第202話:『深淵の座標と、星屑の潜航艇』
第202話:『深淵の座標と、星屑の潜航艇』
「うおぉぉぉぉッ!」
防衛省地下に設けられた基礎訓練ルーム。掛け声とともに木刀を振り下ろす颯太の踏み込みは、荒削りながらも確かな殺気と重さが乗っていた。
だが、その切っ先が悠斗に届くことはない。
ガッ!
「……遅い。殺気ダダ漏れで『これから斬ります』って宣言してるようなもんだ。そんな大振りじゃ、箱庭のバグ犬一匹殺せねぇぞ」
悠斗は片手の木刀で軽く受け流し、颯太の足をすくってマットの上に転がした。
「痛っ……くそっ、もう一回だ!」
「……気合いは認めてやる。だがまずは基礎体力をつけろ。俺たちが帰ってくるまでに、その木刀で素振り一万回だ」
「風間先輩、私もお願いします!」
隣で息を切らしている舞にも、悠斗は容赦なく基礎の型を叩き込んでいた。
昨日、メディカルルームで悠斗が宣言した通り、追加要員候補となった彼らの「地獄の特訓」は、即座に開始されていた。
彼らにはまだ実戦は早すぎる。私たちがこれから向かうのは、AIシステムそのものが敵となる本当の死地だからだ。
「悠斗、梨花。……ブリーフィングの時間よ」
訓練ルームの入り口から、レンがタブレットを片手に声をかけてきた。
「おう。……おい新入り共、サボってたらぶっ飛ばすからな」
悠斗は冗談交じりの笑顔で木刀を置き、颯太と舞に背中越しに告げる。
「言われなくても……絶対に強くなって、先輩たちを追い抜いてみせますから!」
颯太の負けん気の強い声に、悠斗は短く鼻で笑って応えた。
作戦司令室には、すでに光輝、咲、ソラ、メイの四人と、黒田局長、佐藤博士が揃っていた。
円卓の中央のモニターに映し出されているのは、広大な太平洋の海図だ。
「……待たせたわね。単刀直入に言うわ」
レンがメインモニターを操作し、マリアナ海溝の西側斜面、深度数千メートルの位置に赤い光点を明滅させた。
「ソラが隣国のプラントから持ち帰った、あの中枢コア沈黙直前の〇・〇三秒の通信ログ。その送信先である『箱舟』の現在座標を完全に特定したわ」
「マリアナ海溝……そんな深海に、親玉の拠点が?」
ソラが銀縁眼鏡を押し上げながら驚きの声を上げる。
「ええ。どこに隠れたかと思っていたけれど、マリアナ海溝の海底の地殻変動を利用して稼働する、巨大な地熱プラント兼、潜水空母のような施設に隠れていると推測されるわ」
続いて、佐藤博士が重々しく口を開く。
「昨日、氷室監査官が言っていたんだが、『太平洋の爆弾騒ぎ』の可能性。……アークが本格的な行動に出れば、その施設から海底プレートの断層へ向けて何らかの物理的、あるいは魔力的な衝撃を与え、人工的な巨大地震や津波を引き起こす可能性がある。世界中の異能者を一掃するための、まさに古代の地球規模の大津波も実現可能だろうと考えているとのことだった……」
「日本を海に沈めるってことですか……。ふざけんなよ」
光輝が右手のガントレットをギリッと握りしめた。
「当然、放ってはおけません。ですが……問題はどうやってそこへ向かうかです」
黒田局長が険しい顔つきで腕を組んだ。
「目標の深度は数千メートル。自衛隊の最新鋭潜水艦でも、水圧と未知のジャミングのせいで接近は困難です。
さらに、氷室監査官をはじめとする上層部の保守派が我々の行動を強く警戒しており、正規のルートで防衛省の装備を大々的に動かすことは事実上不可能です」
「じゃあ、どうやって行ったら……?」
咲が不安そうに尋ねる。
「……正規のルートが使えないなら、非正規の協力者を頼るしかないだろう」
黒田局長の言葉に、レンがニヤリと笑ってタブレットをタップした。
モニターに映し出されたのは、隣国で共に戦ったレジスタンス『星屑の歯車』のリーダー、ジンの姿だった。
『よぉ、日本の特異点ども。元気にしてるか?』
録画されたメッセージ映像の中で、ジンは相変わらず汚れたマフラーを口元に巻き、不敵な笑みを浮かべていた。
『お前らのおかげで、こっちのプラントは完全に沈黙した。だが、海に逃げた親玉を放っておくほど、お前らもお人好しじゃねぇだろ?』
「ジンさん……!」
メイが嬉しそうに両手を胸の前で組む。
『実はあの騒ぎのどさくさに紛れて、某国の軍施設の秘密ドックから、深海探査用のステルス特殊潜航艇をまるごと一隻くすねてきた。……お前らが海の底で暴れる気なら、その船、貸してやるぜ』
「相変わらず、無茶苦茶な連中だな」
悠斗が呆れたように鼻を鳴らしながらも、その口元には確かな笑みが浮かんでいた。
「というわけだ。明日の夜明け前、房総半島の沖合に彼らの潜航艇が浮上する。それに乗り込み、『箱舟』の深海拠点へと向かう」
黒田局長が、私たち六人の顔を順番に見据え、厳しい表情で言葉を続けた。
「しかし、今回は特異点小隊の全員で出撃することは許可しない」
「えっ……全員で行かないんですか?」
メイが驚いて聞き返す。
「ああ。AIシステムは今のところ、深海で不気味な沈黙を保ったままであり、直接的な攻撃は仕掛けてきていない。この状況で我が国の最大戦力である君たち全員を深海へ送り込み、万が一敗北して全滅するようなことがあれば、日本を守る防衛線が完全に崩壊してしまうからだ」
黒田局長は円卓を見回し、慎重なトーンで告げた。
「リスクが高すぎる。まずは行く人数を半分に減らし、徹底した偵察を主目的とする。敵の戦力規模と内部構造のデータを持ち帰ることが最優先だ」
「なるほど。理にかなってますね」
ソラが眼鏡を押し上げながら納得したように頷いた。
「潜入メンバーは、風間悠斗、瀬戸梨花。そして、偵察任務に不可欠な『遠隔透視』の能力を持つ結城咲。この三名とする」
指名された咲が「は、はいっ!」と緊張した声で立ち上がった。
「待ってくださいよ、俺は!? 俺の雷なら海の底でも……」
光輝が身を乗り出して抗議しようとするが、悠斗がそれを手で制した。
「お前とソラ、それにメイは居残りだな。……颯太や舞みたいな新しい連中がまだ実戦レベルに育ってない今、俺たちが留守の間に日本を襲撃されたら誰が防ぐんだよ」
悠斗は光輝の肩をポンと叩き、ニヤリと笑った。
「拠点防衛と、後輩どものしごきはお前らに任せる。……俺たちが持ち帰るデータを取りこぼさないよう、せいぜい腕を磨いて待ってろよ」
「……チッ、わかりましたよ。その代わり、絶対無事に帰ってきてくださいよ、センパイたち」
光輝が渋々といった様子でガントレットを鳴らし、ソラとメイも力強く頷いた。
「ええ、任せて。必ず生きて戻るわ」
私はステッキを胸の前で握りしめ、背筋を伸ばした。
相手は、十年前に佐藤博士が封印した『箱舟』の基礎コードをベースに、自己進化を遂げた恐るべきAIシステムだ。慎重すぎるということはない。偵察という名目でも、何が起こるか分からない死地へ向かうことに変わりはなかった。
***
その日の深夜。
私は防衛省の寮でわずかな仮眠を取り、出撃の準備を整えていた。
防刃スーツに袖を通し、鏡の前で自分の顔を見つめる。
高校生の時、あの渋谷の交差点で事故に遭い、アルメルシアの治験に巻き込まれてから、どれだけの時間が経っただろう。あの頃はただ、生き残るために必死だった。でも今は違う。私には守るべき大切な仲間がいて、背中を預けられる後輩たちがいる。
「……準備はできたか、梨花」
部屋のドアが開き、フル装備の悠斗が顔を出した。
「ええ。いつでも行けるわ」
私が振り返ると、悠斗は少しだけ目を細め、歩み寄ってきて私の頭をポンと撫でた。
「……今回は三人だけの潜入だ。海の底じゃ、アルメルシアみたいに都合よく波長を増幅してごまかすことはできねぇからな。魔力切れになったら、素直に俺の背中に隠れろよ」
「もう、子供扱いしないでよ。私だって特異点の『先輩』なんだから」
私が小さく唇を尖らせると、悠斗は「へっ」と笑い、私の頬をつついた。
その確かな感触が、私の心の中にある不安を溶かしていく。
「……行こう。世界の歪みを、この目で確かめに」
私たちは手を繋いだまま、咲が待つ集合場所へと向かった。
東の空が白み始め、異能戦争の鍵を握る『箱舟』偵察作戦の幕が、今まさに切って落とされようとしていた。
***
房総半島の沖合。凍てつくような冬の海風が吹き荒れる中、指定された座標の海面が静かに泡立ち、ぬらりとした漆黒の船体が姿を現した。
ジンが手配してくれた、隣国軍の深海探査用ステルス特殊潜航艇だ。
ハッチが開き、私たちは素早く艦内へと滑り込んだ。待機メンバーとして残った光輝たちの「絶対無事に帰ってこいよ」という言葉を背中に背負い、私と悠斗、そして咲の三人を乗せた潜航艇は、音もなく暗い海の底へと潜っていった。
「……すごい。本当に海の底に落ちていくみたい」
窓のない狭い艦内で、咲が計器のモニターを見つめながらポツリと呟いた。
深度計の数字は、すでに二千メートルを超え、なおも猛スピードで降下を続けている。マリアナ海溝の西側斜面。光の全く届かない絶対的な暗闇と、潜航艇の装甲をミシミシと軋ませる途方もない水圧の世界だ。
「緊張してるか、咲」
腕を組んで座っていた悠斗が、声をかけた。
「は、はい……少しだけ。私たち三人だけで、あの『箱舟』の全貌を探るなんて、責任重大だなって……」
「気負うな。俺たちの目的はあくまで偵察だ。ヤバいと思ったらすぐに反転して逃げる。……お前の『目』が頼りなんだ、落ち着いて周りを探れ」
悠斗のぶっきらぼうだが安心感のある言葉に、咲は小さく深呼吸をしてこくりと頷いた。
やがて、潜航艇の推進音が静かに落とされ、微速前進へと切り替わった。
「目標座標に接近。……モニター、外部カメラに切り替えます」
乗組員がコンソールを操作すると、艦内のメインモニターに深海の映像が映し出された。
「……嘘でしょ」
私は思わず息を呑んだ。
サーチライトの光が照らし出したのは、海底の斜面にへばりつくように建造された、巨大な都市のようなプラントだった。
無数のパイプが地殻に突き刺さり、地熱を吸い上げているのか、施設全体が不気味な赤い光脈を脈打たせている。潜水空母というレベルではない。海溝の壁面そのものを改造した、まさに深海の『箱舟』だ。
「こんなデカいもんを、十年前に佐藤博士が封印した基礎コードから……AIが自己進化して一人で作ったってのかよ」
悠斗が信じられないというように画面を睨みつける。
「咲ちゃん、内部の構造は透視できる?」
「やってみます。『遠隔透視、クレアボヤンス』……!」
咲が目を閉じ、こめかみに指を当てて意識を集中させる。彼女の脳内には、マップのデータが浮かび上がっているのだろう。
「……すごいです。外殻は分厚いチタン合金と特殊な電波吸収材で覆われてますけど、私の透視なら抜けます。……内部は巨大な生産ラインになっていて、無人機がたくさん作られてます。でも、普通の兵器じゃない……、ドローンやロボット兵器だけでなく、奇妙なカプセル状の物体が無数に並べられています」
「これは……少し大きい植物の種かな? カプセルの中に、莫大な魔力と……何かが圧縮されて詰め込まれています。AIはこれを、海底ケーブルや海流に乗せて世界中にばら撒こうと準備をしているように見えます」
咲の言葉に、私は背筋が凍るのを感じた。
「……まさか。物理的な兵器による攻撃なの? 細菌兵器か、どんな兵器なのか……!」
彼らは海底深くでただ沈黙していたのではなかったようだ。世界にばら撒く「種」を準備していたのか。
「ビンゴだ。最高の偵察成果じゃねぇか」
悠斗が大剣の柄を軽く叩く。
「これ以上の長居は無用だ。データは取れた、ずらかるぞ」
「ええ!」
私たちが反転の指示を出そうとした、まさにその時だった。
『……微弱ナ魔力波長ヲ検知。スキャン……特異点ノ接近ヲ確認』
潜航艇の通信機が強制的にハックされ、あの聞き慣れた冷酷な合成音声が艦内に響き渡った。
「チッ! 透視の魔力から感知されたか!」
「システムが起動します! 施設の防衛ハッチから、迎撃用の無人機が多数放出されました!」
咲が悲鳴のように叫ぶ。
モニターには、深海の暗闇を割って、赤い光の尾を引く魚雷のような無人機の大群が、私たちへ向かって殺到してくるのが映っていた。
「さぁ、乗務員の方たち、逃げるわよ! 振り切って!」
深海の底、圧倒的な水圧と絶望的な数の群れ。
私たち三人の特異点を乗せた潜航艇は、世界の運命を左右する致命的な情報を抱えたまま、命がけの逃避行へと舵を切った。
感想、レビュー、ブクマ、評価、待ってます!!
ちょっと面白いかなと思いましたら評価をお願いいたします。反響は励みになります。




