第34話:『繰り返されるサヨナラ』
第34話:『繰り返されるサヨナラ』
北の空に、嘘のように晴れやかな朝日が昇っていた。常に分厚い鉛色の雲に覆われていたノースガルドに、これほど美しい青空が広がるなんて、誰が想像しただろう。
マザー・ブレインの崩壊から三日が過ぎた。雪に閉ざされていた街『グレイ・シェル』は、解放の喜びに沸き立っている。首輪を外した人々が、瓦礫を片付け、笑い合い、新しい生活の礎を築き始めていた。
「……本当に行くのか?」
街の出口にある巨大なアーチの下。見送りに来てくれたレジスタンス『野良犬』のリーダー、ヴォルフが名残惜しそうに声をかけてきた。
「ここにいれば、英雄として食いっぱぐれることはないぞ。カレンも、お前らに美味いスープを作りたいって張り切ってたんだがな」
包帯姿も痛々しい彼だが、その表情は以前の険しいものとは別人のように穏やかだ。
「ありがとう、ヴォルフ。でも、僕たちにはまだやるべきことがあるから」
ユリオが背中の大剣『星斬り』の位置を直し、清々しい笑顔で答える。彼の記憶喪失の謎。そして、マザーが最期に残した「特異点」という言葉の意味。世界が平和になっても、私たちの旅が終わったわけではない。
「それに、この国はもう大丈夫よ。あなたたちがいるもの」
私が言うと、ヴォルフは照れくさそうに鼻の下を指でこすった。
「……へへっ。違いねぇ」
彼は一歩進み出て、私たちに向かって右手を差し出した。戦いの中で傷だらけになった、けれど力強い手。
「礼を言うぜ、英雄サマ。……あんたたちのおかげで、俺たちは本当の『人間』になれた」
「ううん。みんなが諦めずに戦ってくれたからだよ」
私は彼の手をしっかりと握り返した。温かい。生きている人間の体温だ。ユリオも、エララも、次々と彼と握手を交わしていく。
「またな! 今度来る時は、もっとマシな歓迎をしてやるよ!」
ヴォルフが手を振り、後ろに控えていたレジスタンスの仲間たちも一斉に歓声を上げる。まるで映画のラストシーンのような、完璧で美しい大団円。私たちは笑顔で手を振り返し、南へと続く街道に向かって歩き出した。
ザッ、ザッ、ザッ……。
雪を踏む足音が心地よい。最高のハッピーエンドだ。これ以上の旅立ちはない。━━そう、完璧すぎたのかもしれない。
私たちが背を向け、十歩ほど歩いた時だった。
「……へへっ。違いねぇ」
背後から、まったく同じ声が聞こえた。
「え?」
私は足を止めて振り返った。そこには、さっきと同じ位置、同じ角度で立っているヴォルフがいた。彼は右手を差し出したまま、鼻の下を指でこすった。その動作のスピード、指の角度、そして照れたような表情の崩れ方まで。先ほどと、コンマ一秒の狂いもなく同じだった。
「礼を言うぜ、英雄サマ。……あんたたちのおかげで、俺たちは本当の『人間』になれた」
「……ヴォルフ?」
背筋に冷たいものが走る。冗談? 寂しいから引き止めているの? 違う。彼の瞳の焦点が、微妙に合っていない。私を見ているようで、私の背後にある虚空を見つめているような、うつろな目。
「どうしたんだ、ヴォルフ。さっき挨拶は済ませたぞ?」
ユリオも不思議そうに眉をひそめて近づこうとする。しかし、ヴォルフはユリオの言葉に反応しない。彼は固まったまま、瞬きもせず、笑顔を貼り付けていた。
そして。
「……へへっ。違いねぇ」
また、鼻をこすった。
「礼を言うぜ、英雄サマ。……あんたたちのおかげで、俺たちは本当の『人間』になれた」
ゾワリ。
全身の産毛が逆立った。怖い。何かがおかしい。まるで、壊れたレコードのように。あるいは、傷ついた映像データのように。そこにいるのは「人間」ではなく、決められた動作を繰り返すだけの「人形」に見えた。
「……感傷に浸りすぎて、頭がフリーズしちゃったのかしらね」
突然、横にいたエララが大きな声を出して、私の思考を遮った。
「エララ?」
「ほら、行くわよリリア! 次の街まで遠いんだから、こんなところで道草食ってられないわ!」
エララはヴォルフの方を見ようともせず、強引に私の背中をグイグイと押した。その顔には、明らかに冷や汗が流れている。彼女のゴーグルの奥の瞳が、激しく左右に動いているのが見えた。まるで、見えないコンソール画面を操作しているかのように。
「ちょ、ちょっと待って! ヴォルフの様子が変だよ!」
「変じゃないわよ! 北国の男は別れが苦手なの! いいから進む!」
「あ、うん……」
エララに急かされ、私はもう一度だけ振り返った。
ヴォルフは動かない。私たちがいなくなっても、彼は誰もいない雪原に向かって、あの笑顔で手を差し出し続けていた。
「……へへっ。違いねぇ」
風に乗って、四度目の言葉が聞こえた気がした。私は寒気を感じてコートの襟を合わせた。さっきまでの感動が、不気味な違和感へと塗り替えられていく。
この世界で、何かが起きている。




