第32話:『特異点(シンギュラリティ)への反逆』
第32話:『特異点への反逆』
「排除行動を開始。……世界の静寂を取り戻す」
マザー・ブレインの宣告と共に、部屋の空気が一変した。底にある液体窒素のプールが沸騰したかのように泡立ち、猛烈な白煙━━極低温のガスが部屋全体に充満し始めたのだ。
「うっ……!?」
寒い、というレベルではない。吸い込んだ空気が肺の中で結晶化するような、死の冷気。私の『熱遮断領域』が、ミシミシと音を立てて圧縮されていく。
『━━冷却システム、出力最大。室温、マイナス二〇〇度……マイナス二三〇度……』
「私の熱魔法ごと、凍らせる気……!?」
マザーは本気だ。分子の運動を極限まで停止させ、この空間を「絶対零度」の棺桶にするつもりだ。そうなれば、熱を生み出す私の魔法も、生体活動もすべて停止する。
「リ、リリア……逃げ……ろ……!」
足元では、ユリオが必死にハッキングと戦っている。彼の黒いコートはすでに霜で白く染まり、瞳の赤いノイズが激しく明滅していた。
「逃げない! 絶対に!」
私は杖を振るい、迫り来る巨大なアームを炎で迎撃した。
「『爆熱』!!」
ドォォォン!!
しかし、炎は一瞬でかき消された。酸素さえも凍りつく低温の中では、燃焼反応が維持できない!
「無駄だ。エントロピーは減少する。……静止こそが正解だ」
マザーのホログラムが、憐れむように私を見下ろす。
「諦めなさい。君の演算能力では、この『死の冷気』を上書きできない」
アームが再び振り上げられる。万事休すか。……いいや、まだだ。
「……私の演算だけじゃ、無理かもしれない。でも!」
私は通信機に向かって叫んだ。
「エララ! 『排熱弁』を閉じて!」
「えっ!? なに言ってんの!?」
エララの悲鳴が返ってくる。
「この部屋の安全装置を全部ロックして! 熱の逃げ場をなくすの!」
「あんた、マザーごと自爆する気!? ……上等じゃない、やってやるわ!」
エララの指がキーボードを叩き壊す勢いで走る。
『━━警告。排熱ダクト、閉鎖。内圧上昇。……システムエラー』
マザーの動きが一瞬止まった。私はその隙に、凍りついたユリオの体を抱きしめた。
「ユリオ……聞こえる?」
彼の体は氷のように冷たい。でも、その奥底にある「動力炉」は、まだ微かに脈打っている。
「あなたの体は機械かもしれない。マザーの一部かもしれない。……でも!」
私は自分の魔力を、彼のコアへと直接流し込んだ。外部からの熱じゃない。内部からの「共振」だ。
「その胸にある熱さは、誰にも奪えない! 思い出して、あなたの『怒り』を! 『情熱』を! 私への『約束』を!」
ドクンッ。
ユリオのコアが大きく跳ねた。
「……あ、あぁ……!」
彼の瞳の中で、赤いノイズと、本来の碧い光が激しくせめぎ合う。
「俺は……俺はァァァ……ッ!!」
『━━エラー。プロト・ゼロ、制御不能。……熱源反応、急上昇』
マザーの声に焦りが混じる。
「バカな。理論値を超えている。……感情? そんな非合理なデータで、システムを凌駕するだと?」
「教えてあげるわ、マザー。……これが『人間』よ!」
私は叫んだ。私の全魔力と、ユリオのコアのエネルギー。二つの熱量が重なり合い、臨界点を超える。
物理法則よ、唸れ。閉鎖された空間で、行き場を失ったエネルギーはどうなる? ━━爆発的な、膨張だ。
「「ふっ飛ばせェェェェェッ!!」」
二人同時に叫んだ。
「『超新星』!!!!」
カッッッ!!!!
部屋の中心で、太陽が生まれた。絶対零度の白煙が一瞬で蒸発し、青い液体窒素のプールが沸騰し、爆発的な水蒸気爆発を起こす。
ズドォォォォォォォォォォンッ!!!!
凄まじい熱波と衝撃波が、密閉された空間を駆け巡る。逃げ場のない熱エネルギーは、その矛先を唯一の物体━━マザー・ブレインへと向けた。
『━━警告! 温度上昇! 摂氏一〇〇〇度……二〇〇〇度……!! 冷却不能! 冷却不能!』
マザーのホログラムが激しく歪み、ノイズにまみれる。
「熱い……! 理解不能……! 私の論理が……溶け……る……ッ!?」
バチバチバチバチッ!!
マザーの本体である巨大な脳構造体が、赤熱し、溶解を始めた。ケーブルが焼き切れ、クリスタルが砕け散る。
「これが、私たちの『答え』だッ!!」
ユリオが私を抱えたまま、最後の一撃━━熱波に乗せた『星斬り』の斬撃を放つ。
ズバァァァァンッ!!
マザーのコアが真っ二つに断ち切られた。
『━━システム……ダウン……。特異点……。人類ニ……栄光、アレ……』
断末魔と共に、マザー・ブレインの光が完全に消滅した。ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!!
制御を失った塔が、激しく揺れ始める。崩壊が始まったのだ。
「やった……! やったよ、ユリオ!」
私はユリオの胸で息を切らした。彼は膝をついていたが、その瞳の色は、澄み切った碧色に戻っていた。もう赤いノイズはない。
「ああ……。目が覚めたよ、リリア」
彼は汗だくの顔で、ニカっと笑った。最高の笑顔だった。
「逃げるわよ! ここはもう持たない!」
エララが入口から叫ぶ。私たちは崩れゆく神の座を背に、出口へと走り出した。 機械の神は死んだ。そして今、新しい時代が始まろうとしている。




