第212話:『摩天楼の垂直突破と、百二階の頂へ』
第212話:『摩天楼の垂直突破と、百二階の頂へ』
地下駐車場の分厚い防爆扉が開くと同時に、オゾンの焦げたような匂いと、錆びた鉄の臭気が私たちの肺へと流れ込んできた。
赤黒いノイズの雲に覆われたブロードウェイの街路。点滅するサイバーパンク風のネオンサインが、アスファルトを不気味な毒々しい色彩で照らし出している。
「来たぞ! さっきの続きだ、気を引き締めろよ!」
悠斗が大剣星斬りを構えて先頭を走り、私たち特異点小隊と、特訓を終えたばかりのジャックとサラがそれに続いた。
私たちの姿を認めるや否や、廃墟と化した劇場の屋根や路地裏から、無数のサイボーグ犬たちが赤い電子の目を光らせて飛び出してくる。そしてその背後には、先ほどサラの心をへし折った、脳味噌が剥き出しの浮遊する眼球モンスターたちが不気味に漂っていた。
キィィィンッ……!
眼球モンスターたちが一斉に瞳孔を開き、人間のトラウマを抉り出す紫色の精神汚染光線を、再びサラへと向けて放った。
「サラちゃん、来るわよ!」
「はいっ! もう、さっきまでの私ではありません!」
サラが胸元の銀の十字架を強く握りしめ、一歩前へと踏み出した。彼女の瞳には、もう恐怖の揺らぎはない。
「神が創りし理よ、我らを守りたまえ……『光波屈折』、『空間圧縮』、『重力反発』……展開、『絶対防壁』!!」
カアァァァッ!!
サラの祈りをトリガーとして、私たちの前面に、幾重にも重なるプリズムのような多面体の障壁が実体化した。
直後、紫色の精神汚染光線が障壁の第一層に着弾する。
以前はあっさりとすり抜けてしまったその魔力波長が、今回は物理的に計算された『光波屈折』のプリズム層によって、まるで虹色の光の粒のように四方八方へと乱反射し、空へと霧散していった。
「す、すごい……! 精神攻撃魔法を、物理的な光の屈折で散らしちゃった!」
隣で盾を構えていたメイが、驚きに目を見開く。
「……行けます! 教官、私の盾は絶対に破らせません!」
サラが力強く叫んだ。物理法則という確固たる構造を得た彼女の盾は、もはや敵の精神攻撃など寄せ付けない鉄壁要塞と化していた。
「よし、防御は完璧だ! 前衛、突っ込むぞ! わざと敵を倒して『巻き戻り』を誘発させろ!」
悠斗の号令と共に、颯太と舞、そして光輝が飛び出した。
「はぁぁぁっ!」
悠斗の大剣と颯太の紅い短剣、舞の真空の槍が、群がるサイボーグ犬たちを次々と斬り伏せ、光輝の電撃がそれらをまとめて黒焦げにしていく。
案の定、その数秒後だった。
ジジッ……!!
空間に激しいノイズが走り、倒されたはずのサイボーグ犬たちが「五秒前の状態」に巻き戻って、前衛の死角へと一斉に再出現した。
だが、復活した直後のバグモンスターには、システムが空間座標を再同期するためのコンマ数秒の硬直、ラグが必ず発生する。
「今よ、ジャック! 撃ち抜きなさい!」
「任せろ、リリア教官! これが俺のニューギアだぜ!」
後方で待ち構えていたジャックが、右手を銃の形にして突き出し、片目を閉じて照準を合わせた。
指先に集まる莫大な光エネルギーを、先ほど身体で覚えた虫眼鏡の『集光レンズ』のイメージで、ミクロの点へと極限まで圧縮していく。
「悪党どもに、正義の弾丸をプレゼントだぜ! 『ジャスティス・レイ・ストライク』!!」
ピシュゥゥゥンッ! ピシュンッ! ピシュンッ!
ジャックの人差し指から、音速を超えた極細のレーザー光線が連射された。
無駄な爆発は一切起きない。光の速さで直進したレーザーは、巻き戻って硬直していたサイボーグ犬たちの胸のコアだけを、寸分の狂いもなく次々と貫通していく。
コアを完全に焼き切られたバグモンスターたちは、今度こそ再生することなく、赤いポリゴンの粒子となって消滅していった。
「ヒャッハー! 見たか! 五発撃っても、まだ息一つ切れてねぇぜ!」
ジャックが自分の指先から立ち昇る白煙をフッと吹き消し、アメリカンコミックのヒーローさながらに親指を立てる。
「……ちょっとポーズが鼻につくけど、威力と燃費は合格点ね!」
私は思わず苦笑いしながらも、見違えるような二人の成長に胸が熱くなるのを感じた。
そこからの私たちの進軍は、まさに破竹の勢いだった。
サラの『絶対防壁』があらゆる攻撃を物理的に弾き返し、私たち特異点小隊が前線を押し上げて敵の巻き戻りを誘発させ、そこをジャックの超高速レーザーが精密に狙撃して仕留める。
アメリカ軍の最新鋭部隊すら全滅させたブロードウェイの死の防衛線を、私たち十人の日米合同チームは、わずか十数分で強引にこじ開けてみせたのだ。
「見えてきたぞ! あれがエンパイア・ステート・ビルだ!」
悠斗が前方を指差した。
五番街の交差点の向こうに、鋼鉄のツタに覆われた巨大な摩天楼がそびえ立っていた。
見上げれば、首が痛くなるほどの圧倒的な高さだ。最上階である百二階の展望台、さらにその上の百三階にあたる尖塔部分には、赤黒く脈打つ巨大な『種子の核』が、まるで街を見下ろす邪神の心臓のように不気味な光を放っている。
「正面のエントランスを突破するわよ! 突撃!」
私の掛け声で、私たちはビルの正面入り口を塞いでいたバリケード代わりのゴーレムをジャックの極太レーザーと悠斗の斬撃で爆砕、粉砕し、重厚な回転ドアを蹴り破って一階のエントランスロビーへと雪崩れ込んだ。
「ナイス、ジャック! レーザーの調整も上手くなってきたわね」
ジャックは「アリガトウゴザイマース」と日本語で答えてきた。
調子は良さそうだ。
大理石で造られた広大なロビーは、すでにバグ領域の侵食によって、機械のパイプと赤い粘液が張り巡らされた異空間へと変貌していた。
ロビーを徘徊していた十数体のサイボーグ犬を光輝と颯太たちが瞬く間に片付け、私たちはひとまず周囲の安全を確保した。
「ふぅ……。ようやくビルの中に入れたわね。米軍の部隊もここまで辿り着けなかったって聞いてたから、どうなることかと思ったわ」
私がステッキを下ろして息をつくと、ソラがタブレットを操作しながらエレベーターホールへと歩み寄った。
「ですが教官、問題はここからです。このエンパイア・ステート・ビルは、最上階の展望台まで百二階、尖塔まで含めれば百三階建ての超高層ビルです。高さは約四百四十三メートルあります」
ソラがエレベーターの扉を指差す。こじ開けられた扉の向こう、エレベーターシャフトの空間は、太い鋼鉄のツタと赤いポリゴンの塊で下から上まで完全に埋め尽くされており、ゴンドラが動く隙間すらなかった。
「エレベーターは完全に死んでるな。……となると、非常階段を使うしかねぇか」
悠斗がロビーの奥にある『STAIRS(階段)』と書かれた重厚な鉄の防火扉へと向かい、取っ手に手をかけた。
「ちょっと待ってください、風間先輩!」
後方で目を閉じていた咲が、ハッとして顔を上げ、悲鳴のような声で制止した。
「その扉、開けちゃダメです! 『遠隔透視、クレアボヤンス』で見ましたが、階段の中が……とんでもないことになってます!」
「とんでもないこと?」
悠斗が眉をひそめ、ほんの数センチだけ防火扉の隙間を開けて中を覗き込んだ。
私も悠斗の肩越しにその隙間を覗き込み、思わず背筋が凍りついた。
ギチギチギチッ……! グルルルルッ……!!
大人二人がすれ違うのがやっとの狭い非常階段の空間に、無数のサイボーグ犬や機械のムカデのようなバグモンスターたちが、まるで朝のラッシュアワーの満員電車のように、文字通り「隙間なく」ぎっしりと詰め込まれて蠢いていたのだ。
それは一階から二階だけでなく、遥か上の階層までずっと続いているようだった。
バタンッ!!
悠斗は無言で防火扉を思い切り閉め、外側から鉄パイプをかんぬきのように差し込んで完全にロックした。
「……見なかったことにしようぜ。ありゃ無理だ。満員電車の中を先頭車両まで歩いて行くようなものだ。いくら俺たちでも、あの狭い階段で巻き戻り続けるバケモノを相手に百二階まで上るのは、物理的に不可能だぜ」
「同感だぜ……。いくら俺のレーザーでも、あんな密度で押し寄せてこられたら押し潰されちまう」
ジャックも青い顔をして首を横に振った。
「エレベーターは埋まってるし、階段は満員電車……。どうやって百二階まで登ればいいんすか? 外壁をロッククライミングでもするとか?」
光輝が途方に暮れたように天井を見上げる。外壁には無数の飛行型モンスターが飛び交っており、外から上るのも自殺行為だ。
その時、私は光輝と同じようにロビーの高い天井を見上げ、ふと一つの考えに思い至った。
隣に立つ悠斗と、自然と視線が交差する。彼も同じことを考えたらしく、獰猛に口角を釣り上げた。
「……ねぇ、悠斗。階段が通れないなら、私たちが通れる『新しい道』を作ればいいんじゃない?」
「ああ。俺も今、全く同じことを考えてたところだ」
悠斗が大剣星斬りの切っ先を、ロビーの天井へと真っ直ぐに突きつけた。
「一階から百二階まで、各階の天井を魔法で片っ端からぶち抜いて、垂直に上っていくぞ!」
「な、なんだってぇ!? 天井を百二階までぶち抜くのか!?」
ジャックが目を丸くして叫ぶ。
「クレイジーだ……! 最高にクレイジーでクールな作戦だぜ、ユウト教官! まさに映画のダイハードじゃねぇか!」
「ちょっと待ってください!」
ソラが慌てて銀縁眼鏡を押し上げ、冷静なツッコミを入れた。
「天井をぶち抜くのは構いませんが、どうやって上の階へ登るんですか? 一階あたりの高さは約四メートルあります。毎回、梨花教官の『重力操作』で十人全員を浮かせて運んでいたら、最上階に着く前に教官の魔力が空っぽになってしまいますよ!」
「うん……確かに、その通りね。私の魔力は、最上階にいるだろうボスと核を破壊するために温存しておきたいわね」
私が顎に手を当てて考え込むと、颯太がロビーの割れたガラス窓から、外の五番街の通りを指差した。
「だったら、上るための『ハシゴ』を外から調達してくりゃいいんじゃないすか? ほら、あそこに乗り捨てられてる消防車とか、米軍の装甲車がありますよ!」
颯太の指差す先を見ると、確かにビルの前の通りに、避難や戦闘の混乱で放置されたニューヨーク市消防局の大型ハシゴ車や、米軍の工兵部隊がバリケード構築のために持ち込んでいた特殊車両がいくつも転がっていた。
「ナイスアイデアよ、颯太くん!」
私はパッと顔を輝かせた。
「米軍の工兵部隊が使っている突入用の『高強度伸縮ラダー梯子』なら、軽くて頑丈なチタン合金製のはずよ! 消防車のハシゴと合わせていくつか借りてくれば、ぶち抜いた天井に引っ掛けて、全員で自分の足で駆け上がれるわ!」
「よし、そうと決まれば善は急げだ! ジャック、颯太、光輝! 外に出て、使えそうなハシゴをありったけ引っ剥がしてこい! 俺と舞で援護する!」
「ラジャーだぜ、ユウト教官!」
悠斗たちは再びロビーの外へと飛び出し、群がってくるバグモンスターを蹴散らしながら、放置された米軍車両と消防車から、最大五メートルまで伸びる軍用の黒い伸縮式ハシゴを四本も回収して戻ってきた。
(もちろん、後でミラー局長には『軍事作戦のためにお借りしました』って報告しておけば怒られないわよね)
「よし、準備完了だ! 咲、まずは二階のフロアの状況を確認しろ!」
ハシゴを床に置いた悠斗の指示に、咲が目を閉じて『遠隔透視』を発動させる。
「……二階の真上には、敵は三体だけです! それから、ここから右に三メートルずれた場所なら、ビルの主要な鉄骨を避けて、安全に天井をくり抜けます!」
「さすが咲ちゃん、完璧なナビゲートよ! ソラくん、ジャック、天井をぶち抜くわよ!」
「了解です! ジャック、僕が天井を破壊しやすくするから、そのあとにグルっと円形にぶち抜いてください。いきますよ! 『局地熱膨張』!」
「よし任せろ! 『ジャスティス・レイ・ストライク』!」
ソラが天井のコンクリート内部に高熱を発生させて脆くし、その周囲をジャックがレーザーで円形に切り裂く。そして最後に、私が『重力牽引』でその天井の塊を一気に下へと引きずり下ろした。
ドゴォォォンッ!!
凄まじい轟音と粉塵と共に、一階の天井、つまり二階の床に、直径二メートルほどの綺麗な大穴がぽっかりと開いた。
穴の上から、驚いた二階のサイボーグ犬たちが顔を覗かせる。
「邪魔だっ! 『連鎖雷撃、チェインライトニング』!」
光輝が下から雷撃を撃ち上げて敵を一掃した瞬間、颯太とジャックが軍用の伸縮ハシゴをガシャン! と伸ばし、二階の穴の縁へと力強く引っ掛けた。
「道が開いたぞ! 全員、一気に駆け上がれ!」
悠斗を先頭に、私たちはハシゴをタタタッと軽快に駆け上がり、二階のオフィスフロアへと突入した。しんがりのサラとメイが上がりきると同時に、下からハシゴを引き上げる。
「いける……! これなら、階段のモンスターどもを完全に無視して、真っ直ぐ上へ進めるわ!」
私は二階の天井を見上げ、ステッキを強く握りしめた。
「いいわね、みんな! このペースで百二階まで、天井を全部ぶち抜いて駆け上がるわよ! 摩天楼の垂直突破、スタートよ!」
「「「了解ッ!!!!」」」
続けて同じ手順で二階の天井をぶち抜き、ハシゴを引き上げて三階へと到達した。
「いける……! この方法なら、階段のモンスターを無視して進めるわ!」
私が手応えを感じて三階の天井を見上げた、その時だった。
重いハシゴを引き上げていた光輝と颯太が、肩で荒い息を吐きながら、ホコリまみれのオフィスフロアの床に膝をついたのだ。
「はぁ、はぁ……っ。ちょ、ちょっと待ってくれっすよ、教官……」
「どうしたの、光輝くん。まだ三階よ、もうバテたの?」
「いや、そうじゃなくてですね……これ、本当に百二階まで、あと百回も繰り返すんすか!?」
光輝の切実な叫びに、ソラもタブレットの画面を見ながら、青ざめた顔で首を横に振った。
「教官……計算してみましたが、今のやり方では、僕たちは最上階に辿り着く前に全滅します」
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