港湾都市セレスタ
海沿いの道を、4人はそのまま歩いていく。
道のすぐそばには、先ほどからずっと青い海が広がっていた。
その海を横目に歩いていくうちに、エントの目に入るものも少しずつ変わっていく。
「うわ、近くで見ると余計すげえな」
コリーが首を動かしながら言った。
港には大小さまざまな船が並んでいる。
帆を畳んで停泊しているものもあれば、今まさに岸壁へ寄ろうとしているものもある。船からは木箱や樽が次々と降ろされ、それを荷車へ積み込む者たちが忙しそうに行き交っていた。
頭上では海鳥が鳴いている。
潮の匂い。
魚の匂い。
どこかから漂ってくる、何かを焼いている香ばしい匂い。
道沿いの建物も、リュネールとはまるで違う。
白や淡い黄土色の石壁に、赤茶色の屋根。
1階部分が店になっている建物も多く、開け放たれた入口からは客と店員の声が聞こえてくる。
「人も多いですね」
コンが言う。
「だな」
エントは頷いた。
港で働くNPCに混じって、プレイヤーの姿もかなり多い。
商人らしい格好の者。
船乗りらしい装備をした者。
大きな荷物を背負って歩く者。
何人かで船の前に集まって話している者たち。
リュネールとは、行き交う人々の雰囲気まで違って見える。
「ここが旧港みたいね」
セブンが言った。
「旧港?」
「漁港とか商港とか、用途ごとに分かれてるのよ。造船区も別にあるみたい」
「港だけでそんなにあんのか」
「街自体が大きいもの。大型の商船なんかは別の方に集まってるみたいよ」
「へえ」
エントは海へ目を向けた。
ここから見えるだけでも十分すぎるほど船が多い。
それでも港全体の一部にすぎないらしい。
「じゃあ、とりあえずどうする?」
コリーが言った。
「どうするって?」
「セレスタ。見て回るんだろ?」
「ああ」
「俺、市場行ってみたい」
「早いな」
「港町まで来たんだぞ。絶対なんかうまいもんあるだろ」
「食うことしか考えてないじゃない」
セブンが呆れたように言う。
「観光だよ、観光」
「便利な言葉ね」
「コンさんは?」
コリーに聞かれ、コンは周囲を見回した。
「私も市場は気になりますね。せっかくですし、いろいろ見てみたいです」
「ほら」
「何が『ほら』なのよ」
そんなやり取りを聞きながら、エントも考える。
特に目的はない。
だからこそ、今日は好きに歩けばいい。
村へ寄ったときのようにクエストがあるわけでもない。
盗賊と戦う必要もない。
ただ知らない街を歩く。
それだけで十分だった。
「じゃあ市場行って、その後は適当に――」
「市場なら、私はあとでいいかな」
セブンが言った。
「ん?」
エントが振り向く。
「行かないの?」
「行くわよ。でも、その前に寄っておきたいところがあるの」
「どこ?」
「占星術師を取ってくる」
「占星術師?」
「サブジョブ。私、それ取ろうと思ってたの」
「ああ、サブジョブか」
言葉自体は知っている。
ジョブにメインとサブがあることくらいは、エントも知っている。
ただ、自分にはまだ関係のないものとして、詳しく調べたことはなかった。
「ここで取れるのか?」
「取れるわよ。前から知ってたし、来るって決めてから場所も調べてあるから」
「準備いいな」
「取るつもりだったんだから、それくらい調べるでしょ」
「じゃあ、セレスタでやりたかったことの1つか」
「まあね。観光もしたいけど、ここまで来たんだから先に始めておこうかなって」
なるほど。
観光とは別に、セブンにはこの街でやっておきたいことがあったらしい。
「でもサブジョブって、いつから使えるんだ?」
「40で1つ目の枠が開くの。50でもう1つ。最大2つね」
「じゃあ、40になれば取れるのか?」
「枠が開くだけ。ジョブ自体は、それぞれ条件を満たして取らないと駄目よ」
「ああ、別なのか」
「そういうこと」
「40からなのか……」
エントは自分のステータスを開いた。
《エント Lv35》
そのままパーティー情報へ切り替える。
コンはLv35。
コリーはLv38。
そして、セブンの名前の横にはLv40と表示されていた。
「セブン、もう40まで行ってたのか」
「リュネール出て、そんなに経たないうちになったわよ」
「知らなかった」
「いちいちレベル上がるたびに報告しないでしょ」
「それもそうか」
「俺も知らなかったわ」
コリーが言うと、セブンがそちらを見る。
「コリーは自分のレベルくらいしか見てないでしょ」
「そんなことないぞ」
「じゃあエントは?」
「……35」
「今見たでしょ」
「見たな」
コンが小さく笑った。
「でも、コリーも38なんだな」
エントが言う。
「おう。俺もあと2か」
「じゃあコリーも、もうすぐ1枠目か」
「そういうことね」
セブンが答えた。
「で、セブンは占星術師を取るのか」
「そう」
「魔術師と占星術師って相性いいのか?」
「いいわよ。定番の組み合わせだし」
「へえ」
「使いやすい組み合わせがあるなら、それ選べばいいでしょ」
「あー……」
妙に納得する。
「セブンらしいな」
「どういう意味?」
「いや、効率良さそうだなって」
「ならいいけど」
少しだけ不満そうな顔をする。
それを見て、コリーが笑った。
「じゃあ、今から行くの?」
「うん。場所も分かってるし、先に行ってくる」
「分かった」
「気をつけてくださいね、セブンさん」
「コンさんもね」
セブンは片手を軽く上げる。
「じゃ、また連絡する」
そう言って、港から街の中へ続く道へ歩いていった。
3人でその背中を見送る。
「……行動早えな」
コリーが呟く。
「な」
「でも、セブンさんらしいですね」
コンが言う。
「だな」
「で」
コリーが振り返った。
「市場行こうぜ」
「切り替え早いな」
「セブンはセブンでやりたいことやってんだから、俺らもやりたいことやろうぜ」
「まあ、そうだな」
「行きましょうか」
3人は旧港を離れ、漁港の方へ歩き始めた。
◇
近づくにつれて、街の雰囲気が変わっていく。
船は少し小さくなった。
代わりに、港のあちこちに網や籠が積まれている。
水揚げされた魚を運ぶ者たち。
船の上で網を片づけている漁師。
荷車いっぱいに魚を積み込み、それを押していく者。
「おお……」
コリーの声が弾む。
「なんか一気に漁港っぽくなったな」
「さっきも港だったけどな」
「雰囲気が違うだろ」
「それは分かる」
道の先から、大勢の声が聞こえてくる。
進んでいくと、やがて広い市場へ出た。
「うわ」
エントも思わず声を漏らした。
左右に店が並んでいる。
台の上には魚。
貝。
甲殻類。
乾物。
瓶詰め。
見覚えのあるものもあれば、まるで分からないものもある。
「これ普通の魚か?」
エントは足を止めた。
台の上に、大きな魚が横たわっている。
魚にしか見えない。
ただ、鱗が妙に分厚い。
しかも、ところどころ金属のような光沢を帯びている。
「たぶん?」
コリーも覗き込む。
「たぶんって」
「モンスターかもしれないだろ」
「あー」
あり得る。
隣には、エントの手のひらより大きな貝が積まれていた。
そのさらに隣には、鮮やかな青色をした小さな甲殻類。
「すごいですね」
コンも興味深そうに見ている。
「見たことのないものばかりです」
「食えるのかな」
「市場に並んでるんだから食えるだろ」
「その理屈で大丈夫か?」
「たぶん」
「たぶんかよ」
市場を歩いているだけでも、次々と知らないものが目に入る。
すべて立ち止まっていたら、いつまで経っても先へ進めそうにない。
「……なあ」
少し前を歩いていたコリーが止まった。
「何?」
「あれ」
指を差す。
道の端に、小さな屋台が出ていた。
火にかけた平たい鉄板の上で、魚の切り身を焼いている。
白い身の表面には焼き色がつき、油が弾けるたびに香ばしい匂いが漂ってくる。
「絶対うまいやつ」
「まだ見ただけだろ」
「匂いで分かる」
「すごい自信ですね」
コンが笑う。
「コンさんも食べます?」
「そうですね。せっかくですし」
「よし」
「俺の意見は?」
「食わないの?」
「食う」
「じゃあ決まり」
「聞く意味なかっただろ」
3人で屋台へ向かう。
焼き上がった魚の切り身を受け取り、その場で口へ運ぶ。
「あっつ」
思ったより熱い。
口の中で少し冷ましながら噛む。
表面は香ばしく、中の身は柔らかい。
塩気も強すぎない。
「うまっ」
思わず声が出た。
「だろ?」
「なんでお前が得意げなんだよ」
「俺が見つけたから」
「作ったのは店の人だろ」
「美味しいですね」
コンも小さく頷いている。
それから少し歩けば、今度は貝を串に刺して焼いている店。
さらに進むと、大きな鍋から湯気を立てている店。
「なあ」
「今度は何だよ」
「せっかくだし――」
「食うんだろ?」
「よく分かったな」
「分かるわ」
結局、それも食べた。
◇
「ちょっと食いすぎた」
市場を抜ける頃になって、コリーが腹を押さえた。
「お前が食おうって言ったんだろ」
「全部うまそうだったんだから仕方ない」
「まだ食べてない店いっぱいありましたけどね」
コンが言う。
「コンさん、それ言うとこいつ戻りますよ」
「戻らねえよ。今日は」
「今日は、なんだな」
エントは笑う。
クエストを受けたわけでもない。
戦ったわけでも、珍しいアイテムを手に入れたわけでもない。
ただ市場を歩いて、気になったものを見て、食べたいものを食べただけだ。
「こういうのもいいな」
エントが何気なく言う。
「何が?」
「いや。何も考えずに街歩くの」
「ああ」
コリーも周囲を見る。
「せっかくゲームなんだから、こういうのもやらないとな」
「そうですね」
コンも頷いた。
「攻略するだけじゃ、もったいないですから」
「だな」
エントは笑った。
それから3人は、来たときとは違う道を選びながら旧港の方へ戻っていった。
途中で店を覗く。
路地の向こうに海が見えれば、そちらへ寄ってみる。
坂を少し上がれば、建物の間から港を眺める。
目的地を決めて歩いているわけではない。
だから、気になった方へ行く。
それを繰り返しているうちに、最初よりはこの辺りの道も分かるようになってきた。
「あ」
旧港まで戻ってきたところで、コリーがまた何かを見つけた。
「今度は何?」
「いや、あれ」
指差した先を見る。
岸壁に、何隻かの小型船が並んでいた。
漁船とは違う。
荷物も積んでいない。
代わりに、人が乗るための座席らしきものが並んでいる。
ちょうど1隻から、何人もの客が降りてくるところだった。
「なんだろうな」
「見てくる」
「やっぱ行くのか」
コリーの後を追う。
近くに出ていた案内を確認する。
「……遊覧船?」
エントが読む。
「湾の中を回って、ちょっと沖まで出るみたいだな」
「海からセレスタを見られるんですね」
コンも案内を覗き込む。
「これ乗ろうぜ」
予想どおり、コリーが言った。
「今から?」
「行けるなら」
時刻を確認する。
だが、ちょうどいい便はもう残っていなかった。
「あー……」
コリーが露骨に残念そうな顔をする。
「明日でいいだろ」
「まあ、そうだけど」
「明日もいるんですから」
「そうだな」
コリーはもう一度船を見る。
「じゃあ明日、これ乗ろうぜ」
「俺はいいぞ」
「私も乗ってみたいです」
「決まりな」
明日の楽しみが1つ増えた。
3人は岸壁の端まで歩いていく。
目の前には港。
その先には海。
振り返れば、白や淡い黄土色の建物が斜面へ向かって連なっている。
赤茶色の屋根。
その間を縫うように続く道。
港には無数の船が浮かび、その向こうでは2つの大きな灯台が湾の入口を挟んで立っている。
「明日は船か」
コリーが言った。
「そうだな」
「楽しみですね」
コンが微笑む。
エントは、海ではなく街の方を見た。
さっきまで歩いていた場所も、ここからなら少し違って見える。
明日は、あの船で海へ出る。
そこから見れば、この街もまた違って見えるのかもしれない。
「海からだと、どんな感じなんだろうな」
「それを見に行くんだろ」
「まあな」
エントは笑う。
明日やりたいことは、もう決まった。
港を吹き抜ける風の中、3人はしばらくセレスタの街を眺めていた。
◇
「そろそろ今日は終わりにするか」
エントが言った。
「だな。俺もそろそろ落ちようと思ってた」
「私も今日はここまでにします」
コンも頷く。
セブンからは、まだ合流するという連絡は来ていない。
エントはメニューを開き、短いメッセージを送った。
『俺ら今日は落ちる。また明日な』
すぐには返事が来なかった。
「送った?」
「送った。まだ返事ないけど」
「ならいいだろ。向こうも何かやってる最中かもしれないし」
「そうだな」
3人は旧港の安全区域まで戻った。
「じゃあ、また明日な」
「おう。また明日」
「はい。また明日」
エントはメニューを開く。
ログアウトを選択すると、目の前に広がっていたセレスタの港がゆっくりと遠ざかっていく。
最後まで聞こえていたのは、波の音だった。




