第229話:『摩擦の罠と、鐘が導く霧の迷宮 (後編)』
第229話:『摩擦の罠と、鐘が導く霧の迷宮 (後編)』
「……し、信じられん……」
後方で見守っていたイギリス軍の隊長や兵士たちが、ぽかんと口を開けて銃を下ろした。
戦車の主砲すら弾き返し、軍の防衛線を崩壊寸前に追い込んだ無敵の黒騎士軍団を、日本の少年少女たちが一人の負傷者も出さず、まるで魔法のイリュージョンショーでも見せるかのようにあっさりと全滅させてしまったのだ。
「さすがだな、梨花、悠斗。そして特異点小隊の諸君」
アーサーが熱を持ったレイピアを鞘に収め、感嘆のため息を漏らした。
「正面からの攻撃を無効化する概念に対し、地面の摩擦と川の水、そして導電性を組み合わせて無力化するとは……。君たちの『物理法則の魔法』は、いつ見ても私の常識を心地よく打ち砕いてくれる」
「ふふっ、お褒めに預かり光栄よ、アーサーさん。でも、本番はここからだわ」
私は濡れた前髪を指で払い、すぐ目の前、ランベス橋の中央から先を完全に飲み込んでいる、あの巨大な『赤黒い霧の壁』を見上げた。
黒騎士たちを倒しても、霧の濃さは少しも変わっていない。
「咲ちゃん、ソラくん。この距離からでも、やっぱり中は見えない?」
私の問いに、咲とソラは険しい顔で頷いた。
「はい……。霧の粒子が鏡みたいに魔力を乱反射していて、視覚を使う『遠隔透視』では、数メートル先で視界がぐるぐる回ってしまいます」
「タブレットの電波レーダーも赤外線サーモグラフィーも、すべて霧の粒子に吸収・拡散されてしまって役に立ちません。このまま突っ込めば、トラップに引っかかって、同じ場所を永遠に歩かされることになります」
光も、電波も、魔力の視覚も、すべて霧の粒子に乱反射して遮断される。
私が唇を噛み、どうすればこの見えない迷宮の正しい道筋を見つけられるか頭を悩ませていた、その時だった。
ゴォォォォーン……!!
霧の奥深く、テムズ川の対岸にそびえるビッグ・ベンの時計塔から、再び重厚で不気味な鐘の音が鳴り響いた。
低く重い空気の振動が霧を突き抜けて私たちの肌を震わせ、足元のアスファルトに残っていた川の水たまりに、細かな同心円状の波紋を広げた。
その水たまりの波紋を見た瞬間、私の脳裏にピピッと一つのひらめきが走った。
「……あっ! そうか、音よ!!」
「音……ですか?」
不思議そうに振り返るソラと咲に向かって、私は霧の奥の時計塔を指差した。
「見て、あそこから定期的に響いてくるビッグ・ベンの鐘の音! 光や電波、それに視覚の魔力は、波長が短いから霧の細かい粒子にぶつかって乱反射しちゃうのよ! でも、空気や地面そのものを物理的に揺らす『低い音の振動』なら、霧の粒子に邪魔されずに、正しい道筋を通ってここまで届いているはずだわ!」
私の言葉に、ソラが「あっ……!」と目を見開いた。
「音波による反響定位、エコーロケーションですね! コウモリやイルカが暗闇や濁った水の中で障害物を把握するのと同じ原理です!」
ソラはすぐさま魔道具のタブレットを操作し、内蔵されている高感度マイクを最大出力に切り替えて、地面と空中の両方から鐘の音の残響を拾い上げた。
「いけます! 鐘の音が建物の壁にぶつかって跳ね返ってくるコンマ数秒のズレと、ドップラー効果による周波数の歪みを計算すれば、霧の中で空間がどう屈折しているのか、立体的な音響マップとして逆算できます!」
「それなら、私もできます!」
咲がパッと顔を輝かせ、目を閉じて自分の両耳へとそっと手を当てた。
「今まで『目で見るイメージ』で透視していたから、霧の光に惑わされていたんです! 視覚を閉じて、ソラくんの解析する『音の振動と空気の揺れ』だけに私の透視の波長を同調させれば……!」
ゴォォォォーン……!!
再び時計塔の鐘の音が鳴り響く。
「聞こえます……! 『音響遠隔透視、クレアボヤンス・ソナー』!!」
咲の身体から淡い魔力の波動が広がり、鐘の音の振動波とピタリと重なり合った。
すると、ソラのタブレットの画面にリンクされた咲の脳内マップが、これまでの砂嵐が嘘のようにスッと晴れ上がり、青いワイヤーフレームで描かれた『正しい一本の回廊』を鮮明に映し出したのだ。
「見えました! 霧の中で空間が五重の迷路みたいに捻じ曲げられていますけど、鐘の音が一番真っ直ぐ響いてくる『空間の継ぎ目』のルートがハッキリ分かります! このルートを通れば、迷わずに最短距離でビッグ・ベンの根元まで辿り着けます!」
「でかしたわ、咲ちゃん、ソラくん!」
私は歓喜の声を上げ、悠斗たちを振り返った。
これで、難攻不落だった『幻惑の霧』のタネは完全に割れたわ。
「よし、道が分かりゃあとは突っ込むだけだな! だが、霧の中はすぐ隣の奴の顔も見えなくなるくらい濃いぞ。はぐれねぇように工夫が必要だな」
悠斗の指摘に、光輝がガントレットをカチャリと鳴らして前に出た。
「それなら俺に任せてくださいよ! 『微弱電磁リンク、マグネティック・ライン』!」
光輝がガントレットから、痛みを感じないごく微弱な静電気の磁力線を伸ばし、私や悠斗、咲、そしてアーサーを含めた九人全員のベルトのバックルを、目に見えない『電気の命綱』で数珠つなぎにリンクさせた。
「これで誰かが少しでもルートから外れそうになったら、ベルトにピリピリッと電気が走って方向が分かるようになってるっす。霧の中で目が利かなくても、絶対に迷子にはさせねぇぜ!」
「頼もしいわね、でも痛いのはやめてよね光輝くん。……アーサーさん、ウェストミンスター宮殿の周辺の地形案内はお願いできるかしら?」
「もちろんだ。我が故郷の誇りにかけて、必ず君たちをあの時計塔の最上部まで導こう」
アーサーが新しい結晶カートリッジをレイピアに装填し、力強く頷いた。
「よし、行くわよ特異点小隊! ロンドンの街を覆うこの嫌な霧を、私たちの手で綺麗に晴らしてあげるわ!」
「「「おうっ!!!!」」」
私たちは光輝の電磁ラインで互いの存在を感じ合い、咲とソラの音響ソナーを道標にして、不気味な鐘の音が鳴り響く赤黒い霧の迷宮へと、一歩足を踏み入れた。
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