海から見る街
翌日。
再びアクシスへログインしたエントの耳に、最初に届いたのは波の音だった。
視界が開く。
目の前には、昨日と同じセレスタの旧港が広がっていた。
停泊している船。
岸壁を行き交う人々。
頭上を飛ぶ海鳥。
そして、風に混じる潮の匂い。
「……やっぱ海なんだよな」
昨日あれだけ見たはずなのに、ログインしてすぐ目の前に広がる景色を見ると、まだ少しだけそう思う。
エントは周囲を見回した。
コリーとコンの姿はまだない。
昨日ログアウトする前に、今日もここで合流することは決めてある。
セブンからも、昨日送ったメッセージへの返事が来ていた。
『分かった。明日は夕方くらいに合流する』
短い。
けれど、セブンらしい。
占星術師を取ると言っていたし、そちらの用事があるのだろう。
少し待っていると、近くに人影が現れた。
「お」
コリーだ。
完全に姿が現れるなり、こちらに気づく。
「早いな」
「今来たとこ」
「俺も」
「おはようございます」
続いて聞こえた声に振り返る。
コンもログインしていた。
「おはようございます、エントさん、コリーさん」
「おはようございます、コンさん」
「おはようございます」
3人が揃う。
コリーが周囲を見回した。
「セブンは?」
「夕方くらいに合流するって」
「占星術師の方か?」
「たぶんな」
コリーが頷く。
「で、セブン来るまでどうする?」
「昨日の続きでいいんじゃないか?」
「まだ全然見てないしな」
昨日歩いたのは、まだ港の一部だけだ。
セレスタは、それだけで見終わるような街ではない。
「造船区、行ってみませんか?」
コンが言った。
「造船区?」
「はい。昨日、港を見ていて少し気になっていたので」
「ああ、船作ってるところか」
コリーがすぐに反応する。
「いいじゃん。行こうぜ」
「決まりだな」
3人は旧港を離れた。
◇
「……でっか」
造船区へ着いて最初に声を上げたのは、やはりコリーだった。
「昨日も似たようなこと言ってなかったか?」
「いや、あれ見ろって」
「……あれか」
コリーの視線を追う。
言われるまでもなく、その大きさは目に入っていた。
造船区の奥、海へ向かって伸びる大きな船台に、一隻の船が据えられている。
昨日、港で見たどの船よりも明らかに大きい。
幅のある船体はすでにほとんど形になっていて、その上には何本もの高い帆柱が立っていた。
帆はまだ張られていない。
船体の周囲には何段もの足場が組まれ、職人たちが上から下まで散らばって作業を続けている。
船台の脇にも、帆布や木材、樽、太い綱らしい資材が山のように積まれていた。
「港で見たやつと、全然違うな」
「だろ?」
コリーは得意げに言ってから、近くを通りかかった職人へ声をかけた。
「あの船、何の船ですか?」
「あれか? 遠くまで出るための大型船だよ」
職人は足を止めることなく答えた。
「詳しいことは俺も知らんが、普通の船より頑丈に造ってるらしい。もう少しで仕上げだ」
「へえ……」
コリーがもう一度、巨大な船を見上げる。
「遠くまで、か」
「かなり長く航海する船なんだろうな」
エントも船を見た。
何本もの帆柱が空へ伸びている。
完成すれば、昨日見た船とはずいぶん違う姿になりそうだった。
「すごいですね」
コンも足を止めている。
「あれだけ大きいと、造るのにもかなり時間がかかりそうです」
「もう少しで仕上げって言ってたし、結構前から作ってるんだろうな」
しばらく眺めてから、3人はさらに造船区の中へ進んだ。
少し先の別の船台では、巨大な木の骨組みが地上にむき出しのまま組み上げられている。
こちらは、まだ外板の張られていない建造途中の船だった。
その周囲にも足場が組まれ、何人もの職人が作業をしていた。
木槌を打つ音。
鋸で木を挽く音。
何かを削る音。
少し離れたところからは、金属を打つ甲高い音まで聞こえてくる。
「こうなってるんだな」
エントは足を止めた。
完成した船なら、昨日から何隻も見ている。
けれど、作っている途中の船を見るのは初めてだ。
「骨組みだけだと全然違って見えるな」
「途中なんだから当たり前だろ」
「いや、そうなんだけどさ」
骨組みだけの船体を見上げる。
昨日見た船と同じものになるとは、今の姿からではまだ想像しにくい。
「これが、昨日見たような船になるんですね」
コンも隣で見上げている。
「そう考えるとすごいですよね」
「な」
周囲には大量の木材が積まれていた。
太いもの。
長いもの。
すでに曲線へ加工されているもの。
少し離れた場所では、海から引き上げられたらしい船の船底を何人もの職人が調べている。
「あっちは修理か?」
「たぶん」
「造るだけじゃないんだな」
「そりゃ壊れるだろ、船も」
「まあな」
歩いていくと、工房らしい建物も増えていく。
木を扱う場所だけではない。
開け放たれた工房の中では炉に火が入り、職人が赤く熱した金属を叩いていた。
「鍛冶もいるのか」
「釘とか金具とか、必要なんじゃないか?」
「なるほど」
船1隻を造るだけでも、これだけ多くの仕事が必要になるらしい。
木材を運ぶ者。
削る者。
組み上げる者。
金属を加工する者。
船体へ何かを塗っている者もいる。
「こういうの見るとさ」
コリーが言った。
「ん?」
「生産職も面白そうだよな」
「ああ」
エントも頷く。
「こういうところだと、大工とかもいるのかな」
「鍛冶師もいましたし、いろいろなジョブが関わっているんじゃないでしょうか」
コンが言う。
「確かに」
しばらく職人たちの作業を眺めてから、また歩き出す。
急ぐ理由はない。
セブンが合流するのは夕方だ。
それまでは、3人で好きに街を見ればいい。
◇
造船区を出た後も、3人はセレスタを歩き続けた。
気になった店を覗き。
昨日とは違う道を選び。
坂を上がって、少し高い場所から港を眺める。
昨日もかなり歩いたのに、まだ知らない場所が次々と出てくる。
「広いな、この街」
コリーが言った。
「今さら?」
「いや、分かってたけどさ。歩くと余計に」
「全部見るのは無理そうだな」
「今日いっぱい歩いても無理だろ」
「全部見る必要もないんじゃないでしょうか」
コンが言う。
「また来られますし」
「ああ、そうか」
エントは頷いた。
一度来た街なら、転移結晶でまた来られる。
「じゃあ、また来ればいいか」
「そういうことですね」
「次来たら市場の残りな」
「まだ食うのかよ」
「次だぞ、次」
そんな話をしながら歩いているうちに、いつの間にか日が傾き始めていた。
建物の白い壁が、昼間とは少し違う色に染まっている。
海面にも、傾いた光が長く伸びていた。
「そろそろセブン来る頃か」
エントがメニューを開く。
セブンから連絡が来ていた。
『今から旧港に向かう』
「セブン、旧港に向かってるって」
「お、じゃあ戻るか」
「はい」
3人は旧港へ向かった。
◇
旧港まで戻ると、セブンはすでに来ていた。
「お待たせ」
「いや、俺らも今来たとこ」
「占星術師は?」
エントが聞く。
「取れたわよ」
「おお」
「お、取れたんだな」
コリーが言う。
「取るって言ったでしょ」
セブンはそう言うと、3人を見る。
「それより、今日は何してたの?」
「観光」
「それは分かる」
「造船区行ってきた」
「へえ」
「でっかい船作ってたぞ」
「造船区なんだから船は作ってるでしょ」
「いや、作ってる途中のやつがすごいんだって」
「はいはい」
「絶対分かってないだろ」
いつもの調子で言い合う2人を見ながら、エントは笑う。
「で」
セブンが言った。
「なんで旧港集合だったの?」
「ああ」
コリーが笑う。
「船乗るから」
「船?」
セブンが眉を上げる。
「昨日見つけたんだよ。湾の中回って、ちょっと沖まで出るやつ」
「遊覧船ですね」
コンが補足する。
「昨日はもういい時間の便がなかったから、今日乗ろうって話してたんだ」
「なるほど」
セブンが岸壁へ目を向ける。
「いいじゃない。私も乗る」
「じゃ、行こうぜ」
昨日は見送った遊覧船へ、4人で向かう。
◇
船が、ゆっくりと岸壁を離れていく。
「おお……」
コリーがすぐに船の端へ寄った。
「動いた」
「船なんだから動くだろ」
「そういう意味じゃねえよ」
エントも海を見る。
昨日は岸から眺めていた海が、今はすぐ足元にある。
船が進むたび、船べりの下で波が白く砕けていく。
風も陸にいたときより強い。
「気持ちいいですね」
コンが髪を押さえながら言う。
「ですね」
エントも頷いた。
船は旧港を離れ、湾の中を進んでいく。
少しずつ岸から距離が開く。
「あ」
コリーが街を指差した。
「あの辺、昨日いたとこじゃね?」
「市場?」
「たぶん」
「海からだと、どこ歩いてたのか全然分かんないな」
「でも、あの辺りが漁港じゃないでしょうか」
コンが指差す。
船が進むにつれ、見える範囲が広がっていく。
旧港。
漁港。
その先にも、いくつもの桟橋や倉庫が続いている。
その背後には、白や淡い黄土色の建物が斜面へ向かって幾重にも連なっている。
赤茶色の屋根。
細い道。
ところどころに見える高い建物。
昨日も今日も、その中を歩いていた。
けれど、こうして外から見るとまるで違う街のようだった。
「……でかいな」
エントが呟く。
「だろ?」
「なんでコリーが得意げなんだよ」
「俺も今思った」
「じゃあ得意げになるなよ」
船はさらに湾の外へ向かう。
前方には、2つの大きな石造りの灯台。
陸から見たときより、ずっと大きく見える。
船はその間へ向かって進んでいく。
「近くで見るとすごいですね」
コンが見上げる。
「これ、どれくらい高いんだろうな」
「知らない」
「セブンでも知らないことあるんだな」
「私を何だと思ってるのよ」
「攻略Wiki」
「殴るわよ」
「ごめん」
コリーが即座に謝る。
エントは吹き出した。
やがて船は、2つの灯台の間を抜けた。
湾の外へ出る。
目の前に広がるのは海だった。
遮るものがない。
どこまで見ても青い。
ただ、昼間とは違い、傾き始めた日の光が海面に長い筋を作っている。
「うわ……」
今度は誰の声だったのか分からなかった。
船は湾を出てから、少しだけ沖へ進む。
そして緩やかに向きを変えた。
「見てください」
コンの声に、エントも振り返る。
「……おお」
セレスタがあった。
湾を囲むように広がる街。
その入口に立つ2つの灯台。
港には無数の船。
その奥から、斜面へ向かって建物が連なっている。
白い壁は傾いた日の光を受けて淡く色づき、赤茶色の屋根がその間に幾重にも重なっていた。
昨日、街へ入ったときに見たセレスタ。
今日、歩き回ったセレスタ。
歩いていたときにはばらばらだった景色が、今は1つにつながって見える。
「すげえな」
コリーが言う。
「そうね」
セブンも街を見ている。
「これは乗って正解だったわね」
「だろ?」
「だからなんでコリーが得意げなのよ」
「見つけたの俺だから」
「昨日もそれ言ってたな」
「何の話?」
「市場で屋台見つけたときも同じこと言ってた」
「俺、こういうの見つける才能あるんじゃね?」
「ないわよ」
「即答すんな」
笑い声が風に流れていく。
エントも笑ってから、もう一度街を見る。
遠くから見るセレスタは綺麗だった。
けれど、ふと反対側が気になった。
振り返る。
そこには海がある。
街も、港も、陸地らしいものも見えない。
ただ、水平線が続いている。
どこまでも同じように続いて見える海。
その向こうは、ここからでは何も分からない。
「この先って何があるんだろうな」
エントが呟く。
「海」
隣からコリーが答えた。
「いや、それは分かってる」
「じゃあ何だよ」
「もっと先」
「知らねえ」
「だよな」
「何なんだよ」
コリーが笑う。
エントも笑った。
もう一度、水平線へ目を向ける。
どこまで続いているのかは、ここからでは分からなかった。
「そろそろ戻るみたいですよ」
コンが言った。
船がゆっくりと向きを変え始める。
エントも再びセレスタの方を向いた。
遠くに見えていた街が、少しずつ近づいてくる。
太陽は、さっきよりもさらに低い位置まで傾いていた。
海も街も、来たときとは違う色に染まり始めている。
4人を乗せた船は、夕暮れのセレスタへ向かってゆっくりと戻っていった。




