第197話:『白亜の繭と、混濁する箱庭』
第197話:『白亜の繭と、混濁する箱庭』
訓練ドームでの打ち合わせを終えた私たちは、その足で防衛省・市ヶ谷の地下深くに新設された特別治験区画へと移動した。
重厚な隔壁を抜けた先に広がっていたのは、いつ見ても背筋が寒くなるような、純白の巨大フロアだ。見渡す限りの空間に、アルメルシアの治験カプセルが数百台も整然と並べられ、生命維持装置の規則正しい電子音が静かに反響している。
「……すごい数ですね。この一つ一つの中に、わたしたちと同じ適性者の子たちが眠っているんだ……」
メイが、透明なバイザーの奥で目を閉じている十代の少女のカプセルを覗き込み、きゅっと胸元の防刃スーツを握りしめた。
「そうです。でも、ここを見てください」
先導していた佐藤博士が立ち止まり、手前の列に並ぶ十数台のカプセルを示した。
それらのカプセルはハッチが開け放たれ、ステータスを示すランプが穏やかな緑色に点灯している。中身は空っぽだった。
「これが、今朝までに自らの力で試練を乗り越え、覚醒して現実へ戻ってきた者たちのカプセルです。現在、彼らは別棟のメディカルルームで身体検査と精神ケアを受けているところです」
「自力でここを抜け出した奴らが、もう十数人もいるんすね……」
光輝が感心したように空のカプセルを見つめる。
「ええ。でも、ここから先の一画を見てみなさい」
レンがタブレットを操作しながら、フロアの奥を指差した。
そこにある数百台のカプセルは、バイタルランプが不安定な黄色や、危険を示す赤色で激しく明滅を繰り返していた。バイザーの奥に見える少年少女たちの眉間には深い皺が寄っており、うなされるように首を振っている子もいる。
「なぜ、こんなに苦しんでいるんでしょうか? 日本のシステムには安全装置があるはずなのに……」
咲が不安そうに問いかけると、佐藤博士は銀縁のソラとは違う、少しくたびれた眼鏡の奥の目を細めた。
「一度に数百人という前例のない人数をダイブさせたことで、アルメルシアの深層領域に『集合無意識の澱』のようなものが溜まってしまったと考えられます。彼ら自身の『現実に戻れないかもしれない』という恐怖心がシステムに干渉し、試練の難易度を異常に跳ね上げてしまっているのではないかと思います」
「自分たちの恐怖心で、自分の首を絞めてるってことですか」
ソラが中指で眼鏡のブリッジを押し上げながら、冷静に分析する。
「その通りです。だからこそ、外からの強力な『道標』が必要になる」
佐藤博士は白衣のポケットから、銀色に輝く小さなイヤーカフ型のデバイスを取り出し、私へと差し出した。
「梨花ちゃん、これを左耳につけてダイブしてくれ。隣国のプラントから回収したデータを応用して急造した、魔力波長の増幅用アンプだ。君の持つ『共鳴の触媒』としての稀な波長を、アルメルシアの広範囲に届ける助けになるはずだよ」
「ありがとうございます、博士」
私はそれを受け取り、左耳へと装着した。ひんやりとした金属の感触が、私の決意を改めて引き締めてくれる。
「今回のダイブには、安全のため『三時間』のタイムリミットを設けるわ」
レンが私たちの前に用意された六台の教官用カプセルを示し、厳しい声で告げた。
「どれほどあなたたちが実戦を潜り抜けた特異点でも、今の混濁したアルメルシアの深層に長居すれば、数百人分の負の感情に当てられて精神が摩耗する。三時間以内に、可能な限りの治験者を覚醒へ導き、その中から近々の戦力となり得る素質を持った者を見極めてきなさい。……いいわね?」
「了解です!」
私たちがそれぞれのカプセルへと乗り込んでいく中、隣のカプセルに足をかけた悠斗が、ふと私の左耳のイヤーカフに視線を留めた。
「……また面倒なもんをつけられたな、教官殿」
口では素っ気なく言いながら、悠斗の大きな右手が伸びてきて、私の左耳のイヤーカフが落ちないように、そっと位置を直してくれた。指先が私の耳たぶから頬へとわずかに触れ、昨夜の彼の部屋の熱がフラッシュバックして、私の心臓がトクンと跳ねる。
「む、無茶な波長増幅をして魔力切れになるなって意味かもな、それは。……あっちに行っても、俺のそばから離れるなよ、梨花」
「……うん。わかってるわ」
言葉を飾らない彼の不器用な優しさに、私は小さく微笑んで頷き返した。
プシュゥゥゥッ……とカプセルのハッチが閉じ、視界が白い光へと溶けていく。
意識が一度深い海の底へと沈み込み、次の瞬間、懐かしい浮遊感と共に私の五感が『箱庭』の世界で再構築された。
「……ここが、今のアルメルシア?」
ブーツの裏で硬い石畳の感触を確かめながら目を開けた私は、思わず息を呑んだ。
かつて私や悠斗、そして光輝たちが試練を受けた頃のアルメルシアは、どこか幻想的で美しい中世風の街並みや草原が広がっていたはずだった。
しかし今、私たちの目の前に広がっていたのは、鉛色の重苦しい雲が垂れ込め、建物という建物が黒くひび割れて崩れかけた『廃墟の迷宮都市』だったのだ。空気は泥のように重く、遠くからは地鳴りのような魔獣の咆哮と、金属がぶつかり合う激しい戦闘音がいくつも響いてくる。
「うわぁ……なんだか、すごく空気が淀んでますね」
隣に転送されてきたメイが、黄金のハニカムシールドをいつでも出せるように構えながら周囲を見渡した。
「咲ちゃん、近くの治験者たちの位置はわかる?」
私の問いかけに、咲はすぐにこめかみに指を当て、意識を集中させた。
「……遠隔透視、クレアボヤンス。……視えます! ここから北東へ三百メートルほどの広場に、五人の治験者が固まっています! でも……っ、黒い影みたいなモンスターの群れに完全に包囲されてて、もう防戦一方です!」
「よし、まずはそいつらから助け出すぞ! 遅れるなよ、お前ら!」
悠斗が背中の大剣星斬りを引き抜き、一番手で廃墟の路地を駆け出した。
私たちが瓦礫を飛び越えて広場へと躍り出ると、そこには悲惨な光景が広がっていた。
初期装備の様な、粗末な鉄の剣や杖を持った十代半ばの少年少女たちが五人、背中合わせになって必死に武器を振るっている。その周囲を取り囲んでいるのは、黒い泥が狼の形を成したような、数十体の異形のモンスター『ナイトメア・ハウンド』の群れだった。
今回はポップアップでモンスターの名称が出てくる仕様なのね。
「ハァッ、ハァッ……! くそっ、キリがねぇぞ! なんでこんな化け物ばっかり出てくるんだよ!」
先頭に立つ、赤茶色の髪を逆立てた目つきの鋭い少年が、折れかけた双剣で魔獣の牙を受け止めながら叫んでいた。彼の後ろにいる四人はすでに恐怖で腰を抜かし、魔力も尽きかけているのか、顔色が土気色に染まっている。
黒い魔獣の一体が、少年の防御の隙を突いてその喉元へと飛びかかった。
「させるかよッ! 連鎖雷撃、チェインライトニングッ!!」
広場の上空へ跳躍した光輝が、右肩を沈める予備動作すら見せない素早いモーションで、ガントレットから青白い稲妻を解き放った。
バチバチバチィッ!!
精密に制御された雷撃が、少年たちの指一本焦がすことなく、周囲を取り囲んでいた十数体の魔獣だけを正確に縫い留めて炭化させる。
「なっ……!? なんだ、この雷……!?」
双剣の少年が驚愕に目を見開く中、今度はソラとメイが左右から滑り込んだ。
「展開、ハニカムシールド!」
メイが黄金の六角形の盾をドーム状に広げて五人の治験者を完全に保護し、その外側でソラがタブレットを弾いた。
「座標固定。……局地熱膨張、サーマルエクスパンション!」
ドゴォォォォンッ!!
後続の魔獣たちの足元の石畳が超高熱で爆発的に膨張し、群れごと一網打尽に吹き飛ばす。
そして最後、宙に舞い上がった魔獣のボス格の巨体を、白く輝くオーラを纏った悠斗が大剣星斬りの一閃で真っ二つに両断した。
黒い霧となって消滅していく魔獣たち。わずか十秒足らずの電撃的な救援劇に、助けられた五人の治験者たちは、ぽかんと口を開けて凍りついていた。
「みんな、怪我はない!?」
私はステッキを収め、メイが解除したシールドの中へと歩み寄った。
左耳のイヤーカフに魔力を流し込み、佐藤博士に言われた通り、彼らを包み込むようなイメージで自分の魔力波長をそっと広げていく。
フワッ、と私の周囲に淡い桜色の光の粒子が舞い散った。
私の波長に触れた瞬間、腰を抜かしていた四人の少年少女たちの瞳に、急速に強い光が宿り始める。
「あ……れ……? 体が、熱い……っ。なんだか、力の使い方が分かる気がします……!」
うずくまっていた少女の一人が、自分の両手を見つめて声を上げた。
その全身から、未熟ながらも確かな覚醒へ至りそうな魔力のオーラが立ち昇り始める。
私と波長が共鳴したことで、彼らの中で眠っていた魔力回路が一気に開通したのだ。
「すごい……本当に、梨花先輩が近づいただけでみんなが覚醒していく……」
咲が目を丸くして呟く。
よし、この調子なら三時間でたくさんの子たちを助け出せるわ!
私がそう胸を撫で下ろし、最後に残った赤茶色の髪の少年、最後まで一人で双剣を振るって戦っていた彼へと手を差し伸べた、その時だった。
パシッ!
乾いた音が響き、私の差し出した手は、少年の荒々しい手によって強く払いのけられた。
「……おい、梨花先輩になにすんだ、テメェ!」
光輝が即座に気色ばんで一歩踏み出すが、私は手でそれを制した。
見れば、その少年の全身からも、すでに私の波長と共鳴した強い覚醒のオーラが噴き出していた。しかもその魔力量は、他の四人とは比較にならないほど濃密で鋭い。
間違いなく、セクションゼロの追加要員となり得るだけの稀有な才能を持った適性者だ。
しかし、少年の鋭い瞳には、感謝ではなく、刺すような強い警戒心と敵意が宿っていた。
「……触るなよ。あんたらが、噂の『教官』ってやつらか?」
少年は折れかけた双剣を握り直し、私たちを睨みつけながら吐き捨てるように言った。
「俺は中村颯太だ。あんたらの助けなんていらねぇし、現実になんかまだ戻らねぇぞ」
「戻らないって……どういうことよ? ここに長くいたら、心が摩耗して本当に帰れなくなるのよ!」
私が問い詰めると、中村颯太と名乗った少年は、廃墟の奥、さらに黒く淀んだ深層へと続く大階段を指差して、悲痛なほど強いこだわりを滲ませた声で叫んだ。
「あっちの深層に、俺の妹が引きずり込まれたんだよ! しかも……あそこにいたのは、ただのモンスターじゃなかった! 俺たちと同じ治験者の格好をした『黒い人影』が、強い魔力を持った奴ばっかりを狙って、次々に深層の底へ連れ去ってるんだ!」
「なっ……治験者の格好をした、黒い人影ですって!?」
私の背筋に、冷たい電流が走った。
ただの集合無意識の悪夢ではない。この混濁したアルメルシアの深層には、まだ私たちが把握していない『何か』が潜んでいるというのか。
颯太の言葉を裏付けるように、廃墟の奥深くから、ガラスがひび割れるような不気味なノイズ音が、街全体に不吉に鳴り響いていた。
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