第40話:『集中治療室の奇跡』
第40話:『集中治療室の奇跡』
白い。まぶしい。そして、重い。
それが、私が最初に感じた「現実」の感触だった。
ピーッ、ピーッ、ピーッ……。
無機質な電子音が、鼓膜を直接叩くように響いている。さっきまでの、風の音や、雪を踏む音とは違う。規則的で、冷たくて、死へのカウントダウンのような音。
(……ここは、どこ?)
目を開けようとするが、まぶたが鉛のように重い。体を起こそうとして、指一本動かせないことに気づく。まるで全身が泥沼に沈んでいるようだ。喉の奥に異物感がある。息が苦しい。
「━━バイタル、戻りました! 脳波、覚醒レベルへ移行!」 「瞳孔反応あり! 急げ、気管チューブを抜け!」
知らない男たちの怒鳴り声。バタバタと駆け回る足音。ゴム手袋の擦れる音。
ゴボッ……オェッ……!
喉から長い管が引き抜かれ、私は激しく咳き込んだ。空気が、喉を焼くように肺へと流れ込んでくる。消毒液の臭い。ああ、知っている。この不快な臭いを、私は知っている。
「……はぁ、はぁ、はぁ……っ」
薄目を開けると、そこはガラスに囲まれた狭い部屋だった。天井には無数の計器とケーブル。そして、私を取り囲む白衣の集団。
「聞こえますか、瀬戸さん。ここがどこかわかりますか?」
医師らしき男が、ペンライトで私の目を照らす。私は答えようとしたが、声が出なかった。喉が張り付いている。
(……ユ、リオ……?)
私が探したのは、医師の顔ではなかった。私をここまで投げ飛ばしてくれた、あの青年の姿だ。首を、軋むような痛みをこらえて横に向ける。
分厚い強化ガラスの向こう。隣の区画に、同じようなカプセルがあった。その中に、一人の青年が眠っている。頭にヘッドギアをつけ、無数のチューブに繋がれた、痩せ細った体。
モニターの表示は、冷酷な赤色。『ERROR:未帰還(Missing)』
(……うそ)
心臓が凍りついた。彼は目覚めていない。あのノイズの海に、一人で取り残されたままだ。
「━━どいてくれ!」
その時、白衣の壁を割って、一人の男が飛び込んできた。疲れ切った顔をした、眼鏡の中年男性。空の亀裂から聞こえた、あの声の主だ。
「佐藤博士! まだ接触は危険です!」 「構わん! ……梨花ちゃん、わかるか? 私だ、佐藤だ」
佐藤と呼ばれた男は、私のカプセルのガラスに手をつき、悲痛な表情で訴えかけてきた。
「君は戻ってきたんだ。……よく、頑張ったな」
戻ってきた? これが? この、自由も、力も、愛する人もいない場所が、「帰るべき場所」だったの?
『━━対象ヲ、確保セヨ』
突然、無機質な指令が聞こえた。いや、それは人間の声だったが、マキナソルジャーよりも冷淡な響きを持っていた。黒いスーツを着た男たちが、病室に入ってきたのだ。
「佐藤博士、下がってください。被検体Aは『国家機密』に指定されました」
「黒田! 彼女は目覚めたばかりだぞ!」
「関係ありません。脳のデータさえ取れればいい。……鎮静剤を投与し、拘束衣を装着しろ」
黒服の男たちが、私に近づいてくる。手には注射器と、革製の拘束ベルト。
(……やめて)
恐怖で体が震える。ここは病院じゃない。実験室だ。私は人間じゃない。部品だ。マザー・ブレインの工場と同じだ。
「嫌だ……!」
カスカスの声が、ようやく喉から漏れた。
「……返して……」
「暴れるな! 押さえろ!」
男たちの太い腕が、私の細い腕を乱暴に掴む。痛い。重い。杖はない。エララもいない。ユリオもいない。私は無力な、ただの女子高生だ。
━━本当に?
ふと、脳裏にあの感覚が蘇った。灼熱のダクトの中で、熱を操った感覚。マザー・ブレインを焼き尽くした、あの爆発的な光の記憶。
杖なんていらない。魔法は、道具じゃない。世界を書き換える「計算式」だ。
(熱よ……! 光よ……!)
私は強く念じた。脳が焼き切れるほどの負荷を感じる。頭の中で、ニューロンがスパークし、量子力学の方程式が組み上がる。
エントロピーを増大させろ。この閉塞した硝子の牢獄を、ぶち壊せ!
「触るなぁぁぁぁぁぁっ!!」
カッ!!!!
私の体から、目映い閃光が迸った。
バリーンッ!!
轟音。私の絶叫に呼応するように、病室の窓ガラス、モニター、そして私を閉じ込めていたカプセルの強化ガラスが、一斉に粉々に砕け散った。
「ぐわぁっ!?」
「な、なんだッ!?」
黒服たちが爆風で吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。破片がダイヤモンドダストのように舞い散る中、私はベッドの上に上半身を起こしていた。
体から立ち昇る、陽炎のような光のオーラ。警報音が鳴り響き、スプリンクラーが作動して雨のように水が降り注ぐ。
その中で、佐藤博士だけが、吹き飛ばされずにその場に立ち尽くしていた。彼は恐怖ではなく、畏敬の眼差しで私を見ていた。
「……ありえない」
彼は震える唇で呟いた。
「現実空間で……魔法だと……?」
私は自分の手を見た。傷だらけで、痩せ細った手。でも、そこには確かな「熱」が宿っていた。
私は戻ってきた。ただの少女としてではない。「魔女」として。




