第193話:『夜明けの滑走路と、残されたノイズ』
第193話:『夜明けの滑走路と、残されたノイズ』
ゴォン、と重々しい駆動音が響き、最下層のフロアに大型の貨物エレベーターが降りてきたのは、それから十数分後のことだった。
開いた扉から飛び出してきたのは、眼帯の大男ガルシアを先頭にしたレジスタンス『星屑の歯車』の仲間たちと、応急処置用の担架を持った医療班だった。
「おぉ……! 本当に、中枢のバケモノ機械をぶっ壊しちまってやがる……!」
ガルシアは、黒い煙を上げる巨大な立方体の残骸と、真っ二つになって転がる治験AIのロボット端末を見て、呆気にとられたように目を見張った。
だが、その視線がフロアの中央、ソラやメイたちが布切れで包んで介抱している少年少女たちの姿に留まると、彼の大きな体が激しく震えた。
「お前ら……っ、生きて……本当に生きてたのか……!」
ガルシアやレジスタンスの若者たちが駆け寄り、昏睡状態の子供たちを次々と抱き上げる。中には、生き別れになっていた自分の弟や妹を見つけたのか、名前を呼びながらボロボロと涙を流して頬ずりしている戦士もいた。
私たちが入り口で無力化した三人の少年少女たちも、すでに上の階層で無事に保護されたという。
誰一人殺さず、誰一人見捨てない。
私たちが貫き通したわがままな信念が、この冷え切った地下空間で、確かな救いとなって結実していた。
「……あれ?」
歓喜と安堵の声が広がるフロアの片隅で、ぽつりと小さな呟きが漏れた。
見ると、ソラが破壊された中枢コアの根元にあるサブコンソールに自身のタブレットを有線で繋ぎ、難しい顔で画面を睨みつけていた。
「どうしたの、ソラくん?」
私が歩み寄って背中から画面を覗き込むと、ソラは銀縁眼鏡のブリッジを指で押し上げた。
今回の作戦前、私たちは佐藤博士とレンから、AIの思考アルゴリズムや隣国のプラント網の全容を把握するため、可能であれば内部データを抜き取ってくるよう頼まれていたのだ。
「いえ……中枢コアのシステムが完全に沈黙する〇・〇三秒前に、ごく小さなデータパケットが、外部の海底ケーブルへ向かって強制送信された形跡があるんです」
ソラの指先が、タブレットの画面に浮かぶ赤い通信ログをなぞる。
「外部へ送信? どこに繋がってるの?」
「わかりません。送信先の座標データが、見たこともない暗号形式で幾重にもロックされていて……僕のタブレットの処理能力じゃ、ここでは解読できそうにないです」
ソラは少しだけ唇を噛むと、すぐにケーブルを引き抜き、タブレットを閉じた。
「……とにかく、残っていたサーバーのデータはすべてサルベージしました。この奇妙な通信ログのことは、日本に帰ってからレンさんと一緒に解析してみます」
真っ二つに斬り捨てられた治験AIのロボット端末は、ピクリとも動かない。
それでも、私の胸の奥には、小さな小骨が引っかかったような、言いようのないざわめきが静かに残っていた。
それから一時間後。
プラントからの完全撤収を終えた私たちは、地下鉄のトンネルを抜け、最初に降り立った海岸沿いの廃港へと戻ってきていた。
私たちが到着した時は、月明かりすら届かない漆黒の闇と、肺を刺すような凍てつく夜風が支配していた場所だ。
しかし今、錆びついたクレーンの向こう側に広がる東の空は、淡い紫から透き通るようなオレンジ色へとグラデーションを描き、夜明けの光が荒野を優しく照らし始めていた。夜空に瞬いていた星屑が、朝の光の中へと静かに溶けていく。
「……迎えが来たわね」
私が空を見上げると、朝焼けの雲を突き抜けて、光学迷彩を解除した漆黒のステルス輸送機が、音もなく廃港の広場へと垂直に舞い降りてきた。
後部ハッチが開き、帰還を促すランプが点滅する。
「ここまでだな、日本の特異点ども」
見送りに来てくれたジンが、相変わらず汚れたマフラーに顔を埋めながら、私たちの前に進み出た。
彼はまず、私の隣に立つメイの前に歩み寄ると、フードの奥の硝子玉のような瞳を少しだけ和らげた。
「……またな、黄金の盾。お前のおかげで、俺は今日もこうして朝日の下を歩けてる」
「はいっ! ジンさんも、どうかお元気で!」
メイが両手を後ろで組み、ひまわりみたいに明るい笑顔で頷き返す。
そしてジンは、光輝の方へと向き直った。
「おい、電撃野郎」
「なんだよ。最後に喧嘩でも売る気か?」
光輝がニヤリと笑いながら一歩前に出る。出会った時は一触即発だった二人だが、今のその表情には、同じ死線を潜り抜けた戦友としての確かな信頼が浮かんでいた。
ジンは無言で、ボロボロのグローブをはめた右拳を前に突き出した。
「……この国の歪みは、ここから先は俺たち『星屑の歯車』が自分たちの手で直す。お前らに借りっぱなしじゃ、死んだ仲間たちに顔向けできねぇからな」
「へっ。……ああ、期待してるぜ。次に会う時は、遠足気分で観光にでも来られる国にしといてくれよな」
光輝が右手のガントレットを鳴らし、ジンの拳に自分の拳をゴツンと強くぶつけ合わせた。
年齢も、育った環境も、背負ってきた過去もまるで違う二人。けれど、朝の光の中で交わされたその拳は、どんな外交文書よりも強い約束で結ばれていた。
「いつでも呼べよ、特異点たち! 世界のどこだろうと、お前らがピンチの時は俺たちがロケットランチャー担いで駆けつけてやるぜ!」
ガルシアの豪快な笑い声と、ジンたちの静かな敬礼に見送られながら、私たちはステルス輸送機のハッチへと乗り込んだ。
プシュゥゥゥッ……とハッチが閉まり、機体がふわりと浮き上がる。
行きは極度の緊張と激しい揺れで青ざめ、胃の中をシャッフルさせていた光輝たちだったが、今は違った。
座席に座ってシートベルトを締めた途端、張り詰めていた糸がぷつりと切れたように、四人とも泥のように眠りこけてしまったのだ。
ソラとメイは背中合わせにもたれかかり、咲は光輝の肩にこてんと頭を預けて幸せそうに寝息を立てている。光輝も、最初は顔を真っ赤にして固まっていたものの、数分後には力尽きたように目を閉じ、咲の頭に自分の頬をそっと重ねて眠りに落ちていた。
「……ふふっ。行きの騒ぎが嘘みたいね」
私が微笑ましい光景から視線を戻すと、隣の座席に座る悠斗と目が合った。
彼は大剣星斬りを足元に固定し、腕を組んで背もたれに深く身を預けている。
「あいつらなりに、限界まで神経すり減らしてたってことだろ。……お前も少し寝とけ、梨花」
「ええ。でも、なんだかまだ目が冴えちゃってて」
私が苦笑すると、悠斗は無言で腕組みを解き、私の膝の上に置かれていた毛布の下へと、自分の大きな左手を滑り込ませてきた。
そのまま、私の右手をそっと握りしめる。
作戦が始まる前、防衛省の屋上で彼に掴まれた右手首の熱。今は手首ではなく、互いの指を一本ずつ深く絡め合わせるような、恋人同士の甘い繋ぎ方だった。
ごつごつとした彼の指先が、私の手の甲をゆっくりと撫でる。その少しだけくすぐったくて、たまらなく愛おしい感触に、私の胸の奥がトクンと熱く跳ねた。
「……悠斗?」
私が小声で名前を呼ぶと、悠斗は目を閉じたまま、私の耳元にだけ届くような低い声で囁いた。
「日本に帰ったら、まずは局長の奢りで特大の焼肉だな」
「ふふ、光輝くんとの約束だものね」
「ああ。……んで、ガキどもが腹いっぱい食って解散した後は」
悠斗が薄く目を開け、私を真っ直ぐに見つめた。その黒い瞳の奥に、戦場で見せる獰猛さとは違う、私だけに向けられる大人の男としての深い熱が宿っている。
「俺の部屋に来いよ。……お前の魔力が空っぽになった分、俺の体温で朝までたっぷり満たしてやる」
「っ……! な、なに言って……っ」
思いがけない甘い言葉に、私の顔から耳の先までが一気に沸騰したみたいに熱くなる。
すでに互いを知っている私たちだ。彼の言葉が何を意味しているのか、その先の夜がどれほど優しく、そして激しいものになるのか、私が一番よく覚えていた。
言い返す言葉も見つからず、私が羞恥で口をパクパクさせていると、悠斗は「へっ」と悪戯っぽく笑い、空いている右手で私の頭を自分の肩へと引き寄せた。
「……ほら、今は寝ろ。着いたら起こしてやる」
「……もう。悠斗のバカ……」
私は真っ赤になった顔を隠すように、彼の広い肩へと額を押し付けた。
防刃スーツ越しに伝わる、規則正しい彼の心音と、確かな温もり。
小窓の外を見れば、ステルス輸送機はすでに大陸を離れ、朝の太陽を浴びてキラキラと黄金色に輝く冬の日本海の上を飛んでいた。
ソラが見つけた謎の通信ログや、まだ見ぬ新たな脅威。世界を巻き込む異能戦争の火種は、きっとまだ完全には消えていないのだろう。
けれど、この温かな手と、頼もしい仲間たちが隣にいてくれるなら、どんな暗い夜が来ても絶対に乗り越えていける。
私は絡めた指先にぎゅっと力を込め、大好きな彼の匂いに包まれながら、ゆっくりと瞼を閉じた。
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