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アルメルシア クロニクル  ―魔法を鍛えてみんなで生き延びます  作者: amya


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第218話:『マスター・パスキーと、スパイ映画の変装術』

第218話:『マスター・パスキーと、スパイ映画の変装術』


どれくらい深く眠っていたのだろう。

けたたましいアラームの音ではなく、肩を優しく揺する温かい手の感触で、私の意識は深い眠りの底からゆっくりと浮上した。


「……ん……悠斗……?」

重いまぶたを擦りながら目を開けると、ベッドの脇にしゃがみ込んだ悠斗の、少し色素の薄い焦げ茶色の瞳がすぐ目の前にあった。


彼はすでに、CIAが新しく用意してくれた新品の黒い防刃スーツに身を包んでおり、背中には大剣星斬りを背負うためのハーネスを装着している。


「おはよう、お姫様。きっちり十時間経ったぞ。気分はどうだ?」

「……うん。頭もスッキリしてるし、魔力も指先まで満タンよ」


私はシーツを跳ね除けて身体を起こし、自分の両手をグーパーと握りしめてみた。


睡眠前に感じていた、脳の芯がズキズキと軋むような魔力欠乏の痛みや、鉛のように重かった手足の倦怠感は、嘘のように消え去っている。十時間の泥のような睡眠と高カロリーな食事が、私の身体を百パーセントの状態へと引き戻してくれたらしい。


時計の針は、夜の十九時三十分を指していた。

私は手早く顔を洗って新しい防刃スーツに着替え、ポニーテールをキュッと結び直してから、愛用しているステッキを手にリビングルームへと出た。


そこには、すでに準備を整えた特異点小隊の仲間たちと、ジャック、サラの姿があった。

メイや咲、舞たちも血色が良く、光輝と颯太は有り余る体力を確かめるように軽くシャドーボクシングをしている。


そして何より私の目を引いたのは、ジャックの背中に翻る、仕立て直されたばかりのピカピカの『真っ赤なマント』だった。

(……ジャックさん、CIAを衣装係にして新しいマントを準備させているのかしら。本当にこだわりが強いんだから)


呆れつつも微笑ましく見ていると、部屋の扉が開き、黒いロングコートを着たミラー局長が数人のエージェントを連れて入ってきた。


「全員、いい顔つきになったな。……約束通り、ワシントンの大統領から直接、特別検察と軍による『極秘強制捜査令状』を取り付けてきたぞ」


ミラー局長は懐から金色のエンブレムが刻印された電子書類の端末を取り出し、さらにその隣から、黒光りする一枚の薄い金属製のカードキーと、銀色のアタッシュケースをテーブルの上に置いた。


「そしてこれが、今回の潜入の要となる『マスター・パスキー』だ」

「パスキー? これがあれば、地下のシェルターに入れるんですか?」

颯太が身を乗り出して尋ねると、ミラー局長は渋い顔で首を横に振った。


「そう単純な話じゃない。これはつい先ほど、シンジケートの末端に名を連ねていたウォール街の投資銀行の副頭取を、別件の金融犯罪容疑で極秘裏に拘束して押収したものだ。……だが、彼ら特権階級が世界の終末を生き延びるために莫大な私財を投じた核シェルターだぞ。カードを一枚かざせば開くような甘いセキュリティであるはずがない」


ミラー局長はタブレットを操作し、拘束した副頭取から吐かせたという地下への進入手順をモニターに映し出した。


「いいか、よく聞いてくれ。エンパイア・ステート・ビルの一階ロビー奥に、建物のオーナーや要人だけが使うVIP専用の直通エレベーターがある。だが、普通に乗り込んでも、操作パネルには一階から百二階までのボタンしか存在しない」


「地下へ行くボタンがないってことですか?」

「そうだ。エレベーターの壁面にこのパスキーをかざし、さらに登録された本人の『顔認証』『指紋認証』『網膜認証』の三つを同時にクリアして初めて、隠しパネルが開き、地下フロアへのボタンが表示される仕組みになっている」


「うわぁ……映画の秘密基地みたいっすね。じゃあ、その捕まえた副頭取のおっさんを連れていけばいいんじゃないすか?」

光輝が軽く言うと、ミラー局長は苦々しく眉間を揉んだ。


「それができないんだ。その男は、我々が拘束した直後に、指輪に仕込まれていたマイクロカプセルを噛み砕いて自ら卒倒して、現在は病院の集中治療室で昏睡状態にある。シンジケートの掟を破ればどうなるか、連中自身が一番よく知っているということだ」


「なっ……! 口封じのために、そんなことまで……」

サラがショックを受けたように両手で口元を覆い、胸元の十字架を握りしめた。


「しかも、厄介なのはその先だ」

ミラー局長は画面をスライドさせ、地下の推定構造図を指差した。


「そのエレベーターで降りられるのは、まだ浅い地下三十メートルの『第一検問フロア』に過ぎない。そのフロアの長い通路には、同じようにパスキーと顔、指紋、網膜の三重認証を求める対核隔壁ゲートが、確認できているだけで『三箇所』も連続で設置されている。それらをすべて突破した先に、ようやく地下三百メートルの『ノアの箱庭』へと直通する、本当の隠しエレベーターが存在するんだ」


「エレベーターの中で一回、降りてからも三回……合計四回も同じ生体認証をクリアしなきゃいけないってこと!?」

私は思わず声を上げた。


でも、考えてみれば当然かもしれない。何兆円もの資産を持つ大富豪や権力者たちが、外の世界を見捨てて自分たちだけの王国を築こうとしているのだ。外部からの侵入者を絶対に許さないよう、異常なまでに厳重に厳重を重ねたセキュリティを敷いているのは当然の帰結だった。


「なら、話は早いぜ。俺の『ジャスティス・サークル・カッター』とユウト教官の大剣で、その隔壁を全部バターみたいに切り裂いて進もうぜ!」

ジャックが拳を打ち合わせたが、今度はソラが銀縁眼鏡を光らせて首を横に振った。


「ダメです、ジャックさん。そんなことをしたら、最初の扉を傷つけた瞬間に地下全体のロックダウンが作動します。最悪の場合、証拠隠滅のために地下三百メートルの施設ごと爆破されるか、眠らされている実験体の子供たちの生命維持装置が止められてしまいます」


「ぐっ……! じゃあ、本人がいないのにどうやって四回も顔と指紋と網膜の認証を通るんだよ!?」


ジャックが頭を抱えると、ソラは冷静な表情でミラー局長の方へと向き直った。


「安心してください。CIAのミラー局長が、その副頭取の『高精細な顔写真データ』『指紋の凹凸データ』『網膜の血管パターン』を病院で採取してきてくれていますよね?」

ソラの問いに、ミラー局長が「ああ、もちろんすべて準備している」と頷く。


「なら、突破できますね。スパイ映画で見たことがあります。パスキーと指紋シール、顔認証フェイスマスクは問題ないでしょう。レーザーによる網膜認証は……サラさんの『光波屈折』の出番ですね」


「えっ、私ですか!?」

サラが目をパチクリとさせる。


「はい。僕のタブレットから投影する立体映像に、サラさんの精密な光波屈折を合わせれば、スキャナーのレンズに対して、本人がそこに立っているのと寸分違わぬ光の波長と網膜の反射パターンを再現できると思います!」


ミラー局長がテーブルの上の銀色のアタッシュケースをパチンと開けると、その中には、病院で採取したデータを元にCIAの技術班が急造したという、気味が悪いほどリアルな『中年男性のシリコン製フェイスマスク』と、極薄の生体導電性『指紋シール』が収められていた。


「うわっ、すげぇ……! スパイ映画で見たやつが、本当に現実に存在するんすね!」

光輝が目を丸くしてマスクを覗き込む。


「なるほどね! 物理破壊ではなく、科学と魔法のハイブリッドによる『完全ななりすましハッキング』で正面からロックを解除するわけね!」

私はポンと手を叩いた。これなら警報を鳴らすことなく、安全に最深部へのエレベーターまで辿り着けるわね。


「よし、作戦は決まったな。時刻はまもなく二十時だ。……行くぞ、野郎ども。腐った金持ちどもの秘密基地へ、礼儀正しくノックしに行ってやろうぜ」

悠斗が大剣の柄を叩き、私たちは夜のマンハッタンへと出撃した。


二十分後。

私たちは、周囲を米軍の装甲車によって完全に封鎖された夜のエンパイア・ステート・ビルへと戻ってきていた。


昼間の歓声が嘘のように静まり返った一階ロビー。朝の戦いで開けた天井の大穴からは、冷たい夜風がヒューヒューと吹き下ろしている。


私たちはミラー局長の案内で、正面のエレベーターホールではなく、ロビーの最奥にある関係者以外立ち入り禁止の重厚な木製扉を抜け、金色の装飾が施された一基の『VIP専用エレベーター』の前へと立った。


「ここだ。私たちはここで待機し、地上の通信と退路を確保する。……くれぐれも気をつけろよ」

ミラー局長からパスキーと変装キットを受け取った私たちは、十人全員でエレベーターの広いカゴの中へと乗り込んだ。


扉が閉まると、高級な革張りの壁と真鍮の手すりに囲まれた空間に、ピンと張り詰めた緊張感が漂う。確かに、操作パネルには一階から百二階までのボタンしかなく、『B、地下』の文字はどこにも見当たらなかった。


「さて、まずは第一関門ね。……このフェイスマスクと指紋シール、誰が着ける? 副頭取の身長を考えると、大柄な人の方がカメラの角度的に自然だと思うけど」

私がマスクを手に取って見渡すと、ジャックが「オーイェー!」と勢いよく手を挙げた。


「そういうスパイ映画みたいなクールな役回りは、俺に任せろって! 一度やってみたかったんだぜ!」

ジャックは私からシリコンマスクを受け取ると、自分の頭からスポッとかぶり、首元の継ぎ目をピッチリと密着させた。さらに右手の親指の腹に、透明な指紋シールを慎重に貼り付ける。


くるりと振り返ったジャックを見て、私たち全員がピタリと固まった。


ムキムキのボディスーツに真っ赤なヒーローマントを羽織りながら、首から上だけが「少し小太りで髪の薄い五十代の銀行家のおじさん」になっているのだ。


「……どうだ、リカ教官? 完璧な変装だろ?」

マスクの下からくぐもったジャックの声が響き、真面目な顔をしていた舞と咲が「ぷっ……!」と吹き出して慌てて口元を押さえた。


「……お前、その格好でそのツラは、ある意味どんなバグモンスターより破壊力あるぞ」

悠斗が引きつった顔でツッコミを入れる。


「と、とにかく時間がないわ! ソラくん、サラちゃん、網膜認証のサポートをお願い!」

私は笑いを堪えて咳払いをし、壁面のエンブレム部分に黒いマスター・パスキーをかざした。


ピピッ、という硬質な電子音が響き、真鍮の壁の一部がカシャンと上下にスライドして、青い光を放つカメラレンズと、ガラス製の指紋・網膜スキャナーが姿を現した。

『VIPコード確認。生体認証を開始します。カメラを見つめ、右手の親指を置いてください』


機械的な英語のアナウンスが流れる。制限時間はわずか十秒。


「よし、いくぜ……!」

副頭取の顔になったジャックが、カメラの正面に顔を近づけ、指紋シールを貼った右手の親指をガラスのスキャナーにピタリと押し当てた。

CIA特製の精巧なシリコンマスクと指紋シールが、まずはカメラの立体顔認証と静電容量式の指紋センサーを見事にクリアする。

残るは、瞳の奥の血管パターンを読み取る赤いレーザーの網膜認証だけだ。


「今です、サラさん! ジャックさんの右目の前に、網膜データを重ねます!」

ソラが魔道具化したタブレットから、副頭取の眼球データの微細なホログラムをジャックの目元へと投影した。


「はいっ! 光の理よ……『精密光波屈折、オプティカル・ミラージュ』……!」

サラが胸の十字架を握りしめて集中し、繊細な魔力でホログラムの光を反射させる。スキャナーから放たれた赤いレーザー光線が、サラの作った極小の光のレンズを通過し、副頭取本人の網膜と寸分違わぬ反射パターンとなってセンサーへと跳ね返った。


ジジジ……ピロリンッ!

赤いスキャナーの光が緑色へと変わり、『認証完了。ようこそ、ミスター・ゴールドマン』という合成音声が響いた。


直後、操作パネルの一番下の金属板がパカリと裏返り、そこには血のように赤く光る『B―ARK』という隠しボタンが現れたのだ。


「ヒャッハー! 見たか、スパイ作戦も大成功だぜ!」

おじさん顔のままで親指を立てるジャックに、私が「そのまま次のフロアでも使うから、まだマスクは外しちゃダメよ」と釘を刺す。


「よし、一発クリアだな!」

悠斗が迷わずその赤いボタンを親指で押し込んだ。

ガコンッ、とエレベーターが一度大きく沈み込み、階数表示が『1』からマイナスへと切り替わる。


私たちは武器を構え直し、暗く冷たい岩盤の底へと静かに降下していった。





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