海
視界が暗転する。
次いで、見慣れたログイン処理が終わり、エントの視界に光が戻った。
木の天井。
昨夜泊めてもらった、村の一室だ。
「よし」
身体を起こす。
手を握り、軽く腕を回す。
腰には長剣。左腕には中型盾。
装備も問題ない。
昨日決めていた集合時間には、まだ少し余裕がある。
窓の外を見ると、村はすでに動き始めていた。
昨日、盗賊たちを連れて戻った時の騒がしさはない。
村人が道を歩き、荷物を運んでいる。
いつもの朝。
そんな空気に戻っていた。
「さて」
今日は、またセレスタへ向かう。
部屋を出て外へ向かうと、宿の前にはすでに見慣れた姿があった。
「お、来た」
「おはよう、エント」
コリーとセブン。
少し離れたところにはコンもいる。
「おはようございます、エントさん」
「おはようございます。俺が最後?」
「ちょっとだけな」
「ならセーフ」
「何が?」
「知らん」
「適当ね」
セブンが呆れた顔をする。
4人とも装備は整っている。
出発の準備も済んでいるようだった。
「じゃあ行くか」
「その前に」
コリーが指を差す。
そちらを見ると、ロアンが歩いてくるところだった。
「皆さん」
「ロアン」
「もう出発ですか?」
「ああ。そのつもり」
「そうですか」
ロアンが少しだけ寂しそうに笑った。
昨日までずっと一緒に動いていた相手と、今日からは別の道を行く。
そう思うと、少しだけ妙な感じがした。
「本当にありがとうございました」
ロアンが頭を下げる。
「盗まれた物も戻りましたし、捕まえた盗賊たちも今のところ大人しくしています」
「逃げた1人は?」
「まだ戻ってきてはいません。村の周りはしばらく警戒します」
「そっか」
「はい。でも、あとは俺たちでやります」
そう言ったロアンの顔には、昨日までのような不安はなかった。
「皆さんはセレスタへ行くんですよね」
「そのために旅してたからな」
コリーが笑う。
「途中でだいぶ寄り道したけど」
「誰のせいかしらね」
「俺を見るなよ」
「他に誰がいるの?」
「みんな付いてきたじゃん」
「それはそうだけど」
セブンも少し笑う。
「それと、こちらが昨日の依頼の報酬です」
ロアンから依頼の報酬を受け取る。
「ありがとう」
「いえ。こちらこそ、本当に助かりました」
依頼の報酬に加えて、昨日は夕食と宿まで用意してもらっている。
「あと、これも持っていってください」
ロアンがもう1つ、包みを差し出した。
「昨日話していた、道中の食料です」
「おお、ありがとう」
エントが受け取る。
「村の人たちからです」
「助かる」
「街道へ戻ったら、そのまま南へ。昨日も話しましたけど、この先は森が減って、道も分かりやすくなります」
「海から来る風も分かるんだっけ?」
「ええ」
ロアンが頷く。
「セレスタまで行けば、嫌でも分かりますよ」
「楽しみだな」
アクシスでは、まだ一度も見たことのない海。
昨日から、それが少し気になっていた。
「じゃあ」
エントが手を上げる。
「行ってくる」
「はい。気をつけて」
「ロアンもな」
コリーも手を振る。
「また近くに来たら寄るかも」
「その時は歓迎します」
「次は盗賊なしでお願いします」
コンが笑う。
「俺もそう願ってます」
「じゃあね、ロアン」
「はい。皆さんも」
村を出る。
何度か振り返ると、ロアンはまだそこに立っていた。
最後にもう一度手を振り、エントたちは街道へ向かった。
◇
「……ほんとに減ってきたな」
エントが周囲を見回す。
村を離れ、再び南へ進み始めてからしばらく。
ロアンが言っていた通り、景色が変わっていた。
これまでは街道の左右に木々が多かった。
リュネールを出てからずっと、森や林は身近な存在だった。
だが、南へ進むにつれて木々の間隔が広がっている。
視界の先まで続く草地。
低い丘。
畑らしい土地も見える。
「空が広くなった感じするな」
「木が減ったからだろ」
コリーが答える。
「分かってるけど、そういう意味じゃなくて」
「じゃあどういう意味だよ」
「雰囲気?」
「ふわっとしたわね」
セブンが言う。
「コンさんは分かりますよね?」
「なんとなく分かります」
「ほら」
「なんとなく、ですけど」
「味方が弱い」
4人で街道を歩く。
昨日までの盗賊のことが嘘みたいに、今日は静かだった。
時々、他の旅人とすれ違う。
商人らしいNPC。
荷物を背負ったプレイヤー。
荷車。
南へ進むほど、その数も少しずつ増えているように見えた。
「セレスタが近いからかな」
「たぶんな」
コリーが前から来る荷車を見る。
大きな木箱がいくつも積まれていた。
その横を通り過ぎる。
「……ん?」
エントは鼻を動かした。
「どうしたの?」
「なんか匂わない?」
セブンも少し鼻を動かす。
「……魚?」
「だよな?」
振り返る。
通り過ぎた荷車から匂っているらしい。
「魚を運んでるんじゃないですか?」
コンが言う。
「セレスタから?」
「たぶん」
「おお」
それだけで少し実感が湧いた。
「海近いじゃん」
「魚運んでる荷車見ただけでテンション上がるのかよ」
「だって今までなかっただろ」
「まあな」
さらに進む。
しばらくすると、今度は別の荷車とすれ違った。
積まれているのは大きな袋や樽。
荷の中には、塩らしいものも混じっている。
魚とは違う海沿いの品まで見かけるようになってきた。
少しずつ近づいている。
その感じが楽しい。
街道を歩くことにした時、セブンは馬車の方が効率がいいと言っていた。
たぶん、それは正しい。
馬車に乗っていれば、もっと早く着いていた。
でも。
森が減っていくこと。
すれ違う荷物が変わっていくこと。
景色が少しずつ違っていくこと。
歩いているからこそ気づくものもある。
「こういうの、歩いてると分かるな」
エントが言う。
「何が?」
「街が近づいてる感じ」
「ああ」
セブンも周囲を見る。
「まあ……こういうのを見るなら、悪くなかったんじゃない?」
「お」
「何よ」
「セブンが認めた」
「別に最初から絶対嫌だとは言ってないでしょ」
「そうだっけ?」
「そうよ」
「俺も歩きでよかったと思うぞ」
コリーが言う。
「寄り道もできたしな」
「お前は最初からそっち側だっただろ」
「途中からな」
「私は皆さんと一緒なら、どちらでも」
「コンさんが一番強い」
「何がですか?」
「適応力」
「そうでしょうか?」
コンが笑う。
その時、
「……あ」
コンが空を見た。
「どうしました?」
「あの鳥」
指差した先。
白っぽい鳥が何羽か飛んでいる。
街道の上を横切り、そのまま南の方角へ飛んでいく。
「今まであんなのいたっけ?」
「見てない気がする」
「海鳥じゃない?」
セブンが言った。
「海鳥?」
「たぶんだけど」
エントは飛んでいく鳥を目で追った。
南へ。
自分たちが向かっているのと同じ方角。
「……ほんとに近いんだな」
まだ海は見えない。
それでも。
魚。
塩。
鳥。
風。
「ん?」
エントは足を止めた。
「今度は何?」
「いや」
息を吸う。
さっきまでとは少し違う。
上手く説明できない。
「……潮の匂い?」
コンも気づいたらしい。
「しますね。少し」
「やっぱこれ潮の匂いだよな」
「だな」
コリーも風の来る方角を見る。
「ゲームの中でもちゃんとするんだな」
「そりゃするでしょ。味も匂いもあるんだから」
「そうだけどさ」
エントはもう一度息を吸う。
知っているはずの匂いなのに、この世界で感じると少し違って思えた。
「なんか、急に海が近くなった感じするな」
「さっきからずっと近づいてるけどね」
「分かってるよ」
「早く行きましょう」
コンが少し楽しそうに言う。
「だな」
また歩き出す。
風が吹く。
さっきよりも、その匂いがはっきり分かる気がした。
◇
人が増えた。
それが最初に感じた変化だった。
「うわ、多いな」
街道を行き交う人。
荷車。
馬車。
プレイヤー。
NPC。
南へ向かう者もいれば、北へ向かう者もいる。
荷物の種類も様々だった。
魚。
木箱。
樽。
布。
見たことのない道具。
その向こう。
建物が見えてくる。
「セレスタ?」
「だろうな」
コリーが答える。
さらに進む。
建物の数が増えていく。
白や淡い黄土色の石造りの建物が並び、その上には赤茶色の屋根が続いている。
「リュネールと全然違うな」
エントは周囲を見回した。
リュネールは木が多かった。
建物も、街そのものも、森の中にあるような印象が強い。
ここは違う。
明るい色の石造りの建物が並び、その間を潮の匂いを含んだ風が抜けていく。
まだ海はほとんど見えていない。
それでも、リュネールとはまるで違う場所へ来たことが分かった。
「街の雰囲気が全然違いますね」
コンが言った。
「同じ大陸でもこんなに変わるんだな」
「港町なんだから、そりゃ変わるでしょ」
「それでも実際に来ると違うって」
「それは分かるけど」
街へ入る。
道は少しずつ下っていた。
人の声。
荷車の音。
どこか遠くから響く鐘。
知らない街。
それだけでエントの視線は忙しく動いた。
「あっち何だろ」
「明日見れば?」
「まだ着いたばっかだぞ」
「だからよ。今日全部見ようとしないで」
「全部見るとは言ってない」
「顔が言ってる」
「顔で分かるの?」
「分かるわよ」
「エントだしな」
「どういう意味だよ」
エントは周囲を見回してから、坂道の先へ目を向けた。
「とりあえず港の方行ってみる?」
「せっかく来たんだしな」
「そうですね。海も見てみたいです」
「じゃあ、そっちでいいんじゃない?」
4人はそのまま、海のある方へ坂を下っていく。
建物の間を進む。
そして、
「……ん?」
エントの足が止まった。
建物と建物の隙間。
遠くに。
青いものが見えた。
「今、なんか見えた」
「何?」
「あそこ」
指を差す。
3人も見る。
白い石壁。
赤茶色の屋根。
その隙間。
青。
「海ですね」
コンが呟いた。
「だな」
「おお……」
エントは思わず声を漏らした。
「まだちょっとしか見えてないでしょ」
セブンはそう言うが、その視線も同じ場所へ向いたままだった。
「行こうぜ」
コリーが笑う。
「ここまで来たんだから」
4人は坂を下っていく。
少し進むたびに、青が見える。
消える。
また見える。
建物の向こう。
道の先。
屋根の間。
そして、潮の匂いが強くなる。
人の声も増えていく。
魚を運ぶ者。
荷を担ぐ者。
太い縄を肩に掛けた男。
船乗りらしい格好のNPC。
「ほんとに港町だな」
「まだ港見てないけどね」
「もう分かるだろ」
道を曲がる。
さらに下る。
その先。
建物が途切れた。
「――うわ」
エントは足を止めた。
視界が、一気に開いた。
青。
最初に目へ入ったのは、それだった。
巨大な湾。
その水面には、数えきれないほどの船が浮かんでいる。
小さな船。
帆を張った船。
遠くには、もっと大きな船も見える。
岸沿いには石造りの建物が並び、人が行き交っている。
帆。
縄。
積み荷。
荷車。
湾の入口には、離れて立つ2基の大きな石造灯台。
そして、
そのさらに向こう。
湾の出口から先にも、青は続いていた。
「……すげえ」
エントはそれしか言えなかった。
ラティス湖も大きかった。
だが、その向こうには岸があった。
目の前の青には、それがない。
湾の向こう。
船の向こう。
灯台の向こう。
ずっと先まで水面が続いている。
空と海の境目。
一本の線のように見える場所まで。
「でかいな……」
隣でコリーが呟いた。
しばらく海を見たあと、その視線が湾に浮かぶ船へ移る。
「なあ。あの船、乗れるよな?」
「たぶん乗れるんじゃない?」
エントが答える。
「乗ってみたいな」
「早いわよ」
セブンが言う。
「まだ街に着いたばっかりでしょ」
「でも乗りたいだろ?」
「それは……まあ、分かるけど」
セブンはそう答えながら、海よりも港の方へ視線を動かした。
「……船、多すぎない? あれ、灯台よね?」
「2つありますね」
コンが答える。
そのコンは、港だけではなく、その向こうまで広がる景色を見ていた。
青い海。
その上に広がる空。
湾を行き交う船。
海を囲むように続く、白や淡い黄土色の街並み。
「綺麗ですね……」
小さく呟く。
「いろいろ見て回りたいですね」
「ああ、それいいな」
「まずは街からだな」
「だから、今日全部見ようとしないでって」
「まだ何も見てないじゃん」
「今から増えそうだから言ってるのよ」
エントは3人の会話を聞きながら、もう一度海へ目を向けた。
海そのものが珍しいわけじゃない。
それでも、自分たちの足でこの世界を歩いて辿り着いた景色は、見慣れた海とはまるで違って感じた。
エントは水平線を見る。
空と海の境目を、しばらく眺める。
「……この先って何があるんだろうな」
ぽつりと口から出た。
「さあな」
コリーが答える。
「海でしょ」
セブンが言う。
「そういう意味じゃなくて」
「分かってるわよ」
「何があるんでしょうね」
コンが言った。
誰も答えは知らない。
それでいい気がした。
エントはもう一度、海を見る。
ここへ来るまでに。
街道を歩いた。
森を抜けた。
変な建物を見つけた。
村へ寄った。
盗賊とも戦った。
予定していなかったことばかりだった。
それでも。
全部通って、ここまで来た。
「……歩いてきてよかったな」
「今度はそれ?」
セブンが言う。
「今だから思ったんだよ」
「はいはい」
「雑だな」
「でも」
セブンも海を見る。
「まあ、それは分かるわ」
「だろ?」
「調子に乗らない」
「なんでだよ」
コリーが笑う。
コンも笑った。
目の前には、まだ歩いていない街がある。
市場も。
店も。
知らない場所も、きっといくらでもある。
「よし」
エントは海から街へ視線を戻した。
「セレスタ、楽しもうぜ」
「おう」
「もちろん」
「はい」
4人は再び歩き出す。
その横には、どこまでも続く青い海が広がっていた。




