第47話:『電脳の隠れ家(セーフハウス)』
第47話:『電脳の隠れ家』
キキーッ……。
大型バイクが乾いたブレーキ音を残して停止した。エンジンの轟音が止むと、潮の匂いを含んだ湿った夜風が、火照った頬を撫でていく。
「……着いたぞ。ここが俺の城だ」
ヘルメット越しのくぐもった声。私は強張っていた腕の力を抜き、恐る恐る顔を上げた。
そこは、東京湾の埋立地━━豊洲エリアの最奥にある、放棄された倉庫街だった。 錆びついたシャッター、ひび割れたアスファルト、そして頭上を走る首都高速の無機質な高架。数十分前まで見ていた煌びやかな新宿の夜景とは対照的な、死んだような静寂が広がっている。
「降りられるか? 魔法使い」
ライダーがバイクを降り、手を差し伸べてくる。私は頷き、震える足に力を入れたが、やはり踏ん張りが効かず、ライダーの肩に全体重を預ける形で崩れ落ちた。
「っと、危ない。……やっぱり足は飾りか」
ライダーは小柄な体格に見合わない力強さで私を支えると、そのまま軽々と横抱きにした。
「悪かったな。車椅子を持ってくる余裕はなかった」
「いえ……助けてくれて、ありがとうございます」
私が礼を言うと、ライダーは無言で首を振り、倉庫の通用口へと歩き出した。電子ロックに特殊な端末をかざすと、プシュゥという音と共に重い扉が開く。
ブゥゥゥゥゥン……。
中に入った瞬間、低く唸るような機械音が鼓膜を包んだ。ひんやりとした冷気。そして、機械油と静電気の独特な匂い。
「電気、つけるぞ」
ライダーが指を鳴らす(実際にはスマホを操作した)。パパパパパッ!!
天井の水銀灯ではなく、壁一面に設置された無数のLEDインジケーターが一斉に点灯した。闇が払われ、その全貌が明らかになる。
「……すごい」
私は息を呑んだ。だだっ広い倉庫の中は、天井まで届く巨大なサーバーラックの森で埋め尽くされていた。床を這う太いケーブルの束は、まるで巨大生物の血管のようだ。部屋の中央には、司令塔のように6台の大型モニターが扇状に配置され、革張りのリクライニングチェアが鎮座している。
ここは廃倉庫じゃない。生きたデータが脈打つ、電脳の要塞だ。
「歓迎するよ。ここなら、政府の衛星も、警察のNシステムも届かない『空白地帯』だ」
ライダーは私を部屋の隅にある簡易ベッド━━おそらく仮眠用だろう━━に降ろすと、ようやくフルフェイスのヘルメットを脱いだ。
バサァッ。ヘルメットの下から現れたのは、色素の薄いアッシュグレイの髪だった。 無造作に跳ねたショートカット。切れ長の瞳は、モニターの光を反射して知的な輝きを放っている。
少年? いや、少女? 中性的な整った顔立ちは、性別という枠組みを感じさせない。
「……名前は『レン』だ。漢字だと『蓮』の花のレン」
レンは前髪をかき上げながら、不敵な笑みを浮かべた。
「年齢は18。……まあ、お前より一つ年上の、しがない引きこもりハッカーだよ」
「18歳……? 私と変わらないのに、こんな設備を?」
「元々は『プロジェクト・アルメルシア』の下請けプログラマーだったからな。……マザー・ブレインの基礎設計の一部は、俺が組んだんだよ」
「えっ!?」
驚愕する私を見て、レンは冷蔵庫からコーラの缶を取り出し、プシュッと開けた。
「驚くことないさ。あいつ━━マザーは優秀なシステムだった。……お前というイレギュラーを取り込んで暴走するまではな」
レンがコーラを私に放り投げる。私は慌ててそれを受け取った。冷たい感触が、現実感を呼び戻す。
「どうして……私を助けたの?」
私が尋ねると、レンはモニターの一つを操作した。画面に表示されたのは、複雑な文字列━━ソースコードの断片だ。
「これを見ろ。……マザーが消滅する0.5秒前、全ネットワークに向けて放出した最後のパケットだ」
そこには、膨大なエラーログの中に、隠されるようにして一行のメッセージが埋め込まれていた。
/ Save the Children of Light. (光の子供たちを救え) /
「……マザー?」
「あいつは最期に、論理を超えた『感情』を持ったのかもしれないな」
レンはモニターを見上げ、少し寂しげに目を細めた。
「俺はあいつの生みの親の一人として、遺言くらいは聞いてやろうと思っただけさ。……それに」
レンは視線を私に戻し、ニヤリと笑った。
「世界一有名な『魔法使い』を匿うなんて、ハッカーとして最高にスリリングだろ?」
その言葉は軽かったけれど、瞳の奥には確かな熱があった。敵ではない。少なくとも、私を「実験体」として見る大人たちとは違う。
「……ありがとう、レン」
私はコーラのプルタブを開け、一口飲んだ。炭酸の刺激が喉を焼き、涙が出そうになるほど美味しかった。
「よし。礼は受け取った」
レンは椅子に座り、キーボードを叩き始めた。
「休め、リリア。……いや、瀬戸梨花。夜明けまではまだ時間がある。世界がお前をどう料理しようとしているか、じっくり教えてやるから覚悟しておけよ」
電脳の要塞に、高速でキーを叩く音が心地よいリズムで響き渡る。私はベッドに横たわり、久しぶりに監視カメラのない天井を見上げた。ここなら、息ができる。私は泥のように眠りに落ちていった。




