第206話:『無力な鉄の雨と、市ヶ谷の円卓』
第206話:『無力な鉄の雨と、市ヶ谷の円卓』
灰色の雨が降り注ぐ、ロンドンのトラファルガー広場。
かつて観光客で賑わっていたその場所は、血と硝煙の匂いが立ち込める凄惨な戦場へと変貌していた。
『……ターゲット、直撃! 完全な破壊を確認! やったぞ!』
市ヶ谷の防衛省地下・作戦司令室。壁一面を覆う巨大なメインモニターには、イギリス陸軍の主力戦車部隊が、時計塔の瓦礫と融合した巨大なバグゴーレムに向けて対戦車ミサイルを一斉射撃した、ドローンでの映像が映し出されていた。
凄まじい爆発と共にゴーレムの巨体が粉々に砕け散り、通信機からは兵士たちの歓喜の声が漏れ聞こえる。
だが、その直後だった。
ジジッ……!!
モニターの映像全体に、古いビデオテープのような不自然なノイズが走った。
次の瞬間、砕け散ったはずのゴーレムが「無傷の状態」で、イギリス軍の戦車の目の前に巻き戻って出現したのだ。
『なっ……!? なぜだ、確かに破壊したはず……撃て! 撃てェッ!! ぎゃあぁぁぁっ!』
分厚い特殊装甲を紙切れのように引き裂く鈍い音と、絶叫。
無敵のバグを前にパニックに陥った軍隊は、理不尽な重力の乱れと巨大な石の拳によって、次々とスクラップにされていく。カメラを搭載していたドローンが叩き落とされ、モニターは砂嵐へと変わった。
「……ひでぇな。どこの国も似たような惨状かよ」
パイプ椅子に深く腰掛けていた悠斗が、忌々しげに舌打ちをして腕を組んだ。
冷房の効きすぎた作戦司令室には、淹れっぱなしのコーヒーから立ち昇る、少しだけ酸っぱい薫りと、オゾンの焦げたような機械の匂いが充満している。
私は自分のステッキを、指の関節が白くなるほど強く握りしめていた。ロンドンの映像を見る私の背中には、嫌な冷や汗が伝っている。
「新宿であなたたちが証明してくれた通りよ」
レンが疲れ切った手つきでタブレットを操作し、モニターの映像を世界地図へと切り替えた。
「彼らの兵器の威力が足りないわけじゃないわ。ただ、アルメルシアのシステムが引き起こす『処理落ち』と『巻き戻り』のバグの前では、純粋な物理的破壊は何の意味も持たない。……システムの同期の隙を、魔力で正確に打ち抜かない限りね」
「だったら、早く私たちが助けに行かないと……! このままじゃ、世界中の街がダンジョンにされちゃいます!」
咲がたまらず立ち上がり、焦燥に駆られた声で叫んだ。
しかし、円卓の上座に座っていた黒田局長が、深く沈み込んだ声で首を横に振った。
「そう簡単な話ではないんだ、結城くん。……特異点小隊の世界派遣については、すでに同盟国間で水面下の交渉が始まっている。だが、大国であればあるほどプライドが高く、まずは『自国の軍隊で対処できる』と強がっているのが現状だ」
「強がってる場合じゃないでしょ!? 現にボロ負けしてるじゃないですか!」
光輝が机をドンッと叩く。
「外交とはそういうものだ。正式な要請がない限り、他国の領土に我が国の最大戦力である君たちを送り込むことは、内政干渉や侵略行為と見なされかねない」
黒田局長は重い溜息を吐き、手元の資料に目を落とした。
「それに、だ。君たちが現地へ赴いてその場の『種子』を破壊したとしても、それは一時しのぎに過ぎない。翌日にはまた、別の種子が芽吹くかもしれない。根本的な解決には、各国が自前で『覚醒者』を育成し、バグ領域に対抗できる独自の防衛網を構築する必要がある」
「つまり……私たちが海外へ行って、バグモンスターの倒し方をレクチャーしつつ、それぞれの国での『覚醒者第一号』を作らなきゃいけないってことですね」
私が尋ねると、隣にいた佐藤博士が「その通りなんだが」と含みを持って頷いた。
「日本政府は現在、同盟国に対して『我が国と同じ育成システムを用いた治験施設の設立』を提案している。君たちにはその設立支援と、現地での指導も担ってもらうことになるだろう。……ただし、一つ大きな懸念がある」
佐藤博士は銀縁眼鏡の位置を直し、私と悠斗を真っ直ぐに見つめた。
「アルメルシアの深層環境は、ダイブした人間たちの『集合無意識』によって形成される。……日本人がダイブしたから、新宿の地下はあのようなファンタジーRPGのような世界になったと考えられる」
「……なるほど。国が違えば、魔法やバケモノに対する国民のイメージも違うってことか」
悠斗が鋭く目を細める。
「その通り。アメリカの治験者が多数ダイブすれば、彼らの無意識はスーパーヒーローのコミックや、SF映画のようなサイバーパンクの荒野を形成するかもしれない。ロシアなら極寒のツンドラと民話の魔物、中東なら強烈な文化観が反映された砂漠の迷宮……。君たちは、ルールも環境も全く違う、見知らぬ異界へと潜ることになる」
「環境だけじゃありませんよ」
私は、以前海外へ教官として少しだけ出向いた時のことを思い出し、思わず顔をしかめた。
「イギリスなんかは特に厄介です。あそこの魔術師や適性者たちは、魔法に対して『長くて複雑な詠唱をしなければ発動しない』っていう、伝統的な文化と固定観念に縛り付けられてるんです」
「あー、あったなそんなこと。俺たちが『魔法はイメージとスピードだ』って教えても、頑なに呪文を唱えたがってボコボコにされてた連中か」
悠斗が呆れたように思い出す。
「そう。もし今のバグ領域で、敵が巻き戻るわずかコンマ数秒のタイミングに合わせて、三十秒も悠長に詠唱なんかしてたら、一瞬で全滅します。完全にイチから私たちの『実戦的な魔法の概念』を植え付けなきゃいけないないと思います」
「……ただでさえ狂ってるダンジョンで、常識の通じない外国人のガキ共を導けってか。最高にイカれたミッションじゃねぇか」
悠斗が大剣の柄を指先でリズミカルに叩き、獰猛な笑みを浮かべる。口では文句を言いながらも、その瞳には未知の強敵に対する戦士の闘志が燃えていた。
「さらに嫌な情報があるわ」
重い空気を切り裂くように、レンがタブレットの画面を弾き、いくつかの不鮮明な写真をモニターに映し出した。
「世界中が混乱に陥っている裏で、某国の独裁政権や、莫大な資産を持つ一部の富裕層たちが、独自のネットワークを使って暗躍している形跡があるの」
「暗躍……?」
「ええ。彼らは各国の正規軍や防衛省の管轄を逃れ、莫大な資金を投じて非合法な『自分たち専用の安全なシェルター』を作ろうとしているらしいわ。それどころか……裏ルートで身寄りのない若者たちを集め、違法な治験で強制的に適性者を『養殖』し、軍事用AIで『戦闘用異能者』を量産しようとしているという噂まである」
「……胸糞悪い話だな」
光輝がギリッと奥歯を噛み鳴らした。
「世界の危機だってのに、自分の金と権力を守るためだけに、子供たちを実験体にするなんて……絶対に許せませんよ」
ソラも銀縁眼鏡の奥の瞳に、静かな、しかし確かな怒りを燃やす。
(まさに日本政府にも特大のブーメランね)
人間の底知れぬ強欲さ。得体の知れない化け物よりも、よっぽどおぞましくて吐き気がする。私が小さく眩暈を覚えて俯きかけた時、頭上にポンと温かい重みが乗った。
悠斗の手だった。
「下向くな、梨花。バケモノだろうが、腐った独裁者だろうが、俺たちがまとめて叩き潰してやるだけだ」
ぶっきらぼうだが、確かな熱を持った悠斗の言葉に、私はハッとして顔を上げた。
「……ええ。そうね。いずれ、私たち特異点小隊は、その強欲な連中とも対峙することになる。……でも、まずは同盟国の火消しが先よ」
私が気を引き締めるように言うと、黒田局長も深く頷いた。
ピーッ、ピーッ……!!
その時、作戦司令室の極秘回線を知らせる赤いランプが、けたたましく点滅を始めた。
レンが即座にコンソールを操作し、通信の送信元を確認する。
「……局長。どうやら、プライドよりも国の存亡を優先する判断ができた国が、一つ現れたみたいよ」
レンが顔を上げ、モニターに一つの国旗を映し出した。
星条旗、アメリカ合衆国だ。
「……まさか最初のSOSは、アメリカか」
悠斗が腕を組み、モニターを見上げて小さく鼻を鳴らした。
「あれだけ世界最強の軍隊を自負していた国が、一番に日本へ泣きついてくるとはね」
「同盟国として、そして何より『種子』の悪用や軍事開発の圧力を跳ね除けるためにも、アメリカの防衛網を固めるのは最優先事項だ。……特異点小隊、直ちに出撃の準備にかかれ!」
黒田局長の号令に、私たちは一斉に「了解ッ!」と声を上げた。
近代兵器が敗北を喫する中、人類の反撃の希望は、私たち特異点小隊の双肩に託された。
海を越えた先で待つ、文化も魔法の概念も違う未知のバグ領域。そして、久しぶりに再会するであろう「あの二人」の教え子の顔が、私の脳裏を過る。
世界を救うための、長くて過酷な遠征の幕が、今まさに上がろうとしていた。
感想、レビュー、ブクマ、評価、待ってます!!
ちょっと面白いかなと思いましたら評価をお願いいたします。反響は励みになります。




