1-6①
穏やかな日差しの中、四頭の馬の軽快な足音が響き渡る。カーヤの前に座ったエリシュカは、三つ編みに流した髪の根元をそっと撫でた。そこには祭りの日にルカから贈られた髪飾りを刺している。
背後に感じるカーヤの気配が、どことなく温かくてくすぐったい。あの夜髪飾りを眺めていると、文字が刻まれていることに気付いた。『邂逅の友』と記されたその意味は、エリシュカにはわからない。友の文字にホッとしたような、残念なような気持ちが入り混じる。ルカは祭りの記念と言っていたのだから、それ以上の意味はないのだろう。陽の光を明るくきらめく髪飾りとは裏腹に、薬指の指輪が鈍く光る。
「リシュカ、疲れてきたら教えて」
「大丈夫よ、カーヤ」
「でも、ここから先はリシュカにはきっと厳しい道程になるから」
「ええ、わかったわ」
あの夜から既に十日ほどが経ち、森に向かう道は徐々に建物が減っていた。すれ違う旅人や商人の馬車もなくなり、寂しさを増していく。
これまでいくつかの村に立ち寄りながら旅を続け、ついに森の入口が見えてきた。
「今日は森の手前で休もう」
ルカの言葉に皆が頷いた。少し開けた場所を探し、ルカとマテスが馬に水を飲ませに行く。その間にオルダとカーヤはタープを張った。
これまでの野営でも同じような光景が繰り返されているが、エリシュカは何をすればいいのかわからずいつも眺めるだけだ。何か手伝おうかと声を掛けた日もあったが、結局役に立てない。馬を引くことは出来ないし、薪を集めるのも一人では危険だ。かと言ってタープを張るにはコツと力が必要で、エリシュカの細腕では抑えることすらできなかった。
邸で出される食事は、エリシュカだけ質の落とされたものだった。それでも使用人たちはエリシュカを最低限尊重はしていた。執事も侍女長も、エリシュカが家を継ぐことを理解していたからだろう。それすら贅沢な食事であったことが、今回の旅でよくわかった。食べるのが苦痛なほどではないが、硬い干し肉はスープにしても美味しいとは言い難い。数日経ったパンも水気がすっかり抜け、口の水分を大いに奪う。スープに浸して食べたところで、味がよくなるわけでもない。けれど、一人で旅を続けていたら、こんな風に食事にありつくことすらままならなかったに違いない。エリシュカは彼らとの偶然の出会いに感謝した。
食事を終えれば、エリシュカはタープの中で休むことになる。これまでもエリシュカとカーヤはずっとタープを使っている。自分以外の四人が交代で見張りをする中で、何もせずタープを使うのは後ろめたい気分だ。しかし、初めての野営で眠れぬ夜を過ごし、カーヤに迷惑を掛けてしまった。寝不足で何度も馬上でふらつくエシュカを、カーヤは何も言わずに支えてくれた。他の三人に咎められることもなかった。それがエリシュカには大分堪えて、そのとき以来しっかり眠るようにしていた。
「リシュカ、寒くない?」
隣に寝そべるカーヤが、気遣うようにエリシュカに問いかけた。
「いいえ、大丈夫。ありがとう」
「うん。硬くて寝心地悪いと思うけど」
「ううん。私が一番贅沢な寝床だわ。文句なんて言えない」
エリシュカが軽く叩いた敷物の下には、途中の村で分けて貰った藁が敷かれていた。四人がそれぞれ運んでくれたもので、エリシュカだけが使っている。当然寝心地がいいわけではない。それでも地面よりは大分マシだ。カーヤとエリシュカだけがタープを使い、エリシュカ以外は皆地べたに敷物をしいているのだから。いくら慣れているとはいえ、きっと身体の熱を奪われていることだろう。
「私一人だったらこんな風に旅をすることなんてできなかった。皆がいてくれてよかったわ」
「そう。ならよかった」
「盗賊に襲われたとき、偶然通りがかってくれなかったら大変なことになってたわね」
「……うん、そうだね」
どことなく歯切れ悪く答えるカーヤに、エリシュカはふと首を傾げる。けれど、それ以上その話をするのも躊躇われた。またあのときのことを思い出すと、胃のムカつきに襲われそうだ。
「ねえ、これから進む森はどんなかしら」
「リシュカは母上の故郷に行ったことはないの?」
「生まれたのはあちらだけど、物心ついてからはないわ。母が亡くなったとき、叔父が引き取りにきたのだけど。私は一緒に連れていっては貰えなかったから」
「そう……」
声を落としたカーヤに、エリシュカは明るい調子で続ける。
「でも、いい機会だわ。もうすぐお母様の命日なの。だから、皆が一緒に行ってくれてよかった。きっと沢山お友達ができたって、お母様も喜ぶわ」
「そう、だといいね」
エリシュカは横になる前に外した髪飾りの行方をそっと手で辿った。枕代わりの革の鞄には、『邂逅の友』と刻まれたあの飾りが大事にしまわれている。また明日の朝には素朴に光り、エリシュカの髪を華やかに彩るのだろう。
自分で口にした『友』の言葉に、胸の奥にくすぐったさとほんの少しのざわめきを覚える。どことなく気まずそうなカーヤの様子も気に留めず、エリシュカは穏やかな笑みを浮かべて目を閉じた。
いつの間にか寝入っていたエリシュカは、誰かの咎めるような声で目を覚ました。真っ暗な中にパチパチと焚き火の音が響き、静寂が広がる。ぼんやりとする視界に、気の所為だったかと再び目を閉じようとしたそのとき。カーヤの声が聞こえてきた。
「オルダっ! どうして私じゃ駄目なんだ」
「はあ、くどいぞカーヤ。お前は女だろう」
「女だから何だって言うの」
「夜番は男の仕事だと決まってる。さっさとタープに戻れ」
ドサリと音が響き、座り込んだオルダの険しい顔を橙色の炎が照らし出す。エリシュカは起きているのを気付かれぬように、息を潜めて成り行きを見守った。
「ルカは私にも夜番をやらせてくれたのに」
「それはまだ大して危険のない場所だ。しかもマテスかルカが一緒だっただろう? カーヤ一人ではまず無理だ」
「これから森に入るなら、夜番は多いほうが役に立つよ」
腕を組んで渋面を浮かべたオルダは、深く息を吐いた。
「男は女を守るべきだ。女は黙って男に守られ、安全な場所にいればそれでいい。わざわざ危険に身を投じるなど、俺は見過ごすわけにいかん」
「私はただの女じゃないっ。子供の頃からずっと剣の稽古だって――」
「全く話にならんな」
オルダはゆっくり立ち上がり、その大きな身体でカーヤを見下ろした。エリシュカの鼓動が跳ね上がり、手にじんわりと汗が滲む。自分を助けてくれたカーヤの力になりたいが、今出ていくのも逆効果だろうか。何ができるのかもわからず、凍りついたように身体が動かない。
「リシュカだって信じられん。理由があるにせよ、一人で邸を抜け出して遠出をするなど。淑女にあるまじき蛮行だ」
「そんな言い方っ」
「それでも彼女の場合は、正当な理由があったのだし、家の事情もあるだろう。だから俺達が護衛して目的を果たせるのなら、それでいい。守られている状況での旅なら、俺だって蛮行とまでは言わん」
カーヤの握りしめた拳に、エリシュカは眉を下げた。女らしい装いをどこか切なげに見つめる瞳と、騎士でよかったと言った明るい笑顔。どちらもきっと本心なのだ。けれど、ここでエリシュカが何かを言ったとろこで、オルダの言うこともなるほど正しいのだろう。貴族の常識などろくに知らないエリシュカであっても、オルダの価値観が普通であろうことは想像に難くない。
「私のしてることが蛮行だとでも?」
「俺にはそう思える。カーヤだって淑女のように振る舞うことができんわけでもないだろう」
「それは、そうかも知れないけれど」
「そんなに納得がいかないのなら、剣で俺に勝ってみろ」
「え?」
ジャリッと砂を擦る音が響き、オルダが焚き火から距離を取る。来いとばかりに顎をしゃくるとカーヤは一瞬躊躇うが、オルダと対峙するように向かい合った。エリシュカの心臓が口から飛び出しそうなほどに鳴り響き、思わず身体を震わせた。止めなければと思うが、エリシュカが出ていったところで彼らは止まるのだろうか。
カーヤが細身の剣を抜くスラリという音が、夜の空気に溶けていく。オルダの大きな剣を抜く音が、冷たい空気を切り裂いた。互いの足元で地面が耳障りな音を立て、エリシュカの喉がひりひりと張り付く。間合いを測った二人が動き出そうとしたその刹那。
「そこまでだ」
張り詰めたような空気を切り裂くように、鋭い声が響いた。




