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1-7②

「町が見えてきた」


 先頭を走るルカが、軽く振り向き笑みを浮かべた。徐々に昇り始めた太陽に照らされた道が、目的地へ向けて真っ直ぐ伸びている。土煙を上げながら、四頭の馬が足を速めた。馬の足音に合わせて、エリシュカの心臓がトクトクと軽快なリズムを刻む。


 ようやく辿り着いた母の生まれ故郷は、エリシュカの生まれ故郷でもある。しかし物心付く前に王都へ移り住んだため、記憶にはない。王都と違い素朴なその町は、どこか懐かしさも感じる。


「リシュカの叔父さんの家はどの辺りかな」


 カーヤの言葉に、エリシュカは一瞬動きを止めたあと、ゆっくり首を横に振った。


「わからないわ」

「取り敢えずその辺で聞いてみようぜ」


 マテスが軽い調子で言って、馬を降りた。それを合図に全員が馬から降り、町の中を歩き出す。どこからか焼き立てのパンの香りが漂い、鶏の鳴き声が響き渡る。少し進むと石造りや厚い木造の建物が続き、屋根には煙突が並んでいた。建物はどこも煤けており、冬はきっと煙の匂いが立ち込めるのだろう。


「すまんが、ちょっといいか」


 オルダが一人の男に声を掛けた。節くれだった手に袋を抱えた中年の男が振り向いた。


「なんだ?」


 一行を目にした男は、はっとした顔でハンチングを脱いで俯いた。黒ずんだ指先が微かに震えている。


「貴族相手だからってそんなに畏まらなくていい。今はただの旅人だ」


 オルダの言葉に、男がほっとしたように肩の力を抜いた。

 

「へっ、へえ。何の御用で?」

「ヴラノヴァー家の邸を知っているか?」

「領主様のお屋敷でしたら……あの道を真っすぐ行った丘の上に」

「あのっ、ここを治めているのはヴラノヴァー家なの?」

 

 エリシュカは初めて知った事実に、戸惑いながら口を開いた。


「そ、そうです。ここいらの領主はヴラノヴァー様です」

「領主様……当主は今不在よね?」

「儂らにはようわかりませんが。当主様は王都にいなさる魔女様の末裔で。領主様は昔からその血筋の男だとか」

 

 魔女の末裔という言葉に身を硬くしたエリシュカは、皆の顔を見るのが怖くなる。そんなことを気にした様子もなく、肩越しにカーヤが男に声を掛けた。


「あなたは鉄鉱石を掘る鉱夫かな? この町は住みやすい?」

「へえ、そりゃもう。領主様は皆によくしてくださる」


 男は誇らしげに自分の黒い手に視線を落としてから続けた。

 

「貴族と言ってもおおらかで、王都から来る貴族とは偉い違いで……あっ」


 顔を青くした男は、思わず手にした帽子と紙袋を取り落とした。


「ははっ。都の貴族は確かに偉そうなやつが多いからね」


 しゃがみこんで男の荷物を拾ったルカが、軽く埃を払い男に差し出す。男はガクガクと震える手で、躊躇うように荷物を受け取った。まるで幻でも見たかのような表情でルカを見てから、慌ててその場を立ち去った。


「オルダ。余所の土地で面倒なことしないでくれよな」

「俺はまだ何もしてない」


 マテスに腕をぽんと叩かれたオルダは、口をへの字に曲げた。


「何かするつもりだったの?」


 カーヤが呆れたように尋ねると、オルダが気まずそうに口を開いた。


「一発くらいぶん殴ってやろうかと」

「だめだよオルダ。それじゃ彼の言った都の貴族と同じだぜ?」

「お前も都の貴族だろ」

「そこまでにしときなよ。ここはヴラノヴァー家の領地だ。問題を起こせばリシュカにも迷惑がかかるんだから」


 マテスとオルダの顔を見比べながら、ルカがそれぞれの胸を軽く叩いた。ルカがわざわざ荷物を拾ったのは、オルダを止めるためだったのかも知れない。


「……そうだな。すまん、リシュカ。彼はヴラノヴァー家の民だ」


 眉間にシワを寄せたまま、不機嫌そうにオルダが口を開いた。しかしエリシュカは既にわかっている。この顔でオルダは本気で悪いと思っているのだ。


「いいえ」と答えてみたが、なんだかおかしな気分になった。領地を治めているわけでもなく、まだ当主になったわけでもない。そんな自分が許すというのはおこがましい気がする。けれどそれ以上に、皆の態度が魔女の末裔と聞いても変わらないことにほっと胸をなでおろした。やはり魔女の家など、今更誰も気にしていないというのは本当なのだろう。


「リシュカ、叔父さんの家に先触れを出してみよう」


 カーヤの言葉にエリシュカはすぐに頷くことができない。叔父と会ったのは、母が亡くなったときだけだ。言葉少なで何を考えているのかもわからなかった。一緒に行きたいといったエリシュカを置いて、母の亡骸と旅立った後ろ姿が脳裏に過る。そう言えば、明日は母の命日だ。


「それより腹が減ったな。まずは町で腹ごしらえでもしようぜ」

「お前はまたそれか」


 マテスの言葉にオルダが呆れたようにため息を吐いた。エリシュカが視線を向けると、マテスが口をへの字にして肩を竦めた。きっとエリシュカの様子に気付いて話を逸らしてくれたのだろう。


「仕方ないな。まずはマテスの腹の虫を黙らせよう。そうしたら、今日は町で教会の話でも聞いてみようか」

「教会? なんだって教会なんだ?」

「洗礼というからにはきっと教会が関係してるんじゃないかな」

「なるほど……そうかもしれんな」


 ルカの言葉にオルダが怪訝な表情を浮かべるが、最後は納得したように頷いた。軽く肩を叩かれたオルダが馬を引いて歩き出し、ルカと共に先頭を歩く。カーヤがエリシュカの腰に手を添え、後に続くように促した。最後尾のマテスはエリシュカと視線が合うと、軽く片目を瞑った。そのまま五人で町の中へ足を進め、馬を預けて宿を取ることにした。


 食事を終えると、活気づいた町を歩く。行き交う人々や店の者︀らから、教会の話を聞くことにした。幾人かに話を聞くと、昔からある古い教会についても話が聞けた。魔女については特別なことが伝わっているわけではなさそうだ。今日は町の宿に泊まり、明日は叔父の家へ行くことになっている。母の命日に花を手向けるくらいは許されるだろうか。


 そんなことを考えながら歩いていると、一人の細身の男がぶつぶつ言いながら前から歩いてきた。すれ違いざまに、悪魔や魔女という呟きがエリシュカの耳を掠める。


「あのっ、ちょっと待って!」


 思わず呼び止めると、細身の男は虚ろな瞳でエリシュカを振り返った。


「どうしたの?」

「知り合いか」


 カーヤとオルダが足を止めた。少し前を歩いていたルカも振り向く。一歩先に進んでいたマテスは、エリシュカの後ろから細身の男を覗き込んだ。


「ねえ、あなた。今悪魔とか魔女って言ってたわよね?」

「……っ!」


 目を見開いた細身の男は、その言葉にガクガクと身体を震わせた。次の瞬間――。


「あああああ、悪魔っ、悪魔がっ、魔女がっ! 魔女が死ねば……あ、悪魔っ」


 頭を抱えて叫びだした細身の男は、呆気に取られた四人を余所に、慌てて走り去っていった。


「なんだあれ? リシュカの知り合い?」

「いいえ」

「ふうん? まあ、どこにでもおかしなやつはいるもんだね」


 首を傾げたマテスが、細身の男の後ろ姿を不思議そうに見つめた。他の三人も訝しげに男の後ろ姿を見送るが、気を取り直すように再び歩き出した。


 一日掛けて話を聞いてみると、古い教会が町の外れにあることがわかった。王都から離れた場所だが、思いの外潤っている。そして、領主の評判はいいようだ。これなら明日尋ねても、門前払いはされないかもしれない。そう思うと胸の奥の重さが少しだけ軽くなった。


 夕食を済ませた後、カーヤと何気ない話をしながら寝床へ潜り込む。久しぶりのまともな寝具に、エリシュカはあっという間に深い眠りに落ちた。


 ふと夜中に微かな物音が聞こえ、目を覚ますとカーヤが居ない。そっと寝床から抜け出し、何気なく窓の外を覗く。月に照らされた道端に、人影が見えた。短く伸びたその影の主は、マテスのようだ。こんな時間にどこに行くのか不思議に思うが、マテスがいなくなるのはよくあることだ。今までも、エリシュカが寝ている間にこんなことはあったのかも知れない。


 落ち着かない気分で部屋を歩き回るが、意を決して扉を開いた。そっと開いた扉の外には、暗い廊下が続いている。隣の部屋はルカとオルダ、そしてマテスの部屋だ。扉の下から明かりが漏れており、まだ皆起きているようだ。もしかしたらカーヤもあちらの部屋に居るのかもしれない。


 しばらくの間逡巡するが、一人でいるのがどうにも落ち着かない。そっと部屋の前まで行くと、中から話し声が漏れきた。皆が起きていることにホッとしたエリシュカが、扉の取手に手を伸ばした。


「やはりあの光は……」

「……魔女……」

「ヴラノヴァー……洗礼は……」


 途切れ途切れのその声に、エリシュカは伸ばしかけた手をびくりと揺らした。エリシュカのこをと話しているのは間違いないだろう。それも、わざわざ寝静まってからこっそりと。エリシュカの前ではできない話なのだろうか。そう思うと怖くて身体が固まってしまう。このまま気付かぬ風を装って部屋に入るのか、それとも立ち去るのか。


 そのとき、ボーン、ボーンと鐘の音が響いてきた。夜半の祈りの午前二時を知らせる教会の鐘が、静かな夜の町の空気を揺らす。その音と彼らの声が混ざり合い、エリシュカの頭の中で渦を巻いた。


 心臓が破裂しそうな勢いで脈打ち、思わず喉を鳴らした。声を漏らしそうな口を震える指で塞ぐ。冷えた指先は、まるで他人のもののようだ。


 ふらふらと踵を返したエリシュカは、元の部屋へ戻ろうと来た道を引き返す。そのまま扉を開こうとしたその刹那――。


「魔女っ、魔女めっ」


 どんと身体に衝撃を受けると同時に、上から男の呟きが聞こえた。それに続いてガタンと扉の開く音がする。


「リシュカっ!」


 誰かがエリシュカを呼ぶ声が聞こえる。気づけばエリシュカはぬるりとした床に倒れ込んでいた。腰の辺りが熱を持ち、さっきまでの心臓と同じように――いや、それ以上にどくどくと脈打っている。全身から力が抜け、一気に血の気が引いていく。


「リシュカっ! リシュカーーーっ」


 必死に誰かがエリシュカを呼んでいるような気がするが、どこか遠くで響いているようだ。誰の声だかわからない。目の前は暗く、頭がぼんやりしてきた。口からどろりと何かが溢れ、そのまま意識を失った。




 苦しい、苦しくてたまらない。一度目のあの日は、よくわからないまま意識が遠のいたのに。二度目の今は苦しくてたまらない。ぜえぜえと息を切らせ、エリシュカは床に爪を立てた。


 扉の外から誰かの近づいてくる足音が響いてくる。視界はぼやけ、既に瞳に映るものの形もわからない。


「おやめくださいっ」


 扉の外で誰かが言い争う声が聞こえる。ずっと遠い何処かで響いているようで、エリシュカにはもう意味をなさない。


「おい、どうなってるんだっ」

「これは一体どういうことっ?」

「いいから、そこをどいてくれっ!」


 ガタンと大きな音を立て、エリシュカのいる部屋の扉が開け放たれた。


「エリシュカっ! ……リシュカーーーっ」


 誰かが必死に叫んでいるような気がする。それはとても辛そうな――そう思うのはエリシュカのただの願望だろうか。かつてそこにあった、そして二度目の今はもう存在しない髪飾りを探して、エリシュカは自分の髪を震える指先でそっと辿った。

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