初戦闘
リュネールの門を抜け、エントは何気なくマップを開いた。
「……何もないんだけど」
森林都市リュネール。
そこから伸びる街道と、その周辺。
表示されているのはそれくらいで、少し離れれば地図にはほとんど何も描かれていない。
「行ってないからな」
「自分で埋めるの?」
「そう」
「いいな、それ」
エントは顔を上げた。
目の前には、街道を包み込むように森が広がっている。
巨大な木々の間から差し込む陽光。
風に揺れる葉。
奥へ行けば行くほど木々が重なり、その先は見通せない。
マップには何もない。
けれど実際には、確かに何かがある。
「薬草探すんだろ?」
「ああ」
「この辺から森入れば見つかるぞ」
「結局教えてくれるんじゃん」
「森にあることはもう教えただろ」
「確かに」
エントが街道を外れようとする。
「待った」
「何?」
「お前、スキル確認した?」
「スキル?」
コリーが足を止めた。
「……その反応は見てねえな」
「まだ」
「じゃあ先に見ろ」
「今?」
「戦う前に見ないでいつ見るんだよ」
「戦いながら?」
「死にたい?」
「見ます」
エントは素直にメニューを開いた。
ステータス。
装備。
インベントリ。
マップ。
その中から目的の項目を見つける。
《SKILL》
「これか」
選択すると、新しいウィンドウが表示された。
《所持スキル》
《スラッシュ Lv1》
《ガード Lv1》
「2つ?」
「長剣と盾ならな」
「装備で変わるの?」
「最初に選んだ装備で、基本スキルが変わる」
「なるほど」
エントは《スラッシュ》へ触れた。
《スラッシュ Lv1》
《剣系基本攻撃スキル》
《消費STM:5》
《剣による斬撃を行う》
「普通だな」
「最初から必殺技でも欲しかった?」
「ちょっと」
「Lv1だぞ」
「夢くらい見させろよ」
続いて《ガード》を開く。
《ガード Lv1》
《盾系基本防御スキル》
《消費STM:3》
《盾による防御動作を補助する》
「こっちはガード」
「見れば分かる」
「名前そのままだな」
「基本スキルだからな」
エントは2つの説明を見比べた。
「これ、冒険者のスキルじゃないんだよな?」
「違う。初期装備でもらったやつ」
「じゃあ武器変えたら?」
「対応したスキル持ってれば使える」
「持ってなかったら?」
「覚えろ」
「どうやって?」
「それは自分で探せ」
「出たよ」
「攻略情報いらないんだろ?」
「便利な言葉みたいに使うなよ」
コリーが笑う。
エントは《スラッシュ》の説明へ視線を戻した。
「STM5か」
現在のSTMは110。
「ってことは、単純に考えたら22回――」
「使えないぞ」
「何で?」
「走ったり、避けたり、普通に剣振ったりしてもSTM使うから」
「あ、そっちでも減るのか」
「身体動かしてんだからな」
「じゃあ、スキル使うとさらに減る?」
「そういうこと」
「なるほど」
エントは説明を閉じる。
「魔法ならMP?」
「基本はな」
「基本?」
「魔法だけならMP。身体使う技ならSTM。両方使うようなのは両方減る」
「分かりやすいな」
魔法を使うならMP。
身体を使うならSTM。
その両方なら、両方。
今はそれだけ覚えておけばよさそうだ。
「で、どうやってスキル使うの?」
「使おうと思えば分かる」
「また雑な説明を」
「やれば分かるって」
「じゃあ今やる」
エントは腰の長剣を抜いた。
シャッ、と軽い音が鳴る。
初めて鞘から抜いた剣。
右手にずしりと重さを感じる。
「……思ったより重いな」
「そりゃ剣だからな」
「ゲームなら軽くしてくれてもいいだろ」
「STR上げれば多少マシになるぞ」
「そういうところもステータスなんだな」
試しに構えてみる。
正しい剣の構えなど知らない。
両足を開き、盾を前へ。
右手の剣を少し後ろへ引く。
たぶん、こんな感じだ。
「……それ構え?」
「多分」
「剣道とかやってなかったっけ?」
「サッカー部だよ」
「知ってる」
「じゃあ聞くな」
コリーを無視し、剣へ意識を向ける。
そして念じた。
《スラッシュ》。
その瞬間。
「――おっ」
右足が前へ出た。
腰が回る。
腕だけで振ろうとしていた剣に、身体全体の動きがつながっていく。
ヒュッ。
刃が斜めに空を切った。
「……おお」
エントは剣を見る。
「今の、補正入った?」
「分かった?」
「なんとなく」
自分で振った。
その感覚は間違いなくある。
だが、踏み込みや腰の回転が、意識した以上に綺麗につながった。
身体を勝手に動かされたというより、自分の動きを正しい方向へ導かれたような感覚だった。
「便利だな」
「スキルだからな」
「普通に振るのとは全然違う」
エントは今度はスキルを使わず、剣を振ってみる。
横薙ぎ。
振り下ろし。
突き。
途端に動きがぎこちなくなる。
「……分かりやすいな」
「素人とスキルの差が?」
「うるせえ」
「間違ってないだろ」
通常の身体操作。
スキルによる動作補助。
実際に使ってみると、その違いはかなり大きい。
「普通に振っても攻撃にはなるんだよな?」
「なる」
「じゃあ、全部スキルで戦う必要はない?」
「ない。っていうかSTM切れるぞ」
「なるほど」
通常攻撃。
スキル。
防御。
回避。
どれをどのタイミングで使うか。
「面白そう」
「まだ素振りしかしてねえぞ」
「だから試したいんだよ」
「はいはい」
コリーが森へ視線を向けた。
「そのうち来るだろ」
「何が?」
ガサッ。
少し離れた茂みが揺れた。
「……これ?」
「たぶんな」
エントが振り返る。
ガサガサと葉を押し分けて、小さな生き物が姿を現した。
「……ウサギ?」
灰色の毛。
長い耳。
丸みを帯びた身体。
見た目だけならウサギに近い。
ただし、その額からは短く鋭い角が1本伸びていた。
生き物がこちらを向く。
頭上に文字が表示される。
《ホーンラビット Lv1》
「初戦闘にはちょうどいいな」
コリーが言う。
「弱い?」
「初心者向け」
「じゃあ楽勝?」
「そう思うならやってみれば?」
「その言い方怖いんだけど」
ホーンラビットが身を低くする。
エントは剣を握り直した。
「俺だけ?」
「俺が攻撃したら一瞬で終わるぞ」
「レベル差あるもんな」
「危なくなったら助ける」
「それまでは?」
「見てる」
「いいご身分だな」
左腕の盾を前へ出す。
右手に剣。
さっきよりは、それらしい構えになった気がする。
ホーンラビットの後ろ脚に力が入る。
次の瞬間。
「速っ――」
地面を蹴った。
真正面から、角をこちらへ向けて突っ込んでくる。
エントは横へ跳んだ。
――つもりだった。
「うおっ!」
身体が予想以上に動く。
勢い余って体勢を崩した。
ホーンラビットがすぐ横を通り抜けていく。
「危なっ」
「現実と同じつもりで動くなよ」
「先に言え!」
「ステータスあるゲームだぞ!」
「分かってても身体は分かってねえんだよ!」
現実の駿と、今のエント。
見た目こそほとんど同じだが、身体能力まで同じではない。
頭では理解していても、感覚がまだ追いついていなかった。
「もう来るぞ」
「分かってる!」
ホーンラビットが向きを変える。
再び身を低くした。
今度は動きすぎない。
エントは相手を見る。
距離。
向き。
踏み込み。
高校まで何度も見てきた、相手が動き出す直前の感覚。
競技は違う。
相手も人間ですらない。
それでも、動き出す瞬間を見ることくらいはできる。
来る。
ホーンラビットが跳んだ。
「っ!」
今度は小さく右へ動く。
角が身体の横を抜ける。
「そこ!」
剣を振った。
空振り。
「……あ」
「避けるので精一杯だな」
「剣難しいな!」
「初めてなんだから当たり前だろ」
「急に優しいな」
「事実言っただけ」
避けることに意識を使いすぎた。
剣を振る頃には、ホーンラビットは通り過ぎている。
エントは剣を握り直す。
「次はスキル使う」
「やってみろ」
ホーンラビットが3度目の突進態勢に入る。
エントは盾を構えた。
地面を蹴る。
真正面から迫る角。
ぎりぎりまで引きつけ――。
《ガード》
左腕が動く。
盾の角度がわずかに変わった。
直後。
ガンッ!
「うおっ!」
重い衝撃が左腕を伝った。
身体が後ろへ押される。
痛い。
――いや、痛いというより重い。
腕全体を強く押し込まれたような感覚。
それでも盾は弾かれなかった。
ホーンラビットの身体が逆に押し返され、地面へ落ちる。
「止まった!」
「今だ!」
コリーの声。
エントは右手に意識を集中した。
《スラッシュ》
右足が踏み込む。
腰が回る。
剣が走った。
ザシュッ!
刃がホーンラビットの身体を捉える。
「――っ」
手に感触が返ってきた。
肉を斬ったというほど生々しくはない。
それでも、何かへ刃が食い込んだ感覚は確かにある。
ホーンラビットが地面を転がった。
そして、その身体が光の粒へ変わっていく。
《ホーンラビット Lv1を討伐しました》
《EXPを獲得しました》
「……倒した」
「初討伐おめでとう」
「なんか軽いな」
「じゃあ拍手する?」
「いらん」
エントは消えていく光を眺めた。
さっきまで目の前を動き回っていたものが、跡形もなく消えていく。
現実そのものに思える世界で、こういう瞬間だけはゲームなのだと分かる。
「どうだった?」
「難しい」
「だろうな」
「でも――」
エントは長剣を見る。
「面白い」
「だろ?」
コリーが笑った。
エントは自分のHPを確認する。
「HP減ってない」
「今回はちゃんと盾で受けられたからな。相手も弱いし」
「毎回で受ければいい?」
「無理」
「即答」
「強い攻撃ならダメージ通るし、盾ごと弾かれることもある。避けた方がいい攻撃もある」
「じゃあ見極めろってこと?」
「そういうこと」
「なるほど」
全部避ければいいわけでもない。
全部盾で受ければいいわけでもない。
通常攻撃とスキル。
回避と防御。
相手によって使い分ける必要がある。
「覚えること多いな」
「まだ始めたばっかだぞ」
「だから面白いんだろ」
エントは長剣を鞘へ戻した。
「で」
「何?」
「薬草」
「ああ」
コリーが何でもないように、エントの足元を指差した。
「そこ」
「……これ?」
しゃがみ込む。
そこには細長い葉を何枚も伸ばした植物が生えていた。
意識を向ける。
《薬草》
「普通に生えてんじゃん」
「だから見れば分かるって言っただろ」
「戦うのに夢中で見てなかった」
「目的忘れんなよ」
「覚えてたよ。今思い出した」
「それ忘れてたって言うんだよ」
エントは薬草へ手を伸ばす。
根元近くを掴み、引き抜いた。
《薬草を採取しました》
《依頼進行:薬草 1/5》
「1個」
「あと4個」
「この辺探せばある?」
「ある」
「じゃ、探すか」
◇
その後も、エントは森の中を歩きながら薬草を探した。
途中、何度かホーンラビットとも遭遇した。
最初ほど慌てることはなくなった。
突進を見て、避ける。
隙を見つけて、剣を振る。
だが――。
「また外した!」
「避けるのは上手くなったな」
「剣も褒めろ」
「当たってからな」
「くそ……」
ゲームの身体には少しずつ慣れてきた。
それでも、動いている相手へ剣を当てるのは難しい。
スキルなら動作を補助してくれる。
だが、自分で振ればそうはいかない。
それからしばらくして。
再びホーンラビットが茂みから飛び出した。
身を低くする。
エントは相手の動きを見る。
突進。
真正面。
ぎりぎりまで待つ。
今度は大きく跳ばない。
半歩だけ横へ。
角がすぐ脇を通り過ぎる。
同時に、右足を踏み込んだ。
「そこ!」
身体を回す。
剣を振る。
ザッ。
刃がホーンラビットの身体を捉えた。
「お」
エント自身が一番驚いた。
「当たった」
「今のいいじゃん」
「だろ?」
「調子乗んな。まだウサギだぞ」
「一言余計なんだよ」
それでもエントの口元は緩んでいた。
今の攻撃にはスキルを使っていない。
自分で見て。
自分で避けて。
自分で振った。
それが当たった。
「もう1回――」
「薬草」
「分かってるよ」
「絶対忘れてただろ」
「今回は覚えてた」
再び探索へ戻る。
やがて――。
《薬草を採取しました》
《依頼進行:薬草 5/5》
《依頼条件を達成しました》
「終わった」
エントは立ち上がった。
「じゃあ帰るか」
「もう?」
「依頼終わっただろ」
「そうだけど」
エントは周囲を見る。
街道から少し外れただけ。
森はまだ奥へ続いている。
マップを開く。
自分たちが歩いた場所だけが、ほんの少し表示されるようになっていた。
その先には、まだ何も描かれていない。
「せっかく外出たんだし、もうちょい見てこうぜ」
「……お前、初日だよな?」
「だからだろ」
「薬草取りに来たんじゃなかったの?」
「取ったじゃん」
「帰って納品するまでが依頼だぞ」
「じゃあ、その前にちょっとだけ」
「その『ちょっと』信用できねえな」
エントは笑った。
「行こうぜ」
「どこに?」
「とりあえず――」
まだ地図に何も描かれていない方向を見る。
「あっち」
「理由は?」
「行ってないから」
「……はいはい」
呆れたように言いながらも、コリーはついてくる。
エントは未完成のマップを閉じた。
そして、まだ知らない森の奥へ足を向けた。




