1-6②
エリシュカはビクリと身体を揺らしてから、喉を鳴らした。声の主はルカだ。ほっとしたような、それでいて少し悔しいような。何とも複雑な気分だ。
「止めるなルカ。カーヤには一度わからせたほうがいい」
「なにをっ。私が負けると決まったわけでもないのに」
「その細腕で俺に勝てるとでも?」
「私は、オルダより素早く動けるっ」
「例え一振り食らったところで、俺は倒れん。カーヤが俺の射程に入れば一撃で沈めて終わりだ」
「そんなことっ」
更に言い募ろうとするカーヤを遮るように、ルカが静かに口を開いた。
「そこまでって言っただろう? 二人とも、リシュカが起きちゃうよ」
はっとしたようにカーヤがタープを振り返るが、焚き火の明かりがギリギリ届かないこの距離なら、エリシュカの姿は暗闇に溶けていることだろう。それでも背筋にすっと汗が伝い、エリシュカはそのまま動きを止めた。
「リシュカ、ゆっくり横になって」
誰もいないはずのタープの裏から、声を潜めたマテスの声が聞こえて息を呑む。
「気付かなかったふりでやり過ごしてよ。オルダに悪気はないんだ」
エリシュカは互いに姿が見えないとわかりつつ、微かに頷き身体を倒した。
「温泉せんべいの味でも思い返して、幸せそうな寝顔でも作っといてくれよな」
マテスのような食いしん坊ではないと言いたかったが、声を出すわけにもいかずに唇を尖らせた。横になってからしばらくすると、焚き火の方からマテスの呑気な声が響いてくる。
「皆揃って何やってんの? 次の夜番は僕だろ。三人ともお役御免だからさっさと休んできなよ」
「まだ話は終わってない」
言い募るカーヤに、オルダが呆れたように息を吐いた。
「ここから先は森を進むことになるんだ。俺は休むぞ。遊びの時間はもう終わりだ」
その言葉に、カーヤがひゅっと息を呑んだ。エリシュカは目をつぶったまま、固唾を呑んで気配を窺った。ジャッジャッと重く響いたのは、恐らくオルダの足音だろう。
「カーヤ、僕らも休もう」
ルカに促され、ようやくカーヤが歩き出す。徐々にタープに近づく足取りは、どことなく弱々しい。足音が止まり、タープの中にふっと微かな吐息の音が響く。カーヤの座り込む気配がするが、そちらを見ることはできない。
「うるさくしてごめん、リシュカ」
静かな暗闇の中に、カーヤの呟くような声が零れ落ちた。エリシュカは息を呑み、身体を硬くしたまま口を引き結んだ。
「ふふっ。リシュカ、寝たフリなんかしなくていいよ。夜もずっと一緒だったんだから、リシュカが起きてることくらい私にはわかるよ」
「……カーヤ」
「リシュカは素敵な騎士様って言ってくれたけど、本当の私は中途半端なんだ。華やかさへの憧れも捨てきれず、かといってオルダに勝つこともできない。がっかりさせてごめん」
どこか諦念を含むような声音に、エリシュカは口を開こうとして逡巡する。ちょっとの間を置いて、軽く息を吸い込んでから言葉を紡いだ。
「私には本当の騎士様がどんな風かわからないわ。貴族としての常識をちゃんと持ってるわけでもないから、何が正しいのかもよくわからない。だけど」
一旦言葉を切ったエリシュカは、身体を起こしてカーヤを見つめた。薄暗いタープの中では、向かい合うカーヤの表情はぼんやりとしか見えない。
「私にとってカーヤが頼りになる騎士様なのは変わらないわ。それじゃ、いけない?」
カーヤの俯く気配がした。衣擦れの音の後に、小さく鼻をすする音がする。
「こんな私をそんな風に言ってくれるのは、きっとこの世でリシュカだけだね」
自嘲するような声音に、エリシュカは下を向く。貴族としての知識も中途半端、かといって庶民のように生活の知恵があるわけでもない。エリシュカを助けてくれた四人の仲間のように、旅の知識があるわけでもない。乗馬はもとより、相乗りすら怪しいエリシュカを一番支えてくれているのはカーヤだ。それをどう伝えたらいいのか、エリシュカにはいい言葉が浮かばない。もどかしさに唇を噛み締めるが、結局何も言うことはできなかった。
「さあ、もう寝よう。明日は森に入るからね。今までより厳しい旅になるよ」
カーヤの横たわる気配がして、エリシュカは胸元を握りしめた。結局小さな声で「おやすみなさい」と声を掛けるだけで、無理矢理瞼を閉じる。虫の声がやけに耳につき、胸の奥がぎゅっとなる。
目指す道があり、自分よりずっと大人だと思っていたカーヤが、頼りなさげに笑った声が蘇った。彼女が中途半端だというのなら、エリシュカだって同じだ。家を継ぐのは自分なのに、その家に居場所はない。魔力も中途半端な灰色で、オルダの言うとおり淑女であるとは言えない。市井で暮らすには目立つし、貴族社会でもはみ出し者だ。どっち付かずのように思っているカーヤと、どちらにも足場のないエリシュカと。どちらのほうがより中途半端なのだろうか。
思考の波がエリシュカを包み込み、暗闇に引きずり込まれそうで身震いする。そのまま目を閉じているうちに、いつの間にか深い眠りへと落ちていった。
日が昇ると共に起き出し、再び旅が始まる。エリシュカはカーヤの前に乗り、四人の様子を窺う。今まで彼らは互いに信頼し合う、気の置けない仲なのだと思っていた。ところが実際はどうだろう。どこか空気が変わるかも知れないと思っていたが、特に変化はない。
「リシュカ、あそこに野生のブルーベリーが生えてるよ」
カーヤの指さす方に視線を向けると、紫の実が木漏れ日に照らされている。
「リシュカ」
いつの間にか馬を降りていたルカが、エリシュカに手を伸ばした。カーヤに腰を支えられて横座りになったエリシュカは、ルカの肩に手を置き馬を降りる。ぱきんと足元で折れた枝の音が、静かな森の空気に溶けていった。
「この辺りは滑るから気をつけて」
ルカに手を取られて視線を落とせば、辺りを苔が埋め尽くしている。一人で歩けば気付かず転んでしまいそうだ。ゆっくり足を進めると、ブルーベリーの樹の元に辿り着く。樹に成るベリーを初めて見たエリシュカは、目を瞬き思わず顔を寄せた。
「リシュカも案外食いしん坊だな」
いつの間にかすぐ後に来ていたマテスが、からかうように口を開く。
「野生のブルーベリーなんて、そう見る機会もないだろうからな」
腕を組んでいたオルダは徐ろに実に手を伸ばし、そのまま適当にちぎって口に放り込んだ。
「近寄っても香りはわからないんじゃない?」
小さく笑いながらエリシュカの後ろから手を伸ばしたカーヤが、いくつかの実を摘んでエリシュカの方へ差し出した。その柔らかな笑みは、まるで昨日の夜のことなどなかったかのようだ。
「ありがとう」
白い粉に覆われた紫の実を、木漏れ日の下で転がす。大きさの揃わないその粒は、自分を含めた旅の仲間のように思えた。口に放り込めば、甘さと酸味が入り混じる。調和がとれているようでいて、どこか歪なような。
しばらくベリーを味わった五人は、再び馬に跨り旅路を進む。いつもどおり、マテスが誰かをからかう。オルダが眉間にシワを寄せて重い口を開く。カーヤが笑みを浮かべてエリシュカを気遣い、ルカがその場をまとめる。
針葉樹の森は、湿り気を帯びた空気がどこか重苦しい。今までならきっと四人の掛け合いを楽しみながら、どこか浮ついた気分になれただろう。けれど、何事もなかったかのように振る舞う仲間たちが、エリシュカにはどうしてかとても不自然に映る。
鳥の囀りや川のせせらぎもない、深い森の奥へ奥へと進んでいく。木々から差し込む日差しに、ところどころで苔が光っている。かと思えば、日の差さない森の奥はどこまでも続く闇のようだ。果たしてこの旅路の果ては、光に続くのか、それとも暗闇に落ちるのか。
エリシュカはこれまでの道程をただ純粋に楽しんでいた自分を振り返る。四人の助けを借りて、目的地まで何事もなく進むのだと思っていた。盤石だと思っていた四人は、実はそうではないのかも知れない。エリシュカに何かできることがあるだろうか。考えてみても何も思いつくことはない。自分のことすらままならない足手まといなのだ、きっとできることはないのだろう。
背中越しに感じるカーヤの温かさが、エリシュカの胸を一層締め付けた。




