1-5②
早駆けから早数日。
結局あの日一番に街へ着いたのは、ルカだった。途中までカーヤの斜め後ろを走っていたが、結局最後で追い抜いたのだ。オルダは元々速さを競うのは苦手らしく、カーヤを風よけに使ってそのままついてきた。言い出しっぺのマテスは思いの外時間が掛かり、ルカが宿を取り終えたところでようやく合流した。
あの早駆けのお陰で、エリシュカは大分乗馬に慣れた。馬のリズムに合わせる感覚も大凡掴めたし、身体の力も自然に抜けた。旅も順調に進み、今日は少し大きな保養地へ向かっているのだが、先程からマテスが機嫌よく口笛を吹いている。
「楽しそうだね、リシュカ」
いつの間にか横に並んでいたルカが、笑みを浮かべて声を掛けてきた。笑っていたつもりのないエリシュカは、目を瞬かせてから口を開いた。
「マテスの間違いじゃなくて? 私が?」
「ははっ。最初はおっかなびっくり乗ってたのに、今は表情が緩んでるから」
思わず片手で頬を撫で、「そうかしら」と呟いた。
「随分肩の力も抜けて、乗り方が上手くなったからね」
頭の上からカーヤの柔らかな声が落ちてくる。
「後ろから見てても身体のふらつきが大分なくなった」
オルダがルカとは反対側の横に並んで感心したように頷いた。
「最初の街では楽しむどころじゃなかっただろうけど。この調子なら、次の街では楽しめそうだな」
半分振り向きながら、マテスが弾むような声をあげた。
「次の街で何かあるの?」
「さあね、着いてからのお楽しみだ」
エリシュカの問いにマテスが答えて前に向き直った。
一体何があるのか、期待と不安が入り混じり自然に笑みが浮かぶ。こんなに楽しい毎日はいつ以来だろう。母と過ごした日々も既に記憶に遠く、鮮明な気持ちは思い出せない。
「リシュカ、クラーロ・ヴァリの街が見えてきたよ」
遠い日々に思いを馳せていると、カーヤの声が降ってきた。いつの間にか目的地が目の前だ。王の温泉街として有名なこの街は、様々な人が集まると聞いている。エリシュカがここを訪れるのは初めてだ。旅の終着で待ち受けるものへの不安を今は頭の隅に追いやり、徐々に迫ってくる街への期待に胸が高鳴った。
ルカが先頭になり潜り抜けた門の先は、随分賑わっていた。どうやら祭りがあるようだ。早々に馬を預けて、ルカとマテスがいつもどおりに宿を確保する。
きょろきょろと物珍しげに周囲を見回すエリシュカに、オルダが不思議そうに話しかけた。
「聖人の日の祭りがそんなに珍しいのか?」
「王の街とは言っても、そう簡単に皆が訪れるってわけでもないだろ。温泉でのんびりできる人も限られてるしな」
不思議そうに首を傾げたオルダに、ルカが少し咎めるような声で返した。
「祭りなら王都でも」
「そんなことより、俺の腹の虫が騒ぎ出して力が出ない。露天で美味いものでも探そうぜ」
更に口を開いたオルダに、被せるようにマテスが言葉を発した。怪訝な顔をするオルダを余所に、ルカとマテスが歩き出す。カーヤがエリシュカの肩を軽く叩き、続くように促した。
エリシュカが最後に祭りに行ったのは、十歳のときだ。その翌月に母が亡くなった。それ以来祭りに行ったことはない。オルダ以外の三人の様子に、エリシュカは胸の奥がざらつく。気遣いを嬉しくも思うし、胸の奥にポッカリと空いた穴に触れられたようにも感じる。
一歩広場に踏み出せば、民族衣装を着た人々が行き交っている。色鮮やかな刺繍やリボンで飾られた服は、エリシュカも幼い頃母に着せてもらった覚えがあった。
様々な露店の立ち並ぶ広場には、客や売り子の声が入り混じる。パンや肉の焼ける芳ばしい香りや、つんとする香辛料の匂いが立ち込めていた。みずみずしい果物も売られており、マテスのようにお腹の虫が騒ぎ出しそうだ。
「リシュカっ! この街の名物の、温泉せんべいだよ」
マテスが差し出したのは、エリシュカの顔ほどの大きさがある丸い菓子だ。紙に包まれ半分顔を出しているが、随分と大きい。目を丸くしたエリシュカを見て、マテスが声を立てて笑った。
「ははっ。でかいけど軽くてあっという間に食べられるから試してみなよ」
おずおずと受け取り、一口齧るとサクッと音を立ててせんべいが割れた。蜂蜜の甘さの後から、くるみとせんべいの香ばしさが鼻を抜ける。どこかほっとするような素朴な味に、エリシュカは笑みを浮かべた。
「おいしい」
「だろ? ここへ来たらこれを食わなくちゃ始まらない。だけど僕の腹の虫はまだ収まりそうにないや」
マテスはそう言い残すと、人並みに消えてどこかへ行ってしまった。特に気にした様子もない三人は、エリシュカと同じようにサクサクと音を立てながら、せんべいを食べている。最後に食べ終えたエリシュカを待ってから、一行はまた露天を巡りに歩き出した。
いくつかの店で肉の挟まれたパンや飲み物を買い、歩きながら食べるのはエリシュカにとって初めての経験だ。貴族であるはずの彼らは気にした風でもなく、むしろ慣れている様子だ。
「こんな風に食事をするなんて初めてだわ」
「ああ、そうだよね。ごめん、座る場所を探せばよかったかな」
「違うのカーヤ。嫌だったわけじゃないの。ただ、なんだか不思議で」
少しの間考え込んだカーヤが、神妙な顔で口を開く。
「こんなこと、私だって家では口が割けても言えないよ。特に母なんて卒倒するに決まってるから」
「内緒にしてるの?」
「うん。ルカと一緒に何かやってるのは知ってるはずだけどね。ルカの父上がうちの両親にうまいこと言ってくれてるみたいで、今のところは黙認されてるんだ」
「そうなの」
喜ばしいことなのか、それとも嘆くべきことなのかエリシュカにはわからない。騎士見習いをやってよかったと言ったカーヤの表情に嘘は無かったと思う。けれど、華やかに着飾る女たちを見て、どこか寂しげに感じるのはエリシュカの穿った見方だろうか。
「リシュカ、あのお店は女の子たちに人気があるみたいだよ。行ってみない?」
憂いを帯びていたようだったのが嘘のように、軽やかな笑みを浮かべてカーヤがエリシュカを促す。エリシュカは少しの戸惑いを覚えながらも「ええ」と頷き、カーヤの後へ続いた。
「へえ、髪飾りか」
カーヤと商品を見ていると、後からルカが覗き込んできた。
「どれを買うの?」
エリシュカはそのうちの一つに目を留め、答えかけて首を振る。
「ううん、見るだけで満足。どれも素敵で選べないわ」
「本当にいいの?」
「ええ」
並んでいるのは貴族から見れば安物の髪飾りだ。けれど、今まで一度も自分で買い物をしたことすらない。それを知られるのもなんだか恥ずかしく、手持ちの金で何が買えるのかも実際にはよくわからないのだ。
「それより、マテスはどこに行ったのかしら?」
きょろきょろと辺りを見回したエリシュカに、オルダが肩を竦めた。
「あいつはしょっちゅうフラフラとどこかへ消えるからな。気にするだけ損だ」
「リシュカ、あっちにも女の子の好きそうなものが売ってるよ。見にいこう」
「何かしら?」
カーヤに声を掛けられ、そのままその場を後にする。いくつかの店を渡り歩くうちに、いつの間にかルカの姿が消えていることに気付いた。
日が傾きかけ、カーヤとオルダとともに宿へ戻ると、マテスは先に戻っていた。二人と共に宿へ入ると、部屋の前でルカが袋を手にして待っている。
「リシュカ、ちょっといい?」
「ええ。なにかしら?」
カーヤがちらりとルカに視線を向けて、微かに笑みを浮かべて部屋へ入った。ルカは少し強張った顔で「こっちにきて」促した。そのままついていくと、宿の中庭に辿り着く。
「これ、気に入ってたみたいだから」
「え?」
手にした袋からルカが取り出したのは、露天で見ていた髪飾りだ。星をモチーフにしたそれは、まるでルカと約束した流星群のようで――。エリシュカが露天で見ていたのは、この髪飾りだった。
「あの、でも私……」
ふと左手の薬指に嵌められた指輪が重く感じる。両手を胸の前に挙げ、そっと薬指を撫でた。
「ああ、そうか。婚約者が……いるんだっけ」
気まずそうに頭を掻いたルカが、苦い笑みを浮かべて続けた。
「これは深い意味があるものじゃないんだ。その指輪みたいにちゃんとした贈り物じゃないし、婚約者殿の気に障ることもないと思うけど」
「アダムが……婚約者が気にするなんてことはないわ。でも、いいのかしら」
「ただのお祭りの記念だから、気軽に受け取ってよ」
少しの間逡巡したエリシュカは、躊躇うように手を伸ばした。両掌に乗せられた髪飾りが鈍く光り、夜空の星が頭を過る。
「ありがとう」
「うん」
笑みを浮かべたエリシュカに、照れたように横を向いたルカが答えた。そのまま無言で部屋の前までエリシュカを送ったルカは、「じゃあ」と一言残して自分たちの部屋へと戻っていった。
「ふふっ。よかったね、リシュカ」
部屋に入ってすぐに、声をかけられ立ち止まった。胸の前で髪飾りを持ち、無意識に浮かべていた笑みが固まる。はっとして顔を上げると、カーヤがからかうような瞳でこちらを見ていた。
「こ、これはお祭りの記念でっ」
「あはは。リシュカ、私に言い訳なんかしなくていいよ。ルカとの付き合いは長いんだ。大体何を言ったかなんてわかってるから」
目を細めたカーヤを前に、エリシュカは何とも言えない表情で立ち尽くした。
「かわいい意匠だね。リシュカにとてもよく似合いそうだ」
そう言ってエリシュカの髪飾りを見つめるカーヤの表情は、やはりどこか陰りを帯びる。それでもエリシュカは上手く言葉にすることができず、胸の奥にもやもやとしたものを抱えたままカーヤとの夜を過ごした。




