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地図にない場所

 濡れた石段を、エントは慎重に降りていった。

 ついさっきまで水に沈んでいた石段には、まだ薄く水が残っている。足を置くたびに、小さな水音が響いた。

 階段は思ったよりも長かった。

「結構下まで続いてるな」

「さっきまで水の底だったんだろ、ここ」

 後ろからコリーの声が返ってくる。

 石壁には、はっきりと水に浸かっていた跡が残っていた。上部と下部で色が違い、下側には黒ずんだ汚れや苔が張り付いている。

「足元、滑るから気をつけて」

 セブンの声に、コンが小さく頷いた。

「はい」

 さらに数段。

 やがて階段が終わり、細い通路へと出た。

 エントは足を止める。

「……ここも旧水路の一部っぽいな」

 壁も床も、これまで歩いてきた《ラティス旧水路》と同じ石造りだ。

 ただ、雰囲気は少し違う。

 天井は低く、壁際には太い金属製の配管が何本も走っている。ところどころ錆びてはいるものの、完全に崩れているわけではない。

 床の中央には細い溝があり、残った水がゆっくりと奥へ流れていた。

「作業用の通路か何か?」

 コリーが言う。

「かもしれない」

 エントは壁際の配管へ目を向けた。

 さっきまで通っていた区画よりも、設備を点検したり整備したりするための場所という感じが強い。

「とりあえず進む?」

 セブンが魔導書を構え直した。

「そうだな」

 エントも剣を抜く。

 ここから先に何があるのか分からない。

 自然と歩く速度が少し落ちた。

 エントが前を見て、その少し後ろからコリーが通路の奥や配管へ視線を走らせる。

 しばらく進んだところで、コリーが突然足を止めた。

「待った」

 エントもすぐに止まる。

「何かいた?」

「今、あそこ動いた」

 コリーが指した先には、壁際に口を開けた太い排水管がある。

 暗い。

 中までは見えない。

 エントは盾を前へ出した。

 次の瞬間、

 水音とともに、細長い何かが飛び出した。

「っ!」

 盾を上げる。

 硬いものがぶつかり、甲高い音が響いた。

 弾かれた生物が床へ落ちる。

 細長い体。

 濡れた青灰色の皮膚。

 魚に似ているが、胴体は蛇のように長く、胸元には小さなヒレのような器官がついている。

《ダクトイール Lv23》

「知らないやつだな」

「俺も初めて見た」

 コリーが弓を構える。

 ダクトイールが体をくねらせ、再び跳ねた。

 だが、今度は動きが見えている。

 エントは盾を傾け、その軌道を逸らした。

「そこ!」

 弦が鳴る。

 コリーの矢が胴体を射抜いた。

 床へ落ちたダクトイールが一度大きく跳ね、そのまま光の粒へ変わって消えていく。

「……思ったより弱かったな」

「不意打ちが厄介なだけっぽいな」

 コリーが先ほどの排水管を見る。

「排水管には気をつけた方がよさそうですね」

 コンも管の奥を覗き込んだ。

「そうですね」

 エントも頷く。

「他にもいるかもしれないし」

「前だけ見て歩かない方がよさそうね」

 セブンの言葉に、エントは頷いた。

 今度は排水管にも注意を向けながら、4人は先へ進んだ。

 同じような通路がしばらく続く。

 途中には、小さな部屋もあった。

 壁際には壊れた棚。

 床には朽ちた木箱。

 奥には錆びた工具らしきものまで残されている。

「やっぱり、ここ管理用の区画だったんじゃない?」

 セブンが室内を見回した。

「俺もそんな感じする」

 エントは壁に残った金属製の器具を眺める。

 何に使うものなのかまでは分からない。

 ただ、水を流すためだけの通路ではなかったことは確かそうだった。

「あの……」

 コンの声がした。

 振り向くと、コンが部屋の隅にしゃがみ込んでいる。

「どうしました?」

「これ、見たことあります?」

 指先の少し先。

 石壁と床の境目に、濃い青緑色の苔が生えていた。

 エントも近づく。

 普通の苔よりも色が深い。

 表面には水滴がまとわりつき、見る角度によってわずかに青く見えた。

「いや、ないですね」

「俺も知らねえな」

 コリーも覗き込む。

「採れそうです」

 コンがそっと苔へ触れ、その一部を慎重に採取する。

 手の中に小さな素材アイテムが残った。

《深水苔》 R

 長期間、水中に沈んだ石材などに繁殖する苔。

 薬品・錬金素材として利用される。

「あ、Rですね」

 コンが少し嬉しそうに言った。

「お、当たりじゃん」

 コリーが壁際へ目を向ける。

「他にもあるんじゃね?」

「探してみます?」

「せっかくだし、採っていこうぜ」

 周囲を見てみると、同じ苔は部屋の隅や水の残った壁際にいくつか生えていた。

 量は多くない。

 4人は周囲を警戒しながら、見つけた分だけ採取していく。

「こういうの見つかると、ちょっと嬉しいな」

 エントが《深水苔》をインベントリへ入れる。

「分かります」

 コンも頷いた。

「こういうの、自分たちで見つけると嬉しいですね」

「だよな」

「でも、苔探しに夢中になって後ろから襲われないでよ」

 セブンが言う。

「分かってるって」

 エントは笑って立ち上がった。

 探索を再開する。

 その後も何度か《ダクトイール》が現れた。

 最初の1体で出てくる場所と動きが分かってしまえば、それほど苦戦する相手ではない。

 排水管を警戒しておけば、不意を突かれることも減った。

 さらに奥へ進んだところで、

「上!」

 コリーの声が響く。

 エントが反射的に顔を上げた。

 天井に何かが張り付いている。

 灰緑色の体。

 太い四肢。

 長い尾。

 ぬめった体表が、薄暗い光を鈍く反射している。

《スティッキー・ニュート Lv28》

「また知らないやつ!」

 直後、スティッキー・ニュートが天井から落ちた。

 エントは一歩横へ動きながら盾を構える。

 重い身体が床へ着地した。

 そのまま前脚が伸びてくる。

 盾で受け流し、エントは剣を振った。

 刃が胴体を捉える。

 だが、

「うわっ」

 手応えが浅い。

 体表を覆う粘液に滑らされ、刃が横へ逸れていた。

「滑るな、こいつ!」

「エント、右!」

 コリーの声。

 エントが身体をずらす。

 その横を矢が抜け、スティッキー・ニュートの首元へ突き刺さった。

 大きく身体が揺れる。

「《スラッシュ》!」

 今度は粘液の薄い腹側を狙った。

 剣閃が走る。

 スティッキー・ニュートが崩れ、その身体が光の粒へ変わった。

「こいつも、強くはないな」

「でも面倒だな。上にいるし、ぬるぬるだし」

 コリーが天井を見上げる。

「さっきの子より、隠れるのは上手そうですね」

 コンも同じように見上げた。

「子って言うんだ」

 コリーが笑う。

「モンスターですけど、生き物ではありますから」

「まあ、コンさんっぽいですけど」

「もう行くわよ」

 セブンが先を示した。

「排水管に天井まで増えたんだから、止まってる時も気をつけた方がいいでしょ」

「それもそうだな」

 エントは改めて周囲を確認した。

 そこから先は、前だけではなく排水管と天井にも気を配りながら進んだ。

 通路は少しずつ変化していった。

 細かった水路が太くなる。

 壁を走っていた配管も数を増し、途中には古い水門や金属製の細い足場も現れた。

 崩落した場所を避け、残った足場を渡る。

 何度かモンスターとも遭遇した。

 だが、どちらも特徴さえ分かれば対処は難しくない。

 戦闘よりも、どこへ続いているのか分からない通路を探りながら進む時間の方が長かった。

 やがて、エントは通路の先で足を止めた。

「……行き止まり?」

 正面を石造りの扉が塞いでいる。

「扉はあるけど」

 コリーが近づく。

 押してみる。

 動かない。

「開かねえな」

 エントは周囲を見回した。

 扉の左右には太い管が伸びている。

 さらに壁沿いに視線を追うと、少し離れた場所に大きな金属製の弁があった。

「あれかな」

 近づいて確認する。

 円形のハンドル。

 そこから伸びる管は壁の中へ入り、扉の方へ続いているように見える。

「また機械?」

 セブンが言う。

「っぽい」

 エントはハンドルへ手を掛けた。

 力を込める。

「……重っ」

 動かないわけではない。

 だが、かなり重い。

 両手で握り直し、さらに力を掛ける。

 錆びた金属が軋み、ハンドルがゆっくりと回った。

「回るな」

「じゃあ、それで開く?」

「いや……」

 エントは途中で止めた。

 手を離す。

 すると、ハンドルがゆっくりと元の位置へ戻っていった。

「あー」

 コリーが声を漏らす。

「離すと戻るやつか」

「みたいだな」

 エントは管の伸びる方向を見る。

 意識して装置全体を眺めると、これまで見てきた水門や配管の構造と重なる部分がある。

 《機構知識》が、わずかに感覚を補う。

 ただ、どうすれば扉が開くのかまでは分からない。

「他にもありそう」

 エントが言った。

「探してみよう」

 4人で周囲を見る。

 少しして、コリーが声を上げた。

「こっちにもあるぞ」

 通路の反対側。

 同じ形の弁が壁に取り付けられている。

「あ、こっちにもあります」

 今度はコンだった。

 さらに奥に、3つ目の弁がある。

「3つか」

 エントはそれぞれの位置を確認する。

「とりあえず、回せるか試してみる?」

「じゃあ俺こっちやるわ」

 コリーが2つ目の弁へ移動した。

「結構重いぞ」

「まあ、やってみる」

 コリーが両手でハンドルを握る。

「んっ……」

 金属が軋んだ。

 ゆっくりではあるが、ハンドルが回っていく。

「いけるな」

「じゃあ、私たちはこっちね」

 セブンが3つ目の弁へ近づいた。

 魔導書を閉じて脇へ収め、ハンドルを両手で握る。

「……っ」

 力を込める。

 わずかに動いた。

 だが、すぐに止まる。

「重……」

「動かない?」

 エントが聞く。

「少しは動く。でも、これ1人だときついわ」

「私も手伝います」

 コンがセブンの横へ立った。

「お願い」

 2人で同じハンドルを握る。

「せーの」

 力を合わせる。

 軋む音とともに、今度はハンドルが少しずつ回り始めた。

「あ、動きました」

「これならいけそう」

 セブンが息を吐く。

 エントは3つの弁と正面の扉を見比べた。

 どれも壁の中へ管が伸びている。

「一回、俺とコリーだけ回してみるか」

「おう」

 エントとコリーがそれぞれの弁へ戻る。

「いくぞ」

 2人でほぼ同時にハンドルを回した。

 重い金属音が壁の奥から響く。

 扉が小さく震えた。

「今、動いた?」

「いや」

 コリーが扉を見る。

「揺れただけだな」

「2つじゃ足りないみたいですね」

 コンが言った。

 エントは力を抜く。

 2つのハンドルが元の位置へ戻っていった。

「じゃあ、3つ全部か」

 セブンが言う。

「多分」

 エントも頷いた。

「全部回した状態にすれば開くんじゃないかな」

「なら、分担は決まりだな」

 コリーが自分の弁を軽く叩く。

「俺はこれ」

「俺はさっきのやつ」

 残った3つ目を見る。

 セブンがコンへ向いた。

「コン、もう一回お願い」

「はい」

 それぞれが担当する弁の前につく。

 エントがハンドルを握った。

「準備いい?」

「おう」

「いいわよ」

「大丈夫です」

「じゃあ、せーの!」

 エントとコリーがそれぞれのハンドルへ力を込める。

 少し遅れて、セブンとコンの2人がかりのハンドルも回り始めた。

 3つの弁が同時に動く。

 重い金属音が通路に響いた。

「そのまま!」

 エントが声を上げる。

「分かってる!」

 セブンが返す。

 さらに回す。

 次の瞬間、

 正面から、低い音が響いた。

 石造りの扉が震える。

「おっ」

 ゆっくりと。

 扉が横へ動き始めた。

「開いた!」

 コリーが声を上げる。

 完全に開いたところで、4人はハンドルから手を離した。

 3つの弁がゆっくりと元の位置へ戻っていく。

 だが、扉は開いたままだ。

「なるほどな」

 エントは自分の手を軽く振った。

「結構重かった」

「お前でもそうなんだ」

「回せるけど、楽ではないな」

「こっちは2人がかりだったけどね」

 セブンが少し不満そうに自分の手を見る。

「でも、開きましたね」

 コンが開いた扉へ目を向ける。

「だな」

 エントも剣を持ち直した。

「行こう」

 扉の先へ進む。

 しばらく歩いたところで、エントが足を止めた。

「……水の音、でかくなってない?」

 全員が黙って耳を澄ます。

 これまでも水滴や細い水流の音はずっと響いていた。

 だが、それとは違う。

 もっと大量の水が動く音だ。

「奥からだな」

 コリーが言った。

 4人は自然と武器を構え直す。

 さらに進む。

 天井が少しずつ高くなっていく。

 通路の幅も広くなった。

 そして前方に、大きな空間が見えた。

「……広いとこに出るぞ」

 コリーが声を落とす。

 エントが先頭で通路を抜けた。

「うわ……」

 思わず声が漏れる。

 そこには、円形に近い巨大な空間が広がっていた。

 巨大な貯水槽。

 そう表現するのが一番近い。

 周囲には石造りの足場が巡り、その中央には大量の水が溜まっている。

 これまで通ってきた場所とは明らかに規模が違う。

「ここが一番奥?」

「分からない」

 セブンが周囲を見回す。

「少なくとも、向こう側に通路は見えないけど」

 エントも水面を見る。

 暗い。

 底までは見えない。

 静かな水面。

 その中央が――揺れた。

「……ん?」

 波紋が広がる。

 全員の視線が水面へ向く。

 しばらく何も起こらない。

「今、何か――」

 コリーが言いかけた時。

 水面が大きく盛り上がった。

「下がって!」

 セブンの声。

 4人が一斉に距離を取る。

 次の瞬間、大量の水を押し退けて何かが姿を現した。

 硬そうな青黒い甲殻。

 水面から突き出す長い触角。

 そして、人ひとりを簡単に挟み潰せそうな巨大な鋏。

「……でか」

 エントが呟いた。

 水の中から、巨大な甲殻獣がゆっくりと身体を持ち上げる。

 視界に表示が浮かんだ。

《タイドロブスター Lv37》

 巨大な鋏が開く。

 次の瞬間、

 石造りの足場へ向けて、勢いよく振り下ろされた。

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