第29話:『白亜の塔と、硝子の階段』
第29話:『白亜の塔と、硝子の階段』
エアロックを抜けた瞬間、私は平衡感覚を失いそうになった。あまりにも、世界が違いすぎたからだ。
床も壁も天井も、継ぎ目のない純白の素材で覆われている。石でも金属でもない、陶器のような滑らかな質感。照明器具は見当たらないのに、空間全体が均一な柔らかい光で満たされている。
「……ここが、第零区画の内部」
汚れたブーツで踏み入るのが躊躇われるほど、そこは無菌的で、美しく、そして恐ろしいほど「静か」だった。外の吹雪の音も、工場の駆動音も、ここには届かない。まるで、時間が止まった真空の中にいるようだ。
「……知っている」
隣でユリオが呟いた。彼の瞳が、虚空を彷徨っている。
「俺は、この白い廊下を……何度も走らされた気がする。……何かから逃げるように、あるいは何かを追いかけるように」
彼の顔色が蒼白だ。ここにある匂い、光、その全てが、封印された彼の記憶をこじ開けようとしているのだ。
「ユリオ」
私は彼の手をギュッと握った。
「大丈夫。今は一人じゃないよ」
「……ああ。そうだな」
彼はハッとして私を見返し、力強く頷いた。その碧眼に光が戻る。
「行こう。マザーは最上階だ」
私たちは走り出した。目指すは中央にある吹き抜けの空間。そこには、遥か上空へと続く、透明な螺旋階段━━『硝子の階段』がそびえ立っていた。
カツ、カツ、カツ……。
硝子の階段を駆け上がる私たちの足音が、乾いた音を立てて響く。下を見れば、吸い込まれそうな奈落。上を見れば、霞むほど高い天井。この塔そのものが、一つの巨大な精密機器なのだ。
私たちが中層階に差し掛かった時、その静寂は破られた。
『━━侵入者検知。セクターB、防衛プロトコル起動』
無機質なアナウンスと共に、白かった壁の一部がスライドし、黒い銃口が無数に現れた。自動追尾型レーザータレットだ。
「来るわよ! 全方位から!」
エララが叫ぶのと同時に、赤い照準レーザーが私たちをハリネズミのように捉えた。
ヒュン、ヒュン、ヒュンッ!!
音もなく放たれる高出力レーザーの雨。物理的な弾丸じゃない。見てから避けるのは不可能だ!
「『鏡面反射』!!」
私は杖を掲げ、私たちの周囲に六角形の鏡の盾を展開した。光には光を。熱魔法の応用で、空気をレンズ状に変質させ、レーザーを屈折させる!
ジュッ! ジュジュジュッ!
レーザーが鏡に弾かれ、あさっての方向へ散っていく。壁や床が焦げる匂いが漂う。
「リリア、そのまま維持してくれ! 俺が片付ける!」
ユリオが盾の隙間から飛び出した。彼の身体能力は、やはり常人を超えている。壁を蹴り、空中の足場を飛び移りながら、タレットへと肉薄する。
「邪魔だァァァッ!!」
ズバッ! ズバババッ!!
『星斬り』が一閃されるたびに、タレットが真っ二つに両断され、火花を吹いて沈黙していく。硬い合金装甲も、彼の剣の前では豆腐のようだ。
「すごい……! でも、キリがないわ!」
エララがタブレットを操作しながら叫ぶ。
「次々と増援が来る! 上の階から警備ドローンが降りてくるわ!」
見上げると、銀色の球体ドローンが群れを成して降下してきていた。まるで銀色の雨だ。あれ全部と戦っていたら、体力が持たない。
「エララ、ハッキングできないの!?」
「やってるわよ! でも、マザーのセキュリティが堅すぎる! ……物理的に接続できるポートがあれば、バックドアを仕込めるんだけど!」
「ポート……あそこは!?」
私が指差したのは、階段の踊り場にある制御パネルだった。しかし、そこはタレットの集中砲火を浴びている激戦区だ。
「あそこまで連れて行ってくれたら、何とかする!」
「わかった! ユリオ、エララを援護して!」
私は鏡の盾を前に押し出し、突撃した。
「道を開けるよ! 『閃熱閃光』!!」
カッ!!!!
盾の表面でレーザーを集束させ、強烈なフラッシュとして撃ち返す。ドローンのカメラアイが一瞬ホワイトアウトする。その隙に、ユリオがエララを抱えて踊り場へと跳んだ。
「頼むぞ、天才!」
「任せなさい、筋肉!」
エララがパネルに飛びつき、ケーブルを接続する。指が残像に見えるほどの高速タイピング。
「……解析完了! 防衛システム、掌握!」
『━━システム、再起動。……ターゲット、更新』
その瞬間、タレットの銃口が一斉に上を向き、降りてくるドローンの群れを撃ち始めた。
ドォン! ドォン! チュドォォォン!!
同士討ち。空中でドローンが次々と爆発し、残骸の雨となって降り注ぐ。
「……ふぅ。ざっとこんなもんよ」
エララがドヤ顔で眼鏡を直す。私たちは顔を見合わせ、ニヤリと笑った。
「よし、今のうちに最上階へ!」
階段を登りきった先。そこに待ち受けていたのは、巨大な一枚岩のような扉だった。 表面には複雑な幾何学模様が刻まれ、青白い光が脈打っている。
この向こうに、マザー・ブレインがいる。そして、おそらく彼も。
ユリオが扉の前に立ち、ゆっくりと息を吐いた。彼の手が震えていないことを、私は確認した。
「……開けるぞ」
彼が扉に手をかけると、重厚な駆動音と共に、扉が左右へとスライドした。
ゴゴゴゴゴ……。
開かれた空間。そこは、まるで星空の中に浮かぶステージのようだった。壁一面がモニターになっており、外の雪原の映像や、無数のデータ文字列が流れている。その中央に、一人の男が立っていた。
黒いロングコート。片目に光るモノクル。そして、手には新しい指揮棒。
「やあ。待ちくたびれたよ」
ガルドスは、まるで遅れてきた友人を迎えるように、優雅に両手を広げた。
「ようこそ、私の城へ。……そしておかえり、ナンバー・ゼロ」
ユリオが一歩前に出る。その碧眼には、もう迷いも恐怖もない。あるのは、静かで熱い、決着への意志だけだ。
「……ただいま。そして、さようならだ。ガルドス」
ラストバトルの幕が上がる。白亜の塔の頂上で、因縁の二人が対峙した。




