ラティス旧水路
視界が戻る。
最初に目に入ったのは、朝の光を反射するラティス湖だった。
昨夜は黒く沈んでいた水面が、今は青く輝いている。
エントは周囲を見回した。
森の奥から聞こえていた鳴き声も、何かが動く気配もない。
昨夜とはまるで違う。
「おはよ」
声のした方を見る。
野営場所の近くに、すでにコリーがいた。
「おはよう。早いな」
「お前もな」
エントは湖の方へ目を向ける。
昨日の夜とは違い、対岸の丘までよく見えた。
「こうして見ると、本当に昨日と同じ場所かって感じだな」
「夜は夜で面白いけどな」
「見るだけならな」
「それはそう」
話しているうちに、近くへ光が集まった。
その中からコンが姿を現す。
「おはようございます」
「おはようございます」
「おはよ」
少し遅れて、セブンもログインしてきた。
「おはよう」
「おはよ」
4人が揃う。
「じゃ、準備できたら行くか」
コリーが言った。
「俺は大丈夫」
「私も大丈夫です」
「私も」
野営道具を片づけ、装備と消耗品を確認する。
準備を終えると、4人は《ラティス旧水路》へ向かって歩き始めた。
◇
旧水路の入口が見えてくる。
昨日の夜にはほとんど人がいなくなっていた場所に、今日はすでに何組ものプレイヤーが集まっていた。
装備を確認している者。
仲間と話しながら入口へ向かうパーティー。
少し離れた場所では、何人かが地図らしきものを見ながら話している。
「結構いるな」
エントが言う。
「そりゃ昼の方が多いでしょ」
セブンが答えた。
「だよな」
4人はそのまま入口へ向かう。
近くまで来ると、昨日は遠目にしか見えなかった石壁がよく見えた。
ところどころ欠け、表面には黒ずんだ染みが残っている。
その奥に開いた入口から、冷たい空気が流れてきた。
「じゃ、行くか」
コリーが言う。
「おう」
エントは剣の柄へ手を添える。
4人は《ラティス旧水路》へ足を踏み入れた。
◇
外の光が少しずつ遠ざかっていく。
内部は想像していたより広かった。
複数人が並んで歩けるほどの石造通路。
その横を、水路が奥へ向かって伸びている。
石壁は湿り、ところどころに苔が生えていた。
床にも水が流れた跡が残り、一部はまだ濡れている。
聞こえてくるのは、絶えず流れる水の音。
それが石壁に反響し、奥からも横からも聞こえてくる。
「思ってたより、本当に水路だな」
エントが周囲を見ながら言う。
「水利施設なんだから、そりゃな」
コリーが返した。
「いや、もっとダンジョンっぽいの想像してた」
「十分ダンジョンでしょ」
セブンが言う。
先頭を歩くコリーが、不意に足を止めた。
エントもすぐに止まる。
「いるぞ」
「どこ?」
「水ん中」
コリーの視線を追う。
水路。
揺れる水面の下を、黒い影が横切った。
エントは剣を抜き、盾を構える。
コンも杖を持ち直した。
「昨日言ってたやつか」
「多分な」
水面が揺れる。
一度、影が消えた。
「――来る」
次の瞬間、
水が弾けた。
青緑色の鱗に覆われた蜥蜴型のモンスターが、水路から一気に飛び出してくる。
《ウォーターリザード Lv28》
「速っ」
エントは盾を前へ出した。
直後、ウォーターリザードがぶつかる。
腕に重い衝撃。
だが、受け止める。
「エント、少し右!」
セブンの声。
「了解!」
エントは盾を押し返しながら右へ動く。
ウォーターリザードも食らいつくようについてくる。
その横を矢が抜けた。
肩口へ突き刺さる。
コリーだ。
さらに後方で、セブンが魔導書を開き、右腕を向ける。
「《アイスランス》!」
放たれた氷の槍が、ウォーターリザードの胴体を捉えた。
モンスターが大きくよろめく。
エントはその隙を逃さない。
「《スラッシュ》!」
剣を振り抜く。
ウォーターリザードが崩れ、その体が光の粒子へ変わった。
「ふぅ」
エントは剣を下ろす。
「水ん中だと結構速いな」
「だから気をつけろって話だったんだよ」
コリーが言う。
「聞いてたけど、見るのとは違うって」
「まあ、それはそうだけどな」
「でも、ちゃんと止めてたじゃない」
セブンが右腕を下ろす。
「飛び出してくるの分かってたからな」
エントは水路を見る。
すでに水面は何事もなかったように流れている。
「次はもうちょい早く動けそう」
「でも、まだ気をつけた方がよさそうですね」
コンが言った。
「もちろん」
4人は再び歩き始めた。
◇
しばらく進む。
通路はところどころ曲がりながらも、基本的には水路に沿って続いていた。
途中には別の水路が合流する場所もある。
水音が大きくなったり、小さくなったりするせいで、足音だけでは周囲の様子を判断しづらい。
エントは水路へ視線を向けながら歩く。
先ほどのウォーターリザード。
飛び出してくる速度はもう分かった。
だからこそ、次は水面の変化を見逃さない。
少し先、水路が広くなった場所へ差しかかった時だった。
水面に小さな波紋が走った。
「来る」
エントが言う。
「何体?」
コリーがすぐに弓を構える。
「多分――2体」
左右。
別々の場所で水が弾けた。
《ウォーターリザード Lv27》
《ウォーターリザード Lv29》
1体が正面。
もう1体は少し離れた場所から通路へ飛び上がる。
エントは迷わず正面の1体へ盾を向けた。
衝突。
今度はさっきより余裕を持って受け止める。
「コリー!」
「任せろ!」
もう1体へ矢が飛ぶ。
ウォーターリザードがそれを避け、コリーへ向きを変えた。
「《プロテクト》!」
コンの魔法が先にコリーを包む。
エントは正面の1体へ集中する。
噛みつきを盾で逸らし、剣を返す。
ウォーターリザードが後退し、水路へ身体を向けた。
「戻すと面倒そうだな」
「《ステップ》!」
一気に回り込み、盾で進路を塞ぐ。
「セブン!」
「分かってる!」
エントが横へ退く。
「《ライトニング》!」
雷撃がウォーターリザードを捉え、その身体が光へ変わった。
エントが振り返る。
もう1体も、コリーの矢を受けて大きく体勢を崩している。
「《アイスランス》!」
セブンの魔法が直撃し、2体目も光へ変わった。
「よし」
エントが剣を下ろした。
「さっきより早かったわね」
セブンが言う。
「一回見たからな」
「もう慣れたのかよ」
コリーが弓を下ろす。
「全部じゃないけどな」
エントが笑う。
コンも杖を下ろした。
「さっきより動きやすかったです」
「コンさんも早かったですね。プロテクト」
「コリーさんの方へ行きそうだったので」
「助かった」
コリーが言う。
コンは小さく頷いた。
1戦目より、明らかに動きが噛み合っている。
エントはそれを感じながら、先へ続く通路へ目を向けた。
「次行こう」
◇
さらに奥へ進む。
水路は少しずつ複雑になっていた。
途中で枝分かれし、別の方向へ水が流れている場所もある。
古びた鉄格子。
壁に残った水位の跡。
使われなくなったらしい小さな水門。
どれも長い間放置されているように見えた。
その先で、コリーがまた足を止めた。
「今度は分かりやすいな」
「ん?」
エントが前を見る。
通路の中央。
大きな蟹がいた。
人の腰よりも高い甲殻。
太い脚。
そして、左右に構えた大きな鋏。
《シェルクラブ Lv29》
「通してくれそうにはないな」
「そりゃね」
セブンが魔導書を構える。
エントは盾を構えたまま前へ出る。
シェルクラブも鋏を持ち上げた。
距離を詰める。
大きな鋏が振り下ろされた。
「《ブレイス》!」
エントは盾を正面へ構えた。
重い衝撃が腕から全身へ抜ける。
足がわずかに滑ったが、踏みとどまる。
「重っ……!」
鋏が離れた瞬間、前へ踏み込む。
「《スラッシュ》!」
剣が甲殻を捉えた。
硬い感触。
刃が弾かれる。
「硬っ」
「正面やめろ! 脚の付け根!」
コリーの声が飛ぶ。
「了解!」
エントはすぐに剣を引く。
シェルクラブの鋏が横から迫った。
今度は盾で軌道を逸らしながら、横へ回る。
正面から斬っても通らない。
エントは攻撃を切り替え、盾を前に出した。
シェルクラブも向きを変える。
大きな身体がエントを追う。
「コリー!」
「見えてる!」
コリーが狙いを絞る。
「《ピンポイント》!」
放たれた矢が、甲殻の隙間――脚の付け根へ突き刺さる。
シェルクラブの動きがわずかに止まった。
「そこね」
セブンがガントレットを嵌めた右手を向ける。
「《アイスランス》!」
氷の槍が同じ場所へ突き刺さる。
シェルクラブが大きく揺れた。
だが、まだ倒れない。
鋏を高く持ち上げる。
狙いはエント。
「また来る!」
「《プロテクト》!」
コンの魔法がエントを包む。
「《ブレイス》!」
振り下ろされた鋏を盾で受け止める。
衝撃に耐え、そのまま一歩踏み込んだ。
鋏を受け止めたまま、体勢を崩すように盾を叩きつける。
「《シールドバッシュ》!」
大きな身体がわずかに傾いた。
「今!」
「《ライトニング》!」
雷撃が甲殻を走る。
シェルクラブの巨体が大きく揺らいだ。
巨大な身体が崩れ、そのまま光の粒子となって消えていく。
「……硬かったな」
エントは盾を下ろした。
「俺、ほとんど削ってなくない?」
「でも、ずっとお前の方見てただろ」
コリーが言う。
「動かなかったから撃ちやすかったわよ」
セブンも続ける。
「攻撃もほとんどエントさんに向いていましたし」
コンが言った。
「なるほど」
自分が大きく削ったわけではない。
それでも、3人が動きやすくなっていたのは分かる。
「じゃあ、まあ役には立ってたか」
「十分だろ」
コリーが笑う。
「ならいいや」
エントも笑って、剣を収めた。
◇
戦闘を終え、さらに奥へ進む。
この辺りまで来ると、ただの通路というより、水をいくつもの方向へ分けるための設備が増えていた。
壁際には古い格子。
床には細い溝。
途中には、小型の水門らしきものも残っている。
エントはその前で少し足を止めた。
「どうした?」
コリーが振り返る。
「いや」
エントは水門と、その先へ続く水路を見る。
「こういうの、ちゃんと繋がってるんだなって」
「何が?」
「水の流れ。ここから向こうに流して、あっちでまた分けてるっぽい」
コリーも水路を見る。
「ああ、確かに」
「ちゃんと水を流すための造りになってるんだな」
「そういう施設なんでしょ」
セブンが言う。
「いや、分かってるけどさ」
エントはもう一度、水門を見る。
水車を直した時とは規模がまるで違う。
それでも、水を流して何かを動かすという点では、少し似ている気がした。
何のための設備なのか。
細かい仕組みまでは分からない。
ただ、水をどこから入れ、どちらへ流そうとしていたのか。
見ていると、なんとなくその繋がりだけは追える。
「こういうの好きなの?」
セブンが聞く。
「嫌いじゃないかも」
「へえ」
「ほら、置いてくぞー」
先へ進んでいたコリーの声が飛んでくる。
「今行く!」
エントも3人を追った。
その後も何度かモンスターと戦いながら進んでいく。
ウォーターリザードの動きにも少しずつ慣れ、最初よりは迷わず動けるようになっていた。
やがて、通路の先に下り階段が現れた。
その辺りから、水音が変わる。
今までより大きい。
それも、1か所からではない。
いくつもの方向から水が流れる音が重なっている。
「なんかあるな」
エントが言う。
「次の区画じゃない?」
セブンが答えた。
階段を下りる。
その先で、視界が一気に開けた。
「うわ……」
エントは思わず声を漏らした。
巨大な空間。
いくつもの貯水槽が段差をつけて並んでいる。
その間を細い石橋が渡り、下では大量の水が流れていた。
壁際には通路。
そして、離れた場所にいくつものレバーが見える。
さっきまでの《導水路》とは、明らかに構造が違う。
「ここから《調整槽》みたいね」
セブンが周囲を見回す。
「さっきまでより面倒そうだな」
コリーも言った。
コンが石橋の下を覗き込む。
「落ちたら大変そうですね」
「だな」
水路と貯水槽が複雑に重なり、その間にいくつもの操作装置が並んでいる。
エントはその全体を見渡した。
「今度は、水の中から飛び出してくるだけじゃ済まなそうだな」
「多分ね」
セブンが答える。
エントは目の前に広がる《調整槽》をもう一度見渡した。
「じゃあ、次はここか」
細い石橋の先へ目を向ける。
《導水路》とは違う攻略になりそうなのは、見ただけでも分かった。




