとオルダが続いた。




