道中
馬車は街道を進んでいた。
規則的に響く車輪の音に混じって、蹄が地面を叩く音が聞こえる。
リュネールを出てから、しばらく経つ。
エントは荷台の端に座り、流れていく景色を眺めていた。
最初のうちは見慣れた森が続いていた。
リュグナ大森林ほど木々が密集しているわけではない。それでも、リュネールの周囲には森が多い。
だが、進むにつれて少しずつ木々が減ってきた。
視界が開ける。
街道の両側に広がっているのは、背の低い草が風に揺れる草原だった。
「おお……」
思わず声が出た。
「何?」
向かいに座っていたセブンが顔を上げる。
「いや、景色変わったなって」
「そんなに珍しい?」
「俺、リュネールの周りしかほとんど知らないし」
「ああ、そっか」
セブンは納得したように外を見る。
「今まで大体森だったものね」
「まあ……そうだな」
エントも認める。
リュネールを拠点にしてから、行動範囲は少しずつ広がっていた。
それでも、こうして街道を使って遠くまで移動するのは初めてだ。
「セブンはこういう遠出したことあるの?」
「あるわよ。何回か」
「どの辺?」
「西側とか、北の方とか。素材集めとレベル上げがほとんどだけど」
「結構行ってるんだな」
「エントより長くやってるんだから、それくらいはね」
「それもそうか」
コンも外を眺めていた。
「コンさんも遠出は初めてでしたっけ?」
エントが尋ねる。
「はい」
コンが頷く。
「リュネールから離れたこと自体、ほとんどないです」
「じゃあ俺と同じですね」
「そうですね」
コンは再び外へ目を向けた。
「景色が変わっていくの、面白いですね」
「分かります」
遠くに小さな森が見える。
そのさらに向こうには、緩やかな丘が続いていた。
マップで見れば、ただの地形だ。
けれど実際にその中を進んでいると、距離の感覚がまるで違う。
しばらくすると、前方から別の馬車がやってきた。
荷台には木箱や樽が積まれている。
御者同士が軽く手を上げ、2台の馬車がすれ違った。
その後ろを、荷物を背負った旅人らしいNPCたちが歩いている。
「こういう人たちも普通に行き来してるんだな」
「そりゃいるだろ」
コリーが言う。
「街と街の間を移動してるNPC、結構いるぞ」
「こういうところまでちゃんと作られてるんだな」
「そういうとこ細かいよね、このゲーム」
セブンも外を見る。
プレイヤーのためだけに存在している道ではない。
NPCの商人も、旅人も、御者も使っている。
その中に自分たちも混ざっている。
そんな感覚が、エントには少し面白かった。
「ローデンに着いたら、転移結晶に登録できるんだよな?」
「できるぞ」
コリーが答える。
「じゃあ次からは、急ぐならここを馬車で通らなくてもいいのか」
「そうなるな」
「最初だけこうやって行くの、結構好きかも」
「まだ馬車に座ってるだけだけど」
セブンが言う。
「それでもだよ」
エントは笑って、また外を眺めた。
◇
空が赤みを帯び始めた頃。
街道の先に、建物が見えてきた。
「あれ?」
エントが身を乗り出す。
「着いたぞ」
コリーが言う。
「ローデン?」
「そう」
馬車が進むにつれ、その姿がはっきりしてくる。
リュネールとは比べものにならないほど小さい。
高い城壁も、巨大樹の上に広がる建物もない。
街道沿いに木造や石造りの建物が集まり、その周囲を低い柵が囲んでいる。
馬車がそのまま中へ入っていく。
やがて停車した。
「到着っと」
コリーが立ち上がる。
4人も馬車を降りた。
エントは周囲を見回す。
すぐ近くには別の馬車が停まっている。
荷物を下ろしているNPC。
宿らしい建物。
小さな商店。
武器を持ったプレイヤーの姿もちらほら見えた。
「小さいな」
「リュネールと比べたらね」
セブンが言う。
「集落って名前の通りだな」
「先に転移結晶、登録しとこうぜ」
コリーが言った。
「そうだな」
4人は集落に設置された《転移結晶》へ向かい、それぞれ登録を済ませた。
エントがマップを開く。
それまで空白だった場所に、《ローデン集落》の名前が表示されている。
「登録できた」
「これで次からはここまで直接来られるな」
「便利だな」
マップに新しく刻まれた《ローデン集落》の文字を見ていると、それだけで少し嬉しくなる。
「今日はここまでですよね?」
コンが聞く。
「うん。暗くなる前に宿取ろうぜ」
コリーが答える。
「明日は歩きだからな」
「どれくらい歩くの?」
エントが尋ねる。
「朝出れば、順調なら明日中には湖まで行ける」
「じゃあ結構あるな」
「あるぞ」
「楽しみだな」
「まだ言ってんのか」
「着くまでは言うと思う」
コリーが笑う。
「長いぞ、それ」
4人は宿を探して歩き出した。
◇
夕食は、宿の1階にある食堂で取ることになった。
木製のテーブルを4人で囲む。
エントの前には、肉と野菜を煮込んだ料理とパンが置かれていた。
「うま」
一口食べて、エントが言う。
「普通に当たりだな、ここ」
コリーも料理を食べながら頷く。
「だな。明日の朝もここでいいかも」
「朝飯もあるの?」
「あるみたいだぞ」
「じゃあそれでいいな」
食事をしながら、明日の予定を確認する。
「朝から出発でいいよな?」
コリーが聞く。
「俺は大丈夫」
「私もです」
「いいわよ」
「じゃあ決まり」
話はそれだけで終わった。
あとは自然と雑談になる。
「そういえば」
エントがセブンを見る。
「さっき北とか西に行ったことあるって言ってたけど、どんなところだった?」
「急に気になったの?」
「馬車乗ってたら、他の場所も見てみたくなった」
「なるほどね」
セブンは少し考える。
「西は平原が多かったかな。リュネール周辺とは出てくるモンスターも結構違うわよ」
「やっぱ違うんだ」
「そりゃね。北は寒い地域ね」
「そこまで寒さ再現されてるの?」
「されてるわよ。装備で対策しないと普通にきついから」
「へえ……」
エントは少し興味を引かれる。
「そのうち行ってみたいな」
「まずはラティス湖に着いてからにしなさいよ」
「それはそう」
「お前、行きたい場所どんどん増えるな」
コリーが笑う。
「知らない場所聞いたら行きたくならない?」
「まあ、分からなくはない」
「コンさんは?」
「私ですか?」
「行ってみたい場所とかあります?」
コンは少し考えた。
「場所というより……いろいろな地域にいる生き物は見てみたいです」
「地域ごとに違うんですか?」
「はい。同じモンスターでも、場所によって行動が違うことがあるみたいなんです。そういうのも見てみたくて」
「そんな違いもあるんですね」
「私もまだ実際にはあまり見たことがないんですけど」
「へえ」
エントは素直に感心する。
「じゃあラティス湖も楽しみですね」
「はい。水辺のモンスターは、まだほとんど見たことがないので」
コンが嬉しそうに頷いた。
「襲ってくるやつばっかじゃなきゃいいけどな」
コリーが言う。
「その時は倒せばいいでしょ」
セブンがあっさり返す。
コリーが笑う。
「まあ、それもそうか」
そんな話をしながら、4人は食事を続けた。
明日は、ここから歩く。
ラティス湖まで。
◇
翌朝。
ローデンを出た4人は、街道を歩いていた。
昨日とは違い、ここからは自分たちの足で進む。
朝の空気は少し冷たく、草にはまだ露が残っている。
「いい天気だな」
エントが空を見る。
「雨よりはいいな」
コリーは歩きながら周囲を確認している。
「この辺からモンスター出る?」
「出るぞ」
「どんなの?」
「それは出てからのお楽しみでいいだろ」
「知らないの?」
「知ってるわ」
「じゃあ教えてよ」
「自分で見たいんじゃなかったのか?」
「……それもそうだな」
「危ないやつだけ教えて」
「それはちゃんと言う」
「ならいいや」
道は緩やかな丘を越え、小さな森へ入った。
リュグナ大森林とはまるで違う。
木々の間隔が広く、日の光も十分に届いている。
足元には見慣れない草花がいくつも生えていた。
「あ」
コンが足を止めた。
エントも止まる。
「どうしました?」
「あそこ」
コンが少し離れた木の根元を指す。
小さな生き物がいた。
薄茶色の体。
背中には葉脈のような薄い模様が走り、身体より長い尾の先が葉のように平たく広がっている。
エントが目を凝らす。
《リーフテイル》Lv18
「襲ってくるタイプですか?」
「どうでしょう……」
コンは刺激しないように、ゆっくりと数歩近づく。
だが、リーフテイルはこちらに気づいた。
一瞬だけ4人を見る。
次の瞬間。
草むらへ飛び込み、そのまま姿を消した。
「あ」
コンが小さく声を漏らす。
「逃げた」
エントが言う。
「逃げましたね……」
少し残念そうだ。
「リーフテイルは基本逃げるわよ」
セブンが言う。
「へえ」
エントはリーフテイルが消えた草むらを見る。
「コンさん、初めて見ました?」
「はい」
コンが頷く。
「もう少し見たかったですけど」
「またいるんじゃないですか?」
「そうだといいですね」
少し先でコリーが振り返る。
「そろそろ行くぞ」
「今行く」
エントが答える。
コンも草むらから視線を外した。
「行きましょうか」
「はい」
2人が追いつく。
そのまま森を進んでいく。
しばらくした頃だった。
先頭を歩いていたコリーが、突然片手を上げた。
エントはすぐに足を止める。
セブンとコンも止まった。
「いる」
コリーが声を落とす。
「どこ?」
「右前。3体」
エントは盾へ手を伸ばした。
「距離は?」
「まだある。向こうも気づいてる」
木々の間。
何かが動いた。
灰色がかった体毛を持つ、犬に似たモンスター。
《グラスハウンド》Lv23
その後ろにも、Lv22とLv24の個体が続いている。
「来るぞ」
コリーの言葉とほぼ同時に、
3体が駆け出した。
エントは《鉄皮》を構え、前へ出る。
「《プロテクト》」
背後からコンの声。
淡い光がエントの身体を包む。
「正面と右、俺が見る!」
「じゃあ左!」
コリーが弓を引く。
矢が放たれ、左側の1体へ突き刺さった。
正面から来たグラスハウンドが跳ぶ。
エントは盾で受ける。
衝撃。
だが、大きくは崩されない。
そのまま押し返し、《鉄牙》を振る。
斬撃が胴を捉えた。
「エント、空けて!」
セブンの声。
エントは追撃せず、すぐに半歩横へずれる。
「《ファイアボール》!」
炎が横を抜ける。
正面のグラスハウンドへ直撃した。
火の爆ぜる音。
グラスハウンドが炎に弾かれるように大きくよろめく。
「よし」
「まだ!」
エントもすでに次の1体へ目を向けていた。
コリーが射抜いたグラスハウンドがこちらへ向きを変えている。
その前へ出る。
エントが盾で攻撃を受け、すぐに《鉄牙》を返す。
そこへコリーの矢が飛び、さらにセブンの魔法が続いた。
3体目が横から回り込もうとする。
「エントさん、左です!」
「見えてる!」
コンの声に答えながら身体を向ける。
攻撃を盾で流す。
体勢を崩したところへ《鉄牙》を振り下ろした。
少しして、
3体のグラスハウンドが光の粒子となって消える。
「終わり?」
エントが周囲を見る。
「近くにはいない」
コリーが答える。
「じゃあ大丈夫だな」
剣を収める。
コンがエントを見る。
「HP、大丈夫ですか?」
「ほとんど減ってないです」
「よかったです」
「プロテクト助かりました」
「いえ」
セブンも魔導書を閉じる。
「さっき、ちゃんと避けたわね」
「ファイアボール?」
「そう」
「アイアンボアの時にやったからな」
「ああ、あの時ね」
コリーが弓を背負い直した。
「前より合わせやすくなったな」
「確かに」
最初に4人で戦った時より、互いの動きは見やすくなっている。
まだ息が合っているとまでは言えない。
それでも、前より動きやすかった。
「じゃ、行こうぜ」
コリーが歩き出す。
「おう」
エントも続いた。
◇
森を抜ける。
再び視界が開けた。
太陽はすでに高い。
ローデンを出てから、かなり歩いている。
「湖まで、あとどれくらい?」
エントが聞く。
「もう少し」
コリーが答える。
「さっきもそう言ってなかった?」
「じゃあ聞くなよ」
「気になるだろ」
セブンが少し前を見る。
「でも、そんなに遠くないんじゃない?」
「うん」
コリーがマップを確認する。
「このまま行けば、そう遠くない」
「本当に?」
「なんだよ」
「コリーの『もう少し』は信用できない」
「じゃあ聞くなって」
コンが2人のやり取りを聞いて、小さく笑う。
風が吹いた。
草原が波打つ。
エントは前を見る。
まだ湖は見えない。
けれど、ここまで来た。
リュネールから馬車に乗り、
ローデンで1泊して、
そこから、自分たちの足で歩いてきた。
「もうちょいか」
知らない場所へ向かっている。
その感覚は、昨日よりもずっと強かった。
「行こうぜ」
今度はエントが言った。
「言われなくても行くわよ」
セブンが返す。
「はい」
コンも頷く。
「じゃ、行くか」
コリーが先へ進む。
4人は再び歩き出した。
ラティス湖までは、あと少し。
けれど、その姿はまだ見えなかった。




