第198話:『深層の黒い影と、兄妹の約束』
第198話:『深層の黒い影と、兄妹の約束』
ピキィィィン……ッ!!
廃墟の奥深くから鳴り響いた、ガラスがひび割れるような不気味なノイズ音に、広場の空気がビリビリと震えた。
見上げれば、鉛色の空の一部がまるで古いブラウン管テレビの砂嵐のようにザザッと乱れ、黒い亀裂のようなものが走っては消えていく。
「な、なんなんすか、今の音……!?」
光輝がガントレットを構え直し、周囲を警戒する。
「ソラくん、今のノイズは何かわかる?」
私の問いかけに、ソラは銀縁眼鏡の奥の瞳を険しくし、タブレットの画面を素早くスワイプした。
「……アルメルシアの空間構成プログラムに、外部からの不正な干渉コードが混ざっています。佐藤博士が言っていた『集合無意識の澱』だけじゃありません。この深層領域そのものが、何者かに書き換えられようとしているみたいです」
「書き換えられてるって……とにかく、この子たちをここに置いておくのは危険ね」
私は、私の魔力波長に触れて覚醒のオーラを纏い始めた四人の少年少女たちを振り返った。
彼らが自らの魔力を認識し、魔力回路が開通したことで、彼らの足元には現実世界への帰還が可能になったことを示す、淡い緑色の魔法陣が浮かび上がっていた。
「あなたたち、そのまま自分の魔力を足元の光に流し込みなさい! そうすれば、現実世界のカプセルに戻れるわ!」
「は、はいっ! ありがとうございます、教官!」
四人の治験者たちは互いに頷き合い、言われた通りに魔力を集中させる。やがて彼らの体は光の粒子へと変わり、廃墟の広場から一人、また一人と無事に消えていった。
これで、まずは四人救出完了。
しかし、広場にただ一人残った赤茶色の髪の少年、中村颯太だけは、足元に浮かび上がった帰還用の魔法陣を乱暴に踏み消し、深層へと続く大階段に向かって歩き出していた。
「おい、待てって! そのボロボロの体で一人で行く気かよ!」
光輝が慌てて呼び止めるが、颯太は振り返らない。
「うるせぇ! 俺が今ここで現実に戻ったら、深層に連れ去られた妹の結衣はどうなるんだよ! あいつは……俺が絶対に守るって約束して、一緒にこの治験に入ったんだ……っ!」
颯太が悲痛な声を張り上げ、大階段に足をかけた瞬間。
極限まで疲労していた彼の膝がガクンと折れ、石畳の上へと前のめりに倒れ込みそうになった。
「……っと。口だけは威勢がいいな、おい」
ドサッと倒れる寸前、いつの間にか彼の真横に回り込んでいた悠斗が、颯太の襟首を片手で無造作に引っ掴んで引き起こした。
「くそっ、離せ……! 俺は一人でも……」
「こんなナマクラ一本で、どうやって妹を助ける気だ?」
悠斗はそう言うと、背負っていた大剣星斬りの柄の先端で、颯太が握りしめていた初期装備の双剣をコツンと軽く叩いた。
たったそれだけの衝撃で、限界を迎えていた鉄の刀身がパキンと乾いた音を立てて根元から折れ、地面に転がり落ちる。
「あ……っ」
武器を失い、呆然と立ち尽くす颯太。
悠斗は彼の襟首から手を離すと、呆れたように鼻を鳴らし、自分の足元に落ちていた別の覚醒者が残していった短剣を二本拾い上げて、颯太の胸元へと放り投げた。
「わわっ……!」
「せっかくうちの頼れる教官殿が、お前の中の魔力を呼び覚ましてやったんだ。ただの鉄クズを振り回すんじゃねぇ。さっき目覚めた自分の力を、その刃にどうやって乗せるか考えろ」
悠斗は颯太に背を向け、大剣を肩に担ぎ直したまま、黒く淀んだ大階段を見上げた。
「妹を助けたいなら、俺たちの後ろにしっかりついてこい。……ただし、勝手なスタンドプレーで足を引っ張ったら、その場でぶん殴って強制送還するからな」
「……っ!」
颯太は受け止めた二本の短剣を強く握りしめ、悠斗の広い背中を食い入るように見つめた。
言葉では突き放しながらも、自分の無謀な思いを否定せずに道を示してくれた悠斗の不器用な優しさが、彼にもちゃんと伝わったのだろう。
「……悪かったよ、さっきは。手を払ったりして」
颯太はバツが悪そうに視線を逸らしながら、私の前を通り過ぎる時に小さく頭を下げた。
「いいえ。妹さんを思う気持ち、すごくよくわかるわ。……絶対に、みんなで一緒に助け出しましょう」
私が微笑んで頷くと、颯太は少しだけ頬を染め、「……ああ!」と力強く返事をした。
「咲ちゃん、この大階段の下……深層領域の様子を透視できる?」
私の指示に、咲はこめかみに指を当てて目を閉じた。
「遠隔透視、クレアボヤンス……っ! ……ムムム、ダメです、梨花先輩! さっきのノイズのせいで、階段の下に真っ黒い霧みたいな妨害電波が渦巻いてて、映像が砂嵐みたいに乱れちゃいます……!」
地下鉄のトンネルで電波吸収材に阻まれた時と同じような現象だ。咲の表情に焦りの色が浮かぶ。
「咲さん、そのまま視界を閉じないでください」
すかさず隣に並んだのは、タブレットを構えたソラだった。
「さっきの空間ノイズの波形パターンは、僕のタブレットに記録してあります。今から僕が、その妨害ノイズと逆位相の魔力パルスを咲さんの周囲に展開して、ノイズだけを相殺します」
ソラがタブレットの画面を弾くと、彼の指先から極めて微細で精密な熱振動のパルスが放たれ、咲の周囲の空気をわずかに震わせた。
「……あっ! すごい、ノイズが消えていく……! 物理的な構造まで、くっきり視えます!」
咲の声がぱっと明るくなる。
訓練ドームでの反省会で話していた通り、ソラの分析力と咲の透視能力を掛け合わせることで、単独では突破できなかった妨害の壁を見事に乗り越えてみせたのだ。
「階段を降りた先、約五百メートルに巨大な神殿のような跡地があります! そこに、颯太くんの妹さんらしき女の子を含めて、八人の治験者が光の檻みたいなものに閉じ込められています!」
「結衣が……! まだ無事なんだな!?」
颯太が身を乗り出すと、咲は頷いたが、すぐに険しい顔で言葉を継いだ。
「はい、まだ意識はあります! でも……その檻の周りに、颯太くんの言っていた『黒い人影』が十体以上うろついています! それに、さらに奥から、別のすごく強い魔力を持った治験者たちが、その人影たちと戦いながら神殿の方へ追い詰められてきています!」
「戦ってる治験者が他にもいるってことは、そいつらも自力で覚醒しかけてる有望株ってことだな」
悠斗が獰猛な笑みを浮かべる。
「よし、一網打尽にして全員まとめて回収するぞ! 行くぞ、お前ら!」
私たちは大階段を一気に駆け下り、さらに空気が重く澱んだ深層の神殿跡地へと突入した。
崩れ落ちた白い石柱が並ぶその場所の中央には、確かに青白い光の檻があり、その中に十代前半の小柄な少女や数人の治験者たちが閉じ込められていた。
そして、その周囲を徘徊していたのは、私たちと同じ防刃スーツや初期装備を纏いながら、全身がコールタールのような真っ黒なノイズで塗り潰された、不気味な『人影』の群れだった。
私の視界の端に、システムからのポップアップウィンドウが赤く点滅して浮かび上がる。
しかし、その名称表示は『■■■・コレクター(未定義エラー)』と激しく文字化けしており、アルメルシアの正規のモンスターではないことを物語っていた。
「キャアアアアッ!!」
神殿の反対側の入り口から、悲鳴と共に三人の治験者が転がり込んできた。
先頭で槍を振るう長身の少女と、それを援護する二人の少年。彼らはすでに自力で覚醒を果たしているのか、槍の穂先から鋭い風の刃を飛ばして黒い人影を牽制しているが、背後から迫る別の黒い人影の群れに完全に挟み撃ちにされていた。
「結衣ッ!! あそこにいるの、結衣だ!」
颯太が檻の中の少女を見つけて叫ぶ。
すると、神殿にいた十数体の『黒い人影』が一斉にピタリと動きを止め、顔のない真っ黒な頭部をギギギ……と不自然な角度で私たちの方へと向けた。
次の瞬間、先頭にいた黒い人影が、まるで光輝の『連鎖雷撃』や悠斗の剣技を不完全にコピーしたかのような鋭い踏み込みで、槍の少女たちと私たちへ向かって同時に襲いかかってきたのだ。
「なっ……!? こいつら、魔法や剣技を使ってくるぞ!?」
光輝が驚きの声を上げる。
「ただのモンスターじゃない、私たちの戦闘データを学習したシステム側の何かよ! メイちゃん、向こうの三人を守って! 私たちは正面を突破するわ!」
「はいっ! 誰一人、傷つけさせませんっ!」
メイが地を蹴り、槍の少女たちの前へと飛び出す。
時計を見れば、ダイブの制限時間である三時間のうち、すでに四十分近くが経過していた。
混濁する深層の神殿で、謎の黒い影たちとの激しい奪還戦が幕を開けた。
感想、レビュー、ブクマ、評価、待ってます!!
ちょっと面白いかなと思いましたら評価をお願いいたします。反響は励みになります。




